思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

不忍ブックストリートの第10回一箱古本市、初日のほうに出店した

2010-04-30 23:59:23 | その他趣味

29日(木・祝)、東京都の谷根千は不忍ブックストリートの一箱古本市に、4年連続で春に出店した。今回は29日と来月2日(日)の2日間開催で前半のほう。
05年から始まって今回で6年目に入ったこの催し、10回目という節目の開催となった。が、それはあまり気にしていなかったなあ。僕のなかではもう毎年この時期に「人力旅人の本箱」という屋号での出店が恒例行事というか年間予定の優先順位では特に上位のほうにあらかじめ組み込まれているもので。というくらいの意気込みでこの日に合わせて臨んでいる。

今回の出店場所、いわゆる「大家」さんはこれまで予告してきたとおりに文京区千駄木の古書店「古書ほうろう」(以下、「ほうろう」)で、2日間ともここで8箱ずつ出店することになっている。
で、10時に出店場所に集合して以降の当日の流れは例年とだいたい同じなので割愛する。その参考に、過去3回の出店の模様のリンクを張っておく。

07年4月29日(日・祝)、第4回は「コシヅカハム」で出店
08年5月3日(土・祝)、第6回は「根津教会」で出店(当初は「クラフト芳房」だったが、降雨が強まって場所を変更した)
09年5月4日(月・祝)、第8回は「ギャラリーKINGYO」で出店

ああ、よく考えたら昨日も含めて4回とも祝日の出店だったのね。今度の2日は日曜日だけど。
「ほうろう」のスタッフと助っ人のみなさん、お世話様でした。特に一箱古本市の古くからの実行委員のひとりでもある「ほうろう」の主の宮地健太郎さんには、ツイッターで事前事後も当日も少しずつ情報を流していただいたりもして、それによっても間接的にはかなり好影響があったはず。ありがとうございました。今後もひとりの客としてもお世話になります。それに、規模は大きくないもののいろいろ撮られていたドキュメンタリー映像? も日の目を見るのかどうかはわかりませんが、楽しみにします。

箱の準備は今月始めから少しずつ進めていて(それ以前の本の選定はほかのフリーマーケット等への出店対策と併せて半年以上前から続けていたけど)、過去3回の経験というか教訓が活きたのか本番直前に慌しくなるということはなかった。あとの心配ごとは当日の天気で、数日前からの天気予報では前日の雨が残るかも、という感じだったが、実際には11時の出店開始直後に数分間パラパラ降りはしたが箱の上からダンボールか何かかけて出品物を保護したり箱を「ほうろう」の店側へ大きく移動させるほどのものではなく、その後は逆に晴れてきて気温も上がって、16時の終了まで問題なく出店できた。ただ、全時間帯を通して風がやや強かったか。

で、僕の箱の売り上げの結果を先に挙げると、出店料と交通費の差し引きを除く5時間の販売で今回は8300円となった(終了後の集計で100円間違えました。実行委員の方、ごめんなさい)、またもや終了後の打ち上げの表彰でも箸にも棒にも引っかからない感じの小粒な結果となった。が、07年が7000円、08年が7500円、09年が2400円、という結果に比べると僕としては過去最高の出来であった。ただこれ、27日の予告にもあったとおりにミニコミ誌『野宿野郎』関連の委託販売も含めた値段で、それを切り離した僕の出品単体だと1900円引いて6500円となる。一応、出店料と交通費とともに仕入れ価格も差し引いても儲けは約1500円出ているので、まあいいか。

終了後の打ち上げによると、売り上げ金額上位では5万8000円超が2箱あったり、売り上げ点数で100冊以上が2箱あったが、毎年思うが上位のほうを見るときりがないので、あまりそちらと比較せずに自分の結果をきちんと見つめて反省すべきことはしてまた次回に活かすしかない。
でも今回は出品物の選定にかなり時間をかけて準備してきて例年になく力を入れてきたため(まあ主に東京都内と近郊のブックオフでのセドリのことだが)、それなりの効果が出たようで良かった、と自画自賛しているのだが。特に昨年が最悪の結果だったから。

ちなみに、今回の売り上げ点数2位100冊だったのが古書ほうろうの8箱出店のうちの「yom yom古書部」という(最近は村上春樹の『1Q84』の大ヒットで社内的にはイケイケドンドンでてんやわんやで絶好調なはずの)新潮社の文芸誌『yom yom』の編集の方々だっけか、の出店。でも実際には特別ゲストに本の評論・翻訳や2日に出店の豊由美氏と組んでの書評『文学賞メッタ斬り!』シリーズで知られる大森望氏を迎えて、氏の蔵書のうち300冊を持ち出して自ら販売して、後半は売り子に娘さんも動員しながらその3分の1の100冊を売り捌いていた。

ここでひとつ、知っている人は数人程度の小話というか声を大にして言っておきたいことを。「ほうろう」で11時の開始前に8箱の出店位置を決めるさいに店主たちがじゃんけんで勝った者の順で位置を獲っていったのだが、実はなぜか僕があれよあれよと最終的に勝ち上がってしまった。でも「ほうろう」の入口前の特にお客さんの目につきやすくて販売的には有利な好位置は譲って、(この店に行ったことのある方はわかると思うが)僕は上の写真のように奥の端のほうへあえて引っ込んだ。
これは、僕は特に荷物が多くて端のほうが整理しやすい、各時間帯のお客さんの増減も含めた「ほうろう」の出店の全体像を把握しやすい、ということもあるが、僕の箱の中身は過去3回の出店経験でどこの「大家」さんに行っても位置に関係なく売れる・売れないがはっきりしていて(「人力」の「旅」というこだわりによってお客さんの好みがはっきり分かれるというか)、だからどこに陣取っても売り上げにたいして影響はないだろうという予想も頭にあって、あえてその位置に決めたわけで。
つまり、「yom yom古書部」はおそらく8店のなかでも絶好の位置で、100冊を売った結果には僕も間接的に貢献? していて、僕にも少しは感謝してもらいたい気分。ホントはその位置に僕が最優先で入ることもできたのだから。
でも結局は、それでも僕も過去最高の売り上げを記録できて、ともに良い結果に終わったけどね。それにほかにも初出店の方もいたし、今回もお世話になった運営に携わる助っ人さんにも初参加の方もいたので、前方のほうがお客さんの目に留まる確率は高いのだから少しは周りに華を持たせようじゃあないか、それによって8箱全体の出店の雰囲気をいくらか良くすることにつながれば幸いじゃあないか、という意識も、出店経験者でこの古本市の1日の流れを少しは知っている者のひとりとしてあるにはあった。というやや嫌味に聞こえるかもしれない本心を、ここであえて出しちゃう。

