Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

ドライブ

2006-10-30 17:06:00 | 
28日(土)の天気は晴れ予報。金曜の晩、ネット検索の末、草津の格安の宿を予約。思いつきで出かけることにする。

晴れ渡った土曜日、ナビを草津白根山の駐車場にセットし出発。関越・上信越道を乗り継ぎ何故か碓氷・軽井沢インターに導かれ、軽井沢方面へ抜ける。車の数も少なく快適であった。

思いがけなく軽井沢のメインストリートを車で流すが、なんともやるせない気分になっていた。立ち並ぶ高級店街、混雑する人々。なんで地方に来てこのような景色を見なければならないのだ...。

その後、旧軽井沢の別荘地帯を抜ける。紅葉も見頃で車も少なくて気持ちが良かった。なるほど高級リゾート地である。白糸ハイランドウェイ・鬼押ハイウェイ・万座ハイウェイの有料道路を乗り継ぎ、群馬県嬬恋村に入る。持参した昼飯をレストハウスのテラスでとっていると目の前に目の前の高見に四阿山(あずまやさん)が見え、それに続く山々が雄大であった。


【中央雲の切れ間に山頂を覗かせる四阿山】

周りではレストハウスで売られているソフトクリームや牛乳というお約束の代物を口にしている人達ばかりであった。牛乳がジョッキで提供されているのには驚いた。10月末にしては寒さはなく一様に紅葉が見頃でノンビリした気分でのドライブとなった。

北海道日本ハムファイターズ

2006-10-27 23:36:26 | Weblog
北海道日本ハムファイターズが日本一になってしまった。44年ぶり2度目と言うことである。私には記憶がない。



シリーズのMVPは5番を打った稲葉篤紀だそうだ...。この稲葉、ヤクルトスワローズ時代は3番を打ってはいた物のとても地味な選手であった。ヤクルト時代の2002年、突然慈善団体から表彰を受けた。表彰理由を聞いたときは笑ってしまった。守備につくときと戻るとき、常に猛ダッシュであることからその姿勢は素晴らしいということで表彰をされたのであった。

シリーズ中稲葉を見ていて思ったことであるが、ヤクルトスワローズ時代はヒットを打ってもクールであった。しかしファイターズでは何故か派手なガッツポーズを見せたり、また新庄と一緒にグラブを頭にかぶるなどスワローズ時代には見せたことのないパフォーマンスを見せていた。驚いたことにMVPのインタビューに関しても良く喋っていた。FAで移籍後のファイターズというチームカラーに馴染んだと言うことなのであろうか?

次に待つアジアシリーズ制覇を期待する。

『鉄道マニヤ必見』の店

2006-10-24 23:05:17 | 
下山後、家路につく。19:00までには家へ戻らなくてはならなかった。

とは言ってもそこそこ時間はある。温泉に入ろうとも考えたがバイクのため湯冷めをすると馬鹿馬鹿しい。ゆびそ温泉を過ぎるとき足湯を見つけた。代金は寸志を備え付けの箱に入れるだけのようなので賽銭を入れ、脚を浸けた。ぬるめではあったが疲れた脚には気持ちが良かった。落ち着くと腹も減っている事に気づいた。



水上の街を抜け、関越道方面に進むと妙にうるさい外見の古道具屋があった。スピードを緩め見てみると『水上新名所若旅資料本館古民具五千点(鉄道マニヤ必見)』と書かれていた。入館300円と強気の表示である。きっと店主の趣味が転じて、自称鉄道資料館を名乗る類のモノかと思い立ち去ろうとすると食事処の文字が目に入った。あまり味は期待出来ないだろうが話のネタに入ってみた。

予想通り駅の案内板や列車の行先表示板、その他使い道の良くわからない機械類がびっしりと飾られていた。店内には3名しか客がいなく静かなものだった。食券制だったため購入するとおばさんが言った、
「(調理場の)人数が少ないため10分ほどかかるから隣の資料館を見てきて下さい。食事をしてくれた方は無料ですから...。」
特に興味もなかったが併設された資料館という名のカビ臭い納屋を覗いてみる。鉄道の知識はほとんどない私には良くわからない代物が所狭しと並んでいた。2階もあるようだが、何となく登ったら壊れそうな古い階段だったためやめにした。


