Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

消臭スプレー

2007-06-30 21:33:03 | Weblog
自分の体が発する臭いというものは普段あまり気づかない。ところがこれが外部的要素で付着した臭いだと自分でも敏感なほど気づくものである。

ラビットを運転し実家へ帰りヘルメットを脱ぐ。親父の頭につけている整髪料の臭いが私の髪の毛に付着し何とも言えない臭いを発している。すぐに兄貴の家族と車2台で蔵王に出かける予定のため洗髪している時間はない。そのためとりあえず手櫛でばさばさと頭をかき分けて見るもやはり臭いは消えない。気になっているのは自分だけと思うことにし、車に乗り込む。暫くするとやはり気になる。嫁に聞くと微妙に臭うと言っていた。

国道沿いのコンビニで茶を買うことになる。その際、家庭用品のコーナーで布やソファーに付いた臭いを消すという消臭スプレー・リセッシュを発見。これはいい物を見つけたと買い込む。小学校4年の姪はそれを見て、私の頭の匂いを嗅ぎ、
「えっー、臭いけど大丈夫だよ。やめなよー。」
と身を案じてくれたが自分自身この匂いには耐えられない。しかし、嫁は面白がり私の頭に数回スプレーを噴射した。その後嫁も姪も匂いを嗅いで私の頭から気になる臭いは消えたと言って、消臭スプレー・リセッシュの威力に驚いていた。しかし私には窓拭きスプレーの香りが感じられた。まあ、先ほどよりはマシになったということであろう。



車を走らせていると助手席の嫁はリセッシュの注意書きを読みながら笑った。
「ははっ...。人に向けてスプレーしない。顔や肌、髪の毛、ペット等の生き物に直接スプレーしない...。だって。やっちまったぃ(笑)」
...笑い事ではない。

しかし、気づけば、直接頭を嗅いだ第三者には分からないようだが、微妙に親父の整髪料の臭いは消えていない。その後もスプレーを試みたが、この臭いはかなりしつこく、結局はその日実家へ帰るまで自分では気づくほどの臭いが残っていた。

夕方実家へ帰るとそこで消臭剤としてはトップの売り上げという噂のファブリーズを見つけた。注意書きを無視し、またもや早速噴射。しかし直後に手櫛で髪の毛をかき分けるもやはり臭いは消えなかった。結局風呂に入って洗髪してこの長きにわたる臭いとの格闘は終了となった。

消臭剤販売メーカーもこの第三者に分からない程の微妙な臭いさえもあっさり消すほどの物を新開発するべきである。

それにしても親父の整髪料、恐るべし...。

ラビット 90

2007-06-29 23:53:37 | Weblog
実家の男共は何故か全員バイクの免許を持っている。これは私の明治生まれの今は亡き祖父からそうで、父親・兄貴・私と全てバイクに乗っていた歴史があった。

そんな環境の中で私は幼い頃、祖父が所有した『ラビット90ハイスーパー』という90ccのスクーターに乗せて貰っていた。祖父はこのバイクで当時は舗装路さえ少なかった田舎の町を仕事で走り回っていたようだ。

実家へ帰るとその懐かしのラビットが庭先に置いてあった。聞けば親父がレストアし、日常に使っているとのこと。生まれてこの方何度も乗せて貰ってはいるが自分で運転したことは一度もない。折角なので引っ張り出しエンジンをかけてみた。特に目立った違和感もなくスムーズに加速し走っていて気持ちがいい。



今から40年以上前の今で言う富士重工業(スバル)製。スバルは現在2輪は生産していないのである意味貴重な歴史的な価値があるのかも知れない。このようなものに乗っている自分に感激を覚えた。エンジンはしっかりした物で急な坂道も何の苦もなく走り、低排気量のスクーター独特のゆっくりした走りを堪能出来た。気になる重さは一般的な黄色ナンバーのスクーター程度で殆ど違和感は無い。

このラビットの燃料は混合油である。父親曰く25:1程度だそうだ。草刈機の燃料といえばわかりやすいだろうか...。

試しにネット検索をかけたところオークションで50万円近くの高値が付いていた。レアものというため人気があるのであろうか...。

那須岳2

2007-06-28 20:05:32 | 登山・アウトドア
食事中、下山者にこの先の時間を訊くと、
「ここからは大きく回り込むんで登りのきつさはないけど稜線は風が強いから30分くらいかなぁ...。」
と教えてくれた。
山頂駅からの標準タイムは40分。子供の脚とはいえかなり登って来ているはずである。果たしてそれほどかかるのだろうか?