自分のことに戻るが、そんなことも時折考えつつの出店で今回は55種類の本を売り出したが、実際に売れた本を売れた順に以下に挙げてみる。ただ、例年は本が売れた時間も付記しているが、今回は売る前後にお客さんと結構話をしてしまったり立て続けに会計が続くときもあったりで曖昧になったのでそこは割愛して、その代わりに僕が値付けした販売価格を初めて出してみる。誰かの今後の参考になるかどうかわからないけど。


1 青葉台駅チャリンコ2分 (鈴木カオリ、小学館)  500円
2 日本縦断徒歩の旅 (石川文洋、岩波新書)  300円
  登山不適格者 (岩崎元郎、生活人新書)  200円
  植村直己の冒険 (本多勝一、朝日文庫)  100円
  沖縄人力紀行 (藤本亘、彩図社)  800円(※新古品)
3 風呂なし野郎 (風呂なし野郎編集部)  100円
4 野宿野郎缶バッジ ×2  300円
5 サバイバル! (服部文祥、ちくま新書)  350円
  全ての装備を知恵に置き換えること (石川直樹、集英社文庫)  250円
6 絵ハガキ ×2  50円
7 山とお化けと自然界 (西丸震哉、中公文庫)  200円
8 沖縄人力紀行 (藤本亘、彩図社)  1000円(※新品)
9 野宿野郎7号 (野宿野郎編集部)  500円
10 野宿野郎5号 (野宿野郎編集部)  500円
11 東方見便録 (斉藤政喜・内澤旬子、小学館)  800円
12 日本一 温泉&アウトドア篇 (藤臣柊子、幻冬舎)  500円
  野宿塊(人力旅人の館)  150円
13 ハイキングと立ち寄り温泉 関東周辺 (石丸哲也・三尾章子、山と溪谷社)  600円
  自転車生活vol.4 (出版社)  100円
14 野宿野郎7号 (野宿野郎編集部)  500円
  野宿塊(人力旅人の館)  150円
15 岳 第8集(石塚真一、小学館)  200円
16 野宿塊(人力旅人の館)  150円


どうっすか。「人力」らしいっすか。
数字が買ってくださった方の順番と人数。だから計16人か。特に5と13の方はお洒落な買い方ね。まあ13のほうは知り合いの若い女子なんだけど。

ちなみに拙著『沖縄人力紀行』は昨年から、新品1000円と新古品800円(一度は書店に出荷されたが返品されてきた、表紙カバーや小口などにやや傷が入っているもの)を分類して販売しているのだが、購入時に一応はお客さんにどちらが良いかを確認・選択してもらっている。

僕個人的には、拙著が2冊売れたのはもちろん嬉しいが(今年初)、自分が作った『野宿塊』が3冊売れたのも嬉しい。これの前作? の『野宿魂』ももちろん一緒に出品していたが、『野宿野郎』のかとうちあき編集長(仮)が作った後者は売れず(でも『風呂なし野郎』は久々に売れた)。この対照的な結果は、日頃の行ないと表紙の質の差によるものだろう。ああでも、後者も僕が書いたことをまとめたミニコミかぶれなので、両方ともより多く売れてほしいんだけど。そろそろ在庫が少なくなってきたので、たぶん来月中に増刷するかも。先日プリンタも新調したし。

元々は旅関連の本が僕の得意分野なので、それぞれの旅業界の価値や本の出版後の流通や減価償却? ぶりもだいたいわかるし、古書販売の値付けも各店を巡ってかなり研究して、拙著と新品で委託販売していた『野宿野郎』以外はいずれも適正価格で出したつもり。今回は事前にそれよりもサービスとして少し安めの価格設定にはしなかった。価格に関係なく売れるときは売れるし売れないときは売れない、と以前ある友人が言っていたことも一理あるなあ、と参考にしているため。

ちなみに上記のなかで『東方見便録』は、この催しの主宰で今回は“ミスター一箱古本市”と大書された黄色のタスキをかけて各「大家」さんに出没している南陀楼綾繁(以下、ナンダロウ)さんとともに当初からかかわっている、でも昨年あたりからブログや雑誌連載を拝読してもかなり忙しくなっていると見受けられる内澤旬子さんが取材同行とイラスト担当でかかわった本であることはこの界隈では周知のことで、毎回ご祝儀というか敬意を表してという意味合いでどこかからなんとか探し出して箱に必ず1冊入れているのだが(斉藤政喜=シェルパ斉藤さんが書いているので辛うじて「人力」に合致する内容でもある)、今回の出店では文春文庫版ではなくその元の小学館の単行本のほうを仕入れることができた(現在はほぼ絶版状態のこの仕入れ経路・価格は秘密)。文庫版では一部カットされている韓国の話も完全に収録されているやつ。これは、おそらく僕よりも若いと見られる女性にお買い上げいただいた。

一昨年あたりからか、出店者も助っ人さんもお客さんもどちらかと言うと女性のほうが多い印象は毎回あり(秋の開催も客のひとりとしてたまに覗きに行っても思う)、今回も僕の箱を覗いていった、そして実際に本を手に取ったのは女性のほうが多かったかも。
例年どおりに特に12~13時頃に暇な時間帯もあるにはあったが、でも「ほうろう」全体的にはお客さんが完全に途切れることはなかったかな。どこかしらに必ずお客さんがいたか。特に11時の開始直後のスタートダッシュは凄かったけど。まあ「ほうろう」の立地が不忍通りという人通りが多くて目立つ場所なのがまず幸いなことで、それがありがたかった。

まあ今回もお客さんと本を介しながら旅の話も少しはできて。誠に有意義な場であった。
箱を覗くのとともに積極的に本について話しかけてくださるのも女性のほうが多かったなあ。きれいなお姉さんから沖縄県にまだ旅行に行ったことないんだけど何を見ればいいの? と漠然と訊かれてどきどきしたり(ひとまず拙著を薦めた)、野宿の楽しいところは何? と訊かれて女性でもわかりやすい答えを出すのに苦慮したり(この問答は本来は『野宿野郎』編集部のほうでやるべきなのだが)、ということもあった。なかには、以前に登頂はできなかったが南米最高峰・アコンカグア(6960m)へ登山しに行ったことがある女性にも会い、僕よりも登山経験はかなりあるほうじゃあないか? といきなりその話を繰り出されて面食らったりもして(この方は話の流れで『野宿野郎』が気に入って、7号をお買い上げ)。まさか谷根千でそんな突っ込んだ登山話ができるなんて、とびっくりした。こういう偶然性もあるやりとりが直接できるから対面販売は楽しいのよね。

