10日前の21日(水)、2月の雲取山以来5か月ぶりの登山として、埼玉県・秩父は武甲山南東の大持沢へ沢登りに行ってきた。
当初は行きたい沢をいくつか候補を立てていたが、最終的には経済的な事情つまり最も安く行ける(そしくアプローチも比較的ラクな)ここに決めて、ここは第3希望の沢だった(※1)。それで本項の焦点は沢登りや登山全般のレベルが云々とかいうことではなく、「経済的」ということ。これが最近の極私的大問題。
昨年から沢登りも含めてあちこちへ旅したいのはやまやまだけれども、お金がないせいで行くのをためらい、そして諦めた、ばったばったと倒れまくった計画は数知れず、そして今年も引き続き似たような状態が続いていて、計画はいろいろでっちあげてもまた未遂に終わりそうな計画はたくさん控えている。ここ数年、自分の身体的精神的な実力の有無の見極めよりも、いくらの出費で行けるかという費用対効果を含む経済的な事情が最優先で行き先を考えてしまいがちなのがちょっと悲しい。良い(善い)旅人は真似しないように。
まあ生きる・旅するために仕事(もちろん本職の校正のことね)にありつけないのは自業自得なのはもちろんわかっているのだけど(一般的によく言われる「仕事がないの社会のせいだ」とかいう責任転嫁みたいなことは声高には叫ばないようにしている)。
で、どのくらい酷いかというと、埼玉・東京近郊の日帰りで行ける軽登山や今回のような1回当たり2000~3000円ほどの出費で済みそうな行為にもなかなかおよばない、というか二の足を踏んでしまうくらい。ちなみにタイトルにある今回の沢登りで出費した2211円の内訳は、交通費1400円と行動食代811円の合計ということ。この金額ですら捻出するのに四苦八苦している状態。
だから、毎年次から次へと発売されて年々洗練されている新たな装備を整えるなんてこともここ数年は困難ですなあ。沢登りに限って考えても、大型のドライバッグとか新しい渓流シューズとか昨年から各メーカーの競争が激化した防水仕様のコンパクトデジカメとか、欲しいモノはたくさんあるけど、なかなか手が出せない。
各地への旅や山を含む自然へ赴くよりも普段の生活で仕事をはじめ外出するための交通費等を優先すると、それとともに旅欲も減退してしまう。お金がないと出かける気にならない、やる気が出ない、というのは昔から僕の悪いクセ? で、他人からすると単に働けばよいのでは、言い訳するな、とツッコまれてもなんとでも思われても、一応は「毎日が日曜日状態」というわけでもない僕なりの生活のペースがあるからその“予定”の優先順位に照らし合わせるとなかなかそうもいかない。
例えば、有無が微妙ではあっても仕事の連絡を即受けられるよう待機するために電話の電波の届かないところへうかつに行けない、あるどうしても観たい催しへ行くために予定を必ず空けておきたい、みたいな縛りが常に生じている。なので、そういうことの積み重ねによって悪循環に陥り続けている感じ。
まあこの状態もひっくるめて自業自得で、僕的には一応はその時々で後悔のない選択をしているつもりではあるけど、周りからは単に遊んでいるだけでは? と見られ、逆に小さいながらも常に葛藤を抱いているように見られなくてお気楽野郎なんぢゃないの? と見られることを心外に思うこともある。べつにそれをひた隠しにしているわけでもないのだが。でもだいたい後者のように見られることが多い。
そんななか、今回のように余暇の遊びのために費用をなんとか捻出して行くのもひと苦労。でもまあそのぶん、行けたら行ったで達成感はより増すけどね。今回の沢もしばらく運動不足だったわりには登攀具を出す必要もなく行けて意外に身体が動き、実は近々予定している別の泊まりがけの登山の足慣らしにもなったし。ただ、源頭部で集中力を欠いて少々ではあったが落石の発生を感じられなくてその一部が当たって負傷してあわや惨事に? という可能性もあったのは反省しないと。山から5か月も離れているとその感覚もやや鈍るか。
しっかし、ここ数年の周りの旅人や各分野の行動者の華々しい活躍を見ると、みんなよくそんなに国内外あちこちに出かけられるよなあ、とその各人の行為自体よりもそれに向かうための資金の工面の仕方のような下世話な面が歯噛みしながらどうしても気になってしまう。
