Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

南アルプス計画

2006-08-30 22:09:03 | 登山・アウトドア
今年の夏は何をするか...。そんなことを考え始めるといろいろ構想が浮かんだ。就職後これまでの休みでバイクと切り離した休みはなかった。昨年はバイクで北海道に行った上、日高と北海道の最高峰を登山した。いろいろ考えた上、バイクはやめて単独登頂で一番時間のかかる山を登ってみることにした。南アルプスの3000m峰、塩見岳である。この山は登山口となる鳥倉林道から標準8時間10分かかる山である。

※ 100名山的には黒岳が12時間40分ともっともかかるがこの山は鷲羽岳・黒部五郎を縦走ルートとして使えるので除外。また、悪沢、鹿島槍も同様な理由から除外。

ただし、塩見岳のみの制覇ではつまらないので北岳・間ノ岳、そしてマニアックな理由から三峰岳を経由するルートを予定した。更に時間と天気が許すなら、これより南部の悪沢・赤石・聖・光も視野に入れたコースを作った。総行程は7日。調整日1日、予備日1日。計9日の予定であった。幸いこの山域、エスケープルートだけは充実している。間ノ岳以南塩見岳。また三伏峠以南に入らない限り下山は1日見れば容易である。準備した食料は30食10日分。他行動食、テント。通信機類を含めるとザックだけで20kg、これに2㍑の水を入れ、総重量は22kgを超えた。これだけの装備を担ぐのは学生時代以来である。この段階で間違いに気付くべきであったが、私はこの程度の重さは当たり前の山行を学生時代繰り返していた。そもそも、大学での活動はテント泊が基本であり、食料も米は勿論、芋や野菜、更に肉類までも自分たちで腐りにくく加工し携行するというのが活動の基本であった。今考えるとまさに時代錯誤のアホの活動である。



山仲間に計画書を提出。単独山行では荷物が多くなるのも仕方ないが、とりあえず塩見まで行ってみることで後の状況を考えることにした。

Natural Mystic

2006-08-29 22:04:22 | 音楽
とうとう当ブログのタイトルが確定しました。開始以来16ヶ月を経てのネーミングとなります。

当所「そのうち決まるだろう。それまでは暫定的に...」と考え、また基本的にクローズドであったこともあり『日記』と単純明快なタイトル付けを行いました。しかし、嬉しいことにその後様々な方に見て頂き、コメントやトラックバックを頂いたり、更にブックマークに登録までして頂いたりとありがたいことが重なっています。ところが、その際その方々のHPに、当然ながら『日記』と表示されている当ブログを見て、「早急にタイトルを付けねば...。」考えていたわけです。しかしながら凝れば凝るほど難解なモノになってしまい、なかなか決定に至りませんでした。

ちなみにこのようなタイトルになるまでの候補は、

”キムチの部屋”
なんだか臭そうなうえ、平日の昼下がりのお馴染みになりそうなので不可。

”Wide & Active Roads ~special~”
以前立ち上げていたHP”Wide & Active Roads ”の別冊という意であるが略称が”WARS”となり物騒なため却下。

”悪魔祓いのキムチさん ~Kimuchee The Exorcist~”
大昔に読んだ某シンガーソングライターのエッセイのタイトルをもじったが、いったい何のブログなのかという妙な誤解を与えてしまい除霊の相談を持ちかけられても困るので却下。

”Outdoor World Kei”
知人が考えてくれたが、家の近所にある某大型釣具店上州屋のアウトドア部門のショップ名と途中まで同じだし、アウトドアばかりでもないので却下。

”貧困なる放心”
大学時代の友人が廃刊となった雑誌”朝日ジャーナル”のコラム”貧困なる精神”からパクって来たが流石におそれおおく、意味不明なので却下。

このほか古くから読んでくれている方々からこのブログの趨りとなった現在消去したHPのコーナー名から取ってはどうかということで。

”K’s Note”
もしくは
”K’s Memo”

