Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

真・林道にまつわる噂話

2006-03-31 23:54:55 | 
その噂の前年の夏1996年7月、私は道東スーパー林道を攻めた。曇りがちのその日、十勝・浦幌町の秘湯留真(るしん)温泉側から、林道のゲート横をすり抜けて進入した。時刻は14時をまわった頃だった。ゲートの横には数多くのバイクの轍があり、また林道を進むと反対側から1台バイクが来た。情報を求めると出口となる白糠側からゲート横を抜けて入ってきたとのこと。安心して80kmの林道を攻めることにした。

しかし、この林道、長いばかりで景色の眺望もなく、たまにエゾシカ・テン・キタキツネに出会うぐらいで面白いことはあまりない。しかし、数ある分岐にはしっかり『←道東スーパー林道→』の立て札が出ており、迷う心配もなかった。


【道東スーパー林道入り口付近にて・林道のあちこちでこのようなエゾシカやキタキツネ等の動物に出会った】

1時間ほど走ったときのこと、橋を渡り坂を登る途中で十字路に差し掛かった。交差点の土手の上部に道標が立っていて右側を指していた。当然のように土手の上部に直進する。そのまま15分ほど進むとまたもや橋を渡って坂になった。しかもその途中には十字路があり道標も先ほどと同じ位置にあり右側を指していた。深い山の中、見通しも利かず私はてっきり、堂々巡りで先ほどの場所へ戻ってきたと思いこみ、今度は土手の下部に進んだ。しばらく進むと右手に川が現れ、その先でラワン蕗の収穫をしてトラックに積み込んでいる高齢の夫婦の出会った。かなり山深い場所での人との遭遇という安心感、また道に対する不安もあったため声をかける。
「この先、国道に出れますか?」
私のこの問いに男性は言った。
「ちょっと進めばゲートがあるけど出れはずだよ。」
この言葉に安心してしばらく進むと教えられたようにゲートが見えてきた。この長かった林道もこれで終わりであると安堵感を味わいつつも近づいて一瞬我が目を疑った。ゲートはチェーンを巻かれていて南京錠でしっかり止めてあった。いろいろ調べたがどうやっても開かなかった。ゲートの両側はあろう事か深い側溝のためバイクでも抜け出るのは不可能だった。

やむなく来た道を引き返す。先ほどラワン蕗の収穫をしていた夫婦は既にいなかった。かなり焦る。間違えたと思われる分岐まで引き返す。そのまま正しいと思われるルート進もうかと思ったが堂々巡りだとやっかいと思い直し、コンパスを取り出し方角をチェックした。その後、一番最初の坂の途中の十字路まで戻った。

確かに景色はそっくりだったがコンパスの度数が違っていた。安心して再び進み始めたが、今度は焦りに襲われ始めた。夕暮れには2時間以上もあるはずなのにかなり時間をロスしたような感覚に襲われる。一体自分は62kmの林道のどの辺りを走っているのか皆目見当が付かなくなっていた。そんな状況に追い打ちをかけるように薄い霧が漂い始めた。不安も絶頂に達したときである。カーブを曲がると突然物凄い衝撃に襲われ転倒した。気づくと目の前に鹿が倒れていた。一瞬の後、その鹿は突然立ち上がり左の林の奥へ消えていった。

続々・林道にまつわる噂話

2006-03-30 23:59:24 | 
北海道・オンネトーのキャンプ場で一緒になった京都から来たバイク乗りの話。

彼の語り出しには噂話にしてはまだ鮮度があり、一緒に聞いていた他のライダーには妙な雰囲気が漂った。
「去年、僕が北海道に来たとき、美深のキャンプ場で聞いた話なんだけど、去年、道東スーパー林道で鹿とぶつかった事故にあったライダーがいるらしいんだ...。」
東京から来たというそのライダーは夕方全長約62kmあり、支線を合わせれば200kmを超えるという道東スーパー林道に単独で入ったそうだ。この林道、迷い込むとガス欠の心配をしなければならないほど分岐が多く、全ての枝葉の道を合わせれば300kmは優に超えると言われている。



しかし入った時間は午後3時過ぎ、あろうことか途中、道に迷い雨が降り出したらしい。夕暮れ焦り始めたライダーはカーブを曲がった瞬間、突然鹿にぶつかったそうだ。転倒時にバイクが故障したためすっかり暗くなった林道をバイクを押してライダーはひたすら出口を探して何キロも歩いたそうだ。途中、夜行性のヒグマに出くわしたがクマの方も驚き、向こうから逃げていった。朝になってようやく林道から国道に出たときはすっかり体力を消耗して国道沿いに倒れていたとの話。

この話をい聞いて私は次のように話した。

「そのライダーってのは確かホンダのBAJA(バイクの名前)に乗ってたんだよね?京都のライダーは言った。
「確かそんな話でしたね。何でもライトガードがかなりひしゃげていたらしくてハンドルを切るのも大変だったって聞きました。」
と語っていた。

この嘘くさい話、ある意味本当である。

何を隠そう、この鹿にぶつかったライダーは私自身である。しかし、これに夥しい噂のヒレが付いていたのである。

まさか、私が走った前年7月下旬の事故がその年北海道を走るツアラーの中で語り継がれ、翌年形を変えて私の耳に入ろうとは思わなかった...。

ある意味、伝説を残したのだろうか?

