Natural Mystic ~ナチュラルミスティック~

There's a natural mystic blowing through the air

Bob Marley ~ボブ・マーリー~

2006-06-29 23:13:19 | 音楽
梅雨の晴れ間である。今日の気温も一気に30度を超えた。自転車での通勤時ラジオでボブ・マーリーの曲がかかっていた。まさにぴったりの時期である。

私は生きていた頃のボブ・マーリーは全く知らない。しかし、大学の頃、これほどはまったアーティストはいない。

きっかけは単純なものであった。当時私は出かける際、必ずウォークマンを携帯していた。丁度今ぐらいの季節だったと思う。家を出る際、下宿の下駄箱の上においてあったカセットテープをタイトルも見ずにカバンに突っ込んだ。駅へ向かう途中、聴いてみると以前一度聴いてつまらないと思いそのままにしたボブ・マーリーのライブテープ(バビロン・バイ・バス)だった。そのためすぐにラジオに切り替えた。

この日は6月の梅雨の晴れ間であり、気温がぐんぐん上昇して昼過ぎには夏の様相を呈した。大学の3時限が終わった14:30、次の授業への移動のため1号館から2号館へ向かった。この距離が500m程あり、結構なものである。またもやウォークマンを取り出し、ラジオを点けたしかし番組がつまらない。そのため入っているカセットがボブ・マーリーであることを忘れてまたもやかけてしまった。ところが...である。30度を超える気温にさらされたアスファルトの坂道を下る途中、この蒸し暑い陽気があまりにもこのボブ・マーリーのレゲエ、しかも野外でのライブアルバムというBGMに状況がはまりすぎた。元々、熱帯のジャマイカで培われたリズムである。暑い陽気に合わないはずがない。



これをきっかけにレゲエを幅広く聴くようになった。しかし、ボブ・マーリーをじっくり聴くと他のレゲエがレゲエっぽく聞こえなくなってしまうのは不思議なことである。

この年の夏、新潟の妙高高原で6泊のキャンプを行った。気温30度を超す昼下がり、水浴びを終えた私はボブ・マーリーの顔が大きくプリントされたよれよれになったTシャツ着て、タープの下に寝そべり、酒を飲みボブ・マーリーを聴いていた。丁度”WAR”がかかり酔っぱらった私はうだる暑さに嫌気がさし大声で”We Don't Need , No More Torable !”と一説を歌っていた。

そのときである。丁度買い出しに行っていた仲間が新聞を持って帰ってきてこういった。
「戦争が始まっちまったぜ!」

酔った私をからかっているのかと思ったが出された新聞にはでかでかと『イラク軍のクエェート侵攻』の記事が掲載されていた。これがきっかけとなり第一次湾岸戦争が始まった。。

Until the philosophy which hold one race superior and another inferior is finally and permanently discreditied and abandoned

Everywhere is war

訳すと安っぽくなってしまうが

ある人種(国家)が自分達が優れていて、他の人種(国家)が劣っているという考えを持つ限り 結局は永久に 世界中で不信感に満ちた邪悪な争いが起こる。

※ 一種宗教的であるが元はエチオピアのハイレ・セラシエ1世の言葉らしい。

梅雨の晴れ間が来るたびに思い出す記憶である。

ポカリスエット

2006-06-28 23:21:13 | Weblog
ディスカウントショップでポカリスエットの粉末・そしてボトルセットを見つけた。このボトル、現在のハイドレーションシステムの先駆けであろう。



今でこそ、500mlのペットボトルが主流となって、このようなボトルはほとんど見かけなくなってしまったが、このボトルセット実は私も持っていた。二十数年前父親が自分の所属するサークルの山登りの景品で”カメさん賞”という賞の景品で粉末セットと一緒に手に入れてきたのだ。この”カメさん賞”意味合いはブービー賞の後の人と言うことらしい...。

当時の中学生にはこのようなスポーツドリンクのボトルを持って体育の大会や各種アウトドアのイベントに参加するのが一種流行であった。

しかし、このポカリスエットは何故かださいの代名詞で多くはゲータレード・NCAA更に一体何処のメーカーなのか、今となってはさっぱり不明であるがエクセル・ワンという代物を使っていた。

このようなボトルが流行った背景には当然アイソトニックの粉末の販売によるものも大きいであろう。

余談だが、実家の近所の商店の入り口には店主の書いた次のようなビラが貼ってあった。

「ホカリスエット粉末あります」

大塚製薬もこのビラのように自社の製品が何とも間抜けな名前に書き換えられてPRされているとは思うまい...。

青春18きっぷ

2006-06-27 18:42:24 | 
本屋でこのような雑誌を目にした。いまでもこの切符は健在のようである。働いている今となってはこの切符を使って旅をすることなど考えてもみない。理由は簡単なことである。時間が勿体ないからである。