一瞬どちらかで決めようとも考えたが、どうも『新製品が安いK'sデンキ』みたいだとの指摘もあったため廃案。

結局ピンと来るものがないのでいつか良いものがあるだろうと楽観視しました。

そして”Natural Mystic ”が候補に挙がりました。



残暑厳しいこの季節、自転車での帰宅途中のこと。いつものように小さな川の橋に差しかかったとき、聴いていたiPodのシャッフルでレゲエの神様ボブ・マーリィーのこの”Natural Mystic ”が選曲されました。この川は1mを超す巨大な錦鯉が数匹いたり、鴨の集団がいたり、また酔っぱらった夜中の帰り道にフクロウを目撃したりと東京都下とはいえ何とも不思議な場所です。そんなところでこの曲を聴いたとき、ぶっ飛びすぎですが以前映像で見たアフリカ・ザンベジ川の自然が脳裏に蘇りました、曲名を直訳すると『自然の神秘』『自然の不可解さ』ということになります。そのとき、これをブログのタイトルにしようと考えました。しかし一体このブログの何処が『自然の神秘』なんだ?と思い直し決定には至りませんでした。

ところが、今回の南アルプス北部縦走で自分でもよく分からない不可解な現象に遭遇しました。この話は追って書いていきますがその出来事がこの”Natural Mystic”の決定打となりました。

このブログ、書いている内容にアウトドア系のものも多く、日常においての変なもの・おかしな事を書き綴っているのでこれもいささか無理はありますが大きく見れば『自然の不可解さ』と解釈出来ないこともないでしょう。まあ、そんなわけでようやくタイトルが決まりました。

日本語に訳すと安っぽくなってしまうので(そこまでの翻訳技術がない)敢えてそれはしませんが、このブログのテーマソングにもなり得る歌詞を掲載します。

There's a natural mystic
Blowing through the air
If you listen carefully now you will hear
This could be the first trumpet
Might as well be the last
Many more will have to suffer
Many more will have to die
Don't ask me why
Things are not the way they used to be
I won't tell no lie
One and all got to face reality now

Though I try to find the answer
To all the questions they ask
Though I know it's impossible
To go living through the past
Don't tell no lie
There's a natural mystic
Blowing through the air
Can't keep them down
If you listen carefully now you will hear
Such a natural mystic
Blowing through the air

This could be the first trumpet
Might as well be the last
Many more will have to suffer
Many more will have to die
Don't ask me why
There's a natural mystic
Blowing through the air
I won't tell no lie
If you listen carefully now, you will hear

ピル

2006-08-23 23:44:47 | Weblog
山行の際、基本装備に救急セットは確実に入れてある。先日、その薬品の点検をしていて期限切れのものをチェックし交換することにした。すると消炎鎮痛剤が少なくなっていることに気づいた。

この消炎鎮痛剤ロルフェナミン、アウトドアの万能薬である。似たような成分のものにロキソニンというものもあるので同じと考えていいようだ。



一昨年、突然腰を痛めた。すぐに治るだろうと思い、普通に生活していたが、悪くなる一方。ついには寝起きにも支障を来し、座るって食事を取ることさえ出来なくなった。果ては左脚から足の裏まで痺れが来るようになってしまった。泣く泣く知り合いの医者にかかると椎間板ヘルニアと診断され、痺れ止めとこの消炎鎮痛剤ロルフェナミンを28日分一気に投与された。その後、薬が切れると痛みがよみがえりその度に服用。この繰り返しで半年ほど飲み続けると徐々に症状は和らいできた。医者曰く、ずれた軟骨が自然に溶けて無くなるまでは痛むので対処療法として薬を飲み続けるしか無かったらしい。

※ レントゲン的に見込みがないなら手術をするらしい。

ところがこのロルフェナミン、思わぬ副作用があった。アウトドアで怪我をしても腫れが来ないのだ。それを如実に実感したのは屋久島の沢で転倒し7針縫ったときのことである。顔面に痛みはあったが、腫れの煩わしさはなかった。また昨年、北海道幌尻岳を登った際は下山時の渉沢中の岩歩きでザックを担いだまま渓流地下足袋で軽くスリップして右足の親指を岩に打ち付けてしまった。痛みはそれほどきつくはなかったためそのまま普通に歩いて下山。気づくと爪は内出血を起こし、まるまる再生を待つような怪我だった。

