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思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

震災の報道も「モーメント」に期待

2017-03-11 23:59:59 | 東日本大震災
東北地方太平洋沖地震の発生から6年経ち、今年も報道の見出しでは「東日本大震災から6年」の表記が多いが、震災はまだまだ続いている。
今年もこの時期は確定申告はじめ「事案」が結構多いので、今日に開催の気になる催しもいくつかあったがそれらに出かけることなく、テレビ番組とツイッターで東北地方に関する報道を観ていた。

今年に限らずテレビ番組の(6年前の本震の発生時と津波の映像をまた見せたりするという)報じ方は一辺倒で配慮に欠けることから食傷気味でそんなものは観ないぞとわざわざ宣言する人もいるが、僕はそんな感情は置いておいてとにかく東北の現状を知ることのほうが重要だと思っているので、積極的に触れるようにしている。というか、3月11日とその前後に限っては震災に関する報道量も増えるが(ただ、昨年4月からは熊本県の震災に関する報道もあり、どちらも注視したい)、こんなときこそ触れられるのであればなるべく触れるようにしたい。まあその最善の方法はやはり現地へ出かけることだが。

そんななか、インターネット絡みでは引き続きツイッターを最も活用しているが、昨夏から始まった「モーメント」の機能が報道の数々のリンクをまとめるのに好都合の感で、今回は写真が主体の記事はそれを最も注視した。
特に以下の大手の媒体のアカウントはほぼチェックした。まあいずれも、普段から写真記事をよく覗いているアカウントですけど。


朝日新聞 映像報道部
https://twitter.com/i/moments/837121419293044736

読売新聞写真部
https://twitter.com/i/moments/840516748759584768

毎日新聞写真部
https://twitter.com/i/moments/840490069462925313

産経ニュース
https://twitter.com/i/moments/840434724459831296

日経新聞 写真部・映像報道部
https://twitter.com/i/moments/840462371583799296


各記事のリンクがいつ切れるのかはわからないが、なるべく長く残してほしいものだ。

あとはツイッターでは普段から東日本大震災に関しては全国紙とともに地方紙の、河北新報、岩手日報社、東奥日報、福島民報、茨城新聞社、千葉日報のアカウントも時折覗いているが(例えば近々のJR常磐線の一部区間の運転再開に関する報道は、ほぼ河北新報と福島民報頼みだったりする)、河北新報ではモーメントで今日のためにアンケートをまとめたものもあった。


<震災6年>ネットアンケートまとめ
https://twitter.com/i/moments/840352730682085376


インターネット関連でまとめものというと、昨年後半に著作権侵害絡みで問題視されたキュレーションメディア? や、たまに覗くtogetterもあるにはあるが、ツイートの数々を視覚的にというか直感的につなげるモーメントのような(togetterよりも客観性のある?)まとめかたは良いと思う。
現在のツイッターの活用は世界的に見ると日本が最も上手い? らしいが(世界的にはSNSはフェイスブックが主流らしいが)、今後もSNSの雄としてさらなる充実に期待したい。

昨年は東北地方といっても6月に岩手県の花巻と紫波へ目的を絞って夜行高速バスとJRで往復しただけになってしまったが、今年こそは太平洋岸も、と思っている。僕が特に気にしている交通事情ではJR常磐線の不通区間が福島県東部の避難指示の緩和とほぼ連動して徐々に解消されつつあるが、国土交通省のプレスリリースを参照しながら宮城県・福島県境のあたりも再び自分の目で確認しに行きたい。

今年は年始から東北への意識は例年よりも強く持っていたが、予想外に「家庭の事情」などの遠出し難いできごとが相次いで旅の計画も頓挫している(実は1月中旬から今月までの2か月間に東北以外の地域も含めて4つの旅行を計画していたが、すべて取り消す事態に……)。しかしなんとかその隙を突いて出かけたいものだ。

久々の飯能と、震災復興元気市(仮)

2016-03-09 12:00:00 | 東日本大震災
埼玉県飯能市が震災後に度々催している「震災復興元気市」はずっと気になっていたが、今年は今月6日(日)の回にようやく初めて行くことができた。あれから5年経っても埼玉県内で復興支援的な物産展のようなものを継続しているところでは、ここが最も大きな規模かも。
またもや出遅れて、覗いたのは午後の2時間ほどだったが、主会場が各種催事でよく利用する中央公園であるためか、思ったよりも賑わっていた。市としても今や催事というよりも、市と連動して市民会館でスーパーよさこいの公演もあることもあってか祭事のような位置付けの催しになっているらしい。

このついでに近所の天覧山にちょうど半年ぶりに登ったことも含めて、追記は後日。

































4年後は、目に見えて交通が改善

2015-03-11 23:59:59 | 東日本大震災

東日本大震災から4年経ち、当然ながら今日の節目の日を中心に前後の数日間は、原発および福島県の風評被害の問題も含めて東北各地に関する報道の量も一時的に増えるのは毎春恒例になってきた。
今日の日中は在宅だったので14時46分前後のテレビ番組を観ていると、伝え方に難のある番組もあるにはあったが、2、3年前に低く予想していたよりも各種媒体が引き続き取材に力を入れていて報道に限ってはまだまだ「風化」はしていない印象で、その点は悪くないと思う。

それで、僕個人的に今年の東北のできごとで最も注目しているのは、昨年の国道6号の全通(ただしクルマのみ)以降の福島県から宮城県の海沿いの交通の改善ぶりで、Yahoo!地図ブログの6日付の記事と地図を改めて眺めてもわかるが、1日(日)の常磐自動車道の全通も特に物流面でかなり好影響と思われる。東京近郊から、仙台までの浜通りの各地を高速道路1本で行けるようになったから。また、今後のJRの運転再開に期待が高まる。