しかし、学生の頃、仲間との旅と言えばもっぱらこれが当たり前だった。今は知らぬが、当時は5枚綴1セットで売られていた。ある年の夏、サークルの仲間と東北の朝日・飯豊連邦を一気縦走してやろうという計画が持ち上がった。しかし、この話に乗った面子は4名。誰もが皆、一様に金がなかった。この山々を選んだのは単純明快。1週間以上のロングトレイルになるにもかかわらず、途中の朝日下山後の小国町での補給以外、全く金を使うところがないのだ。季節が8月末のということもあり、管理人がいてお金を必要とする山小屋が一軒も無いのである。つまり、衣食住の全てを背負っていかなければならず調達はあり得ないのである。おそらくルートがしっかりしているにもかかわらずこの状態の山域はここ意外には北海道の大雪山系くらいではないだろうか。

※ 山小屋を管理する行政の管理人がいて幕営料を取られたのは飯豊山域の門内小屋の1軒だけあった。

当時、金はあまりないが時間は無限と思えるほどあった。我々4人は、池袋の金券屋でこの『青春18きっぷ』のバラ売りを手に入れ、早朝6:10の武蔵野線に乗り込んだのである。この旅が今思えば凄かった。上越線経由で延々と乗り継ぎを繰り返した。みんながそれほど金を持っていないため今のように酒を飲んで時間を潰すなどと言う考えは全くなかった。乗り換えの度に各自車両をまわって捨てられた雑誌や新聞を回収してそれを読んで時間を潰した。乗り換えに間があるときは改札から出てひたすら見知らぬ町を徘徊するという移動であった。
特に思い出深いのは乗り換えに100分以上あった新潟の新津で、昼時と言うこともあって駅建物横の日陰でコッヘルとストーブを取り出し飯の準備をするという離れ業もやってのけた。

ひたすらそんなことを繰り返し、目的地の山形県の鶴岡駅に着いたときはもうこんな旅は嫌だと辟易したモノである。しかし、この旅に同行した後輩はやはり安さには勝てなかったらしく私の卒業後、グループを組んで九州の久住・阿蘇縦走のためこの切符で遠征に出たらしい。

青春18きっぷ(なんとも恥ずかしい名前だ)の思い出である。

キャップ

2006-06-24 23:24:43 | Weblog
私は顔もでかいが頭もでかい。実感はないが体もそこそこでかい部類らしい。しかし、これといって困ることは特にない。強いて言えば夏のアウトドアのときである。頭のサイズに合うキャップがないのだ。一般的な男性用の58~9cmサイズでは被るやいなや帽子が浮いてしまいちょっとした動きで落ちてしまうのだ。かといってフリーサイズという曖昧な物でも結果は同じである。アジャスターをめいっぱい広げて合わせてみても被ったキャップが徐々に頭の上に浮いてしまうのだ。だからどんなに格好いいデザインの物でも悲しいかなまともに被れる物はない。

しかし、よくよく考えてみると一種類だけ何の違和感もなく被れるキャップがある。野球場等で売っているチームのレプリカキャップ、いわゆる野球帽である。しかし、いい大人が日常的にヤクルトスワローズやメジャーリーグのキャップを被っているのも妙である。だからアウトドアでは主にビッグサイズのバンダナで頭を覆うことが多い(当然のことだがノーマルサイズでは巻き付けても結ぶことが出来ない)。

この話を午前中に行った馴染みの床屋のニーちゃんにしたら彼は窒息しそうなほど笑った後でこういった。
「それは頭が大きいんじゃなくて、髪の毛が多すぎるんですよ。その証拠にバイクのヘルメットは何の違和感もなく被れるんじゃないですか?」
言われてみれば全くその通りである。彼の理屈はこうだ。野球帽はプレー中に帽子が脱げて運動の妨げにならないように深い作りになっている。しかし、一般のファッションキャップはそういう目的で作られていないため浅い構成になっている。だから髪の毛の多い私には不向きだそうだ。昨日買ったキャップの話をすると彼はこう言った。
「よく分かりませんけどツバ長のものじゃありませんか?ツバが長い分その重さを抑えるため被りが深くなっていると思いますよ。」