【食事処と資料館内部・右左上中央に何故か『機関車トーマス』が置かれていた】

テーブルに戻っても食事は出来ていなかった。座って茶を飲んでいると目の前の柱に飾られた2Lサイズの古い写真を見て笑ってしまった。『美人モデルと熊』という明らかに店主が書いたと思われる筆字のタイトルを付けられたその写真は近所の宝川温泉で撮影したモノらしく、何故か露天の湯船にツキノワグマが正面を向いて浸かり、その背後にくっつくようにして上半身を露わにした女性が立っているという摩訶不思議な代物だった。更にその横にはLサイズの紙切り職人の写真が展示されていた。タイトルは『紙切り遊び人、中村知子』であった。隣には額に飾られた中村知子が作ったと思われる紙細工が展示されていた。このような写真、稀に見ることがあるが一体何を訴えたいモノなのか...。まったくもって意味不明である。またこれを飾ろうと考える店のスタッフのセンスには頭が下がる思いである。

そんなモノを眺めていると店主と思われるオジさんがラーメンを運んできてくれた。オジさんは駅員さんが被る帽子を身につけていた。声をかけて色々訊こうと思ったが忙しそうだったためやめた。

なんとも不思議な店であった。

谷川岳 ~大渋滞~

2006-10-23 23:12:16 | 登山・アウトドア
頂上と間違えたトマの耳で休んでいたときのこと、突然旗を広げて記念写真を撮りだした6~7人の団体がいた。旗には『関東学院大学ワンダーフォーゲル部』と書かれていた。突然ヤツらの中の一人が絶叫しだした。
「自分、関東学園大学ワンダーフォーゲル部、○○○○は谷川岳...!」
ここで居合わせた登山者が冷ややかに言った。
「うるさいよ!!」
学生達はばつが悪そうにザックを背負い下山を始めた。思わず見ていて笑ってしまった。

このような体育会系サークルの伝統をたまに目にすることがある。一昨年甲武信岳山頂では3人組のワンダーフォーゲル部が山頂に着くやいなやザックも下ろさず何故か、「1・2・3・4」と叫びながら体操を始めた。聞けば声出しは周りの迷惑になるため体操にしたそうだ。彼らは体操を終えると頂上の風景も楽しまずに物凄い勢いで縦走ルートを進んでいった。

三度、目にした肩の小屋前は先ほどとは違い、何かイベントでもあるのではないかと思うほど人でごった返していた。ざっと見ても朝のロープウェイ駅程度の人はいたはずである。どんどん登ってくる人で混み出したので早々に下山ルートを進む。


【登っていく人々で大渋滞の天神尾根】

天神ザンゲ岩を過ぎると、巨大なザックを担いだ集団が登ってきた。先頭の人は言った。
「頂上まではどのくらいあるんですか?」
「後30分くらいかな...。」
答えたついでに聞いてみると25人の団体でこちらも大学ワンダーフォーゲル部だそうだ。その後ろに詰まった登山客が更に25人ほど繋がり大渋滞と化していた。下山に若干のストレスを感じつつも進んでいくと、今度は『熊穴沢の頭』と呼ばれる岩場(1,441m)で怒鳴り合いが聞こえていた。30名の中高年の団体ツアーの引率者と5名の下山者の言い合いだった。標高を下げた分日差しも出てきて辺りの紅葉も見頃だったため休憩ついでにその怒鳴り合いを眺めることにした。岩の上に座って聞いているとどうも団体の引率者が下山者の行く方向を手で遮り、「ちょっと待って!」と言ったのが事の起こりらしい。引率者曰く、山では上り優先の原則があるから下山者は譲れという態度だった。下山者の言い分は30名の団体なら最低でも6~7名のパーティーに分割して5分程度の感覚を開けて登るべきだと言い、問答になっていた。結局は団体の客らが引率をなだめて下山者が先に進んで行った。

