Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

ライダー150人説

2005-08-31 22:52:12 | 
苫小牧、夕方便の乗船開始後、一っ風呂浴び甲板に出る。明日の昼過ぎには大洗着。夕方までには自宅へ着く。旅もとうとう終わりである。

夕日を眺めてながらビールを飲み、今回の旅の記憶を辿り満足感に浸っていると近くの甲板で車座になって座って酒を飲んでいた40歳代中心と思える集団が鼻歌を歌っていた
♪しぼったばかりの~夕陽の赤が...
吉田拓郎の落陽である。
仙台便ではない大洗便だろうが青森便だろうが関係はないらしい。


【太平洋上に沈む夕日】

苦笑いしていると突然その集団にいた若い男から声をかけられた。

「にーさん!あのときはご馳走様でした。今回は自分が一杯奢りますよ。」
声をかけてきたのは行きのフェリーで一緒だった厚木のライダーであった。彼は新潟行きで帰る予定だったが、キャンセル待ちが出ず、苫小牧便がどうにか手に入ったため予定を繰り上げ帰宅となったそうだ。必然性の高い再会とはいえ嬉しいものである。今回の旅の土産話を肴に新しく3人のライダーを巻き込みまたひたすら飲んだくれた。

ライダー150人説というものがある。旅先で出会ったライダーが話をしている内に自分のバイク仲間の知人だと分かったり、全く約束もしていないのに旅先で以前あったことがあるライダーにばったり再会したりすることが意外なほどよくあるため、わき上がった話である。

結論を言うと、一般的な会社で働いているものでバイクで旅に出る人はだいたい同時期で同方向である。年末年始は南九州から鹿児島の離島・ゴールデンウィークは中四国から九州・お盆の時期は北海道・秋の連休は自宅から3~4百キロ圏内とライダーの動く範囲は決まっており、また泊まる場所も温泉が近くにある低額のキャンプ場とお定まりになっている。まして、大量輸送のフェリーの中で再会する確率は極めて高い。

話は遡るが、今回の行きのフェリーでのこと。知り合ったこの厚木のライダーと飲んでいると突然、生ビールが3つ我々のテーブルに置かれ、次のように声をかけられた。
「久しぶりだな!今回お前にだけはあいたくなかったぜ。噂じゃあバイク降りたって聞いてたぜ!ほら、約束の酒だ!」
この西部劇のような長ったらしいふざけた台詞を吐いた男は”ゴルゴ”と呼ばれるヤツだった。3年前の5月、宮崎~川崎のフェリー以来の再会である。
私はこう切り返した。
「失礼ですが勘違いですよね。初対面かと思いますが...。」
ヤツは驚きながら答えに困りこう言った。
「え?あれ、すみません...え?キムチ...だよな?」
笑いながら
「久しぶりだなぁ!相変わらずだな、ゴルゴ!元気そうで何より!」
私は返した。

ヤツと知り合ったのは99年のゴールデンウィーク、宮崎行きのフェリーである。その後も、長野のキャンプ場や静岡の道の駅等でばったり再会した。会う度に酒を奢りあっていて、今回はヤツが奢る番だった。

ゴルゴと3人で飲んだくれ翌日は二日酔いだった。苫小牧上陸までは12時間以上あるため迎え酒を飲み、ひたすら眠った。上陸後次は私が奢ることを約束し別れた。また厚木のライダーには私が奢ったため彼は再会したら私に奢ってくれるという約束だった。


”ゴルゴ”や”キムチ”というのはいつの間にか着いたコードネームと呼ばれるあだ名でこの他にも足臭(あしくさ)・ギャオス・ジャイ子・パー子・ちん・ますお・でんしち・だんぺー等々意味不明の呼び名がいくつもある。

おかしな事に私はこの連中の本名はおろか住所も携帯番号もろくに知らない。

ちなみに今回の旅で一緒になったウサミさんもマエダさんも旅先で知り合い、行動を共にするうちに仲良くなり連絡先を交換した方々である。

翌日、13:30大洗着。厚木のライダーとは山の話で気が合い、機会があったら一緒に動くことを約束し連絡先を交換して大洗で分かれた。

残暑の常磐道・外環・関越道を乗り継ぎ16:00、8日ぶりに自宅到着。
焦点が定まらない文章になってしまったがこれにて今回の旅は無事終了となった。

ハーレーダビッドソン&マルボロマン

2005-08-30 18:18:03 | 映画
主演ミッキー・ロークとドン・ジョンソンの91年のハリウッド映画である。
ストーリーさえもほとんど忘れてしまったこの作品であるが、今回この作品のタイトルを思い出す出来事があった。

最終日、苫小牧に夕方17:00までに到着すれば良かった。札幌からは約60km、普通に走って1時間ちょっとである。10:00、マエダさんと別れたはいいが、時間の潰しようが無く、暇に任せて60kmほど離れた支笏湖へ向かう。何故かここは今まで行ったことが無い場所だった。走り出して程なくガス欠が起き、リザーブとなる。空荷だとそれでも80kmは軽く走る。人口の多い道南、しかも観光地、一気に支笏湖まで走ってもガソリンスタンドくらいはあるだろうと踏んだ。しかし、これが大きな間違いだった。真駒内を過ぎると一気に住宅は無くなり、道路も急坂が多くなった。きついカーブを20kg弱のフルパッキングで延々と登る。峠を過ぎどうにか湖畔までの坂を下る。湖に出ればすぐ街だろう。と思ったが、ようやく辿り着いた湖畔には何もなかった。遙か対岸に街が見えたためそちらに向けて周遊道路を進んで間もなく、とうとうエンジンが止まってしまった。
やむなく全ての荷物を道端に下ろし、バイクを地面ぎりぎりまで左に倒す。こうすることにより、タンクの右側にわずかに残っているガソリンをキャブレターに繋がる左側に流し込んだ。運が良ければ10km程度は走るはずである。