このように怪我はしないに越したことはないが、万一のときの万能薬である。ちなみに腰痛・筋肉痛・発熱にも効く。

今日、また医者に頼んで大量に処方して貰った。万一に対する備えである。

ちなみに副作用は胃腸が荒れる心配がある。そのため、食後の服用が原則とのことである。当然、乱用は控えるべきである。

ドライフーズ

2006-08-22 18:39:22 | Weblog
一昔前、山での非常食と言えばアルファ米が一般的だった。ところが水やお湯で戻すととてもじゃないが臭くて米を食っている感覚にはなれない代物で食事と言うよりも餌を食っている気分であった。そのため縦走時は重いのを承知の上で米や野菜、またレトルト食品を持って山に入ったものである。しかし、数年前、フリーズドライの技術の進歩でドライフーズが一般化してからはまさに山食の革命と思えるほど計量で旨い物が持ち運べるようになった。ご飯はもちろん、赤飯や炊き込みご飯や餅。おかずに至ってはカツ丼・親子丼・キムチ丼等々。またスープ類もいろいろ揃っているのには驚かされる。味は山食にしては非常に旨い。



職場の談話室の冷蔵庫を空けるとはずみでカラカラに乾燥した物体が落ちてきた。何故干し椎茸が...?
と思いよく見て疑問が湧く、何となくフライドポテトに見えないこともない。よくよく見て驚いた。何とカラカラに乾いたリンゴだった。



席に戻り同僚に見せたところ皆が干し椎茸と勘違いしながらもリンゴと知ると同様に驚いていた。一体いつ頃の物なのか考えてみるとリンゴの季節であることから年末の納会時に誰かが冷蔵庫に入れたのではないかとの推測が成り立った。

それにしても見事なドライである。おそるおそる臭いを嗅いで見るも嫌な臭さはなくかすかにリンゴの甘い香りが残っている。乾燥した季節に雑菌が付着し腐敗することもないまま紙皿に浅くラップされていたためそのままドライリンゴになってしまったのだろう。栄養士に聞いてみたところ衛生上は問題は無いはずだが、冷蔵臭が気になるかも知れないと言っていた。流石に喰おうという気は起きなかったがドライフーズのように元に戻るかと試しに熱湯をかけてみた。残念ながら元の状態に戻ることもなかったがふやけることもなかった。

やはり山食のドライフーズは偉大である。

バイクの日

2006-08-19 21:07:29 | Weblog
新聞を広げると今日8月19日はバイクの日と一面広告があった。説明は書くまでもないだろう。

先日、馴染みの保険屋から電話があった。
「バイクの任意保険の方ですが、更新の時期になっているんですよ。」
「事故も起こしていないんで、今回で幾らくらい保険料下がります?」
保険屋は躊躇したようにこういった。
「それが上がるんですよ...。」
一瞬考えたが私は言った。
「...オートマですか?」
「そうなんです。もうどうしようもなくて...。(自動二輪の)運転免許が分かれたんだからオートマチック車とマニュアル車の保険料に差をつけるように(保険会社が国に)言っているんですけどねぇ...。」

ここのところのバイク市場、昨年4月の高速道路2人乗りの解禁に伴い大型スクーター(オートマチック車)がブームである。それに伴い、バイクの事故も急増し、無事故にもかかわらず私の保険料も引き上げられるらしい。20年近く前、この手のマシンがデビューした頃は我々バイク乗りはオヤジバイクと言ってバカにしたものである。ところが昨今はこのオヤジバイクが主流となり、私のようなオフロード乗りはマイノリティとなってしまった。バイク屋が言うには逆にオフロード購入者が30代半ば過ぎに多いため大型スクーターユーザーからはオヤジバイクと言われているそうである。

午後ちょっとした用で横田の米軍基地沿いの国道で信号待ちをしているときのこと。私の車の横にこの大型スクーターに乗ったどこからどう見ても日本人の若いカップルが止まった。



信号待ちの間そのカップルは何か話をしていたが、信号が青に変わったとたん運転している男は信じられない言葉を大声で発し、私の前を走り抜けて行った。

なんと、
「Go!Go!」「Go!Go!」
と竹中直人の様に叫んでアクセルをひねっていた。
まるっきり周りの状況を把握していないアホである。

幾ら道化じみたことをしても構わないが事故だけは勘弁である。こっちの保険料まで上がってしまうのかと思うと悲しい話である。

キャンプだ ホイ!

