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とてもシンプルなことなんだ。
心で見るんだよ。
大切なことは目に見えないんだ。

自分らしく生きる

2013-05-03 | -ココロコエ-



(注)大学生のころに書いた記事です。いたいw

これって、おれが19ぐらいのときから、ずっと思ってることなんだけど

「自分らしく生きる」


自分ができる限り思ったままに生きるってことだと、おれは思うのね。
もちろん、わがままに、自己中にって言う意味ではないよ。
そう、ひとつ付け加えなければならないことは




「常識の範囲で」自分の思ったままに生きるということ。。




ここでまた問題が起こる。
「常識の範囲」ってなんぞや?  
うまくはいえないけど、なんか人と人との間にある礼儀とか
(あいさつとか、友達とか普通に心配したりとか、敬語とか)
そのへんのことかなあ。

人として、恥じないってゆうのかな。
それさえ、ちゃんとしていれば「思ったままに生きる」って
けして、自己中になったりしないとおれは思うんだ。



たとえば。。。



①たとえ目上の人でも(先輩でも先生でも)、
なんか自分的に違和感を覚えたら、ちょっとゆってみる。

②勉強ひとつにしても、実験とかてきとーにしたりする人もいるわけ。
でもその中で、自分がしたかったら、実験に真剣に取り組むとか。
(とくに勉強とかでみんな、やる気ないのに、一人だけやる気まんまんだったりすると、
かなり、異質にみられる。コトがおおい)

③映画とか見て、一般とは違う感想を思ったときに、その感想をゆったり。






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それゆえ、自分の信念とゆうか、価値観とゆうか、
そういうものにしたがって生きていこうとすると
いわゆる「メジャー」大多数と、ずれる、浮いちゃうこともあるわけ。はい。
そのとき、まあおれは高校時代はけっこうこのへんでいろいろ悩んだわけで、、、
かなり高校二年とかはしんどかった(長くなるので別のところで)
で、ちょうど、19のとき、まあ地元も離れて新たな大学生活(徳島)ということで、
考え方を変えたわけです。
もうすこし他の人も信じていいのかな?、と。






で、「自分らしく生きる」






これが可能になるには、もうひとつ、重要なことがあります。
それは、周りに「異質なものを排除せず、認める」人がいるかどうかという点。
,


まあ、ゆっていみると


(認めてくれるひと)
「なんか変わった子やわ~、でも、まあそういうのもありなのね。いいんちゃう○○らしくて」
(認めてくれない人)
「なんか変わってる・・・。変やわ~。あいつ、変やで。なんかきもいきもい」





さいわい、徳島の子は(軟庭の子とか、他にもいろいろな人)
けっこう認める系の人で、(感謝感謝)
「自分らしく生きて」もいいんだ、と自分の生き方に自信を持ち始めました。
(このころのことも別のところで書きたいなあ)
徳島二回生のころは、もうおれ的オーラ全開で生きてました。
もちろん、対人的にも自分的にもすごく楽しかった。

・・・まあ、おれと対人した人は、
ときどきはあきれかえったりもしてたとはおもいますが、、迷惑かけます。はい。
・・・でもトータルでみると、よい関係だったと思う。
もちろん相手に、確かめたことはないけど、色紙とかもらったのみると。





で、進路をシフトして、医学の方にきてみたけど、
もちろん「自分らしく生きる」おれ。
ここでも、認めてくれる系の人はいてくれたわけで、楽しくやってます。
ただ、まあ「メジャー」大多数を大切にする人の方が、
徳島のころとくらべて、多い感じもして、
正直ときどきは、なんとなく窮屈に感じたりもします。はい。

でも、「メジャー」を大切にする人が悪い、とか世界が狭いとか、
そんなことは全くいう気はないんです、ほんとに。
そういう考え方、だって社会を生きてく上で大事だし、いいことだと思います。
おれも「メジャー」に従う時もあるし、
自分と方向性のあうときももちろん「メジャー」に従います。

まあ、ひとこと、きいてもらえるとするならちょっと変わったときがあっても
「排除はやめてほしいな」ってなことです。
でも、そういう人たちともけんかとか、無関係とかじゃなくって、
おれを失わずに付き合っていけるようにテンション高い時とか格闘したりもします。はい。






ながいなあ、、、読んでくれる人いるのかなあ。笑
そろそろしめます。
以下は、おれの考えで、別にひとに押し付けたり、そんな気持ちは全くありません。
さらっと読んでいただけたらよいと思います。はい。






「自分らしく生きる」
だって、誰の人生?
おれとかかわったすべての人のおかげで今のおれがあるわけだけど、
自分の人生っていうトコも落とせないと思う。
じゃあ、自分の人生なんだから自分らしく生きようとおもう。おれは努力する。
「メジャー」大多数が、絶対だ。なんて誰が決めたんだろう。
「マイナー」が変わってる、間違えてる。なんて誰が決めたんだろう。
人って顔がみんな違うように、考え方も違うはずなのに。

何が正しい、何が変なのか、そんなのが問題じゃない。
ひとつひとつが大切な価値観なんだと思う。

おれは「○○らしいな」って友達、先輩、後輩、先生とかがいってくれたりすると、
なんかうれしくなる。
おれを支えてくれる言葉のひとつかも。。。
「おれがおれでいていいんだ」って感じる。








で、そういう生き方をしてる人っておれは、かっこいいと思うんだ。
すごい、自分の信念をもってがんばってる先生がいるんだけど、
研究室配属で出会ったんだけど
ほんとに、おれにとっては、すごいかっこいいのね。うん。
信念をもって、実験して、、、、
自分の研究ができなかったら、アメリカまで行っていろいろやったり。
生き方が、すごいかっこいい。とおれは感じる。





話ぶっとぶけど、「美女か野獣」とか「グッドラック」とかドラマでやってたよね。
松嶋とか木村とかああいう生き方、
自分の信念をつらぬく、
既成の画一化された価値観だけにとらわれず、自分自身の考えを大事にする、
かっこいいと、感じる。
そんな、ドラマが人気があるのは、
多かれ少なかれ、視聴者が共感、憧れを持っているからだと思う。
(もちろん、制服姿の木村が好きという人もいるとおもうけど)


そんな、生き方では社会を渡っていけない、
人事で左遷される、とかいう意見ももっともだと思う。
現在の社会のシステムは多くの場合、「らしく生きる」ことは許されない。





そんななかにいても、ただ自分の信念にもづいて「自分らしく」生きたい。
どこまでいけるかわからないし、これが間違ってるかもしれない。
でも当分はこの生き方で、後悔はしない自信が、
なんでかはわからないけど今のおれにはある。




「自分らしく生きる」
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