こんな事をしていたら後ろから走って来たハーレーが停まってくれた。50歳代の渋く決めたライダーに事情を話すと、対岸のスタンドまでなら乗せていってくれるとの有り難い仰せだった。ハーレーには乗ったことがなかったため、乗せて貰う。
流石に馬力が違い、加速でかかるGは気持ちの良いものがあった。10km程走り、ガソリンスタンドが見つかると私をおろし、ハーレーのライダーは右手を軽く挙げ会釈をすると颯爽と去っていった。

スタンドには1リットルのオイル缶しかなかったがこれにガソリンを積めて貰い、ハーレーで来た道に沿って歩き出した。支笏湖には路線バスもタクシーも無かったからだ。私を追い抜いて行こうとする車に向かって手を挙げると程なく地元ナンバーのワンボックスが停まってくれた。事情を話すと作業服を着た40代の運ちゃんはあっさり乗せてくれた。演歌をがんがんにかけた車中、「この辺は道南でも珍しくスタンドが無い所なんだ。俺も1度ガス欠をやったし、車の故障にあって、知らない人に乗せて貰ったこともあるんだ。困ったときはお互い様だよ。」といってタバコを取り出した。そのタバコはマルボロだった。

程なく、バイクに到着。運ちゃんは片手をあげて軽くクラクションを鳴らすと颯爽と去っていった。

給油を終え、空荷でスタンドまで走り、完全給油。その後、荷物を積みに戻り、合計40分程度のロスで済んだ。

偶然にもハーレーダビッドソン&マルボロマンのお世話になったのである。

メロンの蔕(へた)

2005-08-29 20:53:38 | 
ビール園でしこたま喰って酔っぱらい、体に染みついた独特のマトン臭さを放出しながらぶらぶらしている内に、園内の果物屋に立ち入ってしまう。

陳列されたメロンを見ようとすると、売場のおっちゃんが声をかけてきた。
「どうだ、兄さんがた!夕張・富良野の一流メロンだ!喰ってみろ!!」
べろべろに酔っぱらった私とマエダさんは出されたメロンを迷わずいただいた。どう見ても60歳は超えているだろうが元気なおっさんは調子づき、
「うまいだろぉ!土産にどうだ!!地方発送もやるぞ!!」
酔った勢いで私は叫んだ。
「おう!店ごと買ってやらぁ!いくらだ!!」
おっちゃんは言った。
「長いことこの商売やってるがそんな景気の良いことさらっと言ったのは兄さんが初めてだ!安くするぞ!!もう一切れ喰ってみろ!」
もう一切れ囓りながらメロンの値段を見て驚いた。二玉で6,000円。送料別。
「高いじゃねぇか!安くしてくれるんだよな!」
さっきのセリフをとは裏腹に叫ぶ私におっちゃんは言った。
「おう、5,000円でどうだ!!」
そう応じたおっさんに、粘りに粘って送料込みで手を打った。マエダさんも便乗したため、更に交渉して日高昆布をおまけに付けて貰った。
最後にまた差し出された試食のメロンをもらうと、
「兄さんがた、俺のこと酔っぱらってると思ってんだろ!でも、極上のメロン届けるからまた来てくれよ!ガハハハハ!」
とおっさんは高笑いしていた。



帰りのタクシーでマエダさんと
「高いメロン買っちまったなあ。富良野や夕張の道路脇の農家の露天で買えば、5~6個買える値段だったな。」
と話していると、運転手さんが話しに加わった。
「確かに高いですけど、高いだけのことはありますよ。札幌の一流観光地で経営している以上、おかしなものは売れないですからね。きっちりT字の蔕が付いた丁度食べ頃のものが届きますよ。」
「蔕が付いてるものって高価なんですか?」
マエダさんの問いに答えてくれた運ちゃんの話はこうだった。

メロンはスイカと同じく蔓に実る。スイカと同様にメロンも1本の蔓から何玉も獲れるが、何玉も実らせるとその分味がどんどん瓜っぽくなって行くらしい。

そのため1本の蔓に1玉だけ実らせ他の枝葉は全て切り落とす。こうすることにより一玉にのみ養分が集中して行き渡り、極上の甘いメロンが収穫できる。

極上のメロン(1本の蔓に1玉しか実らせていない)を作るために初期段階でメロンの蔓の伸びる方向を切る。そして収穫のときに養分を取り込んでいるもう一方を切ればT字の蔕が残る。T字のヘタは高品質のメロンである事の証明という話だった。

数日後、家に届いたメロンはまさにT字の蔕付き。味も絶品で嫁も子供たちも喜んで食っていた。そういう目で見れば、果物屋に並ぶ一玉500円程度のメロンは確かにすべて蔕が付いていないうえ、皮の方は瓜っぽい味がする。なるほど感心させられる話だった。

余談だが、おっちゃんがガンガン出してくれたメロンは確かにT字の蔕のメロンで味も一流らしいが、形が極端にいびつなため売り物にはせず試食にしているものだそうだ。

サッポロビール園

2005-08-28 18:45:28 | 
下山後、旭岳温泉入浴。湯に浸かりながら今後の予定を話し合う。今夜が今回の私の旅の北海道最後の夜となる。マエダさんも同じようで出来れば明日まで行動を共にしたいとのことだった。結果、彼が行ったことがないサッポロビール園に行くことにする。