ああそれから、1、2人来ればましなほうかと思っていた知り合いも予想外に多く訪れて、実は売り上げ金額の約2割は友人知人による。上の写真も、直前に別の委託販売を頼まれた『野宿野郎』編集部の伝道師氏に撮ってもらった。これはべつにお客さんがずっといない開店休業状態が続いたわけではなくたまたま空いている瞬間の写真。
ちなみに『野宿野郎』は今回、編集部の怠慢により出店できなかった。来月23日(日)のこちらも10回目の節目となる蒲田での「文学フリマ」には出展するけど(僕は出展しない)。

ほかにも、試験的に今回初めて導入した条件付きの値引きについても触れようかと思ったが、マニアックだったのかほぼ失敗に終わったので(でも1人だけ適用できた)、伏せておく。今後またどこかの機会で場数を踏んで改良していくことにする。

とまあ、例年以上に準備期間を設けて意気込んで臨み、でも当日はガツガツと採算性は求めずにゆるゆると出店し、今回も楽しかった。終了後の打ち上げも“ミスター一箱古本市”を中心とした掛け合いは面白かったし、今後の参考になる話も聴けた。また新たな課題がいろいろ見付かってしまったが。
予定が微妙だった今後の黄金週間、昨日あたりでだいたい固まって、2日の出店は覗きに行けるようになったので、スタンプラリーをきっちりこなしたい。今年からそれを達成した人限定の景品が変更されたことも教わったし。
ただ、古本市も含めて全部で53本あるこれに関連のある「一箱古本市week」企画は今年はほとんど覗きに行けそうになく、行けて2、3本かなあ。3日(月・祝)にそのいち企画の「全国ブックイベントシンポジウム」を聴くために都内に出るが、それにかこつけて谷根千にも三度行けるかどうか。

2日に出店される方も助っ人さんも、本に浸りながら再びおおいに楽しめる1日になることを期待します。今回も出店して改めて思ったが、「『一箱の宇宙』で本と遊ぶ」という趣旨も含めてホントに面白い催しだもの。規模が年々大きくなりつつあって洗練もされてきて、ゆえに全国各地で広く真似されるようになって(ここ数年のその傾向はナンダロウさんの近著『一箱古本市の歩きかた』を読めばわかる)、そのぶん各種媒体で取り上げられる機会も増えてきたが(最近では28日付の東京新聞東京版と30日付の朝日新聞東京版)、今後も変わらぬ雰囲気のまま続けられるかな。



移動中に見かけた、今回の告知のポスターが黒色基調でカッコイイ。2日もありますんで、ぜひ。

一箱古本市の出店、ちょこっと変更

2010-04-29 07:00:22 | その他趣味
今日11時からの不忍ブックストリート・一箱古本市の出店だが、4年連続で相変わらずの60リットルザックひとつに荷物をまとめると意外に重くなってしまったので、出品は60冊(種類)から55冊に減らした。

あと時間帯は不明だが、『野宿野郎』関係の出品物がひとつ増えるかもしれない。でも本の類ではなくて、なんなのかは来てみてのお楽しみということで。
まあ、過去のウェブログをくまなくチェックしている方はわかるものか。

出品物はすべて、2週間以上考え抜いた結果の市場価格(主にブックオフだけど)も加味したうえでの適正価格なので基本的にはあまり値引きしないつもりだが、成り行きによってはするかもしれないし、それとは別に「人力」らしい(と僕は思っている)ある条件を満たした方限定の割引も今回試験的に導入してみるが、まあそれに合致した方は幸運ということで。
高額購入の方には特別におまけも用意しておりまーす。

今日は天気が、特に12時すぎが微妙なんだよなあ。気温はまあまあだけどいきなりの雨が心配ですわ。大丈夫かなあ。
まあ16時まで細々とやっていますんで、よろしくー。

一箱古本市ではこれらも販売します

2010-04-28 00:00:00 | その他趣味
先日、昨秋から壊れたままで懸案だったPCのプリンタを新調したのだが、それ(エプソン・EP-802A)はスキャナも使えるスグレモノなので、試しに以下のをスキャンしてみた。1日の投稿の続きみたいな。






上と下の違いがわかるかしら。

明日29日(木祝)の不忍ブックストリート・一箱古本市の出店では、これらも委託販売します。
でも当たり前だが自分の出店のほうが主なので、持参する数は少ないけど。それに絶版となったらしい6号のほうは買い置きしておいたのを最近1冊発掘できたので出すのだが、絶版なのでもったいぶって簡単には売らないことにしている。お買い上げいただくには何か条件を提示するつもり。

と言っても、6号を補完したものが7号なので、内容的には7号を買ったほうがより充実しているので、これだけあれば6号は不要かもしれないけど、なかには全巻揃えたい! という物好きな人もいるだろうしなあ。6号の対応は出店時の成り行きによるかも。
あと、5号も出せると思う。

まあとにかく、明日の11時~16時に、「古書ほうろう」でお待ちしております。よろしくー。

「自転車乗りは永遠に不滅」ということと、最近の興味深かったふたつの旅の事例

2010-04-26 23:59:51 | 自転車
先週発売の雑誌『CYCLE SPORTS』10年5月号で、石田ゆうすけさんの連載「ぼくの細道」のあとのモノクロページに「池本元光からエミコまで 世界一周サイクリストの軌跡」という10ページの特集記事があって、これを本ブログでも度々触れてお世話になっている安東浩正さんが書いている。
内容は基本的に、世界一周や国外で長距離の自転車旅を実践する旅人が集まっているJACC(日本アドベンチャーサイクリストクラブ)の創立30周年記念にまつわる話なのだが、ここに未加入の僕でも知っている旅人の名前が結構あって、記事中に登場している42人中10人は安東さんや石田さんを含め、これまでに地平線会議や各種催事の場で会って話を直接聴いたり少し会話したりして各々の人間性をわずかではあるが実際に触れて知っている人たちであるね。

で、この記事の後半に、安東さんがこれまでとこれからの自転車乗りについて書いた一文が良かったので、ここで引用する。


「なにごとにもオシャレが重要なクールな時代に、テント、寝袋、生活道具を全部自転車に積みこんで、ときに野宿して旅する自転車野郎は多くない。だけど旅する自転車野郎が将来消えることもない。なぜなら旅は人類の宿命であり、自転車はそれに最もふさわしい乗り物だから。」