2006-08-18 19:26:50 | 音楽
夕方、裏の家の小学生姉弟が『キャンプだ ホイ!』を歌って遊んでいた。お盆休みを利用して家族でキャンプに行っていたようだ。この『キャンプだ ホイ!』の作者は日本のポピュラー音楽史に残る大ヒットを記録した『バラが咲いた』で有名なマイク眞木氏であることはあまり知られていない。

実はこの私、あろう事かマイク眞木氏のライブを見たことがあるのだ。とは言っても失礼な言い方になるが金を払って見に行ったわけではない。

今を去ること16年前、学生のときに新潟妙高高原で開催される日本ジャンボリーにボランティア参加して欲しいという要請が来た。仕事の内容は全体行事部の誘導班。することは開・閉会式の2万人のガキ共の誘導のみ。それ以外は開催期間中三食昼寝付きで良いとの指示であった。これはおいしい話である。そう思い、早速行くことにした。

そのとき、開会式の余興として呼ばれた芸能人がマイク眞木。当時アイドルとしては全盛期の西田ひかる。バラドルと称された森口博子。そして何故かマッチョのタレント、チャックウィルソンであった。他にもいたが後は忘れた。とは言ってもガキ共に紛れてライブを見るはずもなく、誘導が終わった後はシャワーを浴び自分のサイトへ戻って酒を飲んでいた。我々誘導班のサイトのすぐ隣には、芸能人向けの仮設のエアコン付のプレハブがあった。開会式の余興が終わった後この人々は帰るのかと思いきや、テレビの番組の収録も兼ねていて、何日か近所の温泉ホテルから通いで会場に来ていた。

ある日のこと。夕飯を食いながらだらだらと宴会モードになったとき、収録が終わった彼らはプレハブに戻って中で涼みはじめた。暫くするとマイク氏とチャック氏と西田氏は宴会していた我々に気遣って話しかけてくれた。仲間の一人が「『キャンプだ ほい!』名曲ですね!!」と適当におだてるとマイク氏は何と『キャンプだ ほい!』を歌い始め即興でライブをしてくれた。



これが我々が子供の頃覚えたものとは若干歌い方が違ったのには衝撃を受けた。

キャンプだホイ キャンプだホイ
キャンプだホイホイホーイ
キャンプだホイ キャンプだホイ
キャンプだホイホイ ホーイ
はぁっ・じっ、めて、見ぃ~る山ぁ~ はぁっ・じっ、めて見ぃ~る川ぁ~
はぁっ・じっ、めて、泳ぐ海ぃうぃうぃうぃうぃ!!
今日から友だちぃ~ 明日も友だちぃ~
ずぅぅっとぉ~友だちさ~あ~あ~あ~あっ!

所々豪快に延ばすらしい。マイク氏曰くその場に居合わせたチャック氏と西田氏と我々は「ずぅぅっとぉ~友だち」だそうである。妙高高原での思い出である。

※ だから何なんだ

カプリコン・1(ワン)

2006-08-17 19:11:40 | 映画
かなりゴシップ的なネタではあるが、アメリカのアポロ計画による月面着陸は虚偽であるとの番組が以前テレビで放送されていた。その証拠としてあげられるのは公開された映像で、水が無いと言われる月で乗組員の足跡が付いたり、空気の無いと言われてるにもかかわらず星条旗がたなびいていたりと取りざたされている。

真相は当然のように不明だが、ニュースを抜粋:
月面着陸の磁気テープ原本、紛失か…NASA

 【ワシントン=増満浩志】米アポロ計画の貴重なデータを記録した磁気テープの原本が、大量に行方不明となっていることが15日わかった。

 アポロ11号が1969年7月20日、人類初の月面着陸に成功し、アームストロング船長らが降り立った歴史的映像なども含まれているという。不明なのは、月から地球へ送信されたデータを記録した磁気テープの原本700箱分。(略)(読売新聞) - 8月16日14時39分更新
 