食後登ろうとすると長男は言った。
「もう歩かないの!ねんねするの!」
それを認めて次男は、
「おとーちゃんもおかーちゃんも歩くから一緒に歩こう...。」
と説得に当たったが長男は登ろうとしない。この先不明なためまた何年か後に登頂を目指すことにして、下山を始める。
そのとき、嫁は言った。
「ゆっくり下りてるから一人で行って来なよ...。」

幸い携帯は通じるエリアでもあるため速攻で頂上を目指した。確かに頂上を巻いた形での岩場の登山道である。やはりちび共が気がかりなため早歩きとなる。

しかし、ものの数分で息が整わないため苦しくなる。それでもどうにかペースを維持し、10分程度で頂上着。石に被われた山頂で流石に活火山独特の様相であった。霞はあったがかろうじて、男体山・日光白根山・至仏山・燧ヶ岳・平ヶ岳・会津駒ヶ岳・越後駒ヶ岳・磐梯山が確認出来た。


【茶臼岳山頂(1,915m)の様相】

ゆっくり景色を眺めていたかったが流石にそうしてもいられない。速攻で下山開始となる。急ぎすぎて山頂駅への分岐を見落とすというハプニングはあった物の程なくちび共と別れた場所のすぐ下に到着。なんとヤツらはそこで遊んでいた。この間は30分程であった。嫁が言うには次男は私の後を追って行こうとしていたらしいが、呼び止めたためそこで長男と遊びだしたそうだ。

那須岳

2007-06-27 21:26:18 | 登山・アウトドア
23日(土)半年ぶりに実家に帰る事にした。それにしても天気がいい。確か那須の茶臼岳はロープウェイを使えば9合目まで一気に登り、そこから頂上までは40分程度のはず。ついでに寄ってみることにした。

那須は今まで何度か行っていて、福島県側の赤面山でスキーをしたり、また南西部の深山湖側の林道を走ってキャンプをしたり川遊びをしたりと遊んで来たが、実は最高点の茶臼岳には登ったことが無かった。先週の陣馬山行でちび共の脚に気をよくした私は標準タイムが10分程度多いのは大丈夫と考え向かったのである。



週末ではあったが、正午を回ったばかりのロープウェイ乗り場はそれほど混雑してはいなかった。切符を購入し早速乗車。ちび共はやはり大喜びであった。山頂駅に着いてから準備を整え出発。当所はなだらかな斜面歩きであったが、この辺りは火山灰地、滑りやすく子供の脚では歩きにくかった。長男は鼻を押さえ、
「臭い~!!」
を連呼している。確かに辺りは火山独特の硫黄臭が漂っていた。それでもペースを落とすことなく快調に進む。眺望は抜群である。


【緩やかな火山灰地が続く】

やがて風景が岩場に変わってきた。一番きついピークを上り詰めたところで長男がこういった。
「お弁当食べる~!!」
次男もそのようである。ちびながらもかなり頑張ったため舎利バテなのであろう。そこで昼食とする。


【一番の急坂を上り終えた所から見上げた山頂。ここからは巻道となる。】

眼下に広がる風景を見ながら食事を取っていると中学生の集団が登ってきた。この手の集団は非常にくたびれる。休んでいたから何と言うことはないがこれが私が登りで余裕がない場合で向こうが下りだとひたすら、壊れたステレオサラウンドのレコードプレーヤーのように、
「コンニチハ」「コンニチハ」「コンニチハ」「コンニチハ」「コンニチハ」「コンニチハ」「コンニチハ」「コンニチハ」「コンニチハ」「コンニチハ」
と口撃を繰り返される。無視すればそれまでなのであろうが、挨拶された手前こっちもひたすら返事してしまう。まさに息が上がった状態では地獄である。

そんな団体が一通り過ぎ去ると、やはり標準ペースではついて行けない生徒も現れた。しんがりを努める引率の先生に、
「もう歩けないよ~!!。」
「疲れたよ~!!」
とだれた生徒が登ってきた。しかし、一行は我がちび共を見ると文句も言えず登っていった。

陣馬山(857m)

2007-06-26 19:36:44 | 登山・アウトドア
14日に梅雨入りしたとはいえ、17日に日曜は朝から快晴である。特に予定もないがスポーツ新聞を拡げていると60歳の記者が八王子の高尾山・陣馬山の8.5kmのコースを25kg背負い歩いたという記事が載っていた。なんでも幾ら山の数を登っても本当の歩き方は身に付かないらしく無駄のない本当の歩き方を身につけるためにこのような愚行とも取れるトレーニングをしたとの記事であった(詳細はクリック)。