全くその通りだった。床屋のニーちゃん曰く私は絶対に禿げないそうだ。ちなみに私はハットは普通に被れるのである。しかし、似合いすぎていると笑われてしまう。

世の中、マイノリティ向けの製品はやはり発売されないのだろうか...。

バーゲン

2006-06-23 23:24:42 | 登山・アウトドア
1~2泊程度の山行ではそれほど気にもならないが、夏場4泊以上の縦走になると当然のように風呂に入らないため臭いがだんだんきつさを増してくる。本人も一緒に行動している仲間も気にならないがこの状態で下山し、一般人に触れるとあっさり顔を背けられるものだ。

池袋サンシャインシティで開催されているアウトドア用品のバーゲンに行った。毎年この時期に開催され、欠かさず行っているが本当に道具として欲しい物は殆ど無い。しかし、各製品の情報をメーカーの販売員からいろいろ得られるのはかなり有益である。



3年前はストーブ業界に進出し始めたZIPPO、一昨年はメジャーリーガー・イチローが愛用するCW-Xであった。昨年はめぼしい物は無かったが、今日会場をウロウロしていると臭いが消えるシャツが特価で出ていた。販売員はアンモニア臭の入ったビーカーの蓋を開け私に嗅がせた(あまり嗅ぎたくもなかったが...。)その後、糸をその中に入れ、蓋をした。待つこと一分、確かに臭さは激減していた。これが5分後は無臭であった。この特殊な糸で縫ったドライシャツとの説明。バーゲンのため値段も普通のシャツと変わらなかったため購入。ついでにソックスも買った。残念ながらトランクスの展示はなかったためショップで見るように言われた。

余談だが、隣の会場では別の場所で『新百名山』の岩崎元郎が講演をしていた。通りすがりに眺めたが只の何処にでもいそうなオヤジであった。聴いていたのも圧倒的に中高年だった。一昨年氏が新百名山を発表したとき、リストに私が幼稚園のときに生まれて初めての登山となった霊山、更にその次に登った一切経山、またお奨めの屋久島の永田岳が載っていたのには驚いた。荒れないことを願いたい。

その後、学生時代からの馴染みの山道具屋でそのトランクス、会場で探しても見つからなかった60リットルザックのカバー更に滅多にない私の頭にあうサイズのキャップも見つけたので購入。

.....夏は近い。


二日酔い

2006-06-22 23:38:23 | 音楽
記憶が無い...。だるさと頭の痛さで今日の昼の時間帯は終わってしまった。
昨夕、知人4人で呑んだ。一次会が6時開始で10時終了。そこまでは覚えている。最初の内はチマチマとジョキでビールをお代わりしていたが中盤は面倒になり酔った勢いも手伝い、ピッチャー4つを注文しそれで乾杯した記憶がある。その後焼酎のボトルが3本までは覚えている。

何とも学生的な勢いであった。

その後カラオケにつきあったらしいがとぎれとぎれでしか記憶がない。なんでも検索本で見つけた曲に感激し、がなっていたらしい。

家にどうやって帰り着いたのかも今ひとつよく分からない。嫁曰く上機嫌で歌を口ずさみながら帰ってきて寝ている子供に「ゴジラー!!」と叫びながら酒臭い息を吹きかけ布団に倒れ込んだそうだ(書いてて虚しくなってきた(=_=))。

今日の昼、携帯電話のカメラ映像を見て納得してしまった。今までどんなカラオケへ行ってもなかった吉田拓郎が歌った”されど私の人生”が実はカバーであったことを知って驚いていたことを思い出した。



原曲は斎藤哲夫という私の住む市内にいると噂されるアーティストだった。名前も曲名を聞いてもピンとこない方でも現在30歳代後半以上であれば大昔、宮崎美子のMINOLTA-X7のBGMに使われた曲を歌った人(当時はまだミノルタもカメラを作っていたのだ)といえば分かるのではないだろうか。

♪今の君は ピカピカに光って...。

何故私が吉田拓郎の物と勘違いしていたか...。単純なことであるが氏のベストアルバムに収録されているからである。そう思い直し、ベストアルバムを見て改めて気づいたことがある。ベストにもかかわらず、何故かウルフルズのトータス松本が作った名曲、”僕の人生の今は何章目ぐらいだろう”も収録されている。
この人のベストっていうのはお気に入りのことなのであろうか...。



そんなことはともかく調子が上がらない。

使い捨てコンタクトレンズ

2006-06-20 23:46:47 | Weblog
昨日のこと。チャリでの通勤時に右目に虫が入ってしまった。急性結膜炎とでも言うのであろうか篦棒に痒く、また目も赤い。自慢じゃ無いが私は目が非常に悪い。両目とも0.05である(にも関わらず免許の条件は諸事情で無い)。職場に着き、コンタクトレンズを外し、水道水で洗うもどうにも痒みが収まらない。通勤に使っているザックを探しても目薬はなかった。やむなく、開店間もない近所の薬屋に買いに行く。店を出た直後購入した抗アレルギー用の目薬をさして悲劇は起こった。いつまで経っても右目の視力が回復しないのだ。一抹の不安に駆られながらも職場に戻り鏡の前で右目をよく見る。...やってしまった。コンタクトレンズを落としてしまった...。