そんななか、クルマなし人間で人力移動とともに公共交通好きでもある僕としては特に、1月末からのJR常磐線・竜田駅と原ノ町駅を結ぶ代行バスの運行が最も気になる。竜田駅は12年9月、原ノ町駅は11年12月に行ったきりでご無沙汰なので、バス利用で近いうちにぜひ。
JR東日本・水戸支社に運行情報があるが、バスの本数は需要がまだわからないから1日2往復と少なめではあるが、(JR列車と乗り換えの接続がないことには目をつぶるとして)運行すること、路線をつなげることに大きな意義があると思う。
10日(火)に政府の、常磐線は3年後までに全線復旧の方針が示されたが、(これまでに本ブログでもしつこく言っていることだが)クルマに乗らない・乗れないから、そして純粋に鉄道を好んで望んでいる人もいるので、こちらも期待したい。

ちなみに、今日の震災関連の報道で最も良かったのはツイッターで知った、(上の実物写真もあるが)今日付の東京新聞朝刊1面の空撮写真で、これもまた東北のなかでも特に国道6号を取り上げた記事に力を入れているので、かねてから東北のなかでも仙台以南の地域を注視している僕としてはとても良い報道である。

さらに地域をもっと絞って4年前から気にしている亘理町も、名産の苺の出荷に関する朗報もあるね。また先日、NHK『鶴瓶の家族に乾杯』で1月中旬に笑福亭鶴瓶と大竹しのぶが巡っていた様子も観て町の近況はよくわかったが、ここもなんだかんだで3年以上もご無沙汰なので早めに再訪しなければ。

現状、もろもろの事情が上手くいけば早ければ4月中に1回行けそうな感じだが、また計画倒れにならないように善処したい。

3年経過

2014-03-11 23:59:59 | 東日本大震災
東日本大震災から3年で、もうそんなに経ってしまったのか。先週から今日までに多く放送される(この時季の恒例になってしまった)震災関連のテレビ番組の特番や新聞記事は、なるべくチェックしながら録画・保存するようには努めていた。

インターネット上での特に目立つ特集記事もいくつか。


お金でたどる震災3年(朝日新聞デジタル)

データで見る震災3年(NHK NEWSWEB)

東日本大震災から3年 つながろう、明日も(Yahoo!JAPAN)


このほかに、今日更新の東北楽天ゴールデンイーグルスの「とうほく」も観た。

そういえば先日は震災関連のドキュメンタリー映画でやらせ問題が話題となったが、それとは別にフィクションのほうでは、なかでも比較的わかりやすいマンガやアニメでも(復興支援チャリティ的な読切の作品集ではなく、ふつうに創作として)震災関連の事象を描く作品が徐々に出てきたが、マンガでは『モーニング』で不定期連載の『いちえふ ~福島第一原子力発電所案内記~』が面白い。「面白い」と言うと語弊があるが、しかしこれまでに発表された原発作業への潜入ルポ的な話では、例えば1日の作業で使う着替え・マスクの種類や作業後の発汗量の多さなどの細かい描写はやはり文章よりもとっつきやすい印象で。単行本は買うつもり。
アニメでは『Wake Up, Girls !』を観ているが、基本的には仙台で活動する7人組のご当地アイドルの成長物語ではあるが(ただ、大手と弱小の組織ごとのダンスレッスンの描き分けやプロ意識の高低などと『あまちゃん』の「アメ横女学園」や『THE IDOLM@STER』の「961(クロイ)プロダクション」よりも弱肉強食ぶりが露骨な描写もありつつ、現実では大人気で全国区の某アイドルグループの風刺も多々入っている?)、端々で仙台や石巻の「震災後」も描いていて、特に先週放送分の第09話の気仙沼のくだりはちょっと考えさせられる。作画は微妙だが、話の筋は良いと思う。劇場版も観たくなっちゃった。

昨年から経済的な理由などいろいろあって(青森県以外の)東北にはなかなか再訪できないが(最近では先月の甲信地方の大雪からの復旧具合のほうが、集落の孤立は2日(日)にすべて解消されたものの依然気になるし)、もう少し余裕ができれば再び足を運びたいものだ。
自分にもできることとして現状は、3年前のことを風化させないというか忘れないことに努めるしかない。
「忘れない」というとヤフーでもうひとつ、「Search for 3.11」も秀逸。
地理学的にも興味深い「ビッグデータ」という言葉とこれを使った見せ方も、NHKの番組で一昨年あたりから頻出したこともあって震災後はすっかり浸透した感じだなあ。

そういえば、ツイッターで誰かがつぶやいていたことに、「震災から3年」という表現はおかしい、「震災」は現在も続いている、というような意味のことがあったが、いわゆる「避難所」はすべて閉鎖されたものの復興どころか復旧もまだまだの地域も多く、たしかにそうかも。直接的な言い方ではあるが、「東北地方太平洋沖地震から3年」のほうが妥当か。今後は特に、来月からの消費税増税と20年の東京五輪の準備が東北へどう影響するのかが気になる。
僕個人的には今後は得意分野の旅の要素のある、「みちのく潮風トレイル」の整備の進み具合を軸に東北を注視してゆくことになると思う。

あれから2年、そして今年は

2013-03-11 23:59:59 | 東日本大震災
東日本大震災から2年経ち、14時46分頃はちょうど在宅でテレビの特別番組をザッピングしながらいろいろ作業していたもので、ちょうどというかきちんと黙祷できた。