ふと思いつく、和田峠から陣馬山なら1.2kmである。かなり急な山道ではあるが階段が整備されていて家の裏山で慣らしている我がちび共も登れるかも知れない。嫁と相談の結果出発。



和田峠は今年の2月に三国山(東京・神奈川・山梨県境)を登ったときにアクセスした場所である。今回は三国山とは逆の南方向へのハイキングである。私は過去に3度ほどツーリングで、嫁も何度か来ているらしい。しかしこの深緑の季節に来るのは初めてである。峠の駐車場は有料のため2月同様に峠のすぐ下の神奈川県側に車を止め出発となった。何故か私は嫁を含めた3人分の水と食料等を背負い登山開始。目の前に連なる階段にちび共は、
「うおー!!すごいねー!!」
「♪かいだん、だだん、だん!」
と映画ターミネーターのテーマを思わせる意味不明な歌を口ずさみながら登りだした。
これが予想に反して物凄いペースである。3歳児の小さな体の割にはまるっきり大人のペースである。しかも全くの休み無しで標準コースタイム通り、あっという間に頂上着であった。

頂上は広く見晴らしがいい。高尾方面からの縦走者が多いようだ。日除けがないため売店のテーブルを借りて昼食とする。おでんを注文すると既に売り切れであった。しかし、店主がはんぺんとコンニャクが残っているからと振る舞ってくれた。またちび共には階段を使った下山は危ないのでキャタピラーを使っての荷揚げ用に使う道を教えてくれた。

初めて自力で登った山らしい山である。記念に彼らの分の山バッジを購入した。

昼食後、広い山頂でちび共は大はしゃぎで転げ回っていた。肝心の展望は強い日差しにもかかわらず霞のため富士山さえも見えなかったが、条件が良ければ南アルプスの赤石・秩父山系・丹沢山塊・筑波山・房総半島と見える山である。



さて、気になるちび共の感想であるが、帰宅後口をそろえてこういっていた。
「楽しかったネー。」
「また行きたいネー。」

また手頃なハイキングコースを探さねば...。

怪しい我

2007-06-25 19:32:05 | Weblog
『怪我』という字は当たり前であるが『怪しい我』と書く。確かに擦り傷・切り傷というのは見ようによっては怪しいが服を着ていれば隠せることも多い。しかし、これが眼であったら眼帯で隠すことは出来ても眼帯の姿も異常である。アニメに登場する、段ぺーのおっさんやハーロック、実写では下妻物語の婆さん。ジャックスパロウなどはどれをとってもインパクトが強い。

さて、銚子方面ツーリングの事を書き綴ったが、この途中でかなり焦ることに遭遇した。

潮来から利根川の堤防沿いの農道を走っているときのことである。突然両目が激しい痒みに襲われ続いて鼻水が流れ出した。まるっきり春先の花粉症の状態である。すぐにバイクを止めてウエストポーチを漁る。あろう事か目薬の容器は空であった。我慢出来ないほどではなかったためとりあえず犬吠埼を目指す。信号待ちのとき、目を擦りたい衝動に駆られたが、フルフェイスのヘルメットを被り両手はグローブをはめていたためどうしようもない。痒みと格闘しながら犬吠埼に辿り着く。

食事を注文した後、洗面所で目を洗う。しかしこれが幾ら洗っても痒みが増すばかりであった。食後、九十九里への道すがら薬店を見つけアレルギー用の目薬を購入。すぐに使おうとコンタクトレンズを外したときのこと...。右目に痛みが走った。目薬を注した後、よく見ると目の血管が破れたらしく黒目の横の部分が真っ赤であった。他人のこのような様相を見たことはあるが、実際自分がなってみるとかなり焦る。こんな状態でバイクを運転して大丈夫なのか...。今からこの近所の眼科を受診した方が良いのか...。受診してバイク不可の場合どこに預かって貰うか...等々。

かなり焦るも九十九里浜を南下し、首都高を乗り継ぎ帰着となった。家の近所にある眼科に駆け込み診断をして貰うと医師は言った。
「充血したタイミングで目に触ったため血管が破れたんですよ。失明とかの心配は全然ありません。一応アレルギーと抗生物質の目薬を処方しておきます。」



一安心ではあったが、かなり精神的には疲れた。さて、この様相で家に帰るとちび共は何の反応もなかったが嫁は驚き心配した。また職場では目を合わせる人が口々に理由を聞いた。やはり眼というものはインパクトがあるらしい。