詳しくは後日。

続・林道にまつわる噂話

2006-03-28 23:35:20 | 
これは雑誌アウトライダーの記事から出た噂であるが富良野方面から狩勝峠・新得を経由せずにトムラウシ温泉に抜ける林道があるという噂である。その雑誌でもその噂を確かめるため、いろいろ情報を集めてみたがでまかせであるという結びであった。しかし、これを読んだ一部の人間は危険なため林道の存在を隠しているモノと思いこみ、その存在を探しているというモノである。


【地図中心点がトムラウシ温泉・西南西が富良野・南が新得となる。新得~富良野間には大雪連邦を越える狩勝峠(644m)があるのみ。主峰十勝岳に阻まれている。】

聞いた噂話では、営林署が持つ地図には記載されている。とか林野庁が地図を管理していて外へは出ないとか言われている。
また実際に探しに行ったという人物にもお目にかかることもあった。しかし、ルートを探している内に熊にあったため退散したとか、行ってみたら倒木や川で道が塞がれていたとか様々な話は聞いたがどれも林道を抜けきったという話はなく、結局は不明なモノばかりである。

第一、今の時代北海道の林道ごときをわざわざ国家が隠す必要はあるのだろうか?よく考えればそんなにやばい林道ならどうやっても入れないようにしっかりしたゲートがあるはずである。また本気で疑うのならまず初めに国内で発行されているモノの中では一番詳しいとされる国土地理院発行の1/25000の地形図を見て林道に当たりを付けるべきである。

昨夏、幌尻岳を登るに当たり、1/25000の地形図を購入する際、暇に任せて調べたことがあった。結果、南大雪を突っ切る国道はあれど林道は何処にも見あたらなかった。国家がこの林道を隠蔽していない限り全くのガセ話である(笑)。

林道にまつわるうわさ話

2006-03-27 23:39:47 | 
林道ネタが出たのでついでに。バイクを初めて早19年、日本各地様々な林道を走った。そんな旅の最中にオフバイク乗りの中で何度か訊いた噂がある。

北海道の林道ゲートの鍵は実は三種類しかない。三種類とは道北・道南・道東の3エリアのそれぞれの鍵と言うことだ。だからどれか一つのエリアの鍵を手に入れればそれでそのエリア全ての林道の鍵は開くとのことである。これを初めに訊いたのは石垣島・米原キャンプ場で知り合った長期滞在者からだった。その後、岐阜・郡上八幡のユース、島根・出雲のキャンプ場等々で耳にした。しかし、どれも個人所有ではなく営林署の管理のモノだった。

しかし、この鍵の話はおそらく全くの出任せであると考えられる。というのは次のような事があった。10年程前、道南の支笏湖畔の8km程度の林道に入ったときのことである。朝の比較的早い時間、落石等で通行止めが多いこの林道に行ってみるとたまたまゲートの鍵が開いていた。しばらく進むと工事作業の人たちがいた。通行の可否を訊いてみると、
「別に良いんじゃないの?何があっても俺達は知らないけど...。」
とあっさりした回答だった。林道終点部のチェーンは開いているのか確認するとそのオッサンは仲間を呼びこういった。
「あっちの鍵ってどうなってんだっけ?」
訊かれた別のオッサンはこういった。
「こっちのと違うから昨日、あっちに渡してあるよ。向こう側でも朝から作業しているから大丈夫なはずだよ。」
という回答だった。もし閉まっていたら夕方までここで作業しているから戻ってくればいいと言われ林道を進んだ。
この会話から察すると1本の林道の入口と出口の鍵は違うことになる。この出来事からもやはり3種類の鍵という話は胡散臭くなる。

ところが、昨年夏の北海道からの帰りのフェリーでとんでもない話を聞いた。その噂の3本の鍵のマスターキーがあるとのこと。つまりそれを手に入れれば北海道内の全ての林道の出入りが自在になる。しかもそれを語ったオッサン曰く、それが一般に流出して北海道に住む知人が持っていると言っていた。更に欲しければその鍵のコピーをあげるとオッサンは持ち主に勧められたと語っていた。普通こんなうまい話があれば手に入れないはずはない。しかしオッサンは妙な嫌疑をかけられると困るから貰わなかったと語っていた。