で、今後、自分の身の丈に合ったところでできることとして何があるか? を改めて考えると、普段のかねてからの東京都内の東北3県アンテナショップや物産展での買い物のほかに、最近たまに覗いている東北の復興商店街を紹介するブログを参考にしながら現地へ直接いろいろ買いに、食べに行きたい、という目標を設けた。
僕が一昨年から比較的こだわっている仙台以南の地域でもこのような商店街が結構増えてきたので、当然、興味関心はある。ブログとともに、雑誌をはじめとする各種媒体に触れていても最近は東北の物産や食に関する記事が特に気になるし。もちろん、そのほかの観光資源や各自治体の動向についても引き続き注視してゆく。

東北沿岸部の復旧・復興の質やら速度やら、それに(昨年末に政権交代したところで)依然あまり進展していないように見受けられる東京電力福島第一原発の扱いについても思うことはそれなりにあるが、今年は四の五の言わずにとにかく東北へもっと出かけたいものだ。
そのためにはひとまず、働かないと。

今年は東北への拠出は低調

2012-12-29 23:59:59 | 東日本大震災
今年は年収がここ10年で最も少なくて厳しかったこともあって(28日(金)の投稿の“私事”の影響もあり、今年も6桁……)、先日交代した自民党が主体の政権の人々よりも東北への思いと想いは持っているつもりでも、「支援」という意味では低調だった。義援金・支援金の拠出も0円で、そちらの面では何もできなかったのが悔しい。

ただその代わりに、なるかはどうかわからないが、今年は岩手・宮城・福島の3県のアンテナショップへ行く機会は積極的に設けて、駅前やフリーマーケットなど街なかで東北支援的な即売会でも催していようものならなるべく覗くようにはしていた。
で、微々たる金額だがたまに買い物もしていて、おそらく今年の合計で5000円以上は買っていると思う。もちろん、それだけではたいしたことはないけど。東京都心のアンテナショップ、特に東銀座のいわて銀河プラザ、池袋の宮城ふるさとプラザ、東京の福島県八重洲観光交流館、の3軒のうち、買い物はいわて銀河プラザが最も多かったか。


今年は海産物や酒類を含む飲料のほかに興味深い実用的な小物も多く見かけて、写真は盛岡市のマルツ工房の「イワテヌグイ」の今夏の新作だが、デザインが良かったので買った(税込1260円)。今後は東北への意識を持続させるためには飲食物のような“消え物”よりは、日常で使い続けられる、多く触れることによって東北を頻繁に想起させるモノを買うほうがよいのかもしれない。

今年は、昨春から特に気にしている宮城県亘理町への再訪もこの年末までにせめて1回はと思っていたが結局は金銭的に無理で断念し、来年は登山以外の他地域への旅は極力控えて、東北への再訪の時間をできるだけ作りたい。よく考えたら1年9か月前の震災後に、(北海道以外では)仙台市より北へはまだ行っていないし。

買うのも行くのも何をするのも、まずはお金だよなあ。

福島第一原発の南側の新しい規制線へ

2012-09-30 23:59:08 | 東日本大震災

今月も金欠が続いているが、そんななか今月上旬に青春18きっぷ1回分が手に入ったので、昨年から一度は行っておかなければとずっと思っていた福島県の東京電力福島第一原発(最近は略称の「フクイチ・ふくいち」や「F1」とも呼ばれるか)の周りの規制の南側のほうへ8日(土)に日帰りで行ってみた。折りたたみ自転車とともに鈍行列車だから片道約6時間かけて。

で、当初は広野町までしか行けないんだろうなあと思っていたが、規制線は後退し、国道6号を北上して楢葉町に入って冨岡町との町境まで行けた。先月10日から楢葉町が避難指示解除準備区域に切り替わったことは当然知っていたが、日中はふつうにそこまで行けることがわかった。「フクイチ」まで14kmくらいの地点か。福島第二のほうはすぐそばで。

国道を逸れると人けのない民家がたくさんある。それを視て想うことはいろいろあるが、まだまとまっていないし、もし線量計を携行して計測しながら行くとまた違ったことを想うのかもしれないと考えると、ここで安易に書けるようなことでもないので、ひとまず以下に写真のみとする。



Jヴィレッジの入口。


JR木戸駅と竜田駅のほぼ中間あたりの常磐線の線路。


木戸川。


国道6号。


国道6号。後方が規制箇所。


上の写真のそばからの常磐自動車道。


福島第二原発(へ続く道と思われる)手前。


竜田駅前。昨年のポスターがそのまま。


竜田駅前の壊された自動販売機。


竜田駅前の駐輪場。


竜田駅前の郵便ポスト。他所でも同様に閉められていたのはいくつか見かけた。


天神岬スポーツ公園のサイクリングターミナル付近。除染のあと、らしい。


天神岬からの木戸川河口。


楢葉町内。


国道6号。これは冨岡町以北の警戒区域内へ作業などで行くクルマやバスのための掲示かと思われる。


この町に縁もゆかりもない他所者が行ったからといって警察の巡回もまだまだ多い土地で何ができるのか、とももちろん考えるが、冷やかしと思われようとも実際にその場所を自分の目で視ないとわからないこともあると思う。できれば人力で。

今後も町の動向は注視していかなければ。

昨年末に続き、北側の南相馬市も4月に解除された小高区を中心に早めに再訪したい。まだなんとなく、同心円が生きているもんなあ。

また、この帰路に夜のいわき駅前にも数年ぶりに立ち寄ったが、いわき市内は今はもうふつうの状態に戻っている(ように見受けられた)ので、こちらも日中にもっと詳しく巡る機会を設けないと。