「宿命」はちょっと大げさかもしれないが(これは安東さんのクセとも言える表現の手法)、でも手段は自転車に限らず、僕も基本的に人間は食欲や物欲や性欲などの普段の生活にまつわる欲望と同等に、目的や規模や頻度に個人差はあれど、普段の生活から逸脱して他所の土地を巡りたいという意味での“旅欲”は誰しも持ち合わせている、ありきたりな表現だが「ここではないどこか」へ旅したい無意識の欲求もある、と思っているので、この表現には納得。
やはり人間は、きっかけは物見遊山でも自分探しでも自己表現でもいいからとにかく、日常を離れて旅しなきゃならんのですよ。全国各地で最近流行っているB級グルメ探訪やテレビ『ちい散歩』的な日帰りで行くぽてぽて散歩でも、数年がかりの自転車世界一周やシロクマの襲来に脅えながらマイナス40度以下の極地のスキーによる踏破行でもなんでも。

それに関連して、今年2月と4月に東京都内で、世界一周ではないがそれに近い結構大きな自転車旅話を聴く機会があったのだが、それらも事前に小耳に挟んでいたうえでの予想以上に面白かった。
前者が、記事の中盤でも触れられている、07年5月~08年12月にユーラシア大陸のネパール~マケドニア間約1万4000kmを単独で横断した松尾由香(まつお・ゆか)さんで、僕と共通の知人も何人かいたりする。女性が単独でこの長距離を、しかも中央アジアや、女性が屋外を出歩くには制限があって世界的にも特に気を遣うべきイスラム圏のイランも走破していることが珍しくて興味深かった。普段のブログとは別の、件の旅の最中に更新していたブログは以下。

http://yukacycle.exblog.jp/

『CYCLE SPORTS』で昨年にこの旅について短期連載していたのも読んでいたが、実際に会うと小柄でかわいらしくて、体力勝負の体育会系な雰囲気なんて微塵も感じられないこの雰囲気のままでユーラシア横断だなんて、と外見と、旅への準備期間や想いの深さおよび旅の結果との差異に驚いた。

それから後者は、07年7月にこちらも中国からユーラシア大陸横断に出て、インドシナ・チベット・ネパール・バングラデシュを経て、でも昨年末に旅の資金が尽きてインドで旅を中断している西川昌徳(にしかわ・まさのり)くん。
こちらは08年5月の中国・四川省の大地震のときにちょうど現地にいて、この被災地の支援活動に4か月かかわったり、そのあと初冬のチベットを南下してネパール・カトマンズで一度尽きた資金作りのためにネパール産ジーンズを自主制作・販売して(元々、学生時代に衣類関連の販売の経験があった)、ほかにも現地の子どもの教育支援にも参加して結局は09年前半に6か月も滞在したりして、と旅のなかで滞在期間が結構長く、旅の過程で各地でのボランティア活動も通じて人との出会いとつながりを比較的強く意識した旅、という印象。
彼は四川省・成都でその大変なときにタムラアキオ(本ブログで昨年触れた、大学の後輩)と会い、そのつながりから僕も今年初めに知り合ったが、なかなかのイケメンで、しかも来春に旅を再開するまでに関西圏を中心に講演活動に力を入れるためかすでにここ3か月で数本こなして喋り慣れていて、近年視てきた新たな旅人のなかでも比較的とっつきやすい感じの青年であるね。ブログは以下。

http://ameblo.jp/masanori0615/

件のジーンズもこのブログを介して1本6500円で販売していたそうで(ネパール-日本間のいわゆる「フェアトレード」の名目もある)。その後、インドでTシャツも制作していたとか。来年の旅の再開後もこういった動きは採り入れていくのかな。

最近の旅人は、諸外国からのブログ更新も国内にいるのと同様にふつうに行なっていてしかも盛んですなあ。そういえばふたりとも関西人のためか、喋りは巧いのよねえ。写真もともにデジタル一眼レフを使っていてなかなかですし(松尾さんはキヤノン、西川くんはニコン)。
それに、大きなことをやった・やろうとしている旅人は大概ギラついた雰囲気を醸し出しているものだが、ふたりともそういった尖った、(旅の経験で培われた)ある種他人を容易に寄せ付けないための壁や自分を護るための膜を張っている感じが見られなくて、旧来の冒険・探検的行為に臨む人よりも比較的のほほんとしているのも面白かった。旅の過程で死活問題に直面したこともあっただろうに、そういった面をあまり見せないスマートな物腰であることも、聴いていて感心するとともに逆に悔しくも思う。21世紀の旅人は各地で(心の壁を作らずに)出会いを重視する、という傾向になっていくのかね。まあ近年は旅人の年代性別や移動手段にかかわらず、地理的自然的な探索・発見よりも自己の内面を見直したり自己肯定感を味わったり自分の視野を拡げたりするための極私的な旅が増えているからなあ。

くぅー、旅を表現するというか記録する者のひとりとして、僕はふたりに対してかなりの敗北感がある(今年は例年よりもほかにも敗北感を味わってしまう旅人を知る機会がなぜか多い)。いろいろあってここ2年くらいは自転車旅から遠ざかっているし。それにそう簡単に比較するものでもないから、まあいいや。

というわけで、上記の安東さんのお言葉どおりに、今後も旅の自由度や達成感や資金面を熟考したうえで、あえて旅の移動手段に「人力」の自転車を選択する旅人は絶えず現れ続けるだろう、とは僕も周りの各種旅人の旅話に触れているなかで日々感じている。

不忍ブックストリートの「第10回一箱古本市」に今春も出店します

2010-04-19 23:23:53 | その他趣味
10日後の29日(木・祝)、今春で10回目になる不忍ブックストリートの「一箱古本市」に、4年連続で出店することは先月下旬に決まっていたが、告知をすっかり忘れていた。
この催事に関する情報は、不忍ブックストリートの公式なウェブサイトとしのばずくん便りで要チェックなりよ。

で、僕は今月29日(木・祝)と来月2日(日)の2日間開催のうちの初日で、今回の「大家さん」はたまにふつうに客として行く古書店「古書ほうろう」(文京区千駄木3-25-5)となり、ここで8箱出店するうちの1箱となった。
開催時間は11~16時、雨天決行。最寄り駅は東京メトロ千代田線千駄木駅または西日暮里駅、それにJR山手線の西日暮里駅。行き方は店舗案内を参照のこと。

過去3回の出店場所は、07年は「コシヅカハム」、08年は「クラフト芳房」から雨天による場所変更で「根津教会」、09年は「ギャラリーKINGYO」、と毎年うまく分かれているのよねえ。まあそこは主宰の(最近は“ミスター一箱古本市”という名誉なあだ名? も付いているこの先駆者の)南陀楼綾繁さんの手腕によるところだけど。
今回は初日50箱+2日目55箱、の計105箱の出店だが、そのなかには初出店の方も結構いるようで、僕も常連面せずに(というか毎年、売り上げは全出店のなかでも最低レベルのほうなので、大きな顔はできないけど……)、初心に戻って粛々と販売に勤しみたい。