【写真はイメージ】

どうにも胡散臭い噂に尾ひれを付けている張本人らしい。酔っぱらっているオッサンをあまり責め立てるのもなんなんで適当に流した。しかし、その後、写真の遣り取りためこのオッサンとメールアドレスを交換した。住所の連絡を入れたついでに可能なら鍵を譲って貰って私に回してくれるように頼んでみたがそれ以来その返事は一向に来ない....。

もし、支笏湖畔の林道の鍵の出来事が例外で、本当にこんなマスターキーが実在するなら本気で欲しい物である。噂の真相はいかに...。

林道ロックアウト

2006-03-26 18:59:58 | 
有間峠を越えると秩父側の展望が少しずつ広がってきた。1,200mから一気に下るので流石に山深く感じる。相変わらず土砂が流れ込んだ舗装路を進むとあろう事か道路上に未だに雪の残った場所が数カ所あった。

【林道の雪と秩父さくら湖】

それを慎重に交わし、進むこと30分、目指していた秩父さくら湖畔までどうにか辿り着いた。長年、越えたかった峠を制覇できたのである。その後程なく通い慣れた埼甲斐街道(R140)に出た。この辺りまで来ると気温は暖かかったが峠越えでかなり体が寒くなっていた。西武秩父駅の仲見世通りでラーメンを食って温まる。その後この仲見世通りをぶらつくもあまり面白い店はなかったため帰ることにする。15:20しかし、慣れたR299ではつまらない。思い切って再度有間峠を越えることにする。

相変わらず誰にも出会うことはなく、2度目の安心感もあってかあっという間に感じられる峠越えであった。急坂を延々と下り終え、鎖が切れていた場所について唖然とする。何と切れていたチェーンがしっかりと繋がれ、それより先に進む事が出来なくなっていた。時刻は16:30、また引き返せばどうにか日没までには秩父へ戻れる。かなり焦ったが冷静になるとどう考えてもおかしい。私が始めにこの林道に入ったのはたった2時間半程度前、しかも林道途中では昼にもかかわらず作業車は見なかった。例え午前中に切れているのを発見したとしても土曜日の午後に林道管理組合がチェーンをわざわざ修理に来るのか。また普通切れているのが分かったらその時点で中へ入れないように何らかの対策はするはずだ。だとすれば非常に運が悪い。よくよくチェーンを見る。確かに錠前はあのときのままである。それでは何故、やはりどう考えてもおかしい。



疑いながら丁寧にチェーンを見ると出る方法を見つけた。何と、切れていたと思っていたチェーンの元のネジをひねれば外れるようになっていた。
どうにか無事に林道から抜けれたため湖畔で休憩。しかし、一体誰があのチェーンを閉めたのか...。疑問は残ったが無事家路についた。


【夕暮れ前の名栗湖】

有間峠(1142m)

2006-03-25 23:59:20 | 
ちょっと見難いが下記の地図を見て欲しい。中心部の印の左右の道が切れているのが分かると思う。これは埼玉県南部、東京都と隣接する、秩父・名栗近辺の地図である。地図の南側に延びる電車(青梅線)の終点地はJR奥多摩駅となる。


【更に詳しい地図はここをクリック】

今まで何度とはなくツーリングで行った地域であるが奥多摩から秩父側へは東京都最高峰の雲取山が塞ぐため車両でパスできる道は今の所ない。
しかし、地図上の中心部の印の左右の道の辺りには実は数本の林道が延びているのだ。実際、中心の右下の名栗湖からは中心左上の秩父さくら湖(浦山ダム)まで県道73号がある。にもかかわらず地図では通行止めの表示がでかでかと書かれていて数年前に行ったときも名栗湖の奥にポールが降りていたため通行が出来なかった。

ところが先日、秩父・奥多摩一帯の山岳地図を見ていた際、名栗湖の南側からかなり大回りではあるが奥多摩の山域の北側を走り、秩父さくら湖へ抜ける林道を見つけた。当然のように進入不可のゲートマークの記載もなかった。

今日の午後、時間が空いたので早速、バイクで行ってみた。山岳地図でマーキングした場所へ行ってみる。嬉しいことに未舗装、しかもそこそこがれたいた。喜び勇んで進むもがっかりした。わずか200m程でチェーン封鎖。どうやっても先には進めなかった。諦め引き返す。しかし折角ここまで来たのだからと気を取り直し名栗湖に向かう。数年ぶりの景色を眺めながらダムの入り口まで行って不思議に思った。以前掲示されていた"一般車両通行禁止"の看板が消えていた。更に進むとやはり"この先通行止め"の看板が出現した。