映画『石巻市立湊小学校避難所』が公開されるまでのこと

2012-09-03 21:00:59 | 東日本大震災
先月18日(土)の新宿のケイズシネマでのモーニングショーから公開が始まり、今後はひとまず大阪・名古屋・仙台での公開も決まっている、藤川佳三氏(以下、カントク)が監督を務めた昨年の震災に関するドキュメンタリー映画『石巻市立湊小学校避難所』を、ようやく先月31日(金)に観た。
金欠続きではあるが、前売券を買っていたもので。

今年、震災関連のドキュメンタリー映画の公開が相次いでいてできるだけ多く観たいとは思っているが、なかなかそうもいかないのが悔しい。今後の再度の公開の場をできるだけ拾いたいものだ。
でも数年前から登山・野宿関連の知り合いで、5年前に僕も多少かかわったふざけた? 短時間の作品も手がけているものの、本分はドキュメンタリーであるカントクの作品は特に観たかったし、(内容を考えると語弊はあるが、映画として)楽しみにしていた。

公開前に大手を含むいくつかの媒体への映画評はいくつか出ているし、公開後の観客の感想は主にツイッターで拾い続けているね。この公式アカウントもカントクの手動によるもの。

結果、仲間内というひいき目を取っ払って観ても、良かった。カントクの代表作が『サオヤの月』から今作に更新されたかなー。
映画の概要は公式サイトにあるとおりで、現在も随時そこにある「監督ブログ」で昨年の撮影時の状況を補足する話と写真を本編でカットした部分を中心に更新しているが、昨年の4月から避難所が閉鎖される10月まで6か月ものあいだに(実際には避難所の閉鎖後にも再訪しているが)あんなに避難所の方々との心の距離を縮めて濃密な関係を築きながら、東京と石巻を数回往復しながらも寄り添い続けていたのかー、と、普段たまに一緒する登山などで夜に酒を呑む段になると酷いときは「仕事がないんすよ」とよく愚痴をこぼしながら呑み続けて、しまいには我を忘れて(ときには仰向けでもうつ伏せでもない)ヘンな体勢で寝てしまうくらいの酔っ払いに変貌してしまう酒癖の悪さ? もちょいちょい見てきたカントクの本領発揮ぶりを、ようやく今作を通じて大型スクリーンで視ることができて、唸った。

カントクというと、ドキュメンタリーを志向しながらも近年は映画業界においての先輩格である瀬々敬久監督の仕事に多く参加し、最近では『へヴンズ ストーリー』で制作担当だったことも本ブログでも触れたが、比較的名の通った瀬々氏が今作のプロデューサーにまわっているということで、興行的には今後も規模は案外大きくなりそうか。
ここ数か月もカントクと会うたびに「やばいんすよ」と宣伝と集客への不安を吐露していたが、あの内容であれば長い目で視ればもっと拡がりはありそうだと思うけどなあ。大手媒体では扱い難い貴重な記録映像であるし。

そういえば、カントクがまだ明確な目的も持たずにいち個人ボランティアとして石巻市内に初めて入った昨年の4月21日は(結果的にはこの日が撮影初日となったが)、ちょうど僕も同じ日に宮城県内の亘理町へ同様に手伝いに行っていたが、そのときにツイッターかメールかは忘れたが僕が宮城県内にいると察知したカントクから夜の(ボランティアセンター付近での)テント泊中に連絡があって少しやりとりしていた。でもこのときはもちろん、石巻のしかも湊という限定的な地域でそんな長い付き合いになるとはまったく想像できなかったけど。
ただそのとき、手伝いとともにビデオカメラ持参で撮影もする、と触れていたので、3月11日のあの大地震と大津波から1、2週間後あたりから“被災地”へ災害ボランティアよりも早くジャーナリストやドキュメンタリー写真・映像をやる人々も続々と現地入りする話はちらほら聞いていたので、カントクもその流れのひとりなのかなあ、とはうっすら思った。
結果的にその、規模の大小を問わず一過性のネタとして拾う程度の媒体もあるのも含めて“被災地”と“被災者”を取材して仕事にする立場の人々のなかでは、カントクが最も長くと言ってもよいくらい現地へ通い続けたことになるか。でもカントクの場合は仕事というよりは、取材よりもさらに人々の内面に突っ込んだ画が撮れたのは地域的にも(ロードムービーよろしく)線ではなく点を押さえて、長い時間をかけた友達付き合いの賜物か。

ちなみに、その後も基本的に石巻に滞在しながら東京との往復生活をしていたことも聞いていて、また昨年同時期の焚き火+野宿話のメンバーのうち石巻へ行った、というのが実はカントクのことで(その合間に会う機会があった)、今考えると避難所の閉鎖直前のこの頃から映画化の話は軽く聞いていて、その後も今年初めに編集に難儀していることも耳にしていたが、合計で190時間も撮影していたなかから2時間4分にまとめるのはそりゃあ難産だっただろうなあ。

と、僕も1年5か月前の同時期に宮城県へ行っていたことも思い返しながら、でも石巻というと東日本大震災の“被災地”のなかでも特に被害規模が大きかったために、市内中心部は支援も取材も入り乱れて混沌としていたらしいという話は小耳に挟んでいたものの、劇中の支援物資搬入やカレーパーティーの仕込みやバザーの映像、それにこの作品のプログラムにも掲載されたいくつかの証言によって改めてよくわかった。終盤に挟んだ市内の津波の映像も初めて観たものなので、衝撃的であった。まだまだ埋もれている映像や証言はたくさんあるかもね。

新宿での公開は来週14日(金)までで、今月から他所での公開も決まってはいるものの、その後はどうなんだろうねえ。
映画館に限らず自主上映にも意欲的なので(でもこれは映画館が一段落したあとの再来年以降のことか)、今後の防災対策というよりは、被災によって(言い方は悪いが)支援や報道する側の人々が一方的に期待しがちな? 悲嘆して絶望し続けるわけにもいかない、それに非常時であっても“被災者”にも生活があるという、避難所という特異な空間での前向きな生き方の参考に一度は観ておくべきだと思う。
島国で山国でもある日本では今後、地震も津波も、それにここ2、3年で顕著な豪雨災害も含めて、どの地域でも起こる可能性のある状況だと思うから。ぜひ。