出店の屋号は例年どおりに「人力旅人の本箱」でいく。
この屋号のなかの「人力」は、僕の得意なテーマである登山・徒歩・自転車などの人力の移動手段による旅に関する本ばかりを集めている。「旅」をひとつのテーマに掲げているのはほかの箱でも結構見受けられるが、僕はそこからさらに突っ込んで「人力」にこだわっている、というのが売りなのである。
もちろん、そのなかには性懲りもなく? 出版からもうすぐ4年になる拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)も毎回混ぜている。だって、ウチにまだまだ在庫がたくさん残っているんだもの。ああそういえば、拙著は今年まだ1冊も売れていないんだよなあ。
今回も箱全体の採算性はあまり気にしないが、思い入れの深いこの1冊に限ってはそりゃあ売れるかどうかは結構気にする。せっかくの好機に売れるかなあ(楽観的)。若干値引きして売りますんで。

で、出店の準備は今月上旬から細々と進めていて、出品する本の選定と当日の売り上げを計算するためのスリップ(短冊)は作り終えていて、まだ変更の可能性もあるが全60冊でいくつもり。
あとは当日までにお買い上げの方に差し上げるおまけを用意しているところ。たいしたことではないが、例年とちょっと変わった試みも考えている。
まあ昨年からここ以外にも古本的な催しへの出店は放浪書房絡みほか増えていて、それにフリーマーケットでも販売しているし、それらの場数を踏んで少しは売り手として成長している実感はある。手順はだいたい同じだし、やるべきこともわかって慣れているので、とにかく29日が待ち遠しい感じ。楽しみー。もうこの出店が毎春の恒例行事になっている。

なお2日目のほうは、たぶんふつうに客として覗きに行けると思うが、というか他店との比較によって勉強したいので行きたいのだが、どうだろうか。

今回は、南陀楼さんの昨秋の新刊『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)の好影響によって、今回初めて訪れるお客さんも結構いるのではないか、と予想している。なんせ、最近全国各地に拡がりつつある「一箱古本市」という仕組みを創った本家の地域ですから。訪れるさいはこの本も良い参考になる。
さて、どうなりますやら。来週の好天を祈りつつ、きっちり当日に間に合わせますわ。
では、よろしくー。

09年7月のトムラウシ山遭難の報告書

2010-04-18 23:59:36 | 登山
最近いろんなところに気が向いていてすっかり忘れていたのだが、昨年7月に起こった北海道・トムラウシ山の遭難に関する最終報告書が先月完成していて、あとで改めてきっちり読まなければ。
詳しくは社団法人日本山岳ガイド協会のウェブサイトにあるPDFで。

山岳ガイド専業の方はもとより、登山が好き、と自認する者の端くれとしてもきちんと理解しておかねばならない一件であるので、これを今後の糧にしなければ。
そして最近は(少しは経験者面している、という立場から)仲間と行く機会もそこそこあるので、単独でも複数人でも、山へ向かうときの危機管理の意識とそれへの対処法をもう一度見直さないとなあ。これを読んで気を付けよう。

これは、行く山のレベルや時季や人数に関係なく(たとえ東京都・高尾山程度であっても)、とにかくどんなカタチにせよ山を登る人は目を通しておくべきだと思う。

映画『僕らのカヌーができるまで』

2010-04-15 00:00:00 | 他人の旅話
今月の17日(土)から30日(金)まで、と公開期間は限定的だが、ポレポレ東中野で各日20時50分からレイトショー公開される長編ドキュメンタリー映画『僕らのカヌーができるまで』が良い、と推しちゃう。
関連の代表的なリンクは以下。

●ポレポレ東中野・公開映画紹介『僕らのカヌーができるまで』
http://www.mmjp.or.jp/pole2/bokurano-canoe-gadekirumade.html
●『僕らのカヌーができるまで』公式サイト
http://bokuranocanoe.org/
●『僕らのカヌーができるまで』公式ブログ
http://blog.livedoor.jp/bokuranocanoe/
●関野吉晴 公式サイト(旅の主役。しかし映画では脇役?)
http://www.sekino.info/
●竹村東洋子 ゑかき日記(関係者のひとり。美術担当)
http://d.hatena.ne.jp/takemura-toyoko/

ほかにどなたか関係者の方の媒体、ありましたっけ。あったら教えてつかーさい。追記するから。
映画のあらすじやら解説やらはサイトを覗いてもらうとして。

ここで映画公開までの経緯をざっくり触れると、「グレートジャーニー」でお馴染みの探検家・関野吉晴さんがここ数年取り組んでいる「新グレートジャーニー」で3本挙げているルートの最後として(うち2本はすでにフジテレビの特番で放映済み)、インドネシアから沖縄県へ自作のカヌーで海洋航海する、というのがある。

で、これまではそれに関野さん単独または相棒を求めてとにかく小人数で臨むことにこだわっていたが、今回は自身が教授を務めている武蔵野美術大学略して“ムサビ”の教え子たちを多く巻き込んで気付きを促しながら、時代に逆行している? モノづくりの工程・自然の恵み・文化の継承を体験できるこの「黒潮カヌープロジェクト」に08年から取り組んでいて、その過程を余すところなく記録した記録映画、ということになる。

その本番である航海自体は昨年4月にインドネシア・スラウェシ島から2隻のカヌーでスタートしていて、でも予定どおりには進まずに8月にフィリピンで中断して、来月中旬からその続きを再開して今夏には沖縄県・石垣島へゴールする予定。でも予定は未定。
当初は昨年じゅうにゴールする計画だったが、風や波やと様々な条件が揃わないと進まないから、やはりそう簡単にはいかないか。

で、この航海で使っているフネを造る前段階の、08年5月から国内で始めている鉄斧・縄・保存食などを自作する段階から主に地平線会議のほうでその進捗状況は伝わってきていて知っているし、09年2月にはムサビのこのプロジェクト関係者主催のモノづくりのパートの映像を観る機会もあって観に行ったのだが、イチからとにかく「人力」で「作る」というか「創る」さまを観ているだけでも面白かった。

今回、それに加えて昨年の航海の模様も加わって1本の長編ドキュメンタリー映画としてどのように仕上がったのか、とても楽しみであるね。前売券はすでに買ってあり、僕が今年必ず観たい映画ベスト5のひとつに挙げているくらいに期待しているので、きっちり観に行くもんね。公開期間中にトークショーも目白押しだが、そのいずれかに行けるかしら。