行けるところまで行って引き返そうと思い更に進む。しかし、その先に見えた景色に唖然とした。何と封鎖のためのチェーンが切れ落ちていた。



一瞬、戸惑ったが時間もまだ14時と日没には早いため行ってみることにする。林道とははいえ、流石に県道。しっかり舗装されていた。しかし、落石も多くしっかり路面を確かめながら進まないとハンドルを持って行かれる事もしばしばあった。きついカーブを何度も繰り返し、小さなピークをいくつか越えながら進むと当然のように標高も上がり、景色も開けてきた。


【林道から見える東京方面の眺望】

30分程この状態を繰り返しながら進むとようやく峠にさしかかった。ここへ辿り着くまでの間、快晴の土曜日なのに全く人とはすれ違っていない。



この峠が秩父・名栗を分ける有間峠(1142m)となり、その標柱も何故かしっかりしたものがビニールに巻かれて立っていた。写真中央右端が名栗湖である。近いうちにここまでのがれた土石を取り除き、一般開放するつもりなのだろうか?

WBC (World Baseball Classic)

2006-03-22 23:20:21 | Weblog
瞬間視聴率、50%超え=WBC日韓戦
 19日にTBS系で放送されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝、日本-韓国戦の最大瞬間視聴率が、関東地区で午後3時45分の試合終了時に50.3%を記録したことが20日、ビデオリサーチの調べで分かった。関西地区は午後3時46分の47.7%。平均視聴率は関東が36.2%、関西が35.0%だった。 
(時事通信) - 3月20日11時0分更新
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19日(日)エクストレイルにリコールがかかっていたため朝一でディーラーに持ち込んだ。待っている1時間30分ほどの間、店に客は一人も来なかった。営業にその旨を話すと「野球(WBC準決勝韓国戦)が昼から始まるんで今日は殆ど来ないと思います。」と言っていた。午後の顧客の予定は休日にもかかわらず殆どないとのことだった。

普段混み合うところは空いている可能性が高い。その後行きつけの床屋に立ち寄った。客は一人しかいなくあっさり散髪して貰った。なんでも朝の開店時には人がどっと押しかけ大変だったそうだ。誰もがWBCの始まる前に散髪をすませたかったらしくその話題で持ちきりだったとのこと。

私も見たいとは思ったが中盤からでも良いと考えていた。しかし、散髪屋のニーちゃんも野球を観たいらしく開始直前に終わった。私の後の客は誰もいなかった。

カーラジオを流しながらの帰宅となった。しかし、休日の昼でも確実に渋滞する場所が全くがらがらで、いつもの半分程度の時間で家に着いた。しばらく家で観戦していると投手戦となり早い試合展開であった。しかし、7回に中日・福留の2RH、スワローズ・宮本などのヒットで5点を奪う展開となった。ここで雨天で一時中止。再開の気配もないため連れだって買い物に出かけた。試合の再開をラジオで聞くも新青梅街道も先ほどに続きがらがら。スーパーに着いたのが9回裏。立体駐車場に車を入れ、カーナビのテレビに切り替え最後を観戦。パドレス・大塚のリリーフで完封勝利となった。さて買い物に車を降りようとしたところ、目の前のスロープに突然買い物帰りの車が列を作り始めた。一様に車の中で試合展開を観戦していたのだろう。


【いつもは必ず渋滞になる道路・信じられない程ガラガラである】


視聴率50%の凄さを実感した。一次リーグでは1・2戦で2次リーグ進出を決めてしまったためテレビでの放映がプライムタイムにもかかわらず、視聴率も低迷していた。しかし、決勝トーナメント進出をかけた韓国戦から盛り上がり方が一気に高まった感がある。野球不人気と言われる昨今、やはりライバル国との競り合いが出てくるとテンションが違ってくるらしい。



【キューバ革命の英雄チュ・ゲバラまさかステーショナリーに使われているとは】

昨日の決勝戦、ごっつぁん的な快進撃で勝ち上がった日本はまんまとキューバを打ち破り優勝・世界一となった。

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WBC決勝、平均視聴率43%…優勝の瞬間は56%

 21日に日本テレビ系で中継された野球の国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の決勝「日本×キューバ戦」の平均視聴率が、関東地区で43・4%だったことが22日、ビデオリサーチの調べで分かった。

 瞬間最高視聴率は、ゲームセットの瞬間(午後2時58分)の56・0%だった。

 また、番組視聴占拠率は72・7%で、テレビをつけていた家庭の4軒に3軒近くが野球中継を見ていた計算になる。(読売新聞) - 3月22日11時38分更新
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これはサッカーワールドカップやトリノ五輪フィギュアスケートの比ではない程の高視聴率とのこと。決勝が行われた昨日、ご多分に漏れず我が家でもテレビ観戦をしていた。番組視聴占拠率は72・7%ある意味そら恐ろしい現象である。

城南島海浜公園

2006-03-19 23:59:23 | 
18日(土)午前中は天気がもつとの予報。起きてみれば快晴であった。前日は何も考えていなかったため何処へ行くか地図を広げ考える。秩父へ行くのも流石に4週連続では行程がまどろっこしい。2歳の子供達が飛行機の玩具を手に遊んでみるのを見て思いつく。飛行機を見にいこう!