その場所からは武尊山・赤城山・浅間山が確認できた。


【登山道から眺める武尊山・中央奥】

12:30、無事下山となった。

今回の谷川岳であるが、紅葉の季節更にアクセスが容易な山のためかやたらと人が多かった。これに加え下山時に特に感じたが登山道が全体的に滑りやすかった。それは整備のために敷設された木道が霧で濡れていたという事もあるが、数多くの人が歩くためか岩肌も丸みを帯び、更に本当に滑りやすく、ストックがつくづく役に立つ登山であった。眺望があまり取れなかったせいもあるのであろうが、人が多すぎて妙なところで疲れる山行となった。次回は是非快晴の平日に登ってみたい山である。

谷川岳(標高1,977m)

2006-10-22 23:40:55 | 登山・アウトドア
4時出で関越を走り、6:30、ロープウェイ乗り場に着く。駅の中は既にチケット発売窓口が開くのを待つ人々でごった返していた。山頂は先週のように曇り。しかし、今日一日は快晴の予報。一瞬考えたがごった返す200人を軽く超える登山者に回復を信じ、チケットを買う。22人乗りのロープウェイのためそれ程待たずに乗車。7分で上の天神平駅(標高1,319m)着。霧雨視界100mとの表示があった。登山客は寒さもあってか雨具を着用し始めたが、私は比較的寒さに強い。雨は気になる程では無かったため半袖・綿シャツで7:30登山開始。

殆ど高低差のない木道混じりの登山道を進む。あっさりペースを作れたため8:10熊穴沢避難小屋着。途中、霧のためあまり景色は楽しめなかったが小屋から若干新潟側の紅葉が楽しめた。この感じでは回復は望めないと思い、引き返そうとも思ったが、大きく崩れる心配もないし、実現するかどうかは分からぬが、大学時代の友人とこの冬、谷川岳に行くという話も出ているため下見を兼ねて登ることにした。

この小屋を過ぎると一気に岩場の多い急斜面となった。しかし、気温が低いせいもあり、登っていてきつくはなかった。

相変わらず眺望は全くないまま、9:15、天神ザンゲ岩着。ここで始めてザックを下ろす休憩をとった。休んでいると寒いため、程なく出発。その先は急に草斜面となり、そこを過ぎるとなだらかになった。前方で鐘の音が時々聞こえる。難なく、肩の小屋着。そこから緩やかな斜面を5分程歩き9:30、谷川岳山頂であった。食事を取りながら天気の回復を祈ったが時折明るくなり太陽は霧の向こうに見える物の視界が得られることは全くなかった。居合わせた人々はそこそこに皆、肩の小屋の方に下山を始めた。今回はピークハントという不甲斐ない結果には終わった物の下山することにした。



10:00、山バッジを買おうと肩の小屋に立ち寄る。450円で購入した谷川岳のバッジには標高が1977mと記載されていた。先ほどの山頂は三角点があったものの1963.2m。疑問が湧き、小屋番のおじさんに訊いてみるとこのような答えが返ってきた。
「このすぐ上も山頂。そこから20分位歩いた場所も山頂。双耳峰なんですよ...。」
ふとこの夏の塩見岳の山容が頭に思い浮かんだ。
その横にいたオバサンがこういった。
「でも頂上はあっちに動いたって言ってたわよね...。」

この台詞に戸惑った。この程度の時間で登れる山ならもう少し日照時間の延びた冬山の可能性もあるがもう一度晴れた日に当然挑戦はするが、万一今後来るチャンスをことごとく逃してしまったらもっと大きな悔いを残すことになる。慌てて再度もう一つの頂上と呼ばれるバッジに記載されている1,977mを目指し、霧の中を進んだ。

10:19、今度こそ1,977mを踏んだ。確かにこちらの標柱には谷川岳山頂とはっきり書かれていた。危うく下山集団に促され頂上近辺まで来て引き返すところだったわけである。