もし好評だったら、後々に再上映もあり得るんじゃないのかね。


※15~16日の追記
でもよくよく考えると、タイトルが「できるまで」なので、航海に関することは含まれていないのかな? 映画の主旨はその前のモノづくりの過程を見せることだから。

昨年9月に今回の公開分とは別編集の状態のを上映する機会があったが、それは観られなかったので、それとはまったく別物の作品、と見てよいのかしら。
まあ、明後日からの映画を観ればわかるか。
でも今週は微妙なので、東中野に観に行くとしたら来週以降だなあ。

今月の公開で受け入れられれば、ポレポレ東中野だったら再上映もあり得るだろうし、それでなくても関野吉晴さん関連の映画では以前の『プージェー』のようにその後各地で自主的な上映会を催す手もあると思うなあ。フットワークの軽い若手主体で作っているから、今年の航海の結果も踏まえつつ今後何かしらの動きはありそう。いや、あるだろうね。

なので、特に人力派は公式ウェブサイトは随時要チェックですな。


※27日の追記
26日の回を観た。簡単に触れると、若さが全面にしっかり出ていて良かった。(下の写真の)800円のパンフレットも最初は高いかなあと思ったが、読み進めると映画の解説というよりは絵と写真でもわかりやすく説明しているこの旅の進捗状況を記録した報告書という感じでとっつきやすい。映画、今後も再映してほしいなあ。



2010年の御柱祭・下社山出し

2010-04-13 23:59:19 | その他趣味
を10日(土)に日帰りで観てきた。
が、さすがに日帰りとなると前回の3日間通しで観たときよりも内容は薄かったが、まあそれでもこの祭の独特の雰囲気は感じられた。
以下の15枚の写真とともに振り返る。


10日は少し寝坊して出遅れて、木落し坂の南側には12時すぎに着いた。とりあえず木落しを観たかったので、この日は2本実施した木落しの1本目(秋宮四)には間に合った。が、有料観覧席の券を事前に買って持っている人以外の一般の見物客は坂の真下に入場や通行を規制している状態で、最寄りのJR下諏訪駅から40~50分歩いてきた僕も含めたタダ見の人たちはこのように坂が辛うじて拝める程度にしか見えなかった。
事後報道によると、この日は晴れていたこともあって氏子・観衆の合計で23万4000人の人出があったそうで、出遅れるとこうなるのも仕方ない。もう少し早い時間に来れば坂の左側に移動もできたが、どちらにせよ木落しの瞬間を観ることはきない。
ここにいた数人から、「(御柱祭を)宣伝しすぎ」とか「(有料席で優遇する)旅行会社のツアーを組みすぎなんだよ」とかいうわがまま? なぼやきも漏れていた。まあその言い分はわからなくもないが、全国的に有名な祭はどうしてもそのように商業的な面が先走ってしまう。僕のような他所者の一般人はその隙間を突いてゆくしかない。



で、だったら坂の上はどうなのかと思い、少し手前から上へ行ける回り道があったので登り、その途中から坂の近くに分岐するほうへ登り詰めると、坂の上の様子や御柱の進むか否かを指示・判断する赤旗・白旗・緑旗の振り方も辛うじて観られる場所があった。
僕は前回もこの角度から木落しを観たこともあるが、しかし今回は前回の御柱の滑りが悪いという反省から木落し坂を05年に改修して坂の形状が若干変わったこともあり、そのぶん規制線も10m以上下げられていて、人垣があると観にくい。爪先立ちで腕を上に伸ばしてデジカメやビデオカメラを向ける人多数。でも1本目が落ちる瞬間はなんとか観るというか感じることはできた。
この右下の斜面の木々の隙間から観ていた見物客も結構いた。



木落しが終わると、次(春宮一)の木落しの準備が始まるまでに少し移動できる時間があるので、坂の落ち口をこのように観察することもできる。上から見下ろすと、下方の有料観覧席との距離感はこんな感じ。その観覧席が、地元民優先で事前販売されてネットオークションでも高値で転売されてしまうくらい人気のあるところ。
木落し坂の改修は具体的には坂の窪みを埋めてさらに笹を植えて御柱の滑りを良くした、ということは小耳に挟んでいたが、前回の土だらけの坂と違ってちょっとした笹原みたいな坂になっていた。



2本目も上から観ようと思ったが坂の下の状況も確認したかったので2本目は下から観ることにして下り、坂の北側へ移動。
最大で2時間待ちだったという下諏訪駅とここを結ぶシャトルバス利用で帰る見物客の流れに逆らって坂へ移動する途中、救護所に救急車が出入りもあった。ちょうどケガ人が運ばれてきたところ。
木落しではケガはつきもので(過去に死者も出ているくらい)、こういった施設も必要。設備の目視はできなかったがAED以上の救命的処置もできるようになっていたはず。諏訪と岡谷の病院から医者(この日は外科・内科・神経内科・整形外科の計6名)が数人駆り出されて担当していた。



(3枚目の写真の小川より奥側の)有料観覧席は売り切れで入れないので、無料で観られるところを探すと救護所の裏手があった。だが、木落し坂の上と下しか見えず、御柱の動きは見えない。もうここは妥協して、今回は持参した双眼鏡で氏子たちの動きを遠目から観るしかない。まあ空気感とか歓声とか雰囲気はそこそこ楽しめる。
ちなみに、写真前方に立っている人たちがいるが、その奥が坂の下で、このように立たれると全然見えないよ、とほかの見物客から注意され、結局は後方に下がってしゃがんで観ていた。このような行為はこの場ではひんしゅくもの。
なお、後日報道によると有料観覧席付近に3000人分の無料観覧の場所も設けていたそうだが(前回は僕もそこで1本観た)、連日、当日朝7~8時頃には満杯になったそうで。やはり前回よりも1日単位で見ると人出は増えたか。



2本目の木落しの直後の土煙が上がった御柱の様子。たしかに速度は増していたようだが、落とすタイミングが上の写真のようなではわかりにくく、あまりよく見えなかった。
ちなみに、御柱に数人が乗りながら坂を滑降するのだが、その最前列に乗る「華乗り」が最も勇敢で名誉な役割。だが滑降中に大半の乗り手は振り落とされ、柱に粘り強くしがみついて残る人は稀。しかも柱を落とした直後にその華乗りの名誉な位置を奪おうとするほかの氏子が毎回いて、そこで華乗りを守る役目の氏子とその他の不届きな氏子とが落ちた直後から数十秒間は乱闘騒ぎになるのだが、これがその瞬間。ズームで撮るとわかりにくいけど。肝心の木落しではなくこちらの人的な、この場を借りたちょっとしたケンカ? でケガする人もいるようで。
なお、後日報道によるとこの日1本目の秋宮四の華乗りは僕と同じ34歳の方だったそうで、ずっと大人な祭だと思っていたのに僕ももうそんな歳になったのか……、と複雑な気分。