早速地図で当たりをつけて出発。都心を突っ切るのは流石にくたびれたが2時間弱で羽田空港の北側に位置する城南島海浜公園に到着。ここは大田区・大井埠頭の隣にある埋め立て地で、南側には羽田空港が位置する。そのため飛行機の離発着が間近で見られる場所である。城南島埠頭の最深部にあり、最寄りの駅となる東京モノレールの昭和島からもかなり離れているためアクセス手段は車かバスしかない。

着いてみると公園周辺は路駐だらけだった。試しに公園内の駐車場を覗いてみると対照的にガラガラである。気になる値段は30分100円しかし、上限は800円と表示されていた。これならレッカー移動の可能性を考えた場合、中に止めた方が安心できる。

海に面した公園内は芝で覆われ、羽田に着陸待ちの日本中から飛んでくる飛行機が3分おきに着陸態勢ですぐ近くをかすめていく。


【公園の近くを着陸態勢で飛ぶ飛行機】

また東京港を利用する商船や漁船が目の前の海を行き来する。子供達は大喜びだった。昼飯をすませ、ふと思いつき、車に戻りハッチバックを開ける。以前アウトドアショップの福袋で手に入れたゲイラカイトが積みっぱなしになっていたのだ。早速取り出し、揚げて見る。予想通り海風を捕らえゲイラはあっという間に80mの凧糸を奪い遙か高見に揚がって言った。


【上部の黒い点がゲイラカイト】

手元の糸を柵に括り付けても全く落ちる気配はないためそのままにして辺りを散策。中央部では海に向かって釣り竿を振っている人々が沢山いた。訊いてみるとメバル・ハゼ・イサキ・カレイ等が釣れる場所とのこと。


【公園から見た臨海副都心(お台場)】

空模様も曇り始めたので帰ることにする。飛ばしたゲイラは30分程経っても相変わらず平気で揚がっていた。


【80mもの凧糸を巻き取って手繰り寄せたゲイラカイト】

この公園、近くに住宅街が全くないせいか殆ど自転車が入ってこない。子連れでのんびり遊ぶには非常に良い公園だった。

ドゥ・ザ・ライト・シング Do The Right Thing

2006-03-17 23:47:52 | 映画
"ドゥ・ザ・ライト・シング"1989年のアメリカ映画である。この映画が今年度アカデミー賞受賞式の頃CATVでやっていた。録画していたため昨夜改めて見た。

これは私が初めて見たミニシアター系のロードショー作品である。銀座のシネシャンテで見た。最後に大暴動が起きるという展開はあるもののストーリーらしいドラマはなく、ニューヨークのスラムの日常を描いた作品である。



実はこの作品当時、物議を醸し出した。アカデミー賞にはこの作品から助演男優賞にダニー・アイエロ、オリジナル脚本賞に監督を兼ねたスパイク・リーがそれぞれノミネートされるもいずれも受賞はなかった。しかし、式典の最中に別な賞のプレゼンテーターで登場したハリウッド女優キム・ベイシンガーが突然叫きだした。「何故この作品に賞をあげないの。」これが作品賞にノミネートされていない事への抗議も兼ねてのことであった。会場は拍手喝采と大ブーイングの入り交じった状態になった。

結局、作品賞を受賞したのは『ドライビング・ミス・デイジー』

この映画 "ドゥ・ザ・ライト・シング" の作中で時々流れる黒人ラップグループ『パブリック・エネミー』は彼らのセカンドアルバム"It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back"の"Party for Your Right to Fight"でこの授賞式の模様を痛烈に皮肉っている。


※ 残念ながらこのアルバムは既に日本での正規販売は終了しているらしい。輸入盤なら入手可か?