歴史的に価値のある貴重な資料がそう簡単に行方不明になるものなのであろうか。疑い出せば切りがないが以前見たアメリカ映画を思い出した。『カプリコン・1』これはアメリカの火星着陸という設定の作品であるが、衝撃的なものである。



火星探査船乗組員の3人が発射直前にロケット『カプリコン・1』を極秘裏におろされる。その後ロケットは無人で発射。3人は家族の命を盾に取られ砂漠の中の火星を模写したスタジオで全世界へ向けて火星着陸の瞬間を含めた虚偽映像の演技を強要され、その映像が流される。しかし、無事“火星着陸"を終え3人を載せて帰還するはずのカプリコン・1のカプセルが、地球大気圏突入の際、燃え尽きるという事故が発生。これに感づいた3人はアメリカ政府から命を狙われることとなり逃亡劇が始まる。というようなストーリーだったと思う。

今から30年ほど前の作品であるが十分楽しめる。機会があったら是非お奨めしたい

余談だがジャーナリスト秋山豊寛氏が日本人初の宇宙飛行士となった際、ビートたけし氏は、あれは全てテレビの合成だ!俺は秋山さんと緑山のスタジオ会って宇宙のセットも見た!!と毒舌を披露していた(笑)

月山(1984m)の記憶

2006-08-16 19:34:53 | 登山・アウトドア
さてさて、今日辺りでお盆休みも最後らしく、各地ではUターンラッシュのピークになっているようだ。仕事にお盆休みがないためここ何年もお盆を実家で過ごしたことは無いが、まだ実家にいた頃、あるいは夏休みを実家で過ごした頃は何故かお盆休みには隣県の山伏のいる名峰月山を奉る湯殿山・羽黒山を参拝するという習慣がわが家にはあった。

山形の修験者の町である羽黒町に私が初めて行ったのは小学1年のときである。現在は高速道路も国道も整備されているため実家からその気になれば日帰りも可能であったが、当時は辿り着くまで10時間は要した。特に寒河江から湯殿山経由での道は国道にも変わらず未舗装の林道であった。当時エアコンが標準装備された車などは珍しかったため暑さに窓を開けると埃まみれという凄まじい道だった。

行くきっかけとなったのはまた面白い経緯がある。私の育った町は養蚕が盛んなところである。言い伝えによるとその養蚕を広めた人物の生き別れの子供が月山を中心に出羽三山を開山したというものであり、絹織物業を営むわが家の祖父はお礼参りを兼ねて出羽の町を訪れるようになったらしい。

初めての月山登山は中学3年の夏であった。受験勉強の合間、久々に親と伯父について気晴らしがてら行ってみた。すると、世話になっている宿坊の山伏が言った。
「これからすぐに月山に願掛けに登ってきなさい!」
山登りは嫌いではなかったが何の用意もしてきていない。まして言われた時間が13:00である。流石に親父もこの時間では遅いと断ると更に山伏は言った。
「今から出れば今日は月夜だから大丈夫。また今日の天気は崩れない。」
と言い、懐中電灯を渡してくれた。
流石に断れなくなり登山することになった。
8合目に着いたのは14:00そこから登山開始である。


【8合目近辺の湿地帯・弥田ヶ原】

あまりにも急だったため親父も水筒以外の手ぶら。おじさんに至っては革靴。私も運動靴でお菓子程度の装備がDパックにあっただけである。合羽など勿論持ち合わせていない。3時間ほどかけて17:00山頂着。その後まったりしすぎて下山中途中にはとっぷりと日が暮れ、月の光での下山となった。下山中、第2次対戦で南方戦線からの帰還兵であった伯父は深夜行軍の経験を語ってくれたことを覚えている。

19:30、8合目の駐車場でずっと待っていた母親と合流。

今考えると夏の低山とはいえ無謀な登山であった。もしこれで下山出来なかったら山伏の集団が捜索に出てくれたのであろうか?