私の目はかなりきつい乱視もあり、コンタクトはまともに買うと1枚2万円程度はかかる。コンタクト会社の特別な会員プランのため5千円で買えるのだが痛い出費となってしまった。

今日の夕方、眼鏡屋に注文しておいたレンズを受け取りに行った際のこと。店員さんが使い捨てコンタクトを勧めてくれた。つい最近まで乱視用の使い捨てはあっても私のように強い乱視にあうモノは無かった。しかし、先日、2週間使い捨て、更に今週末に1日使い捨てが販売になるらしい。1日使い捨ては3ヶ月両眼で9,800円と割高であるが、使わなければ常温で3年は保存が利くから旅行には最適と言われた。



これはある意味朗報である。夏場の特にカヤック等の水遊びするとき、毎回眼鏡では不便である。仕方なく流すおそれはあるもののコンタクトですごしていた。

とりあえず今週末以降購入することにしたが、夏の遊びが楽しみとなりそうだ。

皇海山 (2144m) その3

2006-06-19 19:08:10 | 登山・アウトドア
下山後、途中で得た情報のように、林道をそのまま進むことにした。アップダウンを繰り返しながら標高を下げていくため、見通しは良いがスピードは出せなかった。しかし、山肌にそって大きく入り組む林道は午後の日差しの中走っていて気持ちが良かった。特に途中の林道建設記念碑のあるところからは鋸山・皇海山の佇まいが見渡せ、山深さを実感出来た。


【栗原川林道から眺めた皇海山(中央左)】

ここを過ぎると緩い下り坂の連続となったが、極端に轍が深くセダンだとおそらく底部をこする程であった。事前に確認したとき役所の人が4WDを勧めたのが理解出来た。また落石も朝に通った道ほどではなかったが多かった。分岐も多かったが表示板がしっかり設置してあったため迷うこともなくこんな道も20km程で終わり、無事根利集落まで出ることが出来た。ダートだけでも合計41kmのこの栗原川林道関東近辺ではおそらくかなり長いレベルだろう。しかし、景色の移り変わりはとても面白かった。またあちこちにテントを張れるようなスペースがあった。野宿しても面白いかも知れない...。

16:40給油。スタンドで赤城山経由と国道120号経由での沼田までの差が40分程度であることを知り、赤城湖畔を目指す。流石にこの時間ともなると登っていく車も殆ど無かったため急カーブを曲がり高度を上げる毎に下がる気温と高原の風の香りを満喫出来た。

2年前の7月4日(日)この赤城山最高峰黒檜山(1827.6m)に登った。流石に夏に登るには暑すぎる山で疲れた記憶がある。ただ、このとき見えた皇海三山(皇海・庚申・袈裟丸山)に強く惹かれた思い出があった。

17:00湖畔着。土産物屋で2年前に買いそびれた山バッジを手に入れる。その後、関越赤城インター経由で18:40帰着。天気も持ち梅雨の晴れ間のツーリングとなった。

皇海山 (2144m) その2

2006-06-18 21:00:56 | 登山・アウトドア
雨上がりの朝の快晴の天気は辺りの緑色が光に強調されてとてもきれいであった。バイクのエンジンを切ると一瞬の静寂の後、沢の音と早蝉の鳴く音がうるさい程聞こえだした。まさに梅雨の晴れ間である。

9:45、装備を調えて登山開始。頂上まで片道3.6kmの山行と看板が出ていた。間もなく渡渉となった。延々と穏やかな登りの沢の左岸を進み10:45、1.8km地点着。普通なら汗まみれになりそうな物であるが沢筋のため涼しくて最高であった。そこから暫く進むと水の流れる沢の中を進むことになった。水の量は靴に浸水する程では無かったが時折、道を間違えたかと不安が過ぎった。しかし見渡す先には案内のペイントやテープの掲示がなされ、そのまま進んだ。次第にきつくなる傾斜を登り、11:30尾根の取り付きとなる不動沢のコルに着く。反対東側斜面の展望は一気に開け、右手には鋸山更に奥には庚申山の山容が伺えた。丁度鋸山方面からのカップルに出会う。昨夜車中泊で庚申山を越えてここまで来たそうである。この後皇海山頂を往復し、庚申山荘まで引き返し一泊後下山だそうだ。長い行程に驚いていると二人とも流石に疲れたらしくきつそうな様子であったが先に登っていった。