私自身、8年前冬の以来のビール園であり、思い出深い場所でもある。
初めてバイクで北海道へ来た際、道内を回った後に東京までの東北縦断を計画し、札幌・函館・青森県下北半島の大間崎へとコースを取った。

札幌を抜けようとした夕方前に信号待ちをしているとき、たまたま横に並んだ二人組のライダーに声をかけられビール園に誘われた。当然札幌には宿の予約も入れていなく、小樽を過ぎたあたりで野宿を考えていたが彼らの宿は札幌駅近くで格安でまだ大部屋に余裕があるらしいという話を聞きあっさり私も便乗した。宿にはライダーも多く結果大焼肉宴会となった。

これが忘れられず、最初の頃は北海道へ行くたびに最後に札幌に立ち寄りこの宿に泊まり、便乗者を探し、ビール園で宴会をしていた。

しかし回を重ね道東・道央・道北エリアの開発されていない自然に魅せられ始めると東京に住んでいるせいか、わざわざ都会であるこの街に寄るのも煩わしくなり、いつの間にか札幌・函館を含む道南エリアは近寄らなくなったのである。

入浴後、その宿に宿泊予約をかける。未だに素泊まり2,800円布団付きを守っていてあっさり予約が取れた。

昨夜の宿泊装備をパッキングした時点で時計は既に14時を回っていた。富良野から滝川経由ではどう見ても最低でも5時間以上はかかる。これではビール園は無理である。マエダさんの提案で旭川まで引き返し、道央自動車道・旭川鷹栖I.Cからひたすらぶっ飛ばす。気温32度、熱風と排気ガスの高速走行はまさに修行の場である。17:20札幌I.Cを抜けた。

宿にて一っ風呂浴びた後、脱水症状直前のカラカラの状態でタクシーを拾いビール園へ。独特のにおいと、油で滑りやすい床は相変わらずでギンギンに冷えたクーラーが気持ちよかった。
すぐに注文した生ビールで乾杯!
北海道一高い山を制覇し、高速道路での熱風に耐えた分、体に染み渡る格別の一杯だった。
マエダさんとひたすらマトンを喰い、ビールを飲みまくる打ち上げとなった。


大平原のアメリカ人 開聞岳(924m)

2005-08-27 21:15:04 | 登山・アウトドア
山で信じられない格好で登っている外人をたまに目にするときがある。旭岳8合目付近で見たTシャツ・短パン・サンダル履きの軽装の外人にマエダさんはかなり大きなショックを受けたようだった。ロープウェイで登った駅近辺にいる団体ツアーの人でも2時間以上かけて8合目まで登ってくることはまずない。時間的制約もある事ながら、普通の日本人なら、山の天候は変わりやすいしそうでなくても何かあった場合、命に関わる事故に繋がる場合がある。位の知識は持ち合わせている。ではなぜこのような外人がいるのか。私なりに納得のいった一つの例がある。

以前、8月に鹿児島の開聞岳(標高924m)を登った際のこと。朝5時に登り始めたにもかかわらず、5合目の展望台で下山してきたアメリカ人と会った。Tシャツに短パン、500mlのペットボトル1本をポケットに突っ込んで小さなウエストバッグ一つという出で立ちであった。馬鹿に早い時間なので声をかけてみると。思いつきで昨日の午後山へ登り、予想以上に時間がかかり日も暮れたため頂上のベンチで野宿したとのことだった。食料は食いかけのビスケットとチョコレートがあったからそれで間に合わせた。最高の星空だったと気楽に言っていた。星空の話に私も羨ましがったが、よく考えれば一種の遭難者と言えなくもない。笑いながら彼にそのことを伝えると。彼は真顔になり、登山とはそういった危険を伴うものなのかと言っていた。彼がいうには彼の田舎のアメリカのサウスダコタ州という所は大平原が広がり山というものを見るためには一番近いところでも車で半日以上は走らなければならず、非常に山と接する機会がなかったとのことであった。
遊びに来た鹿児島で富士山のような開聞岳見て登山道があると知りうれしさのあまり何も考えずに登ってみたと言っていた。

【鹿児島県・開聞岳】

開聞岳は温暖な鹿児島にある上、標高が低く水場が一切ない。ガイドブックによっては夏の山行はお勧めできないとまで記載されているものもある。

実際、私も1リットルの水を持って行ったが、下山の際、気温の上昇に伴い3合目で飲みきってしまい苦しい思いをした。

全ての軽装の外人がこのアメリカ人のようではないと思うが、マエダさんにこの話をしたところ、まだ日本人は山や海と接する機会が多い分、漠然とその恐ろしさも恩恵も知っているのかも...。となにやら哲学的なことを語っていた。

大雪旭岳(2,290m)

2005-08-26 23:17:34 | 登山・アウトドア
大雪山(だいせつざん、たいせつざん)は北海道中央部にそびえる火山群の名称である。全国的には「だいせつざん」と呼ばれることが多いが、北海道ではまず間違いなく「たいせつざん」と呼ばれる。先住民・アイヌは「ヌタップカウシュッペ」と呼び、信仰の対象としてきた。一つの山ではないことを明確にするため、大雪山系という呼称もしばしば使われる。大雪山は北海道にあるため、日本アルプスより1,000m低い標高1,600mで高山地帯のお花畑となる。大雪山はこの高度領域が非常に広く、また山々がなだらかに広がっているため、日本最大の高山帯を形成している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

