相変わらず超遅読のため(その理由は毎年このネタで「職業病」だと併せて触れているので割愛)、今年も読んだ本は少なかった。だって元々、雑誌やムック好きなんだもん。それに最近、速読の反対に遅読の機運も一部で高まりつつあるらしいから、遅いのは遅くてよいと思うけどなあ。
と言い訳しつつ、以下。
ちなみに例年このネタで挙げているのは、単行本・新書・文庫のみ。
●2010年刊行
・ぼくは都会のロビンソン ある「ビンボー主義者」の生活術 (★久島弘、東海教育研究所)
・初代 竹内洋岳に聞く (★塩野米松、丸善)
・名波浩対談集 日本サッカーが勝つためにすべきこと。 (名波浩、集英社)
・子どもたちよ、冒険しよう 生きる力は、旅することからわいてくる (三輪主彦・丸山純・中山嘉太郎・坪井伸吾・埜口保男、ラピュータ)
・野宿入門 ちょっと自由になる生き方 (★かとうちあき、草思社)
・ちょこ旅小笠原&伊豆諸島 東京の島で ぷち冒険 (松鳥むう、アスペクト)
・NO LIMIT (栗城史多、サンクチュアリ出版)
・空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む (★角幡唯介、集英社)
・あした、山へ行こう! 日帰り「山女子」のすすめ (鈴木みき、講談社)
・山女子、今日も山に登る (山女子、BABジャパン)
●2009年以前刊行
・一歩を越える勇気 (栗城史多、サンマーク出版、2009年)
・しがみつかない生き方 「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (香山リカ、幻冬舎新書、2009年)
・一箱古本市の歩きかた (南陀楼綾繁、光文社新書、2009年)
・オカマだけどOLやってます。 (能町みね子、竹書房、2006年)
・禁煙バトルロワイヤル (太田光・奥仲哲弥、集英社新書、2008年)
・感光生活 (小池昌代、ちくま文庫、2007年)
・ウーマン アローン (廣川まさき、集英社、2004年)
・オカマだけどOLやってます。 ~ナチュラル篇~ (能町みね子、竹書房、2007年)
・乳と卵 (川上未映子、文藝春秋、2008年)
・その街の今は (柴崎友香、新潮文庫、2009年)
ああ20冊ですか……。毎年、一応は30冊以上を目標に掲げてはいるけど、なんだかなあ。
今年はここに挙げていないものでも、特に旅や登山関係で興味深い本がいつになく多く出版されていて、実は読んだ本よりも買っておいて保留中の本が今年はやたら増殖して、先日とうとう未読の本を一括して判別しやすいように収納するためにポリプロピレン製の大きめの収納箱を新調したくらい。
ちなみに、上記の今年刊行の本で著者名の前に★が付いているのは、サイン入りの本を持っているということ。
それで、今年のこの数少ない読書のなかで申しておきたいことを長々と3点。長くなるのはそれなりに理由がある。
●挙げていないけど、今年のベスト本は……
買ってはいるけどまだ読んでいないので上記では挙げていないが、今年のベスト本は、
『
岳人備忘録 登山界47人の「山」』(山本修二編、東京新聞)
であるね。
これは05~09年に雑誌『岳人』で連載していた「30の質問」と「備忘録-語り残しておきたいことども」を1冊にまとめたもので、だから495ページと分厚くなってはしまったがホントに紙で残しておきたい1冊なのよね。連載時は毎号欠かさず読んでいたので内容はだいたいわかる。なので保存版という意味で買った。来年以降にじっくり読もうっと。
これ、ざっくり言うと近年の日本の登山を牽引してきた、そして現在も先頭を突っ走っている“山ヤ”の論理や主義主張がてんこ盛りの本なのだが、でも一般社会を生きるうえでも役立つこともある内容もあると思う。“山ヤ”さんは自己満足の世界に浸ってばかりで浮世離れしているとよく見下されがちだが、実は離れているぶんそういう日常? のことも世間一般の人々よりも深く自問自答する時間も多いためにより思慮したうえでかかわっていて(それは、ここ数年人気の山マンガ『岳』や『孤高の人』でも少しはわかるでしょう)、しかもその方法をまあ主に登山用具の製造販売やガイド業や講演でだが自分の得意分野を活かしてつなげることが上手いヒトも多いですし。
これ1冊でここ30年くらいの日本の登山史のあらすじがわかると思う。昨年や今年入ってきた山ガールや山ボーイ? にはさっぱりわからん難しい話だろうが(僕でさえ理解し難い内輪話や専門的な記述も多いので欲を言えば、本文を補足する注釈がもっともっと必要だったか)、最近のそのブームが冷めても引き続きさらに興味を持つようだったら、これも読んでほしいなあ。
それから、クライマーとはなんぞや? みたいな現代的なアルピニズムについて触れている箇所もあるのでできれば、近年、登山家? アルピニスト? と謳ってホンモノかニセモノかと物議を醸してきたという意味で共通する、(最近は植村直己の形見のアーミーナイフをやりとりしたり、一緒に食事に行ったりもする仲の)