木落しが終わって規制が解除されて、再び坂の上に移動。上社と同様に木落し前に御柱の後方の追掛け綱を固定するための柱が設置されている。下社のほうがこういったものにも解説板を付けたりして観光資源として活用に積極的。



観るのは木落しだけというのもつまらないので、曳行コースを遡り、翌日に木落しを残している3本の御柱を観に行く。でもこのときで17時前だったので、うち2本の曳行はすでに終わっていたけど。曳行と木落しを同時に観るのは無理なので、日帰りの場合はどちらかに絞らないと。
沿道のいくつかの民家では、このように家の前の玄関や車庫の前におそらく氏子がむやみに立ち入らないようにという牽制の意味でロープを張っている光景もちらほら見かけた。



下社の曳行の木落し前のもうひとつの見所に「萩倉の大曲」というのがある。長さ17m前後もある御柱を、この左カーブを曲がりながら通過させる結構難儀な場所。前回はここも観た。路面の茶色っぽい跡が御柱が通った軌跡。ここは特に曳行中に御柱の真横に棒を持って多数張り付いて方向転換させる梃子(てこ)衆の腕の見せ所。
ちなみに、上社の曳行コース前半にも「穴山の大曲」という、もうちょい緩い右カーブとこのくらいの左カーブが連続する箇所があり、そこも通過も迫力あり。



さらに遡ると、最後の秋宮一(秋宮の4本の御柱のなかで最も大きなやつ)の曳行が予定よりも1時間半押しでまだ続いていたので、辛うじて観ることができた。御柱が大きいだけに、綱引きに参加する氏子の人数もほかよりも多かったかも。この日の17時30分の終了まで見届けた。
で、男綱・女綱を観ると、いくつかの結び目のところにこのように路面との摩擦からの保護のために古タイヤをくくりつけている様子はどの曳行でも見られる。



曳行中の曳き子の全体像はこんな感じ。御柱は写真左奥。綱は100m以上あるか? 大きな御柱だとこのくらいの規模になる。



赤色の法被は、御柱の曳行に欠かせない木遣りの人々。彼らが一回一回、「さあ~ みんなで~ 力を合わせて~ お願いだ~」とか、長唄を唄うというか鳴いて氏子の意思統一ができないと御柱を動かせないので、ここはこのタイミングで鳴いたほうがよい、とか、長時間の曳行で疲れてくる氏子の士気が落ちないように盛り上げつつ流れを常に掴んでまとめる必要がある、と思う(僕が前回から各地で曳行を観た実感からすると)。しかしあまりに鳴く間隔が空きすぎると、早く進みたくて気が急いている氏子たちからは「木遣りー、鳴けー!!」などと適宜ツッコミが入ったりもする。
真ん中の方はたすきを見ると木遣りコンテストで日本一の方だそうで。今回のこの秋宮一を担当している下諏訪地域は特に木遣り保存に力を入れているようで、若手の育成というか伝承にも積極的。たしかにほかの地域よりも巧いかも。木遣りは老若男女やっている様子は各地域で見られるが、小学生も結構多い。
ちなみに以前、諏訪出身の藤森慎吾(オリエンタルラジオ)が小学生のときに子ども向けの木遣りコンテストで優勝したことがある、という自慢話をテレビ『笑っていいとも!』のレギュラー出演初期に披露していたが、やはり上社よりも下社の地域(特に諏訪湖周辺)のほうが盛んかと。



曳行終了後に、多くの見物客は帰って静かになった木落し坂を三度覗く。ここまで5本の木落しが終わり(翌11日は残りの3本)、そうなると笹はかなり剥げている。



木落し坂の左右に登下降できる階段があり、そこから全長100mで最大斜度35度とよく紹介されるこの坂のほぼ中間の斜度が最もきつい箇所を見る。スキーの上級者コース並みか、上から見ると壁みたいだな、と見物客もよく口にしていた。
落ち口は25度程度だが、そこから徐々に急になって、たしかに崖っぽいかも。そんな坂に重量7、8tもの大木をあえて落とす必要のある祭が御柱祭。



下社の曳行の起点の、偶然? にも雑誌『BE-PAL』10年5月号特集の44~45ページでも触れていた棚木場(たなこば)は今回は時間切れで行けなかったが、帰り際に終点の注連掛(しめかけ)には行った。ここに11日夜現在で8本の御柱すべてが到着して、来月8日の里曳き開始まで仮置き状態となる。氏子も見物客も記念撮影する様子がよく見られる。特に写真の、春宮の4本のなかでは最も大きな春宮一が人気がある。
たぶん今月いっぱいの黄金週間前半までだったら、里曳きでまた散り散りになる8本の御柱をここで同時に静かにゆっくり観て触れるので、行ける方は行くと面白いかも。


という感じだった。前回の経験上、日帰りだと消化不良になるかと思ったが意外に楽しめた。

でも、木落し見物はもうちょっと見物客寄りに便宜を図れないものかなあ(「共同建設」というプレハブ小屋の建つ位置とか)とか、沿道でよく見かける出店の相変わらずのぼったくりぶりとか(例えばビール1本500円なんて、麓の酒店や西友でもっと安上がりになるし)、見物客のマナーとか、ツッコミどころはいくつかあったけど。まあほかの祭事でも観られる問題点か。

そういえば観に行った前日の9日(金)に、別件で偶然録画していたテレビ『情報ライブ ミヤネ屋』で、その日の15時すぎにあった春宮三の木落しを生中継していたのを夜に観直したが、初日のほうがまだ木落し坂の笹が摺り減っていない状態で御柱の落ちる速度もより速く、そのぶん迫力があった。木落しだけ観るのであれは初日が最も良かったかなー。NHKや民放の他局も、もちろんLCVも中継車が来ていたが、日本テレビ系列が独占生中継だったなんて、良かったじゃあないか。

来月の里曳きはどの日に観に行くかは、直前に予定が変わりそうなので未定。それぞれ2日ずつは観に行きたいけどなあ。どうだろうか。




2010年の御柱祭・上社山出し

2010-04-08 10:00:33 | その他趣味
を観てきた。4日(日)に日帰りでだけど。だから山出し3日目つまり最終日。
以下、写真とともに振り返ってみる。基本的な点の解説を交えて。