全国を一巡したあとに、新宿でのアンコール上映の可能性もあると思う。





最後におまけ写真。



先月も触れたが、公開初日(先月18日)にNHK『ニュース7』の取材を受けたときのカントク。
この取材の数時間前は一緒に野宿していたのだが(Tシャツは寝間着として? の別のものを着ていたが)、まさかあの夜に僕も普段よく観る全国放送に登場するとは! と放送を観ながらびっくりした。

そういえば、今年初めにカントクから鑑賞券を5枚でも10枚でも買ってくれ、と冗談ではなく本気で言われたが、さすがにそんなには厳しいけれども、もう1回くらいは観たいので今後マジメに考えよう。

もうひとつおまけを。
カントク、今月下旬にここに登場することになったようで。もちろん聴きに行きますとも。


※5日(水)の追記

もうひとつ、おまけのおまけ写真。



これは本文でも触れた、5年前のふざけた短編映画? を8ミリカメラで撮影していたときの様子。左の撮影者がカントク。東京都内にて。
昨年の石巻ではソニーの業務用のHD(ハイビジョン)カメラで撮影していたそうだが、被写体との距離感はこれと同じくらいだったのだろうね。特にドキュメンタリーであれば。

ちなみにこの短編映画? は部数限定のDVDとして販売されて今はもう入手困難だが、会社のようなもの? の重役あたりに擦り寄れば今後も観られる機会はあるかもしれない。

南北からの支援・応援の機運

2012-03-11 23:59:39 | 東日本大震災
東日本大震災から1年の今日、僕は特に外出して何かの催しに参加することもなく(まあ故障した右足の養生のためでもあるけど)、朝から晩まで18時間近く、震災関連のテレビ番組をつらつらと観ながら、いろいろ思い出したり考えたりした。
僕個人的な昨年の3.11での強い印象は池袋駅構内の冷たい床で寝たような帰宅困難者? になったことだなあ(でもこんなのは東北に比べたらたいしたことないけど)、とか、いろいろ。

正直、直接的に被災していない立場の僕からすると、まあこの日に思うことは大多数の国民と同じことだろうが、今後も特に東北の太平洋岸の地域を注視し続ける姿勢は変わらない。今年も機会を見つけてはできるだけ彼の地へ出かけたいし、それが難しければ支援金を拠出したいし、もちろん国政と東京電力の不備も注視し続けたいし。

で、先々月と先月に北海道と沖縄県へ行ったさいに見かけた、東北への支援・応援の機運が本土よりは少ないのは距離的にも致し方ないことはわかるが、たしかにあることも知ったので、その写真を。



1月、JR札幌駅。目立つところにあった。


2月、那覇市の国際通りを通る路線バスの側面に大書。ちなみに県内では公共施設やスーパーなど各所で「ちばりよー(頑張れ)」の言葉もよく見かけた。


おまけ。成田空港の国際線出発ロビーにある募金箱。日本の通貨が大半だが各国の硬貨や紙幣も入っていた。


実際に北海道と沖縄県へ行ってみると、その遠方からの特に人的なカタチの東北への支援に向かう人というのは時間的経済的にも大変だよなあ、と実感したが(東北に関する情報も、いくらインターネットが普及したといっても僕の住む関東地方よりも得難くも感じた)、それでもそういったハンデを乗り越えて行動に移している人は地元紙などを読んでも、年をまたいだ今も多少はいることがわかった。それに特に沖縄県では米軍基地問題が依然横たわっているなかでそういう声を上げるのは大変だろうが、行動するのはたいしたものだと思う。

今後もどちらかというと人的よりは金銭的なほうが主体になると思うが、支援が継続されるといいね。

たまにの日本酒でも支援

2012-03-09 22:11:18 | 東日本大震災

先日、東京都・銀座へ出かけたさいに「いわて銀河プラザ」へも立ち寄ったら、岩手県は一関と陸前高田の酔仙酒造の「雪っこ」という日本酒の缶入りがあり、活性原酒で季節限定というのに惹かれて買って、呑んでみたら思ったよりもアルコール度数も数字以上に濃い感じで旨かった。アルコール類では基本的に日本酒よりもビール・焼酎派にもかかわらず、触れ込みどおりにロックとか牛乳割りとかホントにいろいろな楽しみ方ができるかも、好いな、と思った。

明後日であの大震災から1年経つが、僕としては引き続きこのようなほんのわずかな金額と行為ではあるが、東北への意識は今後も途絶えさせないように努めたい。ひとまず、先月に右足首を痛めたこともあって東北へ向かうのはしばらくお預け状態の僕に最近できることは買い物から、か。

各種媒体の報道なども今月に入るとやはり震災関係のものが11日をピークに溢れてきつつあるが、それらすべてをチェックするのは困難だけれども、まあ普段見慣れた媒体を中心に、テレビ番組で目ぼしいものは録画して押さえている、つもり。
特に、3日(土)から毎夜放送しているNHKスペシャルは録画で後追いだがすべて観ていて、これだけでも何事かを振り返り、そして今後も自分がどう行動してゆけばよいか、といろいろ思うことはある。映像記録としてもしっかり保存すべきやね(特に4日放送分の3.11当日の映像は)。