この人と
あの人にもしっかり読んでもらいたいよなあ。そして読後の感想をぜひ聴きたいものだなあ。読んだら、手近なところに穴があったら入りたくなるのかなあ。
そういえば、この本に挙がっている47人のうち(ただ、今春までにそのうち3人が亡くなっている)、今月中旬までに登山関連の講演など各種催しで実際にお会いしたり話を直接聴いたことのある人を試しに数えたら、15人だった。以前にある酒席や込み入った事情で同席したことのある方も少々。
僕はあくまで(こういう熟練の方々とは無縁な?)一般のしがない登山者を標榜しているが、15人は何気に多いほうなのかもしれない。高校・大学時代に所属していたワンゲルの影響で直接的間接的につながりのある人も多いし(登山業界は狭いからなあ)。それだけ僕も登山に足を突っ込みまくっているということか? 来年以降もその機会はより増えそう。
●図書館リクエストと複数冊買いでより広める
主に友人知人が書いたり編集に携わったりした本限定で普段やることなのだが、今年は地元の図書館へリクエストして入れてもらう、ということに力を入れてみた。まあそれでも図書館が本を買うことになるので売り上げに貢献できるから。
国会図書館にはほぼ自動的に入るが、全国各地の図書館というと司書の好みと版元や図書館流通センターからの情報伝達の優劣によって入るべき、もしくは入ってほしい本が思うように伝わらないことがよくあってもどかしい、というのは拙著の経験からもよくわかるので、せめて僕好みでしかも社会性もあるはずの本は入れたいよなあ、ということで今年からリクエストを強化した。来年以降も続けるつもり。でもそう考えると今年は例年以上に知り合いの出版が相次いで、ざっと数えたら20冊近くあったなあ。
それから例年、良い本は1冊のみならず複数冊買う、というのもたまにやっているが、今年はほぼ同世代の書き手でとりわけ『
野宿入門』と『
空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』の2冊に、勝負とか嫉妬とかの醜い? 感情を通り越して敗北感に近い“してやられた感”があるのだが、本としては両方とも良いものなので、前者は5冊、後者は2冊買っている。ちなみにすでに触れたと思うが再び挙げると、この2冊の書き手は今年の地平線会議の報告者としてそれぞれ登壇して(2月と11月)、僕はそれらを聴いていたりもする。
まあ複数冊買いとは、自分の保存用とは別に贈答品および来年以降の古本市・フリーマーケット出店での販売用、として多めに買っていて、そのくらい他人に薦めたい本であって、その思いが強い場合は勢い余って多めに買うことはある。ほかにも出版関連の知り合いもなんとなく年々増えているので、この傾向は今後もっと拍車がかかるかも。お金ないくせに。
ああだからべつに、知り合いの本だから印税収入に貢献してあげよう、とかいう恩情とかひいき目からではなく、単に内容から見て僕がホントに必要だと思ったから2冊以上買ったまでのことで。
あああと、上記では除外したムックで、『
実戦主義道具学2』(ホーボージュン、ワールドフォトプレス)も2冊買っていて、すでに1冊は今年の古本市などで出品し続けている。好きな本を売りに出すと商売時のお客さんとの話のきっかけにもなりやすく、そういう点でも楽しめるのよね。
●内容は良いのに本としては最悪で、もったいない
最後に長くなるが、具体的には今春発売で読んだ『
初代 竹内洋岳に聞く』のことで、これにはホントにがっかりした。内容ではなく本作りについて。
内容は、ここ数年ヒマラヤ8000m峰14座登頂を目指している途上の登山業界のまさに“時の人”を(エヴェレスト単独無酸素登頂? のほうではなく)、僕も以前の雑誌『BE-PAL』への寄稿や著作で少しは知っている塩野流の聞き書きによって、出生や家族構成から最近の少数精鋭の国際隊によるヒマラヤ登山の実情に至るまで徹底解剖していて、ホントに革新的なものでスバラシイし、これまた保存版として所有しておきたい1冊。
だがしかし、そのスバラシイ内容は置いておいて考えるが、これを読んだ方でどのくらい気付いていたかはわからないが、中身、具体的には本作りのことだが、本文の組版が校正者的に視ると酷い有様。簡単に言うと大味だった、かな。
まあ長時間の聞き書きで540ページもの膨大な分量となったことからテープ起こしにも相当の時間がかかったことは察することはできるし、塩野米松×竹内洋岳という文筆と登山の道のトップレベルの男と男の仕事としてのインタビューというよりも一般社会においての事情も含んだ対話が喋り口調で活字でそっくりそのまま反映されているのもわかるが(「やっぱり」「なので」「なんか」「すごく」「~とか」みたいな軽い表記も多い)、それ以外ではここまで酷くなるものなのかと呆れた。