JR中央東線の下り(新宿)方面から茅野駅に入る少し手前から、車窓から上社の木落し坂がちらっと見える。これで9時前だが、すでにこの時間から規制が入っていて一般の見物客は近寄れなかった。前回は朝イチで行ったときは辛うじて線路間際で観ることができたんだけど。



なんか今回は前回よりも有料の観覧席を多く設けたようで、当日券を近隣で結構売っていた。でも高いよねー。僕みたいな貧民は遠目から双眼鏡でも持参して観るしかない。と思ったら、双眼鏡を忘れた。



で、仕方ないので木落し坂の上に回り込む。御柱を前方から曳く場合はこのように綱を氏子(曳き子)たちが数百人がかりで引く、そして御柱につながっている2本の綱、男綱(御柱から見て左側)と女綱(御柱から見て右側)を引くのだ。
綱を引くときは綱引きのような細いものではないもっと太いものなので、そのメインの綱にあらかじめ輪っかにしてある細い縄を結び付けて引っ張る感じ。岩登りや沢登りをやっている人はわかるはずだが、いわゆる「タイオフ」の結びで。もう1回巻き付ける「プルージック」ではないよ。



木落し坂の上はこのほうがわかりやすいか。坂の手前に、御柱を落とす直前まで張る綱を巻き付けておく太い杭も打ち込まれているのだが(写真中央右側)、わかるかなあ。それを御柱が落ちる寸前までピンと張って、その綱を斧で切って落とす、という仕組み。
しかし、この日は木落しを4本中3本観たが(前日に4本終わっている)、そのうち1本は御柱やそれに付いているV字型の景気付け? のための柱「メドデコ(=めどでこ。氏子は「メド」と略して呼ぶ)」に乗っている曳き手たちの重みに耐えきれず、斧で切る前に切れちゃっていたけど。そういうときもある。



木落し坂の下は、クルマ1台通るのも微妙なほどの狭い路地もあり、こういう民家ばかりのところもメドデコを外して通過する。



木落しの瞬間から30分程度で、このように信濃毎日新聞制作の号外のような特別号も適宜配布される。まあデジタル全盛の時代なので、このくらいの速報性は当たり前か。



宮川という川での「川越し」の場に移動。仮設トイレは曳行コース上に適宜設置してあり、見物客も氏子も報道・警備の関係者もみんな利用する。特に昼頃はどこでも行列ができている。女性のほうはやはり列が長くなって大変よね。



御柱が川を横断する「川越し」。この日は晴れていたこともあってかそのぶん見物客も多く、有料観覧席も対岸から見下ろせるようにあるが、大半はこのように土手上から観ていた。これだったら無料ですし。



曳行に参加している氏子を見ていてよく目に付くのが、このように縄で自作したり、ほかにもナイロン製の専用ホルダー? で日本酒の紙パックを肩掛けして、呑みながら御柱を曳いている様子。なので、祭の雰囲気で気分が高揚するためか、昼すぎには呑みすぎてできあがっちゃう年配の方もたまに見かける。銘柄はやはり地酒の「真澄」が大半か。



上社山出しでもうひとつ面白いと思っているのが、木落しと川越しの中間で国道20号を横断する場面。一時的に警察の協力でその交通を遮断して横断していた。僕が観た最後の曳行の前宮四の通過を計測したら、4分30秒かかった。これを1日4本ずつやるわけ。



御柱を曳いたあとの道路は、その柱(モミの大木)の木屑や綱の切れ端や氏子の持ち物の一部やタバコの吸殻などいろいろゴミが出るので、それを後方から拾って道路をできるだけきれいにする環境美化の係も数人いる。
ああでもタバコに関しては、氏子には喫煙者も多いのだが、曳行の合間の待機中のときなどには携帯灰皿を持って吸っているね。だからこのときに吸殻を拾うというのは、おそらく見物客の出したものかと。うーむ。



曳行の終了地点に先回り。ここでやっと御柱に触れた。1日の曳行が始まると、あまり間近に接する機会はないのよね。1日の曳行の開始前と終了後と昼間の食事休憩のときくらい?
御柱の前後には、このようにメドデコを刺す、そして柱を曳くための太い綱を通す穴がいくつか開いている。



上社山出し最後の前宮四ともなると、予定よりも時間が2時間以上? 押して真っ暗な夜の川越しになってしまう。見物客もこの時間になると激減で、実は寒さを我慢すれば最も近い距離でこの様子を観られるのよね。
で、今回はこのように景気付けのために? 氏子たちが発煙筒を焚いたりもしてちょっと幻想的な雰囲気もあった。これを観ないでひとつ手前の本宮四で帰った人たちはもったいなかったのでは。前回は最終日は雪だったので、こういう粋なこともできなかったが、今回初めての試みだったのかしら。



でも大きな照明もいくつか設置されているので、このようにちゃんと観られる。夜に川に浸かるのは、いくら久々の祭の雰囲気でテンションが上がっているとはいえ、八ヶ岳の雪解け水だから寒いよなあ。



再び曳行の終了地点で、前宮四の到着を観届けた。終了は僕の時計では19時48分だった。で、再び御柱に触る。これは最も端にあった太いものなのでたぶん本宮一だと思う。
ちなみに、御柱は例えばこれの場合は「本宮一之御柱」という正式名称があるが、氏子は「本宮一」で「ほんみやいち」、または「本一」で「ほんいち」、と略して呼んでいる。また、ひとつの社に4本建てる御柱のうち若い数の柱のほうがより大きいので、これが最も重いはず。
各地域でどの御柱を曳くかを事前に抽選するときも、若い数のやつを引き当てるほうが地元ではより名誉なことなんだって。曳きがいがあるというかなんというか。


まあこんな感じだった。写真、この日だけで700枚近く撮っちゃったなあ。そのなかから15枚選んでみた。

報道は、全国紙よりもやはり地元の信濃毎日新聞が詳しいかな。ここの特設ウェブサイトも要注目。

で、次は、10日(土)に下社山出しを観に行くつもり。この前後も絡めて泊まりがけで行こうと思ったが、いろいろあってたぶんこの日のみ日帰りになりそう。まあ、やることはだいたいわかっているので、6年前と同じ熱気があるのかどうかを確認しに行くようなものか。

あと、上社のほうの参考資料なのだが、旅好きの方に特に有名であろう写真家の小林紀晴が茅野出身で、御柱祭関連の本も出版しているのよね。写真集『homeland』と写文集というかエッセイみたいな『盆地』というやつ。でもどうやら両方とも絶版になっているようで。僕は後者は持っている(というか、前回の御柱祭の開催に合わせて出版された)。前者もどこかで一度見かけたが、持ってはいないのよね。うーむ。
まあ、どこかで見かけたさいにはこちらも参考に。