雪っこ、は近々また銀座へ出かけたさいに在庫があれば、いろいろな呑み方を追求するために多めに買ってこようかな。

いろいろなことを想うために、ようやく20km圏へ

2011-12-31 20:30:00 | 東日本大震災

年末なので仕事も含めてやることはたくさんあるが、いろいろなことを一時止めて27日(火)から30日(金)まで東北へ8か月ぶりに、具体的には福島県北部と宮城県南部の被災地を観に行ってきた。

当初掲げた主な目的は、

1.福島県在住の知人に会う
2.常磐線の亘理不通区間の周辺を歩く
3.東京電力福島第一原発の20km圏内へ行く
4.亘理町への8か月ぶりの再訪
5.仙台空港周辺および仙台市内へ8か月ぶりの再訪
6.微力ながら、地域の物産展で買い物
7.宮城県今後の移動経路の確認

3泊4日にしては掲げすぎできつく、やはり結局は時間が足りなくて5と7が無理だった。あわよくば石巻や東松島あたりにも行こうと思ったが。まあそれは来年以降にまわす。

結果を順番に簡単に。
1。3年ほど前からか、本ブログの関野吉晴さん関連の投稿がきっかけでたまに連絡を取るようになった、福島県と縁があって、でも育ちは埼玉県で、就職では福島県に戻ってきて、という高校教師の知人とオフ会的に初めて会い、福島駅前で手短にだが情報交換してきた。
まあ福島県というと震災というかどうしても放射能関連のことが主になり、福島市内在住だったが原発の事故以降そして現在も親類のつてで会津地方に家族ごと避難というか移住して、クルマで市内の勤務先の高校に通っているという現況を聞いた。福島市内の放射線量も今も3月からたいして変わらず、市の中心部で1μs/h前後らしく。以前にいわき市内の高校にも勤めていたのでそちらの事情にも詳しく、先日も行ってみたら放射能の影響は少なく、逆に原発関連の復興特需? で賑わっていて今後伸びるのではないか、という推測も聞いた。いわきは来年行くつもりなので、そのへんも確認しておきたい。


やや積雪のあった27日(火)のJR福島駅。

2。4月に行った宮城県亘理町のJR亘理駅以南で運行している、福島県相馬市の同相馬駅までの不通区間の代行バスに乗りまくり、不通区間内の駅とその周辺の土地もおおまかに視てきた。特に海から近い坂元駅と新地駅の周辺は言葉が出ないショックな光景であった。半径数百mは人けと音が無い(あるにしても重機の動く音と波音くらいの)野原という感じで、線路もおおむね撤去されて雑草が生えまくっていた。線路を内陸に移設する案が出ているそうだが、どちらにせよ運行再開までかなり時間はかかりそうだなあ、少なくとも来年と再来年は代行バス頼みで続くかも、と歩いてみて実感した。
代行バスは4月に比べて運行本数が増えて駅(停留所)も軽く整備されて、あとは地元民以外の他所者が利用するさいの細かい対応の仕方を改善すべき。


28日(水)朝のJR新地駅。というよりも現在はその跡地。

3。べつに僕が行ったからといって何もできないし何か起こるわけでもないのはわかっているが、なんかここを自分の目でたしかめておかないと年を越せない気がしたので常磐線利用で、あの無意味な? 同心円で区切っている原発から20km圏の、北側の規制の検問まで行ってみた。福島県南相馬市原町区の。
上の写真が国道6号のそこで、28日(水)の午前。原発関係者や地元住民? のクルマの出入りが数分おきにと案外多かった。ちなみに、このとき規制の任務に就いていたのは千葉県警察だった。近県で持ち回りなのかね。
にしても、クルマやオートバイのような動力利用ならラクだろうが、僕のように人力(徒歩)と公共交通の利用のみで北側のここまで行く場合、1日がかりで時間かかるわ。東北本線と常磐線を乗り継いで、亘理駅から代行バスで相馬駅まで行き、相馬駅から原ノ町駅まで21日(水)に運転が部分再開した常磐線に乗って原ノ町駅へ、それでそこから徒歩で、でホントに1日かかる。福島駅と原ノ町駅を結ぶ路線バスで東西にショートカットしてもたいして変わらないか。
南側の広野町のほうは頑張ればウチから日帰りできる距離なので、近々行ってみるつもり。来年はこの規制線がもっと後退するといいけど、どうなるのだろう。
そういえば原ノ町駅に、行先表示が上野駅のままの特急「スーパーひたち」が1編成停まっていたのがなあ……。あれはどうしようもないよなあ……。動かさないと線路と同様に錆びてしまうかも。


JR原ノ町駅のきっぷ券売機の運賃表。常磐線沿線や仙台周辺の駅の運賃表は不通区間の目隠し状態が続いている。いつまで続くのか。

4。4月に災害ボランティア活動に参加して訪れたその元本部や町役場、それに津波の被害の多かった仙台東部道路の東側も歩いて、4月に視たところも再訪しながら各所をしっかり確認してきた。まあ大概は瓦礫の撤去が済んで、視界が開けてしまった野原というか更地ばかりだが。鉄柵や崩落した道路の法面や傾いた電柱などの優先順位の低そうな手付かずのところもまだまだたくさんあり、前回から時間が止まっているような感覚も。
それから、その頃は規制していて入れなかった「鳥の海」や荒浜港の周辺も行き、海岸で海水にも触ってきた。土のうをずらっと積んだ防波堤付近は高いところでは10m以上積まれた瓦礫置き場になっていたけど。
亘理町では多少、それよりも南の地域ではもうちょい多かったが、津波で被災した家でも、空き家が多いところでも電気が通って住めるところでは戻っている家庭もあるし、同じ場所に家を新たに建て替えているところもあり、と対応は家庭によってまちまち。これは各家庭の経済力の差や保険の掛け方にもよるのだろうか、とも思った。