試しに軽くだが校正者目線で僕が視て赤字指示や疑問出しすべきであろう点を付箋でチェックしながら読み進めると、その数は70か所になった(上の写真参照)。軽く視てこの結果なので、より本気で表記の統一など原稿整理みたいな感じで視ると、問題点はこの2倍以上は出てくるだろうね。
一般的な組版ルールでわかりやすいところでは、改行の1字下げがなかったり、文末に句点がなかったり、という小学生の作文でも直されるレベルの凡ミスから、疑問符・感嘆符のあとに全角アキがなかったり句点を付けたり(「?。」みたいな)、三点リーダが1個で入っていたり(「…」。しかもこれは旧来のルールに則ると1個ではなく「……」と2個続けて1組で使うべき)、というような校正者ならば一発でわかる不備もあり、このほかにも誤字脱字や漢字の使い分けでおかしいところも随所にあるし(なかには登山をある程度知っていないと気付きにくい点もある。「ザック」と「バックパック」の違いとか、道具のメーカー・ブランド名とか)。
明らかに原稿整理や校正の過程を通していないとバレバレの、突貫工事的な粗い作りになっているのよね。言いたくはないがあえて悪く言うと、文章をまとめた「本」としての悪い見本本になってしまっている。
すでに世に出ている本なのであえて名指しで挙げると、この本を発行した「
アートオフィス プリズム」という会社は、本気でこの本を後生に残すべき作品という意識で作ったのだろうか? もったいない状態だとは思わなかったのだろうか? とツッコミどころ満載。そんな粗い作りでは塩野・竹内両氏に失礼ではないか、とも思う。
ここのウェブサイトを覗くと出版社というよりは元々はデザイン関係の仕事が盛んで、どうやら活字本の経験がまだあまりない、この分野ではほぼ素人の状態で制作したことも影響しているのかもしれない。でなければ、本を作るうえでのそんな基本的なミスを連発しませんもの。残念ながら、周りにそれを指摘する人がいなかったんだろうなあ。
これは、1900円+税も支払って買ってもらった読者にも大変失礼なことだが、その罪の意識はあるのだろうか? 今年6月にこの本の出版記念の塩野×竹内のトークショーを東京都・神田へ聴きに行ったさいもこの本の制作に携わった関係者の方の顔をちらほら見かけたが、今思い出すとあまり出版に精通しているという雰囲気もなかったしなあ。
だからとにかく、内容がスバラシイだけにホントにもったいない。久々にもったいないおばけが出てくるくらいにもったいない。何回でも言っちゃうが、ああもったいないもったいない。今年は僕個人的に出版関連のできごとについて「もったいない」を連呼する機会が多かったのだが、特にこの本の粗さが今年最ももったいない。というか「アートオフィスプリズム」は出版という行為を舐めているのか、と勘繰りたくもなる。もう、この本は1900円+税で販売できる状態ではない欠陥商品だ、と断言しちゃう。このお粗末さで
塩野氏の数々の著作のなかに入るのも微妙で、塩野氏の名前にかなりの傷が付くのではないか。
ところで、舐めているという絡みで話はガラッと変わってついでに挙げるが、先月から今月にかけて話題の『KAGEROU』の初版の終盤の232ページでのわざとらしい? 人名誤植はべつにもったいなくはないけど。あれはより本を売るための作戦? もし誤植をそのダシに使ったとしたら、わざわざ買ってくれた読者をないがしろにしやがってコノヤロ、ポプラ社の賞の関係者や齋藤智裕=水嶋ヒロの取り巻きとしてあぐらをかいている輩は今後も出版行為を続ける資格はないわボケ、とつい罵りたくなる大失態だわ。まあ“ベストセラー倒産”しないように、せいぜいこのあとの増刷のタイミングに気を付ければー。
数年前に、登山関連のある自費出版本でも今回と同様に、内容は良いのに誤植やらなんやらが連発の酷い組版を見て心底落胆したことがあったが(しかもそれも自費出版ゆえに価格が3000円近い高価な本だったこともあって)、その悪い記憶が甦ってきたわホントに。
なので、金銭の授受が発生する「商品」としてその本を世に流通させるうえで、その前段階で僕程度の若輩者の校正者でも一度は通せば幾分良くなるはずなので、出版物の、というか出版に限った話でもないが第三者目線によるチェック体制はたとえ自費出版やミニコミのような小さな出版行為であっても常に備えてあるべきで、今一度見直してほしいものだ。
なんなら、特に僕の得意な旅や登山関連の文章であれば、紙の出版か電子出版かに限らず事前にゲラを僕に渡してもらえれば、著者校正の状態よりもいくらか良い段階に引き上げる自信はありますんで、今後もこのようなもったいない本を二度と作らない、そしてその“被害者”をより多く出さないためにも、何かあればご相談に乗りますわよ。
現在の出版業界は出版点数が増えて薄利多売やベストセラーにおんぶにだっこの状態が進んで「質より量」という風潮があってそうなる事情もわかるけど(先の『KAGEROU』問題も含む)、でもやはりこの業界の片隅にいるひとりとしては「量より質」にこだわりたいんだよなあ。