この映画がきっかけでアメリカ黒人社会に一躍アカデミー賞への批判の声が沸き上がったといわれている。また大きな視点で見た場合、3年後に発生し、アメリカ中に飛び火したロス暴動の一因となったという評論家もいる程である。

何故かネット検索してもその辺りの一連の事件は日本のサイトでは殆どヒットしなかった。

以下、goo映画より抜粋(はっきり言ってよくわかりません)

その年一番の暑さの日、“サルス・フェーマス・ピッツェリア"のオーナー、サル(ダニー・アイエロ)は、その日も暢気なヴィト(リチャード・エドソン)と、人種差別主義者のピノ(ジョン・タテューロ)のふたりの息子と共に、近所の黒人たちにピザを売っていた。店員のムーキー(スパイク・リー)は、仕事の暇をみつけては恋人のティナ(ロージー・ペレズ)と会っている。酔っぱらいだが愛想のいいダー・メイヤー(オシー・デイヴィス)は、町の母的存在のマザー・シスター(ルビー・ディー)の気をひこうとするが、彼女は相手にしない。町にはウィー・ラブ・ラジオのDJミスター・セニョール・ラブ・ダディー(サム・ジャクソン)の声に乗せて音楽が流れている。黒人自覚提唱者のバギン・アウト(ジャンカルロ・エスポジート)は、ピッツェリアにイタリア系のスターの写真しか飾られていないのを見て、黒人スターの写真を飾れ、とサルに抗議するが、聞き届けられずボイコットで仕返ししようとする。またサルは、巨大なビート・ボックを持って店にやって来たレディオ・ラヒーム(ビル・ナン)との間にも一悶着起こしていた。やがて1日も終わりを迎えようとしている日暮れ時、ピッツェリアにバギン・アウトとレディオ・ラヒームが乗り込んできて、つばぜりあいが始まる。そしてサルがレディオ・ラヒームのビート・ボックを叩き壊したことでその波紋が広がろうとしている時、やってきた警官のひとりがレディオ・ラヒームを羽がいじめにし、窒息死させてしまう。こうしてピッツェリアは黒人たちの一大暴動の舞台となり、火の海と化してゆく--。一夜あけ翌朝、給料を取りに来たムーキーとサルとの間には、奇妙な和解が生まれるのだった。

※ 余談だが、映画鑑賞中隣に座った白人女性の香水がメチャメチャきつく、鼻にティッシュを突っ込んでみた記憶が蘇った(笑)

花粉症

2006-03-16 22:51:13 | Weblog
「この時期あちこち外へ出れるって良いですね...。」
と知人に言われた。意味がよく分からず聞き直すと聞いた本人は毎年この時期花粉症に悩まされ、家から出るのも至難の業らしい。

そういう私も実は歴とした杉花粉症持ちである。高校入学前の春休みに発病して以来、長いつきあいとなっている。上京してからは毎年2月下旬に発症、激しい目のかゆみとくしゃみ鼻水、更に全身の倦怠感に襲われる。就職した折、知人の勧めで医者を受診。服薬は驚く程効果があり、その後毎年確実に処方を出して貰っている。しかし、医者で処方してくれる目薬は何故か効き目がなくいつも購入する売薬の方が効きめがある。



暖かくなったと思い、喜び勇んで外には出てみたがある意味嫌な季節である。

高水山(759m)

2006-03-15 20:03:28 | 登山・アウトドア
12日の日曜日、今日も午前中は快晴予報。家にいても仕方がない。前日、奥多摩の地図を広げ、ぬるい山を探していた。青梅のJR軍畑駅の北側に高水山という山を見つけた。奥多摩山塊の東端に位置し家からも近い。JR青梅線軍畑駅からだと1時間50分かかるが裏側の名栗村方面から入れば延々と林道で山頂直下まで行けるらしい。家を出て車で1時間。北側の集落から林道に入る。比較的整備はされているものの所々にぬかるんだダートが残りまた落石が多く、注意しながらの運転となった。しかし、登るに連れ眺望が開け、関東平野が広く望めた。程なく山頂直下の駐車場に着く。車は我々の他に一台のみだった。

子供をそれぞれに背負い、山道を歩き出す。5分ほどで常福院というお寺の境内に着く。そこを更に10分ほど進むと高水山山頂に到着(759m)。
山頂には我々以外に1グループのみであった。



東側の眺望は抜群で、すぐ下の青梅の多摩川にかかる鉄橋、我が家の近辺の目印となるインボイスSEIBUドーム、更には新宿の高層ビル街まで確認できた。


【山頂付近からの眺め・左中央部の白い物体がドームである】

昼飯を食いまったりしたが空模様は時々日も差したが薄曇りベースだったため程なく下山、岐路となった。林道を下る途中でちょっとしたハプニングがあった。



なんと、来るときにはなかった岩が、道の端に転がり落ちていた。こんなものに直撃されていたらたまったものではない。道を転がっている途中、車の側面に当たったのなら不幸中の幸いですむかも知れないが、万一登りの右側斜線を走行中に車の屋根や窓にでも落ちてきたらどうなっていたか不明である。

宝登山(497m)

2006-03-14 22:57:30 | 登山・アウトドア
11日の土曜日、快晴である。気温も高くなるとのこと。当然のように出かけることにする。とはいっても一家総出となるため車である。