堤防の左側が鳥の海。右の陸側は崩壊し、このへんの水たまりの大半は、海抜ゼロメートル地帯のために津波の海水がまだ引かずに残っている。
ちなみに、この道路の崩壊箇所をどのように通ったかというと、写真右の更地のほうから回り込めるがそれが面倒で、ショートカットで堤防の上を通った。ただこのときは風が強くて直立歩行の通過ではよろけてどちらかの側に転落しそうだったので、四つん這いで。車両は通行止めでも人力移動ならばなんとか通過できる、という箇所もまだまだ多い。

6。3食の食事に案外費やしてしまったため、当初よりも予算的には少なめだったが、買い物は主に福島駅前の物産店「コラッセふくしま」と、亘理の荒浜港前にプレハブで仮設した「鳥の海ふれあい市場」で。後者はまあ大概はクルマで訪れる観光客だが結構賑わっていた。やはり今後はボランティア活動以外でできることはお金を落とすことかな。亘理も漁を再開しているし(品揃えを観ると、亘理あたりはカレイがよく獲れるみたい)、内陸のほうでは名産の苺のビニールハウスも時折見かけるとちゃんと育っているところもいくつかあったので(今年の出荷量は例年よりも少ないのはしゃあないが、来年以降は盛り返すか)、今後の支援は買い物主体にしてゆくか。


「鳥の海ふれあい市場」。

震災以降、僕の周りで被災地への活動等で赴く人の大半は仙台以北に行き、このへんを担当? している人がいないので、僕だけでも来年以降も基本的にはこの亘理町を中心に仙台以南の地域を特に気にし続けることにする。
来年は他地域も観に行かないと。
微力ながら、来年も東北への支援はまだまだ続く。

2011年の支援金ほか拠出結果

2011-12-23 07:45:53 | 東日本大震災
僕個人的に拠出した、東日本大震災に関連のある団体は以下。

●支援金(入金順)

モンベル アウトドア義援隊
RQ市民災害救援センター(終了。今後、受付再開の可能性あり?)
りす会+moi あらいぐま作戦(終了)
テラセン おてら災害ボランティアセンター
にゃんだーガード
心のあかりを灯す会
魚竜の湯(ぎょりゅうのゆ)
DAYS JAPAN DAYS放射能測定器支援基金
公益財団法人文化財保護・芸術研究助成財団
<大震災>出版対策本部 大震災出版復興基金

10件に計3万円の拠出。
今回は一般的に注目度の高い日本赤十字社や各自治体よりもひとまず小規模の団体をあえて選び、しかも分散させた。
基本的には僕が直接その団体の情報に出合い、また薄くてもなんらかの(人の)縁があるところのみ選んでいるが、なかには「りす会+moi あらいぐま作戦」や「テラセン おてら災害ボランティアセンター」のようにツイッターを通じて知ったところもあり、まあそれも縁に含めてよいだろうという判断。
もちろん、それぞれの活動趣旨と被災地への想いや実際の活動結果を視て、しっかり共感できたうえで最終的に決めたところ。

ちなみに、今年は自分のかかわった出版物の手売りでの販売の機会が思うように作れなかったが、それでも拙著『沖縄人力紀行』2冊、『野宿塊』5冊、『野宿魂』1冊、が売れて、それらの売り上げ計2990円は「<大震災>出版対策本部 大震災出版復興基金」に充てた。僕も仕事でかかわっている出版関連の団体が妥当と思ったから。ここ、最近の週刊のマンガ誌をはじめ雑誌に広告が掲載されているのをよく見かけるわね。
来年も自分のモノに関しては今年と同様に売り上げの全額を寄付にまわすつもり。微々たる金額になるだろうけど。

また、このほかに物品購入で間接的に支援につながるところにも注目し、今年下半期に買ったなかで特に代表的なモノが以下。

●物品購入


REVIVE~復興~ 東日本大震災「亘理町復興支援写真集」


社団法人日本ケーブルテレビ連盟 東日本大震災「被災ケーブルテレビ局が捉えた魂の記録映像」DVDムック


パーゴワークス パスファインダー(旧Hoboブランド。"100% FOR TOHOKU KANTOU" チャリティセール)

ちなみに、旧Hoboブランドのパスファインダーは元々欲しかったモノで、今年の売り上げ全額を支援にまわす、というのは僕としても好都合であった。来年からがしがし使ってみよう。
ここ、ホーボージュンさんの弟の斎藤徹さんが03年から展開しているブランドだが、今年6月からブランド名を「PaaGo」に改称し、販促活動にもより力を入れるようになり、3月下旬という早い段階から支援活動の意思表示をしているが、それとはまた別に徐々に売れているようだね。一応、PaaGoブランドの製品も今夏に小売店で触ってはいるが、でも旧Hoboブランドのほうが色味が好みなこともあって、買うのは後者にした。

このほかにも(先月の投稿で触れた)東京都内の東北各県の物産店で買い物したり、かねてから触れているが各種コンビニのなかでも特にスリーエフで積極的に買い物したりして、直接的間接的に計5万円以上の拠出にはなっていると思う。
でも、僕の現在の経済力ではこのくらいが精一杯だなあ。

ああ、写真集やDVDはほかにもいくつか欲しいモノはあるのだが、それは来年以降の課題としておく。

来年もこのくらい拠出できるように頑張りたいものだ。


※2011年12月31日(土)の追記
昨日までの東北行で30日(金)に亘理町へ行ったさいに地元の書店に立ち寄ると、『REVIVE~復興~ 東日本大震災「亘理町復興支援写真集」』も震災関連の出版物のコーナーにもちろん多く在庫していたが、その奥付を観ると11月に増刷したね。増刷するくらいだからおそらく数千部? は売れていると思うのでなにより。