ここから先、笹藪をかき分けたりする、日当たりの良い森の中の山歩きとなった。

12:30皇海山頂上着。ここまで大きな休憩は入れていなかった。途中、先ほどのカップルを含めた2組の下山者以外誰にも会わなかったが、頂上にはだれもおらず貸し切りとなった。しかし木々に囲まれあまり展望はなく、唯一、北方面となる日光白根・燧ヶ岳・至仏山が望めた。残念なことに輪をかけてこの場所、驚く程ハエが多かった。そのため、いつものように静かな山頂ではなく、ブンブンともの凄い数が飛び回っているのだ。ふとキンチョールを一缶散布したい衝動に駆られるが生憎とそんなものは持ち合わせてはいない...。こんな状況で座り込んで昼飯を食おうとも思わなかったため一気に不動沢のコルまで下ることにした。


【皇海山山頂の標柱標高2143mとある。地図やガイドブックだと1m高いようだ・地図上の黒点が全て群がったハエである】

13:20、不動沢のコル着。ここで昼食を採る。するとこれから山頂を目指す人と一緒になった。その人の話だと、今日一番に利根(とね)方面から入山した人は落石が凄かったらしく、大きなものを道横に押し出したり、しながらの行程だったそうだ。また、このまま戻らずに進み、県道62号根利(ねり)方面へ抜けた方が道は落ち着いているとの情報を貰った。


【不動沢のコルから見た鋸山】

15:00登山口着。思いの外あっさりとした登山となった。

頂上からの眺望はイマイチだったが、おそらくこの山は紅葉の時期に来たら最高であろう。今回使用した沢伝いのルートは非常に面白かったし、また稜線に出てからの森の様相は歩いていて全然飽きが来なかった。片道21kmの林道も山の深さを物語っている。

皇海山 (2144m) その1

2006-06-17 23:12:33 | 登山・アウトドア
金曜日昼の時点でのこの週末関東の空模様は曇り。しかし、どうにも天気図を見た限り北関東は晴の様相である。念のため群馬県沼田市役所へ電話し、昨年行きそびれた皇海山へ通じる林道の状況を確認。現時点では通行止めにはなっていないが相変わらず落石がひどいため四輪駆動車での通行を勧められた。

皇海山(すかいさん)、この山名も呼び名も知らない方でもこの山が設定に用いられた物語はご存じの方も多いかと思われる。
昭和40年代後半”我こそは玉梓(たまずさ)がおぉんりょぉぉぉぉ(怨霊)”の決め台詞で毎夕当時のガキ共を恐怖に陥れたNHKの人形劇『新八犬伝』で有名になった滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』で物語の元となる八剣士の持つ玉が四方に飛び散ったという霊峰庚申山の奥の院となる山である。

今回、この山を踏むことが出来た。

6時、曇天模様の下、悩んだあげく天気の回復を信じ、2輪XRで関越経由で出発。群馬に入ると予報通り晴天が広がり出した。沼田で食料を買い出し、利根から林道に入る。この林道が凄かった。落ちたら助からないであろう高所を曲がりくねりながら進む。途中、昨日までの雨のせいかあちこちで軽く50cmを越える落石が見られ、車では通行に支障を来すようなところがざらにあった。また巣堀のトンネルが現れたのには驚かされた。とはいえ、梅雨の晴れ間、それもどことなく北海道の林道を思わせる、アップダウンの少ないこんな道をオフロードバイクで進むのは最高であった。対向車も全くなく、時速40km程度で登山口までの21km程の道のりはとても楽しかった。




【素堀のトンネルと登山口林道奥から望んだ山容】

Dr.コトー診療所

2006-06-16 22:11:07 | 
Dr.コトー復活…平均視聴率19%の人気作、3年後の「診療所」

ネットのニュースで上述の見出しがあった。

先日、泉谷しげるがライブで叫んでいたのでまたもやスペシャル番組でも作るのかと思いきや連ドラで10月から復活するらしい。

この番組、離島で診療活動をする外科医のドラマであるが何故か心臓・肝臓・脳等々、何でもこなす名医の話である。

※ 実際には医者には専門分野があるのでこのような存在はあり得ない。

これに関して思い出したことがある。私は離島を旅をしていて診療所にかかったことがある。

一昨年の夏、屋久島でのこと。泊まっていたライダーハウスで一緒の面々とあまりにも暑いので泳ぎに行こうと言うことになる。しかし海はぬるくて気持ちが悪い。川で泳ごうと言うことで横川(ヨッコ)渓谷へ行った。花崗岩の隆起が水の浸食で削られた豪快な場所である。