スイカ

2006-08-15 18:41:39 | Weblog
日曜日、スーパーでこのようなスイカが売られていた。『(おいしさ爆発)ダイナマイトスイカ』と名付けられたそれは何ともユニークではあるが高い代物であった。スイカといえば思い出す出来事がある。7年前の8月に書いた文章が見つかったので掲載する。



仕事帰りのJR中央線の中、思ったほど混んでない状態であっさり座れた。隣の席では酔い潰れたオヤジが2人分の席を占領し寝崩れていた。まだ20時というのにいい気なものである。

程なく、「次は国分寺...。」という車内放送が流れた。降りなければ。そう考えた瞬間であった。電車が減速のためブレーキをかけた。すると、私の斜向かいに座った男性の足下においてあったスーパーのビニール袋から何と直径30センチはあろうかと思われる巨大スイカが転がり出た。乗客が少なかった事もあり、スイカは私の目の前を転がり、隣で寝ているオヤジの前を通過した。乗っていた乗客はなぜか皆一様にスイカに見とれてしまい誰も止めようとしない。すると更に電車は減速。その弾みでスイカは勢いを取り戻し、更に転がる。慌ててスイカを追っかけた持ち主はバランスを崩しあえなく転倒。するとスイカはその持ち主の近くの扉にぶつかり真っ二つに割れた。持ち主は照れくさそうに起きあがったが、スイカを見ると何とも悲しそうな顔をしていた。いったいあの見事なスイカの値段は如何程だったのだろう?


水遊び

2006-08-13 18:03:41 | 登山・アウトドア
雨予報とはうってかわり、朝から快晴である。最高気温も30度の予報である。こんな日は水浴びに限る。とはいってもチビども連れて奥多摩の渓谷はまだ危険である。家の近くにある遊園地のプールへ行こうと考えるが、嫁が言うにはお盆で日曜なので高い入場料払っても大混雑で泳ぐことさえままならない状態ではないかとのこと。色々考えたあげく、ダメもとで羽村上水公園のプールへ行くことにする。

以前当ブログでも紹介した多摩川の羽村堰の近くである。我が家の前を流れる川の上流部と言うことになる。3年前の秋口に身重の嫁を連れてブラブラした際見付けた市営プールである。

家を出て新青梅街道に出たとき異変に気付いた。いつもの週末とは明らかに違いお盆の影響だろうか車が圧倒的に少ない。30分程でプールが見える場所へ着く。やはりガラガラだった。確かにウォータースライダーの上の待機所にはそこそこ人がいたが下の流れるプールや幼児用のプールは人も少なかった。



誘導員のおじさんに促され駐車。聞いてみると駐車場も多摩川の川縁の空き地に300台無料で停められるそうだ。これで高校生以上2時間 300円、1日 600円 中学生以下2時間 100円 1日 200円は安い。早速800円払って入場。監視員も多く設備もしっかりしていた。

チビどもは当初流れるプールを怖がっていたが、慣れると大喜びだった。残暑厳しい今日、良い遊び場で夏らしい遊びを楽しめた。

イネリ虫

2006-08-12 21:21:21 | Weblog
私が昆虫の変態を知ったのは幼稚園のときである。とは言っても実際に観察して知ったのではなく当時テレビ放映されていた特撮ヒーロー物の『イナズマン』の主題歌による物であった。

幼稚園のチビどもが群れてイナズマンごっこという遊びをする際によく、
♪サナギマンからイナズマン!! ”チョーリキショーライ(超力招来)!”
と叫んでいた記憶がある。



午前中、出かけようと家の玄関を出ると前の道の端をイネリ虫が這いずっていた。我が家の近所では時折カブトムシやクワガタが見られるのでイネリ虫がいてもおかしくはない。



※ カブトムシやクワガタ、カナブンの幼虫のことを総称して私の実家の方は『イネリ虫』と呼ぶ

早速嫁に見せるもやはり気持ち悪がっていた。このイネリ虫で私は悪意はなく自分の母親を絶叫させたことがある。

小学校1年の夏休みのこと。家の近くの農家で前年の秋から枯れ葉を使って腐葉土を作っていた。そこのおじさんは、
「その中にカブトムシの幼虫が沢山いるから好きなだけ取って良いよと。」
言ってくれた。ある日、私はその言葉通り貰っていこうと考え友人4人とそこで腐葉土を掘り返してみた。これが笑ってしまう程良く見付けることが出来、たった10分程で40匹程発見した。4人で山分けすることになり小さいものは腐葉土に戻し、大きいものを私は8匹程手に入れた。持参したビニール袋に腐葉土を詰め、そこに捕まえた8匹を入れた。実際にはそんなに急ぐこともないのだが、子供心にビニール袋に入れっぱなしではイネリ虫は窒息して全滅してしまう。一刻も早く箱に移し替えなければならない。そう思い、それぞれが帰り道を急いだ。