頭上は時折霧が抜けて青空が見えたが晴れ渡る様相は一向に無かったため下山となった。

プレミアが付いてしまった酒

2006-10-18 23:38:37 | Weblog
15日(日)デパートの食品売り場をぶらつく。ビールの試飲コーナーがあったが、ガラガラであった。冷やかしてみるとマネキンのオッサンは、
「車の人が多いから最近は試飲してもめっきり少なくなってるんですよ。また出す方も確認してからでないとお奨め出来ませんので...。」
と言っていた。私が電車での移動とわかると気を良くし、なみなみと注いでくれた。静岡の「風の谷のビール」という地ビールのキャンペーンらしい。ドイツ式の製法で醸造しているらしく4ヶ月かかるメルツェンと言われるものだった。コクがあってなかなかである。東京にはあまり卸していないらしく、唯一飲めるのは”三鷹ジプリの森美術館”だけだそうだ。オッサン曰くこの地ビールのネーミングの方がジブリより早かったらしく、その名前から美術館がおかせてくれるようになったそうだ。ラベルをナウシカバージョンに作り替えたいと要望を出したところ、子供向けのアニメのため大人の酒に利用するのは気が進まないと言われ断られたそうだ。


確かに旨かったためメルツェンとピルスナーの2本を購入。ついでに焼酎を眺めているとオッサンは言った。
「今日は珍しいのが入ってまして残り2本だけあるんですよ。三岳っていう芋焼酎なんですが...」
「うっそぉ!!」
思わず叫んでしまった。ちょっと前までは難なく手に入ったこの焼酎が今や原産地の屋久島でも手に入りにくくなってしまっている。案内された棚は既に最後の1本となっていた。残念ながら5合瓶であった。何故か1000円の値段が付き、現地よりも若干高くなっていた。わずか数年前までは仕入れている酒屋では当たり前のように手に入ったのであるが、現地に行って味を覚えた人々の需要が殺到し、今では生産が追いつかずプレミアが付いてしまい、このような状況に陥っているらしい。東京で飲めないのは仕方ないとしても現地へ行っても手に入らないというのは何とも寂しい物である。購入後家で早速飲んでみると間違いなくあの独特の香りと味が楽しめた。生産は追いつかなくても質は落ちていないようで嬉しいことである。

ニンテンドーDS lite

2006-10-16 23:36:47 | Weblog
「あか!あお!あか!きいろ!」
ちび共が寝た後、嫁が妙な叫び声を発している。

土曜日、ショッピングセンターをブラブラしているとニンテンドーDS liteが販売されていた。学生の頃は暇に任せてスーパーファミコンにはまり、特にドラゴンクエスト等のRPGに限っては絶頂期、1日20時間程やっていたこともあった。休みの前日に炊き込みご飯の素で下宿の電気釜で3合程飯を炊き、ひたすら腹が減ると水でそれを胃に流し込み、明け方までぶっ続け、そのまま寝入り目覚めるとまた始める。このような生活でトコトンやり倒し、シュミレーションのファイアーエンブレム等は4日程でクリアしてしまったこともあった。実際定期も単発のバイトもなく、表へ遊びに出かける金銭的余裕がないときはこのような金のかからない生活を送っていた。

しかし、その後、ゲーム自体に飽きてしまい、ピタリとやめてしまった。現在、わが家にはそれでもプレステ2があるが、買って6年、購入したソフトはたった3本、遊び倒したソフトは一つもなく、今やDVD再生専用プレーヤーと化している。

昨年末、松嶋菜々子のCMやソフトの評判を聞いて嫁が『脳を鍛える大人のDSトレーニング』を一度やってみたいと言っていた。ところが、ハード自体の生産が追いつかなかったらしく、何処に行っても目にすることはなかった。



今回見つけたとき、売れ残っていた数はたった5台。それなりによさげなカラーのネイビーがあったため嫁と折半で購入となったわけである。必死に叫んでいた嫁の脳年齢は思いの外良かったようだが、これから毎日ゲームを繰り返すことでどんどん若返るらしい。私も挑戦してみた。嫁はともかく松嶋菜々子の脳年齢52歳には負けたくない物である。ちなみにヤクルトの古田選手兼任監督は58歳だそうだ。そんなことを思いながら始めて見た。

