梅雨の晴れ間である。今日の気温も一気に30度を超えた。自転車での通勤時ラジオでボブ・マーリーの曲がかかっていた。まさにぴったりの時期である。
私は生きていた頃のボブ・マーリーは全く知らない。しかし、大学の頃、これほどはまったアーティストはいない。
きっかけは単純なものであった。当時私は出かける際、必ずウォークマンを携帯していた。丁度今ぐらいの季節だったと思う。家を出る際、下宿の下駄箱の上においてあったカセットテープをタイトルも見ずにカバンに突っ込んだ。駅へ向かう途中、聴いてみると以前一度聴いてつまらないと思いそのままにしたボブ・マーリーのライブテープ(バビロン・バイ・バス)だった。そのためすぐにラジオに切り替えた。
この日は6月の梅雨の晴れ間であり、気温がぐんぐん上昇して昼過ぎには夏の様相を呈した。大学の3時限が終わった14:30、次の授業への移動のため1号館から2号館へ向かった。この距離が500m程あり、結構なものである。またもやウォークマンを取り出し、ラジオを点けたしかし番組がつまらない。そのため入っているカセットがボブ・マーリーであることを忘れてまたもやかけてしまった。ところが...である。30度を超える気温にさらされたアスファルトの坂道を下る途中、この蒸し暑い陽気があまりにもこのボブ・マーリーのレゲエ、しかも野外でのライブアルバムというBGMに状況がはまりすぎた。元々、熱帯のジャマイカで培われたリズムである。暑い陽気に合わないはずがない。
これをきっかけにレゲエを幅広く聴くようになった。しかし、ボブ・マーリーをじっくり聴くと他のレゲエがレゲエっぽく聞こえなくなってしまうのは不思議なことである。
この年の夏、新潟の妙高高原で6泊のキャンプを行った。気温30度を超す昼下がり、水浴びを終えた私はボブ・マーリーの顔が大きくプリントされたよれよれになったTシャツ着て、タープの下に寝そべり、酒を飲みボブ・マーリーを聴いていた。丁度”WAR”がかかり酔っぱらった私はうだる暑さに嫌気がさし大声で”We Don't Need , No More Torable !”と一説を歌っていた。
そのときである。丁度買い出しに行っていた仲間が新聞を持って帰ってきてこういった。
「戦争が始まっちまったぜ!」
酔った私をからかっているのかと思ったが出された新聞にはでかでかと『イラク軍のクエェート侵攻』の記事が掲載されていた。これがきっかけとなり第一次湾岸戦争が始まった。。
Until the philosophy which hold one race superior and another inferior is finally and permanently discreditied and abandoned
Everywhere is war
訳すと安っぽくなってしまうが
ある人種(国家)が自分達が優れていて、他の人種(国家)が劣っているという考えを持つ限り 結局は永久に 世界中で不信感に満ちた邪悪な争いが起こる。
※ 一種宗教的であるが元はエチオピアのハイレ・セラシエ1世の言葉らしい。
梅雨の晴れ間が来るたびに思い出す記憶である。
私は生きていた頃のボブ・マーリーは全く知らない。しかし、大学の頃、これほどはまったアーティストはいない。
きっかけは単純なものであった。当時私は出かける際、必ずウォークマンを携帯していた。丁度今ぐらいの季節だったと思う。家を出る際、下宿の下駄箱の上においてあったカセットテープをタイトルも見ずにカバンに突っ込んだ。駅へ向かう途中、聴いてみると以前一度聴いてつまらないと思いそのままにしたボブ・マーリーのライブテープ(バビロン・バイ・バス)だった。そのためすぐにラジオに切り替えた。
この日は6月の梅雨の晴れ間であり、気温がぐんぐん上昇して昼過ぎには夏の様相を呈した。大学の3時限が終わった14:30、次の授業への移動のため1号館から2号館へ向かった。この距離が500m程あり、結構なものである。またもやウォークマンを取り出し、ラジオを点けたしかし番組がつまらない。そのため入っているカセットがボブ・マーリーであることを忘れてまたもやかけてしまった。ところが...である。30度を超える気温にさらされたアスファルトの坂道を下る途中、この蒸し暑い陽気があまりにもこのボブ・マーリーのレゲエ、しかも野外でのライブアルバムというBGMに状況がはまりすぎた。元々、熱帯のジャマイカで培われたリズムである。暑い陽気に合わないはずがない。
これをきっかけにレゲエを幅広く聴くようになった。しかし、ボブ・マーリーをじっくり聴くと他のレゲエがレゲエっぽく聞こえなくなってしまうのは不思議なことである。
この年の夏、新潟の妙高高原で6泊のキャンプを行った。気温30度を超す昼下がり、水浴びを終えた私はボブ・マーリーの顔が大きくプリントされたよれよれになったTシャツ着て、タープの下に寝そべり、酒を飲みボブ・マーリーを聴いていた。丁度”WAR”がかかり酔っぱらった私はうだる暑さに嫌気がさし大声で”We Don't Need , No More Torable !”と一説を歌っていた。
そのときである。丁度買い出しに行っていた仲間が新聞を持って帰ってきてこういった。
「戦争が始まっちまったぜ!」
酔った私をからかっているのかと思ったが出された新聞にはでかでかと『イラク軍のクエェート侵攻』の記事が掲載されていた。これがきっかけとなり第一次湾岸戦争が始まった。。
Until the philosophy which hold one race superior and another inferior is finally and permanently discreditied and abandoned
Everywhere is war
訳すと安っぽくなってしまうが
ある人種(国家)が自分達が優れていて、他の人種(国家)が劣っているという考えを持つ限り 結局は永久に 世界中で不信感に満ちた邪悪な争いが起こる。
※ 一種宗教的であるが元はエチオピアのハイレ・セラシエ1世の言葉らしい。
梅雨の晴れ間が来るたびに思い出す記憶である。