犬吠埼

2007-06-22 22:10:23 | 
潮来・香取をふらついている内に13時になってしまった。今日の目的は鰹である。利根川沿いに走り、銚子にある犬吠埼を目指す。白い灯台が有名で山頂・離島を除き、日本で一番早く初日の出を見ることができる場所として有名な観光スポットでありふと北海道の襟裳岬を思い出す様な風景ではあったが犬吠埼は期待していたほど素晴らしい景色もなかった。



とりあえず立ち並ぶおみやげ物屋・食堂の中から最も灯台寄りの店に入る。既に昼時は過ぎていたため店は空いていた。席に着き、店員のお姉さんに鰹を頼むとこんな答えが帰ってきた。
「ないことはないんですが高いですよ。」
訊けば2,000円。一瞬怯むがそれが目的なだけにそれでも注文する。するとお姉さんはこういった。
「...スミマセン。今日は入っていないんです。代わりといっては何ですが鯵のナメロウが今は旬でして...。」
結局は無いことが判明した。他の店に代えようかとも考えたが結果は大きくは変わらないだろう。

確かに房総では初鰹はまだ若干早いのかも知れない。6年前高地桂浜で食った鰹は旬と言われ最高であった。3週間程度のずれではまだ房総沖には殆ど回遊していないらしい。



あきらめお奨めを食う。確かにうまい。目的は違ったがそれなりに満足したのでその後、九十九里浜を目指す。何とも長閑な田舎の漁村的風景をいくつか通過し、九十九里着。白い砂浜の延びる有料道路をひた走るもあまり面白い景色でも無かった。時間は15:00、白子から千葉外房道路を乗り継ぎ、首都高経由での帰着となった。

潮来笠

2007-06-21 23:09:04 | 
5月22日(火)は休みであった。平日の一人の休みは貴重である。天気予報は快晴。前日何をしようか色々考えたが今ひとつ良い案が思い浮かばない。山の気分ではないし映画も天気が良い分勿体ない。地図を広げふと思いつく。そろそろ登り鰹の時期である。房総に鰹を食いに行こう!!

8:30、先週定期点検を終えたあまり乗らないバイクを引っ張り出し出発。水道道路経由で和光北から外環・京葉道を乗り継ぎ、利根川を越え潮来着。辺りはすっかり都会的な様相は消え失せ大水田地帯である。流石に『水郷の街』、青い早苗の水田に青い空白い雲が映り非常に気持ちが良い。

折角なので水郷の街を見ていくことにする。とはいえ地図を見ても何処へ行けばいいのか良くわからない。インターそばで草刈りをしたいた女性に声をかける。向き直った女性を見て一瞬尻込みをした。長靴にピンクの割烹着を着たその人物は麦わら帽子に手拭いでマスクをし、草刈り釜をぶら下げこちらに寄ってきてくれた。一瞬子供の頃我々の世代を恐怖のどん底にたたき込んだ『口裂け女』を思わせる様相である。

女性は草刈り釜を抱えながらこういった。
「水郷つったらこの辺だよ...。ほだなぁ...えぎ(駅)のもこう(向こう)に行ってみな...。あやめが綺麗に咲いでで、案内もいっから(いるから)。」と茨城弁で丁寧に教えてくれた。手拭いのマスクを涎で濡らしながら丁寧に教えてくれたのでこちらも頭を下げ、駅を目指す。



♪潮来の伊太郎 ちょっと見なれば...。

おそらく私が生まれて初めて覚えた旅人の歌であろうその橋幸夫の曲を頭に流しながら走ること5分。道なりの潮来駅の向こうにはもんぺに潮来笠という昔ながらの出で立ちの女性船頭さんが数人いた。スピードを落とし流していると船頭さんに呼び止められた。
「お兄さん、船乗ってかない?」


【利根川沿いの船着き場】

聞けば短いコースでは30分ほどで水郷を案内してくれるらしい。料金は一人だと5,000円。相乗りだと1,000円。今日は暇なので貸し切りで3,000円で良いとのこと。周りを見れば船待ちの人もいなく、だからといってこの婆さんと2人きりでの30分はある意味辛そうだ...。
今度子供達を連れてくることで今回は遠慮した。
「6月にはこの船を使っての結婚式もあるんでおいで...。」
立ち去り際にこんな事を言われたので聞き返した。
「雨が降ってもやるんですか?」
「結婚式の船は屋根がないから雨が降ったら順延だねぇ。毎年この船の上での結婚式を公募してアヤメの咲く6月にやるんだよ。」