今年は旅人の話を聴く機会が例年以上に多いのだが(※2)、それぞれの場でもその活動は自腹なのか取材名目なのかどこかしらのスポンサーが付いているのか、とかいろいろ勘繰ってしまい、これも悪いクセだ。でもまあ、それぞれの旅人が時間もお金も大量に注ぎ込んで人生の重点に置いて実践しているだろう行為だから、各々の行動を別個に切り分けて、人生の分岐点や最高潮が各地で同時進行で繰り広げられている、という解釈で考えるべきだけど、どうも最近みな一緒くたに考えてしまいがちだなあ。
ちなみに、自転車で諸外国を旅する、高所を登る、極地を駆ける、特定の地域へ通ってフィールドワークを継続する、未知の領域を探検する、などのそんな大きなことはできない小粒な僕が単独で行く旅については(※3)、これまでのどの行為もすべて完全に自腹で出かけているけど。
まあそんなこんなで、おそらく僕は一般的な旅人以上に常に何事かを妥協したり諦めたりしながら生きている迷える子羊、ぢゃなくて子豚なのかもしれない。
でもそれでも、今後も今のペースは崩さずに行きたい。ふん、諸外国を見渡すと北極圏やヒマラヤ山脈やアフリカの大砂漠やアマゾン川や4000年の歴史の大陸文化ぢゃなくても、日本にも真冬の北海道や日本アルプス・八ヶ岳や鳥取砂丘や信濃川・利根川や沖縄があるもん! とひがみ根性も時折出しつつ、今後も主に日本で活動していくもんね。身近なところでも頭の使い方次第で新たにできる、縛りを逆に良いほうへ活かせることもあるはずだ、と思っている。
周りからどう見られようとも、これでも極貧の旅人なりに気張っているつもりなのですよ。ひとまず、現状よりも1000円上げて3000~4000円でより楽しめる登山をもっとやれるように努めないとなあ。
●補足
※1
今回は「埼玉県内で日帰りで単独で山の感覚を取り戻すのに適したお手軽に行ける沢」という条件というか縛りで検討していたのだが、ちなみに第1希望は埼玉県・東京都境に近い「細久保谷左俣(シセン)」、第2希望は大持山の南の「冠岩沢」、第4希望は蕨山の北西の「ハネバミ入」、第5希望は熊倉山の北の「地獄谷」だった。すべてマイナー? ほかにも遡行図をいろいろコピーしまくって行きたいと挙げている沢は奥多摩・丹沢・奥秩父を中心に近郊だけでも常に100本近くあってそのなかから毎年選択しているが、沢の難易度とともに交通費やアプローチの長さを検討材料の上位に据えている。しかも30代後半は地元・埼玉県の沢をもっと突き詰めたくて、両神山・赤平川方面や三峰の大血川流域、それに25日(日)に防災ヘリ墜落事故があったブドウ沢近辺の沢もゆくゆくは行きたいとは思っている。あの報道を観ると、今夏はなんか水量が多くて難易度が上がっていたのかね。ほかにもやさしめで面白そうな沢があったら教えてつかーさい。
※2
やっている人の名前は本ブログで度々挙げているので、毎月の地平線会議の報告会の報告者も含めて各種行動者をあえて行動の結果だけで一部挙げてみると、カメット南東壁初登攀、ヤル・ツアンポー大屈曲部単独探検、ユーラシア自転車横断、ユーラシア徒歩横断、インドシナ~チベット・カイラス自転車走破、パタゴニア・ナバリノ島無人地帯トレッキング、K2単独登山、ヒマラヤ8000m峰12座登頂、北磁極単独徒歩到達、アマゾン川イカダ下降、という感じ。どれが誰だかわかるかな。それらに比べたら僕のやっていることは小粒だなあ、ってそんなことは言われなくても日々痛感している。
※3
単独ではない複数人の活動については唯一、01年冬のネパールの登山は複数人からカンパをいただいてそれも登山の経費に充てさせてもらったため、大学時代のワンゲルの関係者をはじめ周りの方々にお世話になっていた。という経験も一応はあるので、いつも行動者を視るうえで自腹でやっているのか否か、の見極めに結構こだわっていたりする(お金ではなくモノでも。モノは単に物品の提供のみかアドバイザー契約で仕事を兼ねているかでまた事情は微妙に異なってくるし)。最近話題のエヴェレスト単独無酸素登頂を目指す栗城史多氏はどちらの感覚で臨み、普段はどんな仕事観を持っているのだろうか、というのがすんごい気になる。また彼の最近のツイッターのツイートで「お金がないから出来ない。そんな甘い人間には、僕はなりたくない」というのがあり、100%自腹で登山やネット中継をやるのならばわかるけど、8000m峰へ向かう現在は完全に他者の善意で成り立っている登山だから甘いか甘くないかとかいう言い分は説得力に欠けるよなあ。「共有」を殊更に謳うと自分の行為の責任の方向性が変わってくるというか(自分へ向かうのか他者へ向かうのか)。世の中には諦めも肝心、自分の身の丈をわきまえろ、という場面も多々あるし。どうなるんだろう、まだ資金が揃っていないという見切り発車状態の今秋は。