道連れとなったマエダさんと北海道の最高峰旭岳に登ることになる。彼は山装備を一切持ってきていなかったため、旭川の山道具屋にて最低限の装備を購入。

『秀岳荘』という店は道内の山の情報にかけては有名な店であり、札幌・旭川に数件の支店を持つ。
私も消耗品の補給ついでに旭岳の様相を訊く。対応してくれたお姉さんはここ数日天気が良いので行ってきたお客さんも大変喜んでいた。北海道最高峰であるが、ロープウェイ10分で旭岳駅(1,100m)から姿見駅(1,600m)まで標高500mを稼げるので登山慣れしていれば往復4時間。一般の方でも5時間見ておけば十分往復できる。しかし遭難事故も何件か起きていて未だに7人程の方が下山できないでいる。標高2,290mであっても緯度が高いためハイキング程度の装備ではなく日本アルプスの3,000m級と変わらない登山装備がおすすめ。早ければ9月半ばには初冠雪となるため防寒着は忘れずに等々のアドバイスをしてくれた。どんな人が戻っていないのかを訊くと、観光に来たついでに軽装で登った人がほとんどということだった。

余談だが、マエダさんは登山を趣味とはしていないが、それなりの経験は持っている。

翌朝、5時起床。6時のロープウェイ運転開始に併せての乗車を狙ったが、前の晩、マエダさんと飲んだくれた結果、1時間遅れ7時の乗車となった。しかし、乗客はわずか3人のみで上の姿見駅にはほとんど人がいなく、ガラガラだった。
ザックを持たないマエダさんはウエストバックに入る最低限の行動装備しか持てなかった。そのため、私が彼の非常装備まで背負うことになりトレーニング登山となってしまった。

中央から吹き上げる数本の噴煙の帯を眺めながら右側の登山道を進む。右には広大に横たわった大雪連邦の山並みが広がり、遠くトムラウシ・十勝岳と見えた。途中、二組のパーティとすれ違ったが、彼らは三日前十勝岳から入り、大雪山系を縦走してきたとのことだった。
今回の旅で当初私も考えた行程ではあったが、予定していたパートナーが来れなくなったため断念した構想である。この山並みを超えて来るのはなるほど、魅力的である。
【姿見の池から見た旭岳】

【頂上近辺から望むトムラウシ山(右の高峰)】

3時間程かけてゆっくり登り山頂着。、またもや広がるパノラマに唸る。西側には昨日遊んだ岩間温泉がある石狩岳方面、更にニペソツ山が確認できた。残念ながら見えるはずの知床連山はあいにくの雲で確認できなかった。
しかし、ほぼ貸し切りとなる山頂をマエダさんとゆっくり楽しめた。その後、陽もかなり高くなり始め、団体や家族連れが大挙しだしたので下山。

途中すれ違った人々の中には、なるほど行楽シーズンの観光地を思わせるかのような日傘を差して登ってくる人、水筒を持ってきていなくて他人に水を求める人、Tシャツ・半ズボンにサンダル履きの外人までいた。

ふと、山が登りやすくなったばかりに事故が増えているという事実を思い出した。マエダさんも、未だに下山できない7人程の方のことを思い出していたそうだ。

ツール 宮之浦岳(1,936m)

2005-08-25 23:32:37 | 登山・アウトドア
宿泊の大雪旭岳温泉で荷物を下ろすときのこと。突然水がこぼれた。コンテナを開けてみると何と3分の1程度までぬるくなった水が入っていた。岩間温泉での転倒のせいである。本来バイクに積んだ状態では雨が降っても浸水はありえないが、流石に川での転倒までは想定していなかった。幸い中の衣類は圧縮ビニールに入れていたため無事だったが、登山靴のコンテナに気付き慌てて開けてみる。

片方は水に浸かってはいたが、たまたま中は濡れていなかった。ほっとするがもう一方は中まで完全に浸水していて、逆さまにすると柄杓(ひしゃく)で撒いたように水がこぼれた。この状態では明日の登山は最悪である。すぐに中敷きを抜き、念入りにタオルで拭き取る。驚いたことに違和感を感じない程度まで中が乾いてきた。そして迎えた翌朝、水に浸かっていたのが嘘のように乾いていた。

昨年夏、屋久島でのこと。早朝4時起きで永田岳(1,886m)を攻めた。百名山の宮之浦岳(1,936m)の向こうにある山でどのルートをとっても登り最低7時間はかかる屋久島ではアクセスが最も長い山である。とは言ったモノのパーティ6人は朝の涼しさもあり3時間半で宮之浦岳(私は2001年以来2度目、またこのときは黒味岳も攻略した)、そこから1時間で永田岳を攻略してしまった。その際、冗談で私が発した縄文杉コース(1泊2日が普通)縦走に3名が賛同した。若干ペースを下げても日没までには下山が出来る。結果朝の入山からトータル13時間かけて縦走をやってのけた。無茶に聞こえるが、縄文杉を越えれば何度か歩いたことがあるルート。しかも1時間程でトロッコ道に出るため道迷い等の事故の危険性はかなり薄くなる。しかし、さすがに代償はあり、履き込んだトレッキングシューズでも右足の親指の爪に内出血が起こった。

帰京後、かなり痛い出費となったが、本格的に登山靴を選ぶ。キチンと足形を取り中敷きを選んだところ、履き心地は今までのシューズとは比べモノにならなかった。それがこの靴である。店員曰く、それでも4・5回の山行を行わないと足に馴染まない。しかし一旦馴染めば最高のツールになる。しかも靴底さえ張り替えれば一生モノとのことだった。