ところが途中、夕立にあって全身びしょ濡れになってしまった。しかし家に着いたとはいえずぶ濡れの自分よりもイネリ虫の方が心配である。そう思い着替えるより先に入れておく箱を探したが良い感じの物は見つからない。頼みの両親も出かけていていなかった。あちこち探すと茶の間に饅頭の入った紙箱を見付け。饅頭を全て箱からだし。空になったそれに大慌てでいねり虫だけを入れて玄関の下駄箱の上においた。腐葉土を入れると中の水分で紙がよれよれになると思ったからである。

着替えた後、適当な箱を探すも見つからなかった。仕方がないので親が帰ったら聞こうと思いイネリ虫は下駄箱の上の箱に入れたままにしておいた。

その後、2階の部屋で暫くテレビを見ていたところ、突然玄関から母親の悲鳴が轟いた。何が起こったのかと慌てて階段を下りると怖ろしい形相で母親に睨まれ怒られた。
「イネリ虫取ってきてこんなところにおいておくんじゃネェ!捨てて来なさい!!」

有無を言わせぬ顔つきに半べそをかきながら捨てに行ったものである。

多くの女性はこういった虫が苦手らしいと知ったのもこのときであった。


ジャガイモ

2006-08-11 22:00:33 | Weblog
5月1日にベランダに置いてあった段ボール箱を処分しようとしたところ、中に一つだけ芽の出たジャガイモがあったことに気づいた。去年の秋口に実家の親父が趣味で栽培したジャガイモを送ってくれた。どうやらその食い残しが芽を出していたらしい。

早速、まな板で窪みの部分を残すように4つに切り、猫の額ほどのわが家の庭に植えてみた。先月、その事実さえ忘れていたところ、庭に花が咲いていると嫁が言う。茎はわずか3mm程度であったが薄紫の花が咲いていたのには驚いた。



先日、その茎が枯れ始め紐のようになっていた。そろそろ収穫の時期と思い試しに根本を穿ったところわわずか3cm程度の丸い芋が出てきた。これは他に大きな芋が成っているに違いない。と思いこみ更に地下茎に沿って周辺部を探すと、2cm程の芋が一つ出てきてそれで終わりだった。

まるっきり肩すかしである。親父に電話で訊いてみると肥料を与えてないんじゃ当たり前と笑いとばされた。言われてみればその通りで肥料も与えずに巨大な芋が実ってくれれば農家は左団扇である。親父が言うにはわが家の土地事情では発泡スチロールのプランターで栽培した方が良いと言っていたがそこまで凝ってやるつもりも今のところ全くない。

ちなみにこの小さなジャガイモは嫁にバカにされながらも夕食の食卓に上った。

小学校のときのことである。理科の授業でジャガイモの水栽培をしたことがあった。そのとき、芽の出る部分は芋の窪みの部分と教わり、その部分を残して水の入った容器に芋を付けた。数日後、クラスの全員のジャガイモから芽が出た。ところが、1名だけ何日経っても芽が出なかった。そのため、容器に入れた水も徐々に腐り始め、異臭を放つようになった。ある日、クラスの一人がその芋にハエがたかっているのを発見した。このままではウジが湧く。クラスでそんな話が出てその持ち主は担任の先生に捨てて良いか伺いを立てた。ところが答えは我々には想像出来ないものであった。
「芋の授業が終わると次はハエの発生の授業だから教材になるからそのままにしておきなさい...。」

当然のようにその容器にはウジが湧いた。成虫になるまで見届けようとクラスの者共が楽しみにしていたある日のこと。登校してみるとその容器とウジの湧いた芋は無くなっていた。クラス中騒然としたが、その日の午後、その行方が発表された。前日の放課後のクラスを見に来た教頭先生がさすがにこれはひどいと思って処分したらしい。

ジャガイモの思い出である。