思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

久々の『新グレートジャーニー』は 

2006-08-12 23:59:37 | 他人の旅話
2005年9月26日の午後、北海道にある(北方領土を除くと)日本最北端・宗谷岬に7年ぶりに行ってみた(写真奥)。この日は終日好天だったので、サハリンも肉眼でしっかり確認できた。関野吉晴氏はこの1か月半前に宗谷海峡をシーカヤックで縦断し、写真手前の稚内港に到着したのよね。


先程までフジテレビで放映していた『新グレートジャーニー 日本人の来た道』を観て、再び旅心を刺激された。

2002年にグレートジャーニーの南米~アフリカの旅が終結してから4年が経ったが、今回も番組の雰囲気は以前と変わらない感じで今回も良かった。益岡徹のナレーションも1994年の番組開始当初から好き。
今回の「北方ルート」の旅については、今年4月に地平線会議の報告会でこの主役である関野吉晴氏の報告を直接聴いているので今日の放映内容の大筋は知っていたが、改めて映像を見ると、関野氏の考案した日本への3ルートのなかでも短い行程ではあったが、技術的精神的にはおそらく最も難しい行程ではなかったか、と改めて思った。
人力移動好きの僕としては、やはりどうしても間宮海峡の徒歩による冬季横断や宗谷海峡のカヤックによる縦断に注目してしまうのだが、そんな「縦糸」とともに人との出会いや滞在のような「横糸」についても今回も多く触れられていた。特に、サハリンの残留日本人や朝鮮人の話については報告会でも多く時間を割いていて、今日も同様であった。

僕も2005年9月に北海道の利尻島・礼文島に行く前後に稚内に寄ったときに、資料館でサハリンというか旧樺太時代の写真や資料を改めてじっくり見て、しかも宗谷岬からサハリンを肉眼で見ることができたこともあって、近々訪れなきゃならん場所だなあ、と思っていたので、この番組を観ていたらその欲がさらに深まった。
稚内港に着いてからの関野氏のセリフに、「やれるときに好きなことをやる」というのがあったが、これは僕も常々旅をするときに考えていることで、そのとおりだよなあ、と共感した。でもこれはホントに、複雑なしがらみに囚われてしまう現代社会においては、言うのは簡単だが実際にやるのは難しいんだよな。

ちなみに、今回の北方ルートというと、地平線会議関係では冬のシベリアや間宮海峡の横断では安東浩正、戦後のサハリンの様子については西牟田晴、の両氏も取り組んでいて、ニアミスしていたりもするのだが、その影響で僕も最近、この地域への興味が徐々に膨らんできた。5年以内にはぜひ行きたいな、とは思うが、どうなるかね。まあとにかく、日本人にとって地理的にも精神的にも比較的身近な地域なので、昨年あたりからサハリン行きを本気で検討し始めている。近年は稚内-サハリン間の定期航路も安定してきているようだし。その前に、まずは厳冬期の北海道で徒歩および自転車移動の訓練をしないとな、ということも数年前からの懸案として棚上げしていたが、今日の放映でまたやる気が出てきた。

それにしても、現在、関野氏が勤めているムサビ(武蔵野美術大学)の学生はいいよな。氏の実体験からくる話を日常で多く聴けることを幸せに思わなければならない。文化人類学にはやや疎い僕も彼の講義はその場で受けたいくらいだ。今年初めに僕の母校でも関野氏の講演が行なわれたそうだが、またどこかで公開講座が開催されるのを期待しよう。


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