その後、常念岳・甲武信岳・金峰山と攻略し確かに若干の違和感がありながらも馴染んでいった。履く度に思ったが蒸れが一切感じられない上とても滑りにくい。決定的だったのは年始の8時間に及ぶ雲取山の雪中行のときである。アイゼンを付けても何の違和感もなく、浸水すらなかった。

先日、家の裏山を歩く際、屋久島で使ったシューズを履いて行って思った。以前は馴染んだ物のつもりであったが、軽量ではあっても非常に歩きにくく感じられた。

思い切って買い換えて履き込んで来たこの軽登山靴LOWA:TAHOE GTX WXLはまさに登山のために欠かせないツールとなった。

※ 当然のことであるが靴は足型で選ぶものなので、万人に全て合う靴はない。

月明かり・三股山荘

2005-08-24 20:53:25 | 
糠平から15kmほど北へ進んだ場所に2世帯のみの三股という場所がある。国立公園内に私有地である居を構えられるのは、国立公園に指定される前からその場所に住んでいるためである。

このうち一軒が三股山荘というログハウスの喫茶店である。木製の手作り小物や子供用の玩具、近くの森で見られる生き物の絵はがき等も扱っている。ここも、なじみの店であり、岩間温泉の帰り挨拶に立ち寄った。


【三股山荘で扱う手作りの小物と絵はがき】


マエダさんに外で待って貰い、中に入るとおばさんは、すぐに私と認め、
「あれ?一人なの??奥さんは??」
と話しかけてくれた。事情を話すと、子供と嫁さん宛にお土産をくれた。

02年の元日、嫁と私は宗谷岬でのテント泊で新年を迎え、車を飛ばし糠平へ辿り着いた。山湖荘という宿に泊まった翌2日、ダイヤモンドダストが舞う全面結氷した糠平湖を沈下橋まで往復し、遅い昼食をとりにこの三股山荘を訪れた。1年半ぶりの我々におばさんは喜んで歓迎してくれた。そのとき、
「あんたら、今日も糠平へ泊まるんなら良いことを教えてあげるよ。夜の8時過ぎにここへ来て向こうの空(大雪山系)を見てみな。月が満ちてる時期だから不思議な景色が見れるよ。滅多に見れるもんじゃ無いけど、天気はあと2~3日は持ちそうだから...。」
意味はよく分からなかったが、宿にて夕食をすませ、その時間に向かってみる。山荘の灯りは消えていたが車を止めライトを消し、言われたように向こうの空を見て息をのんだ。何と、石狩岳・ニペソツ山と繋がる大雪の峰々が月明かりに浮かんでいた。山に積もった雪に月の光が反射して山が浮かんで見えたのだ。
零下15度。嫁も私も初めて目にする景色に思わず言葉を失った。

翌日、おばさんに聞いてみると、冬の降雪期、しかも雲のない月が満ちている時期にしか見れない光景とのことだった。当然、この時期は天候が荒れることが多いため、昨夜のように見れたことは幸運との話だった。

足湯と水浴び

2005-08-23 23:21:19 | 
目覚めると、昨夜ほどではないがやはり体が重い。幸い食欲はあったので朝食を済ます。前夜合流した屋久島仲間のマエダさんの予定は特になく、よかったら行動を共にしたいとのことだった。

糠平は通過するばかりで余りよく知らないとのことだったので、のんびりすることにする。荷物をバイクに積み込むと早くも汗だくになった。宿の風呂へ入るのもなんなんで、玄関横の足湯に入浴する。5分ほど浸かるとじっとりと気持ちのいい汗が出た。

【湯元館の足湯・無料で入浴出来ます】

天気は相変わらずの快晴。宿の主人に見送られ出発。糠平湖の対岸のアーチ橋を眺めた後、ダートを11km程度進み、岩間温泉を目指す。この温泉は大雪山直下の野天風呂で音更川沿いに湯が沸き、脱衣場さえ無い湯船のみの温泉である。ダートの最後に4m程の渡渉があり、今まで何度か渡ったことがあるのだが、なぜか、川の手前に数台バイクが止まっていた。不審に思い進んでみると、なんと増水のため川幅が8m程に広がり、さらに流れがきつかった。意を決して突っ込む。流れはきつくズボンは水浸しになったがどうにか渡れた。マエダさんも車高が低い分ブーツにかなり水が入ったが渡渉に成功。

温泉には先客が5人ほどいたが、帰り支度だった。しばらくマエダさんと貸し切りになるも、やはり足湯だけにした。川のせせらぎと蝉の鳴き声が気持ちよく、昼食を食べながらのんびりした。

【岩間温泉にて】

気づくと林道をずぶ濡れになった人が歩いてきた。渡渉の際、きつい流れにバランスを崩し、転倒したそうだ。幸いにも左側に倒れたためマフラーへの浸水は無く、バイクのエンジンは大丈夫とのことだった。