先日、秩父にある宝登山の臘梅(ロウバイ)が見頃との情報を得た。寄居経由で行ってみた。観光地とは言われるもののそれほど人はいなく、駐車場も混雑してはいなかった。歩くと90分とは書かれてはいたものの10kgを超える子供を背負って歩くつもりは嫁も私も毛頭無い。頂上にあるサル園も見れるという1,200円の往復チケットを買ってロープウェイに乗る。

5分で着いた山頂は臘梅の香りが漂い、気持ちが良かった。眼下の秩父市街の向こうには秩父のシンボル200名山の武甲山がどかんと構えていた。シャツ一枚で過ごせるほどの気温で気持ちが良い。のんびりと宝登山山頂までの臘梅の路を進む。


【宝登山の臘梅】

山頂でのんびりした後、裏側にあるサル園に行く。入園してみると独特の臭さが漂う。子供達もあまり関心を引かれなかったようなので引き返す。

福寿草や梅も見頃でブラブラするにはいい場所だった。

ペーパーチューニング2

2006-03-10 20:40:43 | Weblog
その後、交通違反で取締りにあった。信じられないことに交番詰めの新米警官は黄色ナンバーが二種原付ということが今ひとつ理解できなかったらしく反則金を原付の金額と間違え1,000円安いというミスを犯した。その日の昼、その警官は青切符を見たのか私の携帯に電話をしてきた。

警官:すみませんが、反則金の額を1,000円間違えたので納付期限前に警察署へ出頭願えますか?
(自分が間違っておきながらこの態度は極めてふざけている。)

私 :行く時間がないもので夕方までに職場の方へお越し願えますか?駄目なら夜10時過ぎれば確実に家にいるとは思うのですが...。(完璧な嫌がらせである。)

警官:でしたらこちらで納付金額の差し替えをお送りしますのでそれで振込いただけますでしょうか?(先ほどの出頭の話は向こうの嫌がらせだろうか?)

私 :それで結構です。でも先ほど既に振り込みましたので差額の1,000円だけを振り込めばよろしいのでしょうか?
(まるっきりのハッタリである)

警官:え?もう振り込んだんですか?弱ったなぁ...。実は書類の差し替えとなりますので6,000円の振り込み書類をお送りしたかったんですよ。追加の1,000円だけだと青切符の納付書が2枚になってしまうんで...。弱ったなぁ...(その後弱った理由を延々と訊きもしない私に説明してくれた)。ちょっと相談してまた後でお電話差し上げます。

電話の直後、私が郵便局へ納付に走ったのは言うまでもない。



つまり、青切符の交付番号と反則金納付書の交付番号は一致しなければならない。そのため当然のように差し替えの反則金納付書の番号は青切符の番号に一致している。

ところが私は誤った金額が記入された納付書で5,000円振り込んだ。そのため、その後に仮に1,000円分の納付書を発行したとしても切符1枚の続き番号に対して同じ続き番号の納付書2枚いう矛盾が生じるらしい。

これもまたペーパーチューニングの効能だろうか。

ちなみに1年以上経った今になっても新米警官は相談した結果を私に電話してこない。

ペーパーチューニング

2006-03-09 22:30:19 | Weblog
6日、日曜日、快晴で暖かい。冬ごもりの虫が地上に這いでるという啓蟄である。前日に愛車XR250を始動したのもあって、原付MonkyBajaのエンジンを久々にかけてみることにした。
キック10回程度でこれもあっさりかかった。



このバイク、14年前の型その上絶版車であるにもかかわらず、走行距離わずか13kmで中古で出ていたのを3年ほど前に買い取った。キャブレター内に残されたガソリンが完全に硫化していたがその部分を交換すれば保存条件も極めて良かったため新品同様であった。
バイク屋がナンバー取得代行を申し出たがちょっとした思惑があったため自分でナンバー申請を行った。以下、市役所の窓口での会話。

私 :原付の登録をしたいんですが、排気量をバイク屋で計ってみたら53ccあったんですよ(まるっきりのハッタリである)。どういう申請をすればいいですか?」

受付:でしたら原付でも二種原付でもどちらでも申請できます。二種原付(黄色ナンバー)ですと小型自動二輪の免許が必要となります。どうしますか?また二種ですと年税額が1,200円と原付よりも200円高くなります。」

それらしい書類も用意していったのであるが、正直こんなにあっさりした回答だとは意外だった。出された所定用紙に記入して受付に出すとすぐさま背後の端末に入力作業をしてくれて黄色ナンバーを差し出してくれた。受け取った際ついでに訊いてみた。