日本版のジューンブライドなるほど、『潮来花嫁さん』は健在のようである。


【千葉・香取市川の水郷】

潮来花嫁さん(昭和35年)


潮来花嫁さんは
潮来花嫁さんは 舟でゆく
月の出潮を ギッチラ
ギッチラ ギッチラコ
人の噂に かくれて咲いた
花も十八 嫁御寮


一体何で私はこんな曲を知っているんだ...。


【水田地帯】

橋を渡り利根川の中洲部分に入る。非常に広い中州には水郷に沿って家が並び、また広大な水田地帯が広がっていた。確かにこの地形と穏やかな川の流れから考えるといちいち橋を渡るより自分の船で川や水路を越えていった方が生活は便利であろう。昔は水田で使う農機具や取れる農作物も船で運んでいたのだろうか...。

源氏香

2007-06-20 21:51:25 | 
与論・関西と書き綴っているうちに日が経ってしまったがその間にも多々出かけてはいた。遅くなってしまったがその間のこと。

5月12日(土)の朝、ようやくエクストレイルのスタッドレスをノーマルタイヤに履き替えた。窓からは富士山も見えるほどの快晴。出かけない手はない。総出で七峰縦走の際立ち寄った東秩父村の和紙の里へ行くことにした。

約2時間で目的地到着。七峰縦走のときは水を汲んだのみで入口しか見なかったが、和紙製作の建物の裏手には日本庭園が広がり食事の出来る建物もあった。そこで名物のそばとうどんを適当に採った後、庭園をぶらつく。なんともな心地よい香りがあちこちから漂ってくる。何の香りなのか疑問に思いながら池の鯉に喜ぶちび共を眺めていると庭園の各所に着物を身につけた男女が十数人筆記具を持ってうろついていた。年齢は様々である。

一体何をしているのか...。俳句を作っているにしては手に持っているのはメモ帳と鉛筆である。しばらく遠目に眺めていると庭園各所にある茶碗のようなモノに手を伸ばしその香りを試してはメモを取っている。私の全く知らない遊びのようだ。たまたま近くでメモを取り終わった若い男性がいたので話しかけてみた。
「『源氏香』っていう平安時代の貴族の遊びなんですよ...。」
親切に教えてくれた彼が言うには、25の香りの内無作為に選んだ5つの香りを聞き分ける(この遊びでは嗅ぎ分けることをこういうらしい)。そして5つの香りを聞き分け図にしていくとのこと。例えば5つ全てが違えば右から縦棒5本。5つの内3番目と5番目が同じで他が違うなら右から3番目と5番目を横棒でつなぐ事をするらしい。これによって出来上がる図が52種類有り、それぞれが源氏物語54巻の最初と最後を除く各巻に当てはめられ、出来上がった図に合わせた各巻のタイトルが答えとなりそれぞれに吉凶・時候の意味があるそうだ。


左が帚木・吉・五、六月:右が乙女・吉・四季を現すらしい

平安時代の貴族の遊び、体よりも五感を使う遊びが現代に残っていると言うことであろうか。和服を着て快晴の日に庭で遊ぶこれだけでもかなり金がかかりそうであるが、よく考えてみれば現代に置いても山にせよバイクにせよ遊びには金のかかるモノである。

関西周遊

2007-06-19 23:14:51 | 
『大道三間 軒下三寸』を気取るわけでもないが、私は自分なりの安全基準を確保出来るシュチュエーションであればあまり寝るところにはこだわらない。テントはある意味必需品であるが、ときには面倒になりシュラフ一枚で橋の下に寝てみたり、星が見たくて高原のおみやげ屋の軒先で寝たこともあった。ときには見知らぬオッサンの家に泊めて貰ったことさえある。

ところが、現在地は大阪。まして明日からは仕事である。せめて風呂くらいは入りたい。ウメさん宅で荷物をまとめ直しレンタカー屋への道すがらコンビニにて山道具や今後使わない物を自宅に返送する。車を返した後、明日の宿泊先を予約するため新大阪駅内の旅行代理店を当たる。一件目は18:00ジャストで閉店してしまっていた。焦りながらも2件目を探し向かう。時計は18:05、営業時間は過ぎていたが中に客がいたためJTBがかろうじて営業していた。扉を叩き入れて貰う。素泊まりでひたすら安いことを条件に探して貰い、西中島南方駅3分の所にビジネスを予約。代理店としてはかなり安い部類らしいがやはりネットで自分で探すべき、あるいはカプセルホテルで良かったと思い直した。