午前中、泳いだり岩登りをしたりして遊んでいた。昼食時に適当に酒をのみくつろいでいた。その後帰る前に一泳ぎしようかとまた水辺へ行こうとした際、沢筋に足を取られ、転倒した。水の流れる岩に右こめかみから落ち、1cm程切り流血となってしまった。適当に止血し、自力でバイクで島の診療所に向かうというハプニングとなった。

診療所に着いた時点で完全に血は止まっていたが治療に当たったのは名誉院長というIDを付けた白髪のじーさん医者だった。
じーさんは先の丸い金属製の診療具を私のこめかみの傷口に突っ込んでかき回した。かなり痛い。

以下私とじーさん医者との会話

【じーさん】外見は1cm位だけど傷は深いね。これは縫った方が早いね。他に気になるところはあるかい?

【私】若干鼻の粘膜が喉に流れ込んで血液が混じってるんですが。

【じーさん】....それは鼻血だね...。

【私】(....これが鼻血以外のなんだと言うんだ。こっちはその原因が気になるんだ!)

【じーさん】(目の周りを適当に押しながら)鼻血の原因はよく分からないけど大丈夫だろう。歯医者で麻酔をやったことはあるかい?その麻酔をしてから縫合するから...。(多分これがアレルギーチェックだったんだろう)。

そういうとじーさんはすぐさま処置を開始した。中3針・接着剤注入後更に外4
針という縫合をした。10分程で完了。後、そのじーさんが破傷風の予防接種を
打とうと言い出した。

ここで理解して欲しいが破傷風とは主に土中に生息する病原菌である。予防接種は一度接種後4週間程後、さらに再接種、1年後もう一度接種。計3回で基礎免疫の完成となる。これを念頭において以下の会話。

【じーさん】沢にはどんな雑菌がいるか分からない。念のため、破傷風の予防接種をしておこう。

【私】(注射は大嫌いである)私、既に接種済です。それに破傷風って最低でも2回法じゃないと効き目無いですよね。一度打って、免疫が出来る3・4週間後にもう一回打たないと...。まして現時点で菌が入っていたら予防接種しても何ら効き目が無いと思いますが...。

【じーさん】屋久島では過去3年に3例の報告があるんでねえ。前に打ったのは何年前だい?

【私】5年程前ですが...。

【じーさん】それじゃそろそろ打ち頃だ...。

どんなに特殊な菌でも免疫というのは普通一度出来れば最低20年は効果が維持
できる。普通の菌なら一生モノである。
全く意に介せないがふと考える。まあ、まともに打って貰うと自由診療だから3
~5千円は取られる。保険診療でやって貰える上に確かにわずかながらブースタ
ー効果が期待できる。それよりも何よりもこの医者を説得するのが面倒になった。

あっさり肩を出す。

【じーさん】凄いねぇ。何故二の腕だと分かったんだい?

(このじーさん、さっきの俺の話、一言も聞いてねぇな...。)

二日後、経過を診て貰いに再来。

【じーさん】もう大丈夫だ!抜糸しよう。おめでとう!今日で終わりだよ。もう、泳いでも酒を飲んでもかまわんよ!

【私】え!?まだ、40時間も経過してませんが...。普通、最低でも1週間くらいはこのままじゃないですか?

【じーさん】ここまで接着剤が効く人は珍しいよ。昨日は一日安静にしてたのかい?

【私】いえ、宮之浦から永田岳行ってきたんですが...(詳しくはこちら)

【じーさん】...ともかく抜糸しよう。

今、思うこと。私は通り一遍の観光客として遊ばれたんだろうか?
離島診療は行政等からの赤字補填が実質100%あるから無理して業績あげなくても良いはずなのであるが...。

まあ、合計1400円程度で結構楽しい思いが出来た気がする。
余談だが、2度程請求したが何故かエンボス(診察券)は発行して貰えなかった。

JODV-FM

2006-06-15 19:08:30 | Weblog
ここ数ヶ月、車のダッシュボードの上に日の丸のようなものが二つ並び、マジックで殴り書きした文字のようなデザインのステッカーのようなものを飾っている車をよく見かける。バリエーションはいくつかあるようだが多くがトラックやヤンキー仕様の軽自動車である。一体これは何なのか?謎は深まるばかりではあったが身の回りの誰に訊いても不明であった。



【これがステッカー・車に張る度胸は...ない】


先日、昼休みに職場の庭に出ると出入りの顔馴染みの業者のトラックのダッシュボードにもこれが載せてあった。運転するニーちゃんに訊いてみるとあっさりした答えだった。
「これですか?これはNACK5(エフエム埼玉)の小林克也がやってる金曜の番組で配布しているステッカーですよ。」