私 :例えばボアアップ(エンジンにパーツを加えたりシリンダー内部を削ったりして増やす方法)で90cc超えるとピンクナンバーも可能ですか。

受付:税額が上がること等を了解頂ければ可能です。だだ、125ccを超えた場合はナンバーの申請が陸運局になりますのでかなり取得が難しくなります。

49cc原付で地域ナンバーを取得するという大技をするつもりは毛頭ない。

バイク屋曰く、役所によってはボアアップキットの購入の領収書等の証拠書類の提示を求めるところもあるらしいが、結局の所、納税額が増えればそれが役所にとっては良いことであるため、それほどうるさくはないとのことであった。

ともかくペーパーチューンという裏技でまんまと黄色ナンバーを取得できた。これによる利点は
・2種扱いだと原付の制限速度30km/hから解放される
・交差点の2転換右折から解放される
・左端の車線走行規制から解放されどの車線を走っても問題ない。
・有料道路の走行においては原付料金で良い場合が多い。
・フェリーの移送料金が格安の原付設定の場合が多い。
・条件を満たせば二人乗りが可能である
と多々ある。

余談だが、私の原付は全くのノーマルなため、一度廃車処理をかけてナンバーを返納し、バイク屋経由で申請すればあっさり50cc(白ナンバー)にも戻せるらしい。

ねんころり

2006-03-08 23:17:06 | 
子の権現から竹寺方面への山深い坂道を下った辺りに現れだした集落はバスの終点となるところで、その本数もハイカーが増える週末はともかく平日は数える程しか来ないという所だった。一見したところ商店の類も見あたらず、住人はマイカーで飯能方面へ買い出しに行くしかないらしい。高齢者には不便な環境だと考えていたら、驚くべきものを発見した。



写真を見てお分かりになる人はある意味貴重かも知れない(笑)。生鮮食料品を販売に来るトラックである。近くに住むと思われる婆さんが買い物をしていた。

懐かしさもあって、ミカンを一袋買うついでに運転手に声をかけてみた。この集落には週2回、火・土曜日に巡回してくるそうだ。何処へ行っても馴染みの顔が出迎えてくれ、色々買ってくれるとのこと。

懐かしいと私が記述したのは実は私の幼い頃、私の田舎にもこういった移動販売が来たのだ。近所には魚屋と八百屋が一緒になったような店や肉屋もあったがこうした移動販売が入り込む余地が私が育った時代にはまだあったらしい。どこかで談合でもしているのか毎週決まってはいたが違った日に2つの業者が巡回して来たものだ。この登場の仕方がもの凄い。一方の業者は和太鼓の軽快なリズムをトラックに取り付けたスピーカーを通してテンテン鳴らしてやってくる。これはこのリズムからか我が家の主婦共も含めた近所の者共は「テンテコテンが来た!」と言って集まっていた。

それに対してかもう一方は今思い返せば信じられない凄まじさがあった。

♪に~げ~た~にょ~ぼ~にゃ、未練はな~いぃ~が~(中略)ねんこ~ろ~り~

(逃げた女房にゃ未練はないが~)

という何故か一節太郎という謎のアーティストが歌う『浪曲子守唄』をスピーカーから大音量で発しながらやってくるのだ。これが聞こえると我が家の婆さまや母親は「ねんころりが来た!」といって家の近くに停まるトラックへ買い出しに出かけたものだ。

この「ねんころり」、店の名前や素性は今となっては一切不明だが品揃えは「てんてこてん」とほぼ同じ。しかし集客力はそれよりも一段上だった。田舎の主婦共の茶飲み話では原因はよく分からぬがこの「ねんころり」の店主、曲の通り奥さんに逃げられたらしく、子供を抱え不幸せな人であるらしかった。だから売りに来たらなるべく買ってやりたいという話を耳にしたものだ。事実とすれば恐ろしい程開き直ったPR、嘘であるとしたなら人の情に漬け込む商売戦略の技である。

私が物心着いた頃にはもうこのような巡回販売は来なくなったが、あるとき母親にこの「ねんころり」の噂の真相を問うたところ、そんな噂が確かにあったが真相はよく分からないとのことだった。

まだ車も各家庭に普及していなかった30年以上昔の思い出であるが、都心から50kmにも満たない地域にこのような商売が残っていた事実を知り何故か嬉しさを感じてしまった。

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以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

一節太郎(ひとふしたろう、1941年6月13日生)は日本の歌手。

1961年、作曲家の遠藤実の内弟子第一号となり、1963年12月、『浪曲子守唄』でレコードデビュー。尚、元々同曲は美空ひばりを想定した楽曲であった。

『浪曲子守唄』は現在までに200万枚以上を売り上げ、2002年現在でも年に2万枚が売れるという。

しかし、その後は大きなヒット曲もなく、一発屋と呼ばれているが、そのたった一曲のヒット曲が発売後40年を経た現在でも未だに売れ続けているのは凄いことであろう。