足湯で気持ちのよい汗をかき、疲れが抜け驚く程体が楽になったので我々も引き返すことにする。

問題の渡渉は右足を着くもどうにか抜けられた。振り返るとマエダさんが対岸で折角だから写真を撮ろうと言い出した。三度渡渉で引き返す。マエダさんにカメラを渡すと彼は川をジャブジャブと向こう岸へ渡り構えた。合図とともに四度目の渡渉。対岸に視線を置き一気に川に入る。途中、一瞬カメラに目線を送った。これが悲劇の引き金となった。とたん、バイクは右にバランスを崩した。あわてて川底に足を着いて踏ん張る。しかし、悲しいことにバイクはフルパッキング。あえなく右に転倒。あわてて起こすも重すぎてバイクがなかなか起きない。焦ってマエダさんを見ると彼は一生懸命写真を撮っていた。大声で助けを求めると彼は我に返りあわててカメラを置き、川の中に走ってきてくれた。二人がかりでどうにか起こした状態でセルを回してみたところあっさりとエンジンがかかった。これで一安心である。

次はマエダさんである。彼も勢いよくスタートしたもののやはり水流に押されバランスを崩し、脚の付け根まで濡らしながら両足をつき、どうにか渡りきった。

【XR転倒】
【マエダさんの渡渉・水の多さが分かると思います】

二人で笑いながらふと思う。下半身がここまでずぶ濡れになると、もはや気にすることは何もない。バイクを置くと二人でジャケットとTシャツを脱ぎ捨てブーツ・ズボン着用のまま川に飛び込み水浴びとなった。思わぬ水浴びで二人で大笑いとなったが、最高に楽しく気分がよかった。

※ 初転け(はつごけ)となった私のバイクだが、幸い、積み荷に守られ、またハンドルは咄嗟に腕と足で支えたため、傷は付かなかった。

フルパッキングとは?

2005-08-22 19:01:17 | 
ツーリングのフルパッキングってどんなものか想像がつかないという質問を受けました。写真を見て頂ければ一目瞭然。

今回のツーリングではざっとこれだけのものを積んで行きました。多いと思われるかも知れませんが、余計なものはありませんでした。

初めて、キャンプツーリングで陸路九州を目指したときは、呆れる程いらないものを持って行ったものでした。回数を重ねる内にどんどん荷物は減って行きました。しかし、今回は一週間以上のソロのロングツーリングの上、一泊の山行まであり、いつも以上に荷物が多くなりました。

座席のすぐ後ろにあるのは山道具・着替え・洗面用具・食料等を詰め込んだ42リットルのドイターのミドルザック。これはフェリーに乗るときも客室に持ち込むものです。その後ろには3人用のツーリングテント。3人用とは言ってもあくまで規格の大きさですので2人で使った場合ちょっとした荷物を入れればすぐにキツキツになります。荷台の上に普段はテントの中敷きとなりツーリング時にはコンテナの滑り止めとなるマット。ダークグリーンの24リットルコンテナ(これはテーブルの代わりにもなります)にはバイク故障時の応急工具、野宿のときのランタン・クッキングストーブ・コッヘル(鍋やフライパン)・着替え(ザックに入らない分)。その上の青いコンテナには登山靴が入っています。これら一式をゴムベルトでバインドし、サンダル・ツーリング用雨具一式(雨具は登山用と2種類持ちます)・防寒用の長袖シャツ・フリースを取り出しやすい位置に更にバインドします。特に濡れてしまった手ぬぐいや今回の沢で使った渓流地下足袋は乾きやすい場所に固定します。そして地図・ガイドブック・カメラ・貴重品はウエストポーチに入れ身につけます。これで全てです。
ザックを背負って走る人もいますが、いざというとき体を軽くしておかないと、回避が難しいと考えるため私は身につけません。

以前はツーリング用のザックやサイドバッグを使っていましたが防水処理とメンテナンスが面倒なため、見栄えはよくありませんが完全防水となるコンテナを使うようになりました。

山行時にはそうは行きませんが、ツーリング時には捨てても良いような衣類を洗濯して持って行き、着替えるたびに捨ててきます。キャンプ用のガスカートリッジ等の消耗品も出てくるため、行きより帰りの方が若干荷物も減って、お土産を詰め込むスペースが確保できます。

ちなみに今回の山行に持っていったザックの総重量は12kg。いつもはもっと軽いのですが、渡渉時に登山靴をザックに入れた分と内地のように食料を調達できるな山小屋が無く更に、生水が飲めなかったため水が多くなりました。

熊撃ちのワシ

2005-08-21 18:57:28 | 
糠平は北海道に行く際、いつの間にか必ず立ち寄る場所となった。大雪山系を挟んで富良野の反対側という位置にあり、道内何処へ行くにも便利という地の利があるからだ。

きっかけは数年前、嫁とツーリングの際に雨にたたられ、キャンプもいやになり、ユースホステルに逃げ込んだことがあった。唯一の飲み屋である『あかちょうちん』で夕食がてら飲んでいる際、隣のテーブルにいた地元、三国峠の除雪ステーションの管理人さんと仲良くなり、旅する際は必ず立ち寄るようになった。

2年半ぶりとなる今回、温泉宿の一つがライダーハウスを始めたと聞き、泊まることにした。受付をしていると奥で声がした。
「あれ!?あかちょうちんに来る東京の人だよね??」
声の主を見て思わず叫んでしまった。
「ワッ、ワシさん!そうか!ここってワシさんが始めたライハだったんですか!?」
除雪の管理人さんの友人で何度か一緒に酒を飲んだ温泉宿の主人だった。

自称、"熊撃ちのワシ"と名乗るこのおっさんは、10月下旬、狩猟が解禁になると自慢の"マンリカー300マグナム"というライフルを背中に担ぎ、ホンダの年式不明のオートバイにまたがり羆撃ちに出るという(どこまで事実かは不明)。