よく見てみると確かにそれらしき文字が書いてあった。ニーちゃんが言うには毎週金曜日朝の9時から夕方6時まで9時間近くやってるらしい。

先週の金曜日、翌日からのイベントの仕事の突っ込みで都心へ車で出かけた。私の固定周波数は81.3であるが番組もつまらないため何げにチューニングをかけるとこの小林克也の番組が引っかかった。これが噂の『日の丸番組』と思い、聴いてみた。

感想、ただのAMラジオだった。これではわかりにくいかも知れないが、主婦やドライバーリスナーを意識した構成。実名をあげるとニッポン放送の定番”玉置宏の笑顔でこんにちは”的なものであった。

このNACK5(エフエム埼玉)、1988年の秋の開局であった。当時私は乗り換えで大宮駅でこの開局案内のポスターを見た記憶がある。

スクール水着を着た女子高生と思しき二人が寄り添い”許可がでました”という意味ありげなコピーだった記憶がある。

開局後、聴いた印象はFM曲にしては歌謡曲や演歌が多く、何故か西武ライオンズの野球中継が土日の昼間でも放送されているというのには驚いた。そしていつの間にか殆ど聴くことはない局となってしまった。

今回、これを書くに当たり知ったことだが、首都圏の聴取率調査でFM-JAPAN(J-WAVE)と首位を争っているらしい。なるほど日の丸ステッカーを多く見かけるはずである。

ちなみにタイトルのJODV-FMはエフエム埼玉のコールサイン。私のラジオ局のコールサインはFM・AMその他オールモードでJA1RVLである。

ナイトゲームス

2006-06-14 22:33:34 | Weblog
※ 決して西城秀樹が大昔カバーしたグラハム・ボネット(レインボー・アルカトラス)の曲ではない

福島の知人から昨夜メールが届いていた。なんでも一家総出で16年ぶりに福島開催となった巨人戦ナイトゲーム対オリックス戦を観に行ったそうだ。

以下福島民友新聞より抜粋

W杯同様ファン大興奮

詰め掛けた2万人の野球ファンを前に、巨人・斉藤が2回、右翼線に二塁打を放つ=13日、あづま球場

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この新聞社自体が読売系なので結果が5-1の7連敗にもかかわらず巨人びいきなのは否めないがやはり人気は圧倒的なようである。「W杯同様ファン大興奮」という見出しが凄さを象徴している。視聴率が低迷し続ける現在でも巨人の人気は凄まじいらしい。

東京より北はセ・リーグの地元球団がないため、テレビ放映は巨人戦がメインである。そのため圧倒的に巨人ファンが多い。私のようなヤクルトファンはいわば異端扱いで「ひねくれ者!」と罵られたことが何度もあるほど凄まじいのである。

そんな私も巨人戦を観ないわけではない。対ヤクルト戦はもちろんであるが、他に見る番組がないときは何となく見ている場合が多い。このようなときは普段バッターボックスに立つと見ていて思わず身構える程の他球団のクリーンナップや投手陣が逆に巨人に打ち勝ってくれそうで頼もしく思えてしまうから現金なものである。

誤解されがちであるが、巨人の全てが嫌いなわけではない。高橋由伸のバッティング・清水のフィールディング等は見ていて敵ながら天晴れと思うこともあるのである。しかし、勘弁して欲しかったのは昨年までの清原である。巨人時代バッターボックスに入るたびに球場全体にテーマソングの男・長渕の『とんぼ』が流れた。特に東京ドームでは音がこだましていた。またその打席に入るシーンの度に声をそろえて一緒になって歌っているファンの人々は凄いと思ったものだ。

現在、その巨人もエース上原が病み上がり、打撃のヒーロー高橋由伸が故障中ののためスタープレーヤー不在がちである。ちょっと前までの看板スターの松井は移籍、とんぼの清原は自由契約後対戦相手となるオリックスに入団となった。

それでもスタジアムに2万人の観衆である。やはり地方での巨人の人気は根強い。

サッカー・ワールドカップ応援歌

2006-06-11 22:38:49 | 音楽
気が付けばサッカーワールドカップドイツ大会が始まっていた。日本戦は明日夜だが、マスコミは非常に盛り上がっているが今ひとつ私の周りでは盛り上がりがまだのようだ。と言うのも私の周りでサッカーの話題を口にする人が今のところあまりいない。明日の夜を過ぎれば必然的に話題にも登るのだろうが...。