夕食は、伊吹山の帰り道、道の駅で買った野菜やウインナーで作った洋風鍋であった。ビールには最高で酒がすすんだ。

それにしてもこの日の山行で私は日焼けが著しく顔も腕も真っ赤であった。翌日からの仕事の際の言い訳を考えながらの就寝となった。

※ 言い訳はべたなもので日曜に知人とバーベキューをやり、酔っぱらって直射日光のもとで寝てしまいました。というものであった。

さてさて、翌日からは仕事へ突入であった。特に目立ったことはなかったが、一つだけ面白い発見があった。一流ホテルでのレセプションではたこ焼きとソース焼きそばが名物として出されていた。


【3日(日)に仲間と飲んだくれたJR天満駅前の風景】

3月の山陰出張のようなノンビリモードとは対照的に今回は金曜夜出のかなりアクティブな関西遠征であった。しかし、仲間達の気遣いにより非常に楽しいものであった。次の機会には大台ヶ原の晴天を期待したい。

伊吹山(1,377m)

2007-06-18 22:24:52 | 登山・アウトドア
愁い事が消えれば目の前には、青い空と強い日差しに眩しいほどの緑の草地の斜面が背後には海と見まごう琵琶湖が広がるのみである。トンビが舞い完璧に休暇モードである。ウメちゃんとひたすらつづら折りの斜面を登る。あちこちに花が咲き非常に気持ちがいい。汗だくになりながら5合目の新築されたばかりの無人小屋に着く。日陰に入ると湿度が少ないため非常に心地いい。その勢いでどんどん進み、8合目着。斜面から吹き上がる風が汗を乾かしこれもまた爽快である。

11:30、難なく頂上(1,377m)着。広がる草原は流石に花の名山に挙げれれるだけの事はあり、あちこちに花が咲く空間であった。反面、シンボルとなるこの山で遭難したという日本武尊の像、また売店も建ち並び高原の観光地の様相であった。歩いて20分の所までドライブウェーが来ているため平日とはいえ人が多い。ウメちゃんがくれたおにぎりと饅頭を食いゆっくりする。


【山頂の様相・左端は日本武尊像】

その後、辺りを散策するが花が綺麗で何より緑が映え、時折吹き抜ける風が非常に気持ちいい。ガイドをしてくれたウメちゃんも楽しげであった。下山に向けて歩き出すと大型犬を連れて登ってきている方に会った。聞けば我々の登ってきた南西斜面ルートは日除けが全くなく犬にはつらいらしいので東側となる岐阜県の笹又コースを上ってきたらしい。ふと幼い頃実家で飼っていたシェパードを連れて安達太良山に登ったという家の者共の話を思い出した。また朝日連邦、一切経山でもこのようなハイカーを見ている。確かに犬連れのハイキングも魅力である。




順調なペースで殆ど休み無く4合目まで一気に下る。4合目のスキーリフトの降り口でしばし休憩。本当にのんびりとした気持ちのいいハイキングであった。

※ 伊吹山の総行程はこちら

13:30、3合目に下山後、長浜太閤温泉の国民宿舎・豊公荘にて入浴。琵琶湖を眺めながら国道8号線、名阪道を乗り継ぎ、帰阪となった。

IT

2007-06-17 22:58:17 | Weblog
昨今の日本、情報伝達システムが発達しすぎているようなきらいがある。

例えば今回の大阪行きの際の新幹線の車内である。金曜と言うこともあってか同じ車両では多くのビジネスマンが座席でPCを叩きデータの遣り取りを行い、またデッキに出れば同様に携帯電話片手に明らかに仕事の連絡をしている面々が数多く存在した。ほんの数年前までの出先での移動時間というささやかな楽しみさえも仕事に奪われていると思わざるを得ない現状にいささかやるせなさを感じるのは私だけであろうか...。

十数年前、携帯電話というアイテムが普及しはじめた頃、営業職ならともかく、わざわざ出先をつかまえて話すほど重要な事って一体どれほどあるのだろうか...。と疑問に思った。しかし、時代の流れと共に身の周りにまで普及し始めると、ときには持たない者が持たないことを責められるようになる場合も出てきた。