簡単な計算や色の識別を繰り返すこと数分。結果が出た。...43歳。松嶋には負けなかった物の私の実年齢より上である。これを喜んで良い物か悪い物か...。

しかし、一度結果が出てしまえばもう一度やってみようという気も起きなく、またもや高い買い物になってしまったのだろうか...。と思うのであった。

マネキン6 MannequinⅥ

2006-10-15 23:35:47 | Weblog
尾瀬(鳩待峠)から沼田街道(120号線)に入り暫く南下すると次のような看板を見付けた。片品の天然温泉らしい。しかしそこの横に地方でよく見る案山子のようなマネキンが若干上を見る様子で立っていた。あまり珍しくもなかったが胸元のカードには『見に来てヨン』となんとも場違いな文字が書かれて不思議であった。



一瞬女子高生の風貌をとらえたマネキンかと思ったがどうにもコピーとは合わない。普通に通り過ぎたが何かのネタになるのでは(つくづく暇な行動だ)と写真を撮ろうと思い、バイクを止め看板まで引き返してよく見て愕然とした。



どうも、一昨年日本のオバサン方を熱狂の渦に叩き込んだ隣国の俳優を真似たマネキンらしくまた『見に来てヨン』のコピーはその人物を真似た物らしい。一瞬このマネキンを作った人物に会ってみたくなり次の信号を曲がってみようかと思う。しかし、そこまでのインパクトも感じなかったためそのまま赤城に向かった。

このような流行に乗っ取った物を地方で見かけることは今までもあったが、流行っているうちはまだ洒落ですむが、大概の場合このような物は流行が終わってもそのまま道端でメッセージを掲げ続けている場合が多い。それも悲惨なことに、長いこと雨風にさらされ続け、一体何のメッセージだったのか文字さえも消え失せ、更に服はボロボロになり首も傾き、決してもとは俳優を真似た物であるとは一見して分からない程になってしまうのも中にはある。客相手の施設の看板の横に立っているためそこまでの事は無いであろうが、次にこっち方面に行ったときどうなっているか覚えていれば確認したい(笑)

奥利根・赤城ツーリング

2006-10-14 23:23:49 | 
土合の駅を出て水上方面へ向かう途中、宝台樹方面へ行ってみることにした。以前スキーで行ったことはあったがその向こうに奥利根のダムがあると聞いていた。2週間前の巻機山からも見えたダム湖である。生憎とツーリングの予定では無かったため地図は持ち合わせていなかったが記憶が正しければ尾瀬の登山口となる鳩待峠へ抜ける道があったはずである。程なく鳩待峠とならまた湖の案内が出ていた。湖の展望台からは至仏山に続く尾瀬の稜線沿いに笠ヶ岳が紅葉に色づいていた。どうやら悪いのは谷川岳のみのようだった。


【上が至仏山・尾瀬の稜線を渡り右端が笠ヶ岳。下画像が照葉峡付近の林道】

その先の照葉峡から坤六峠(こんろくとうげ) へと続く林道は丁度紅葉が丁度見頃で走っていて寒くもなく、気持ちがよかった。峠から下り、鳩待峠入り口の丁字路に差しかかるとそこにいたオッサン二人が尾瀬はマイカー規制のため入れないから諦めてくれと言った。
途中、尾瀬戸倉スキー場に寄り至仏山・燧ケ岳のバッジを探し購入。学生の頃登ったがバッジを購入していない山であった。

