Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

扇山(1138m)

2011-04-30 19:28:04 | 登山・アウトドア
 4月23日の土曜日と29日祝日は公立小学校にもかかわらずなぜか学校公開という授業参観の要領で普通に授業があった。その代休がGWに当たりちび共はなんと9連休である。とはいえ私も嫁も仕事はカレンダー通り。しかも嫁に至っては5日からその後の土日も仕事になっている。これでは総出で出かける機会も連続しては2回しかない。どこかへ行こうかと目論んだが何と3男が先週末に次男が持ち込んだ風邪で木曜からダウン。元気にはなったが念のため自宅にて安静。これでは双子が可哀想なためハイキングに連れ出した。

 8時に家を出るも予定よりも乗り継ぎが良かったため中央本線内で地図を見て行程を変更することにした。当初、山梨県大月市の百蔵山をJR猿橋駅発同駅戻りで考えていたがあまりにもショートコースなため鳥沢駅発の扇山から百蔵山の縦走に変更した。

 鳥沢駅前で電車から携帯で連絡を入れておいたタクシーに揺られ登山口となる梨ノ木平まで行く。辺りは遅咲きの八重桜やハナミズキが満開である。遠くには霞がかった富士山がうっすらと見え、良い感じである。10:30、登山開始。緩い上り坂の連続であり、所々で景色が得られるのでちび共も登っていて飽きはこないようだ。途中水場もあり、12:10、頂上着となった。


【水場となるこの樽の中には沢ガニが数匹いた】

 頂上は結構な賑わいであり広く気持ちが良い。眼下には中央道の談合坂S.A近辺の景色が広がる。



昼食をとり2時間ほどかけて次の百蔵山へ行こうかと動き出すと長男が訴えた。
「俺、ちょっと喉が痛いんだけど...。」
曰く、昼食後突然喉が痛くなったようだ。
それを聞いた次男はすぐにこういった。
「じゃあ、残念だけどすぐに下山して帰ろう!」

とりあえず次男に口を開けさせ見比べてみると長男の喉は明らかに腫れている。次男の言うとおりすぐに下山となった。


【緊急下山】

1時間ほどで下山口まで戻るも安心したのか長男は一気にぐったりしてしまった。あわよくば40分ほどかかるらしいが駅まで歩こうと考えていたがこれでは無理である。タクシーを呼び、鳥沢駅まで送ってもらう。電車に乗ると中央本線は窓が開くため二人とも喜んでいたがやがて眠りこけた。

嫁に連絡をしたところ三男は本調子に戻ったとのことだったため駅まで迎えに出て貰い長男は駆け込みで医院で診察して貰えた。結果三男の風邪を貰ったのだろうということで大したことはないらしい。

しかし、双子は共に楽しかったらしくまた行きたいと語っていた。

余談だが帰りのタクシーの運ちゃんは長男の具合の悪いことには気づかず気さくに観光案内をしてくれた。中でも駅近くの何でもない家を指さし、
「ここが笑点で『小汚い』とか『泥棒』とか言われる(三遊亭)小遊三の家ですよ。」
という台詞に笑点好きのちび共は大喜びであった...。

サバ飯

2011-04-23 23:01:10 | 登山・アウトドア
 とはいっても鯖飯のことではなくサバイバル飯のことである。

 諸事情により、震災時の非常食講習に双子と参加することになった。とはいっても私の場合、昔取った杵柄でお手伝いである。子供達が空き缶・ビニール袋・ペットボトルにそれぞれ洗ったお米を準備し、それを煮るための火興しを私が担当した。

 空き缶は直火にかけビニール袋・ペットボトルにそれぞれお米と水をいれたものは鍋にそのまま放り込んだ。当然鍋の中の水はきれいなものだが最悪のばあいは汚水でもビニールはきつく縛りやペットボトルは栓を固くしているためお米は炊けるわけである。

 炊きあがったお米はまずまずである。焦げ目がなければ100度以上には上がっていないという理屈なので問題なく食べられる。まずは空き缶飯。



 これは缶のコーティング溶け出すのが不安で思い切り煮炊きできなかったのが敗因であろう。芯が残って今ひとつ。でも非常には使える手段である。

次にビニール袋。


非常にうまくいき普通のご飯であった。ただし汚水に入れた場合ビニール袋は口を縛るだけなのでその辺りが不安である。

最後にペットボトル。



これも非常に良くできた。口もしっかりしているのでこの中では一番かもしれない。

 おまけであるが、ホットドッグ。アルミ箔に包んだものを洗った牛乳パックの中に入れパックを燃やして作った。蒸し焼きの効果もあり美味しかった。牛乳パックではなく焚き火に直だと。かなり高い確率で焼け焦げがつくので注意である。



 ビニールやペットボトルの成分が染み出ているのではという違和感もあるが、あくまでも非常時の調理法なのでご了承いただきたい。


 やった子供達も大喜びであったが、父兄の方々の関心も非常に高かった。興味深い実験的イベントであった。

武甲山

2011-04-02 22:06:39 | 登山・アウトドア
 夕べからどうも次男の元気がないらしい。特に体調不良という具合でもない。心配した嫁は気晴らしにどこかに連れ出すよう気遣った。

 今朝もやはり同様であった。どこか行きたいところがあるかどうか訊いてみると電車で山に行きたいとのこと。長男も異存がないため西武線を乗り継ぎ、秩父を目指した。電車に乗ると次男もそこそこ元気である。出るのが遅いのもあって秩父からタクシーを使用するも登り口となる東側の一の鳥居に着いたのは11時であった。今回の山は秩父のシンボル武甲山である。この山は一般的に我々がイメージする山とは全く違う。20年前、初めて私が目にしたときは唖然としたのを覚えている。石灰岩の固まりとなるこの山は明治時代より既に半分をセメントの原料として採掘がすすみ、頂上も削られたため既に標高が低くなっていて現在は記録の残る当初より32m低い1,304mという山である。登り出すと林道横には何故か仰向けに落ちた車がありおかしな雰囲気である。



 登山道には一丁・二丁・・・と所々に石柱が立っている。すれ違いの下山者に訊けば頂上の五二丁まであるらしい。それを目印にちび共をおだて登るも眺望は全くなくおまけに三十二丁を過ぎた大杉広場より上は残雪が解けたおかげでぬかるんでいた。これは頂上部まで続き全く持って歩きにくい。ちび共もスニーカーでは大変であった。

 それでも14時。頂上到着。眼前に広がる秩父盆地の絶景。また直下に見られる削り取られた山肌に我々は不思議な違和感を覚えずにはいられなかった。それでもおにぎりを食べカップ麺を啜りゆっくりしたのであった。




 今回も時間がおしたものの帰りはそれなりのペースで下山でき、秩父鉄道の浦山口17:13に乗れたのであった。その後いつも通り蕎麦屋での打ち上げを行ったが秩父の名所、仲見世通りは震災の影響で自粛で帰りのアルコールの自動販売機さえない状況であった。

 気になる次男はこの移動の間中非常に元気であったがやはり家に帰り落ち着くと元気がない。夕食後改めて熱を測ると微熱があった。結局は風邪であった...。

 しかし、体調不良にもかかわらず登頂成功をしたことに次男は不思議な自信を得たらしくそのことが誇らしいようだ...。