3合目にて登山開始に向けて準備をしているとザックの中から自分の携帯の着信音が鳴った。平日のこの時間、わざわざ電話してくるのは職場に違いない。自分の携帯番号を会社に教えている責任もあるが、無視すると結局自分にとばっちりが来る場合も多い。ザックから携帯を取り出すと案の定会社からの連絡であった。しかし、タイミング良く切れた。すぐにかけ直すも電波が安定していないらしく繋がらない。どうしても私を掴まえたいならまたかけてくるだろうと思い9:30、登山開始。しかし5分ほどして再び鳴る。しかし、またもやザックから取り出すうちに切れてしまった。今度は胸ポケットに入れた状態で山道を進む。草に被われた斜面は日除けが無くべらぼうに暑い。青い空に緑の草地のコントラストが綺麗である。しかし、どうにも電話内容が気になって楽しめない。休暇届を出してきたとはいえこの月曜日は本来仕事であって先方の都合でキャンセルとなったのだ。電話に出て、もし昼から大阪で合流するように頼まれた場合、いかにして断るか...。現在地が東京といっても時間的には合流は可能である。休暇届を出している旨を前面に出して断ったとしても責められることはないが明日以降、自分の抱えている仕事が滞る可能性がある。色々想定し言い訳を考え、うまい逃げ道が思い浮かんだ頃、三度携帯が鳴った。


【登山途中の伊吹山山容、背後には琵琶湖の景色が見渡せる。これらを前にして撤退はあまりにも酷である】

電話をしてきた人物は休暇中に個人の携帯に電話したことにかなり恐縮してはいたが、内容を聞いて思わずにんまりしてしまった。単なる明日以降の確認の電話が先方からあったとのことである。出張に出る際、念のため自分の携帯に詳細のメールを転送しておいたためそれを会社に送りさらに相手先に転送して貰うことで話は終わった。

平日の思わぬ事で取得とした有給休暇、万一の非常事態は想定していたがやはり携帯電話という物はある意味嫌なアイテムである。念のため確認すると職場では問い合わせ以外の部分では特に何も変わったことは無いとのことだった。せいぜい山に登っている間は勘弁して貰おうと思い、携帯の電源を切った(笑)。

余談だが、DOCOMOの携帯はMOVAのときには無かったがFOMAの場合は電波が届かない範囲で着信記録が残せいない場合は、受信可能になった際、ショートメールで着信記録が送られてくる。ある意味便利ではあるがかなり迷惑な話でもある(笑)

伊吹山へ

2007-06-16 23:26:29 | 登山・アウトドア
さて、前日の酒宴の余波もなく5:45、起床。天気は文句なしの快晴である。適当に洗面を済ませ、原付を借り、新大阪まで車を取りに行く。朝の涼しい空気はTシャツでも心地よく最高の登山日和である。

原付を預け車を受取り、ウメ家へ戻り出発。日差しは徐々に強くなる一方である。道すがら景色についての案内がナビのウメちゃんからあり非常にありがたい。GWのコースター事故で問題のエキスポランドを目にしたときは苦笑してしまった。名阪から北陸道を乗り継ぎ、長浜I.Cを下りる。途中コンビニにて買い出しをし伊吹山登山口に向かう。


【詳細は地図をクリック】

辿り着いた登山口にて唖然とする。何と3合目まで続くスキー場への道はロープにて閉ざされていた。炎天下の中1時間以上歩かなければならないらしい。頼みにしていたスキー場のゴンドラは当然のように調整のため4月から6月いっぱい全面休業である。やるせなさを隠しながら車を止める場所を探そうと横道に入る。『この先一般車両進入禁止』と書かれた看板の奥にはUターンによさげなスペースがあった。そこでターンしようと入ってみるとその先に林道が延びていることに気づく。図々しくも入ってみると意外に長くその舗装された林道は奥へと続いていた。ダメ元で進むとどんどん標高を稼いで登っていける。10分ほど走ると車が数台止まっていて、その先は今度こそ、ロープが張られ進入禁止となっていた。3合目着である。そこで身支度を調え登山開始となった。


【伊吹山3合目の駐車場付近】

後に山頂の土産物屋できいたが、休日を主にパラグライダーをする人が多いため車両進入禁止にしているが3合目のロープを外して侵入しても何ら問題はなく、そこから先の未舗装の林道を進めば4合目まで入れるらしい。

計画

2007-06-15 23:50:47 | 
98年9月初旬の週末の事であった。何となく山梨の角の部分となる身延方面へツーリングに出た。しかし、身延に着いたのは昼を少し回ったくらいであった。キャンプ場に落ち着くにはまだ早すぎた。そのためそこで買い出しをして九十九折りの林道をひたすら上り南アルプス支稜となる安倍峠を越えて静岡側の梅ヶ島温泉に出た。

そこの県立キャンプ場でテントを張って酒を飲んでいると隣のバイク乗りのグループに声をかけられ宴会となった。そのグループは屋久島で知り合ったという連中で、あろうことかその後何度もキャンプ宴会を一緒にするようになった。翌年、これがきっかけで私は屋久島を訪れるようになる。