時間もまだ3時だったため赤城山に寄り道をする。6月の皇海山の帰り深緑の時期に行ったのであるが、今回は紅葉。同じ風景でも全く違う色の山の様相が面白かった。


【上は赤城湖畔・中は群れ飛ぶ羽虫で遊んでみました。背景が良い景色なら良かったのですが..。下は赤城山麓からの榛名山右奥が苗場山】


JR土合駅

2006-10-13 23:45:16 | 
快晴であった。今日は取りきれなかった夏休みである。山の予報を見ても晴れ。バイクを引っ張り出して関越を走らす。水上インターを下りて谷川岳を見て唖然とする。山頂部分は雲に覆われていた。これでは途中の紅葉を楽しむことは出来ても頂上からの展望は一切望めない。ロープウェイ乗り場の係の人に様相を訊くと頂上のモニター画面は曇っているため期待できないとの話。携帯で予報をチェックすると15時過ぎからは曇りであった。これでは回復の見込みが無い。谷川岳を望める白毛門山にでも登ろうかとも思ったが肝心の谷川岳が曇っていては意味がない。とはいっても秋晴れの快晴。諦めツーリングに切り替えることにした。

ロープウェイ乗り場から暫く下ると谷川岳の登山の駅となるJR上越線土合駅があった。駅前はただの砂利の広場である。よく見ると何故か『日本一のもぐら駅』と書かれていた。バイクを止め駅にはいると無人駅のようであったが掃除のおじさんがいた。私を認めると近寄ってきてこういった。
「初めてですか?ここはもぐらの駅と言って下りの乗り場ホームまで延々と462段の階段を10分程かけて下りるんですよ。」
驚いているとこう続けた。
「よかったら改札入って左に150m進むと階段の様子が見れますから...。」
と改札の中に案内してくれた。訊けば入場券もいらないらしい(基本的に無人駅のため購入できない)。

左に暫く進むと先ほど走ってきた道路の上をわたる通路になっていた。足元を見て飛び退いた。何と蛇がうろついていたのだ。そこを超えると通路は下方に階段となって延びていた。下からは保線作業の人が階段を登ってきてこういった。
「10分位だから下りてみれば...。ちょっとしたネタになるよ。」
ここまで来て下りてみない手はない。



基本的に階段は5段下って踊り場になり更に5段下って踊り場の繰り返しだった。左側にはU字溝、右側は崩れたコンクリートの斜面となっていてそれを水が川のように流れ、せせらぎとなっていた。

10分程下ると直角に線路が延びていて灯りが等間隔にあるのみであり、せせらぎ以外は全く音が聞こえなかった。カビ臭いホームをぶらつくと待合室とトイレがあるのみであった。昔、訪れたJR奥羽線の峠駅を思い出した。残念ながら電車の本数自体が極端に少ないため発着の様子は見れなかった。暫くホームを行ったり来たりしていると観光の名所らしく、数人の人たちが下りてきた。皆一様にこの様相を楽しんでいた。谷川岳に行ったらお薦めしたい場所である。



地上への462段はこれでも軟弱山ノボラーの意地で一気に登っては見たが、改札を出ると汗が噴き出し、休憩となった。

御岳山(929m)

2006-10-11 22:13:09 | 登山・アウトドア
3連休中日の8日は快晴であった。暫くぶりに家の窓から富士山が見えた。天辺は微妙に白くなっていて、初冠雪らしい。特に予定もなかったが、嫁が弁当を準備していた。あまり考えずに何となく奥多摩の御岳山へ行くことにした。

嫁も私も気軽なハイキングで何度も訪れてはいるが子供が出来てからはご無沙汰であった。ケーブル乗り場で往復1270円のチケットを購入し乗車。最大斜度25度の斜面を6分で一気に登る。この山頂駅までのルートを歩くと約60分。そこからリフトに乗り、富士峰公園まで行くと関東平野が一望でき、筑波山もハッキリ見えた。その後、私も嫁もそれぞれに12kgのチビどもを背負い、御岳山神社まで約20分歩いて汗だくとなった。普段の登山の荷物とは違い重心が調整できないため非常に重たく感じられた。



神社横で昼食を取りながら風景を眺めていて気付いた。遙か南方には丹沢山嶺の向こうに水平線が広がっていた。また、新宿副都心の高層ビル街の向こうには東京湾が見えその向こうに房総半島が延びていた。穏やかな日差しの下、最高のハイキング日和だった。下山の際はケーブル乗り場まではチビどもを歩かせたが、そこからは何と日光の山々が確認できた。