【ワシさんのバイクと渋く構えたワシさん・中央の写真の背後は仕留めた羆の毛皮である】

「おにいさんの話がきっかけで本当にライダーハウスはじめちまったよ。」
嬉しそうに話す主人(ワシさん)の顛末はこうだった。

何年か前、我々夫婦が温泉街下のキャンプ場に泊まった際、いつものように除雪の管理人さんと店で飲んでいた。その横で話を聞いていたこの主人は我々が、キャンプ場で250円、外来入浴で温泉に500円を払っていると知り、入浴付き1,500円程度ならシュラフ持参雑魚寝なら泊まるかどうか聞いてきた。洗濯機と乾燥機が使えるならライダーにとっては魅力と伝えると真顔で考えていた。

これが実を結んでライダーハウスをやることになったそうである。幸い、宿の大広間がほとんど使われることがないため、解放したら予想以上のライダーが押し寄せているとのことだった。

私が訪れたことで主人は喜び、洗濯乾燥機を使わせてくれた上に、帰り際にはお土産まで持たせてくれた。

この温泉宿の名前は「湯元館」ライダーはもちろん、一般の旅行者にもお勧めの宿である。


日高山脈

2005-08-20 21:29:30 | 
日高山脈(ひだかさんみゃく)は、北海道の中央南部にあり、狩勝峠側の佐幌岳から襟裳岬までを南北に貫く山脈。最高峰は幌尻岳で標高2,052m。 日高山脈襟裳国定公園に指定されている。南北およそ150km。

氷河地形である圏谷(カール)が見られる日本では数少ない場所。

登山道がある山は少なく、登山は容易ではない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『岳人』(東京新聞出版局発行の月刊誌)04年11・12月号に『単独・日高全山縦走遡下降』という記事が掲載された。冬季縦走者が夏のサバイバル縦走の方が難しく失敗したという話を受け、8月期に26日間かけて50リットルザック27キロの装備。米10kgと多少の調味料を詰め込んでのノンデポ・ノンサポートでおかずとなる食料は、途中で得た山菜・キノコ類。渓谷で釣った魚のみという話。日勝峠から入山。最終目的地は襟裳岬。途中、大型の台風に遭遇するなどの凄まじいレポートであった。

ウサミさんと別れたその日は、前日の山行の疲れを抜くためあまり走らず、大雪の東側にある糠平温泉で一泊の予定だった。

振内の鉄道記念館前の交差点を左折し、二つほど峠を越えれば3時間ほどで着く予定である。しかし、昨日に負けず劣らずの快晴のため、信号待ちをしているほんの一瞬で気が変わった。歩いて26日かかったという、日高山脈の大きさを実感してみたくなったのだ。信号を右折。静内方面へ走り出した。

2時間ほど走り、サラブレッドの産地として有名な静内の牧場地帯をのんびりと抜けて太平洋岸に出ると一気に気温が下がった。そこまではTシャツにライディングジャケットでちょうどよかったが、長袖シャツとフリースも必要なほどだった。

【静内のサラブレッド】

正午に浦河で食事。その後、一気に前日の山行の疲れが出た。襟裳岬経由を考えたが、その手前の天馬街道(国道236号)を抜けることにする。日高山脈をぶち抜く全長4,232m野塚トンネルが完成し97年に開通したこの街道は襟裳経由より30分は短縮となる。

【トンネル近くの翠明橋公園・中央が日高山脈の主稜の一つ野塚岳】

この辺りの山脈の両側は季節によって襟裳岬まで連日の濃霧のため通行が困難となる。この街道が開通するまでは道南から帯広方面は抜けるには、濃霧の襟裳岬を抜けるか、150km以上離れた日高町まで北上し日勝峠を抜けなければならなかった。そのためこの天馬街道の開通は道民の悲願だったという。トンネル下から眺める野塚岳・オムシャヌプリに感動し、日高山脈を抜けた。

トンネルをすぎると一気に気温が上がり、疲れとともに眠気がさした。やむを得ず、道路脇の掘っ建て小屋の日陰に入り、昼寝。陰に入ると湿度も少ないため最高に気持ちがよかった。

一時的に体が楽になったが、この後も、気温が上がり、体調がやはり芳しくない。やっとの思いで帯広に辿り着き、宿泊の糠平に着いたときはフラフラだった。思わぬ私の訪問に驚く宿の主人に歓迎されるも体調がすぐれず、入浴後雑魚寝の大部屋で仮眠をとった。

この日は静岡のマエダさんと合流予定だったため彼の到着を待って、食事に出るも悪寒におそわれ食欲がわかず、早めの就寝となった。

今思えば、日高山脈の強烈な洗礼を受けたのだろうか。

※ デポ Deposit(置く、預ける)の略。山では、荷物を一旦置いて山頂までピストンしたり、事前に食料を小屋に預けたりすることを指す

大先輩

2005-08-19 18:22:58 | 登山・アウトドア
強い日差しに起こされ、5:30起床。日本の東側、さすがに日の出は早い。寝ぼけ眼で自販機に茶を買いに行く。ラジオの予報は今日も快晴である。

記念館の駐車場奥に一台のワンボックスが停まっていた。車の持ち主は埼玉から旅をしている73歳のおじさんである。一昨日朝、同じ幌尻岳へ登るというので情報交換をした。我々よりも先に山荘に着き、頂上に登り、下山したという健脚な人だった。百名山がこれで終わり、三百名山に至っては299まできているという。
車の横で山の話をしていると、私のフルパッキンのバイクを見てこれだけコンパクトに積めるものであることに驚いていた。