「第7回ほこたマラソン」のコース上から見えたもの

2011-12-22 20:00:48 | 東日本大震災
「第7回ほこたマラソン」に参加したからこそ見えた鉾田市中心部の景色を、コメント少なめで以下に。
前半の10枚は10kmコース出走中にホントに見えたもので、後半の5枚が出走前後に通りかかったコースからやや外れた市内中心部の一部。


歩道を歩くと、水道管を埋設し直している箇所が多い。


外壁が崩れている建物。


外壁とシャッター? が崩れている建物。


ひび割れて内側に崩れかけている建物。


木造の建物も薄いところは大概崩れている。


「工事中」の看板は数百mおきに見られる。というか、どうしても見えてしまう。


左側に沈んでいる建物。


傾いた電柱。なんとか機能している模様。


旧鉾田駅の崩れたホーム。まあすでに廃線で用済みの駅なので影響はないけれども。


ある店舗の玄関先の赤レンガ。


地元の神社。危険なので立入禁止の措置で、初詣も無理な状態に。


小学校も工事中。工期は終わったが、他所の様子も含めて考えると工事はまだまだ続くような気がする。


高校の体育館。上部の窓ガラス部分を青シートで。


片付け途中。訪れたのが日曜日なので稼動していなかったが、このように重機が入って作業途中の御宅が多かった。


車道も歩道も、4年前にはなかったこのような補修跡や段差が見られ、ふつうに歩いていると度々つまずく。路面の汚れを見ると、多少は液状化現象もあったのかも。


特に市街地のコース序盤兼終盤は壊れた建物が多く目についたが、中盤以降ですでに家を建て替えている最中の御宅もあった。

地震よりは津波によって被災の規模が大きな岩手県・宮城県・福島県に比べると報道でも話題になりにくいが、震災から9か月以上経った茨城県内でもいまだに3月から時間が止まったままのような面も見られる状況。
今後も鉾田の動向は気にし続けてゆく。

協力金の終了とその後のこと

2011-12-15 08:30:03 | 東日本大震災
震災の被災地支援に関する、5月から年内いっぱいの期限で極私的に募っていた協力金は、9月に方針転換したこともあってか結局は現在も0円で推移して依然変わりないので、半月早いものの今日で打ち切ることにしました。
さすがに(どこの馬の骨ともわからない一般人なので)これには実際には出せないけれども気にはしていた、という方もなかにはいらっしゃるかもしれないので、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

それで、現地へ行くことから寄付することへと方針転換した9月以降、例年以上に仕事を頑張って後者に力を入れたわけですが、その報告は年内に出します。

ようやく峠を越えたので、RQシンポジウムへ

2011-12-06 15:45:11 | 東日本大震災
仕事はまだもうちょい続くが、ようやく先週末あたりに大きな峠を越えて、少しはラクになった。まだ油断はできないけど。
今年は昨年同時期の2倍以上の大きさの峠が3つくらいあった感じだなあ。

で、今週と来週はいくらか時間ができるので、ひとまず今週は9日(金)の午後に東京都・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センター・国際交流棟レセプションルームで開催される、本ブログでもかねてから触れているRQ市民災害救援センターの2回目のRQシンポジウムに行こうと思っている。

これ、6月の第1回にはなんだかんだで行けなかったので、事後報告も第1回のようにPDFで上がるとは思うが、年内の総括はぜひ直接聴いておきたい。

それに、前回も登壇していたようだが今回も最初のほうで登壇予定の、ここの活動に3月下旬から深くかかわっていて今やすっかり中核メンバーとなった新垣亜美(しんがき・あみ)さんの様子も観に行きたいし。
先月の地平線会議の報告会にも登壇した、現地の活動時は“がっきー”というあだ名で呼ばれているらしい彼女は、数年前にここで知り合い(同じ埼玉県および大学ワンゲル出身、それに沖縄県にもちょいと詳しい、という共通項もある)、実は本ブログでこれまでに出している複数人での登山のいくつかに同行したこともある山仲間なのだが、震災に関して登米の現地本部で長期滞在しながら総務の仕事をこなすというまでの行動力があるとは思わなかったので、良い意味でこの数か月間驚きっぱなし。それでRQ全体とともに個人的なこれまでの経緯と今後の意向についても多少は触れると思うので(まあ先の報告会で個人的な感情というか想いはかなり出していて、その模様は来週末以降に地平線会議のウェブサイトでわかると思う)、こちらも興味深い。
10月に触れた“大将”とともに、仲間内の活躍は嬉しいものであるよ。9日に行くと、ほかにも顔見知りの人は多そうだな。

東北各地で被災地への支援活動はどこも徐々に規模が縮小しているが、RQはカタチを変えながら来年も活動を続け、亜美さんも現地で長期滞在を続けながら引き続き長くかかわってゆくそうなので、僕も活動にはまだ直接参加はしていないが、出資者? のひとりとして、今後の決意のほどをたしかめておきたい。


ちなみに、RQ絡みでもうひとつおまけだが、先月25日に出た登米からのブログ記事を書いているのも数年来の知り合いだったりする。彼も来るのかなあ。



※12日(月)の追記



シンポジウム、行ってきた。200人前後は来ていたかなあ。
上記の「彼」も予想外に来ていたし、ほかの知り合いもちらほら見かけた。

いろいろな話を5時間半みっちり聴いて、来年のRQの方向性は社団法人化も含めてなんとなく見えてきたが、でもまだ年末年始以降は具体的には決まっていないようなので、一見さんが新たにここの活動に参加できるのかどうかも気になるし、今後も注視する必要がある、と思った。