今を去ること13年前、1993年10月28日この前後、日本は異様な盛り上がりを見せていた。誰もが覚えているであろう、後にドーハの悲劇と呼ばれるようになったアメリカ大会最終予選の日である。勝てば文句なし出場決定であったが対イラク戦、ロスタイムのコーナーキックで日本は同点に追いつかれ、時間切れで得失点差で本戦出場は無くなった。このとき、追いつかれたにもかかわらず落胆を見せずに最後まで点を取りに行ったゴン中山の姿は感動的だった。

この4年後ジョホールバルでの最終予選を野人岡野が延長戦の末、歴史に残るごっつぁんゴールを決め、フランス大会の出場を決めた。

その後の日韓大会を経ての、昨年の予選の北朝鮮戦は何故か勝って当然という気持ちであったため個人的にはあまり関心がなかった。

今回、テレビ・ラジオの各社がそれぞれに応援歌を持っているようだが、関東ローカルのFM-JAPAN(J-WAVE)のそれを載せる。



”Black Jaxx”の『サムライロックス J-WAVE GO! GO! NIPPON! REMIX Without Navi-Vo』(実はRCサクセションの忌野清志郎)

毎朝、ジョン・カビラがサッカー情報と共に流しているため一日中頭の中を流れる曲となってしまった。ちなみにフランス大会のときにJ-WAVEが流した曲はフランス民謡のジョナ・ジョナ(ドナ・ドナ)のロックバージョンだった。

念のため書くが、ジョナ・ジョナとは売られている子牛を物語ったったあの

♪ある晴れた 昼下がり

のドナ・ドナである。

以下、今回のものを適当に抜粋(聴きたい方はiTunesでBlack Jaxx検索のこと)

青いヤツらがやってくる 真っ赤なハートを掲げて 
I say yay yay yay
You say yay yay yay
ドドドドイツもこいつもビンビン 強者共をぶっ飛ばせ
I say yay yay yay
You say yay yay yay

決められない夜でも
Baby お願いさ 泥だらけのおいらに チャンスをおくれよ Yes Yes Yes

Blue Boy Blue Boy Rock'roll サムライ ロックス Hey Hey
Blue Boy Blue Boy Rock'roll ぶち込めお前の Hey Hey Hey
Blue Boy Blue Boy Rock'roll サムライ ロックス Hey Hey
Blue Boy Blue Boy Rock'roll 見せろよお前の Hey Hey Hey

青いヤツらの夏が来る ホットなナンバー背負って
I say yay yay yay
You say yay yay yay

ドドドドイツもこいつもイケイケ 勝利の女神が踊るぜ
I say yay yay yay
You say yay yay yay

乗り切れない夜でも 
Baby お願いさ 傷だらけのおいらに キスしくれなきゃ No No No

Blue Boy Blue Boy Rock'roll サムライ ロックス Hey Hey
Blue Boy Blue Boy Rock'roll ぶち込めお前の Hey Hey Hey
Blue Boy Blue Boy Rock'roll 一撃必殺 Hey Hey
Blue Boy Blue Boy Rock'roll 見せろよお前の Hey Hey Hey

開運!なんでも鑑定団

2006-06-07 21:35:11 | Weblog
家の近くにこのようなポスターが貼られていた。



『開運!なんでも鑑定団』出張鑑定の公開録画がわが市開催され、出品者を募集しているとのポスターであった。ふとわが家の宝らしい物は何か考えてみる。

....が何も思い浮かばない。大昔に懸賞で当てたテレホンカードくらいの物である。とは言ってもネットのオークションで相場を見たら一万円程度。他になにか金目のものは...と考えてみる。野球選手のサイン入りキャップ。これもせいぜ一万円程度である。その他、もはや生産中止となったキャンピングガスのバーナーとランタン。よく考えればただのがらくたである。日本初の量産型CDプレーヤーとなったソニーのCDP-101。当時定価で168,000円であったが歴史的価値は無くただのジャンク品であった。

あれこれ思い巡らすうちにふと思い当たる物があった。ビートルズのCDである。CDなんて何も珍しい物ではないと思われるのだが、これが曰く付きの物で発売後自主回収されてしまった物なのである。何故か、これは本国であるイギリスがCDプレーヤーの一般的普及を待って発売を行おうとしたらしいが、日本の方がCDプレーヤーの普及が早く、英国の承諾なしに東芝EMIが発売してしまったものらしい。
その一品を当時私が購入し、今でも持っているのである。しかし、オークション相場は4万円。結局は高額のお金に代わる宝という物はわが家には存在しないらしい。

しかし、4万円程度の価値があると分かってもあの番組に出て司会の松尾伴内相手に気の良いオッさんを演じて喜ぶほどの度量も持ち合わせてはいない(笑)

どうせなら億単位または0円くらいの本物か贋作か区別が付かない代物があればと思ったのだが...。