そういうおじさんのワンボックスを見せてもらって驚いた。車のサイドの屋根には手作りの日よけのためのフックが付けられるようになっていた。タープ代わりの青ビニシートが張れるとのこと。さらに逆側には洗濯物を干す物干し、車の中にはカセットコンロや普通の陶器の食器類。簡易シャワーセット。さらに布団まで敷いてあった。
「布団とシャワーがあれば気持ちよく眠れるからねぇ。」
6月からずっと旅をしているというそのおじさんのワンボックスはまさに家だった。

三百名山の最後はここよりずっと南の日高のカムイエクウチカウシ山という舌を噛みそうな山だという。

これから一気に行くのかと思って尋ねると、正規な登山道がなく、幌尻岳同様に渡渉があるため、一人ではいけないとの返答だった。

三百名山に至ってはこのように正規ルートがなく、登りがたい山もいくつかあると聞く。こういった山は冬の積雪時に登れば、藪漕ぎがなくなり、道迷いの確率が減る。しかし最後の山は北海道の日高、どうやって登るのかを聞くと、帰ってきた答えは意外なものだった。
「ガイドをつけてツアーで行くんだ。さすがにこのくらいの難しい山となるとツアーでも素人の参加はない。だから、時期を見てまた来る楽しみを取っておくんだ。」
なるほど感心させられる大先輩の回答だった。

「今回なんで幌尻岳に登ったんだい?」
おじさんの問いにこう答えた。
「百名山メインで追っかけてるわけでもないんですが、たぶん、有名な山の中であらゆる意味で一番登りにくい山の一つだと思ったからです。」
「宮之浦岳(屋久島)は行ったかい?」
「2回ほど..ついでに永田岳と縄文杉にも行きました。快晴で最高でしたね。」
「...東京に住んでるなら後はどうにでもなるよ。交通のアクセスと日数を考えて一番面倒な二つが終わってるようだし...。登山やめなきゃ年齢的にも問題はないし...。」
ありがたい言葉だった。

出されたコーヒーを御馳走になっていると、おじさんは流れ始めたラジオ体操第一を始めた。健康・健脚の秘訣の一つだそうだ。

冷やしトマトとヒグマ

2005-08-18 18:55:25 | 
寝てしまったウサミさんをよそに、飲み足りない私は貨車横のプラットホームに腰掛け一人で酒を飲んでいた。昼の激しい太陽に焼かれたホームのコンクリートは程よく温かく風が気持ちよく、寝ころんで見上げた満天の星空も最高だった。

「あぁ、無事下山されたんですね。クマにやられたのかと心配してたんですよ。」
身を起こし、声の方向に目をやるとライダーハウスの管理人のおねぇさんだった。挨拶するとおねぇさんは管理棟に戻り、冷えた完熟トマトを差し入れてくれた。

ここ平取はトマトの産地である。熟れきったトマトはかぶりつくと汁が溢れ甘く冷たくて非常にうまかった。

「クマにやられるっておっしゃってましたけど、そういった事件が多いんですか?」
気になったので聞いてみた。
「ここ何十年もそんな話はないんだけど、小さい頃のトラウマがあって山の方へは行きたくないんだよね...。」
そういうとおねぇさんは語り出した。

おねぇさんがまだ学生の頃のこと。小学生の兄妹が山の方から通っていたそうだ。ある日のこと、通学途中に忘れ物に気づいた妹さんはお兄さんと別れ一人で家に戻った。しかし、いつまでたっても妹さんは登校してこない。騒ぎ出した大人たちが探すと、通学路の途中にランドセルが見つかった。近くの川原には散乱した女の子の死体があったそうだ。すぐさま猟師がそのクマを探しだし、銃でしとめ腹を割いてみると胃袋から女の子の小さな耳が出てきたとのことだった。

泣きながらその惨状を語るその子の親を目の当たりにしたおねぇさんはそれがトラウマとなり山へは入れないとのことだった。

あまりにもリアリティのある話に私は背筋が凍ってしまい、また汁が溢れる甘いはずのトマトが微妙に苦く感じられた。

さすがに現在、クマが人里に現れる話は聞かないらしいが、開発が進んでいない昔はこの話に限らずそんな事件を耳にする機会もあったとのことだった。


清流・沙流川のヤマメ

2005-08-17 23:09:29 | 
幌尻岳下山後、ライダーハウスにてシャワーを浴び、打ち上げを兼ねて振内で一軒しかない飲み屋へ行く。
徒歩5分程で着いた日本橋という店は月曜のためか客は我々を除いて4人しかいなく、閑散としていた。
生ビールでの乾杯後、頼んだメニューが次々と出てきた。枝豆、鶏の唐揚げ、イカの塩焼き、揚げ出し豆腐等々、どれをとっても量が半端ではなくまたサイズも東京で食べるものよりも1.5倍は大きかった。特に鶏の唐揚げは1人前が何と半身で食い応えがあった。刺身を頼んだら鮮度もしっかりしていた。聞けば苫小牧に本店があるらしく山のものをこの店から、海のものを苫小牧から取り寄せているとの事だった。

極めつけは自慢のヤマメ料理。全国でも3本の指に入る清流・沙流川の上流はヤマメの産地としても有名である。ヤマメの塩ふり焼きは絶品だった。

一時間もするとウサミさんは酔っぱらってしまった。また腹もいっぱいとなったのでお開きとした。
これだけ満足した上、料金もお手頃だった。
北海道の地方の居酒屋巡りは楽しいものである。

※ 写真は居酒屋の水槽を泳ぐヤマメ