【中央に見えるのが新宿の高層ビル街・その向こうが東京湾となる】

北アルプスでも雪が降ったこれから先、こういった低山は秋晴れの眺望が楽しめる山に変わる。来月にかけては紅葉を楽しみながらの2,000m級の登山がピークである。

運動会

2006-10-10 21:41:15 | Weblog
週末はチビどもの通う保育園の運動会だった。私はこのような学校関係のイベントが大嫌いな子供であった。特に運動会は恥ずかしさの極みみたいなもので幼稚園の頃から苦手であった。何故か...。私の通う幼稚園でも玉入れや綱引きのような紅白が競う競技があった。別にやっているのは構わないのだが、勝ったときが堪えられなかった。無理矢理盛り上げようと必死の保母さんが「紅組の勝ちで~す!!」と言った瞬間何故か勝ったチームは「わーい!!」と跳び上がらなければならなかった。これが幼児期の私には
(...なにこんな下らねぇ事で盛り上がってんだよ...。こんな事で飛び跳ねて恥ずかしくねぇのかよ...。)
と感じられ毒づいていた。今でも実家へ帰り、親が撮ってくれた運動会の写真を見ると実際つまらなそうにしているから全くカワイゲのないガキだったのである。

ともあれ、開始3分程前に保育園に着いて驚いた。子供より圧倒的に父兄の方が気合いが入っているのである。小さな園庭の隅っこに場所取りのため敷いたシートに大人共がこぞって陣取り、また父親は脚立まで持参しホームビデオで録画の準備をしていた。開会の体操が始まろう物なら、異様に盛り上がり必死で親が動き回り撮影をしていた。かくいう我が家はシートさえも持参せず、カメラも望遠の効く一眼レフさえ持たず、私のウエストポーチにいつも突っ込んであるポケットデジカメのみであった。


【盛り上がる大人達】

各クラス別の駆けっこが始まるときは物凄かった。
「すみません!次、うちの子が走るんです。撮影したいんで場所代わってください!」
決死の形相で場所の交渉をする大人共がパニックとなっていた。私も嫁も流石に観ていてバカバカしい。我が子可愛さに決死の形相でカメラを構える親たちって一体...。

まあ、我が子の記録を残しておきたい気持ちは理解できなくもないが、ちょっとませてきたガキならこの親の様相を恥ずかしいからやめてくれと言いそうな気がしてならない。また成長した我が子がこのビデオを観ることはほとんどないのではないだろうか...。

そして、我がチビ共の競技の番になった。流石に2歳の組。原始的な競技であったが無事終了。そして勝ちどきのお約束の”やった~!!”と無邪気にはしゃぐ組の連中を観て私は思わず凍り付いた。我が家のチビどもは二人とも無邪気に飛び跳ねる同じクラスのガキ共を冷めた表情で観ていたのであった。

注射恐怖症

2006-10-06 23:30:34 | Weblog
今の職場は医学系の研究機関である。そこで今朝突然、ラボに呼び出される。いってみると不気味に微笑む技師が3人いた。椅子を勧められ、書類を2枚渡される。

毎年逃げ回っているインフルエンザ予防接種にはまだ時期が早いと思っているとそのうちの一人が言った。
「実は血が足りないんだよねぇ...。ちょっと採らせて欲しいんだけど...。」

2枚の書類は同意書と説明書きだった。要は血液を使って試薬を作るらしい。
「いや、ちょっと針ものは苦手なんで別な人探してください...。」
というと意外な言葉が返ってきた。
「もちろん強制はしないけど、血液検査の結果と牛乳だけで終わらせようってもんじゃないんだよ。」

話を聞くと薄謝が出るという。提示された金額は普通に飲んで騒げるほどのものであった。

抜かれる血液はわずか10cc時間は3分ほど係るとの話。あっさり右腕を出してしまう自分がおかしかった。



多少の痛みはあり、また3分間という時間が鬼のように長く感じたが、私の注射恐怖症はこの程度のものであったらしい。