ここにはいなかったこの連中の友達、さらにその友達、さらにさらに...。が広がり今回の洞川でのキャンプ、大阪での宴会という付き合いがあるのだ。

泊めて貰う予定のウメさん宅に上がり込むやいなや地図を広げて明日の山の打合せになった。六甲山・武奈ヶ岳・伊吹山が候補であった。六甲山に置いては電車移動となるためレンタカーは今日の返却でいいが、後者二つとなると丸1日の延長が必要である。

六甲山は里山歩きが楽しめる関西では有名なエリア
武奈ヶ岳(1,214m)は琵琶湖が望める滋賀県の西側の名山
伊吹山(1,377m)は滋賀県の北西部の滋賀の最高峰である。

いずれも魅力的ではあるが、どれも4時間程度である。普段なら何でもないが正直なところ、一昨日の強行軍、昨日の八経ヶ岳・その後の宴会。そして今日の大台ヶ原散策その後の車移動、また本日この後に予定されている関西組との酒宴。明後日からは仕事である。ここで体力を使い果たすわけにはいかない。登り3時間程度の緩い山が理想である。そんなわけで頂上直下まで車で行き20分で頂上に登れる伊吹山を提案する。



※ 実はここまでの行程で伊吹山の地図は橿原で入手してきた。

ウメちゃんは言った。
「じゃあ、伊吹で決まり。その代わり1合目からやで...。」
その後さんざん交渉し、1合目からの登山口側から車で行ける3合目まで行き、そこから3時間ということで決定した。

但し、お互い起きれればの話。その日の晩の宴会で飲み過ぎて動けなくなったら頂上直下までのドライヴとなる。

その後、新大阪のレンタカー屋に移動。延長を申し込み明日の朝まで車を預かって貰うことにして天満へ移動。何故か韓国料理屋にて昨夜もキャンプ場で一緒だったムラカミ君、その他6年ぶりの再会となる面子を含め6人でひたすら呑んだ。

ドライヴ

2007-06-14 21:13:34 | 
タイトルは80年代を席巻したリック・オケイセックが率いたロックバンド『ザ・カーズ』の曲とは全く関係ないので念のため...。

  

日常もそうであるが運転中は音楽を流すのが常である。朝夕の仕事の行き来は先日も書いたようにラジオでありドライヴのときはもっぱらiPodである。一昨日、奈良県に入ってからFMラジオは電波の入りが非常に悪い。今回はiPodは持参していない。やむなくAMラジオを流す。

おそらく私の偏見であろうが、どうにも昼間のAM放送は内容がオヤジ臭く感じられる(AM特性の振幅変調とFM特性の周波数変調による音の違いは無視)。リスナーのメール等を聞くと20~30代もいるのだがどうにも乗りが悪い。ナビゲーターや局アナの言葉だけで生じやすい誤解を如何に少なくするかという気遣いから来る当たり障りのない丁寧さがどうにもつまらないのだ。
これは首都圏であろうが、地方であろうが大差はない。比較的夜の番組はまだ聞きやすいが、夜に至っては地方局もオリジナルの番組をやめてネット化するので大差がないのは当たり前である。まあ、歌謡曲メインというのがその臭さを押し上げる一因であるのだろうか...。

橿原市に近づいてきたためそろそろFMも入るかと適当にスキャンをかけると、周波数が止まった。表示は、NHK-FM。クラッシックの歌劇であった。あまり興味もなく他のスキャンもかからなかったためAMに戻す。更にスキャンをかけるとNHK第1放送。歌謡演歌特集であった。これでは先ほどの民放と変わらない。またもやスキャンをかけると今度はNHK第2放送。何故かハングル語講座であった。休日の昼の3時にハングル語講座を楽しみに聴いているヤツなんざ日本中探して一体何人いるのであろう。そんなことを思いながらNHKのリスナーの満足度を全く無視した放送体制に苦笑しながら、葛城から南阪南道路に入る。

大阪市内までは約50km。渋滞を考えると微妙な時間である。中央道で考えると大月から国立府中程度の距離となる。休日の16時過ぎに乗ろうモノなら2時間ほどはかかる。19時から大阪の仲間と飲むつもりなので間に合わないかも知れない。そんなことを考えながら進むこと40分。車の数はそこそこ多かったが渋滞に出くわすことなくあっさり梅田のインターを下りることが出来た。後で分かったが関西の渋滞は何時間も車が動かなくなることはあまりないらしい。