思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

真夏のカレー小話集

2009-07-31 10:00:55 | カレー

主に今月に体験して感じたカレー絡みの小話を5点まとめて挙げて、ひとつの投稿にまとめてみた。


●「カフェテラス本郷」の大盛りカレーに挑む

東京都文京区本郷に「カフェテラス本郷」という一見なんの変哲もない喫茶店のような飲食店があるのだが、ここ、知る人ぞ知ることとしては通常メニューのほかにカレーやパスタやオムライスなどの軽食の大盛りメニューを1000~1300円で提供していて、店の東側にある東京大学の学生にはその点からも昔から御用達の店である。
カレー専門店ではないために僕も趣味のカレー店訪問の軒数には数えられないが、それでもここの大盛りカレーを一度は試しておきたいと思い、今月のある平日の午後に初めて入店してみた。そのなかからインドカレー大盛(1000円)を選択した。上の写真がそれ。
皿の大きさは、手前にPASMO(パスモ)を置いたので、それと比較すればわかるかな。ちなみに皿は平べったいものではなく4cmくらいの深さがあってライスの量は見た目よりも多いので、今後これに挑む方はご注意を。

最近は痩せたいがために食べる量を抑えていて完食には時間がかかると思ったが、結局これは10分ほどで完食できた。ただこのメニュー、具は玉ねぎのみなので食べるというよりは甘辛めのルウをひたすら飲むという感じで(カレーは飲み物?)、人によっては飽きやすく、何かトッピングが欲しくなる味かも。ただ、本ブログ2007年9月3日の投稿で触れた神奈川県高座郡寒川町一之宮の「入澤」のジャンボカツカレーのような「豪快」という言葉の範疇を超えている(ルウよりも厚さ2cm近くあるトンカツのほうが主役みたいな)トッピングは勘弁だけど。そういえば、「入澤」のリベンジはまだ果たせていないなあ。

たまたま僕が本郷のこの店を訪れたときに、会話から察するに東大生らしい数人の集団のひとりが同様に大盛りメニューに挑んでいたが、毎春にとある体育会系サークルの新歓行事でここの大盛りメニューを東大の洗礼? として強制的に食べさせる習慣もあるらしい。
再訪するときは、同じ値段のキーマカレーを試してみようかしら。

そういえば本郷三丁目交差点の周辺って、「プティフ」や「アルルカン」など、なぜかカレー店が結構ひしめいているのよね。まだ全店巡っていないけど。


●松屋のフレッシュトマトカレーはなかなか

カレー専門店とは一線を画すファーストフード的な松屋だが、安価に手っ取り早くカレーを食べたいときはSガストやC&Cとともに結構利用している。
で最近、これまでのオリジナルカレー(並350円)とは別にフレッシュトマトカレー(並290円)という新作が登場した。しかもオリジナルよりも少し安い。

これはまだ1回しか試していないが、オリジナルよりもトマトの酸味が効いていて夏場は食欲はより増しそうで、良いと思う。カレーを作るときに使用する野菜では甘味を引き出す玉ねぎが最も肝心とは一般的にはよく言うが、僕個人的にはスパイスありきのインド風カレーを作るときはトマトも同列くらいで重要だと思っているので(トマトが高価で買えないときはトマトジュースを活用するのも有効では?)、味はどちらかと言うとフレッシュトマトカレーのほうが好き。まあ具は少なくて鶏肉も申し訳程度にしかちょこちょこしか入っていないけど、これで300円未満という価格設定だったらまあ妥協できる範囲内である。

今後、マクドナルドのハンバーガー・マックポークと並んで僕の外出時の外食の常食となるメニューですな。欲を言えば、もう少し全体量を増やしてほしいところだが。


●もうすぐ400軒

趣味の全国各地のカレー店訪問は、ここ1年は個人的不況ゆえに月に1、2軒行けばよいほうで(以前は多いときは1日5軒ハシゴしたこともあったのに……)、一応は極私的毎月カレー店新規開拓の記録は02年1月~今月まで91か月連続で細々と継続できている。
それよりも肝心なのがこれまでの総訪問軒数だが、こちらは今日現在で395軒となり、年内に400軒を突破する見込み。でも毎年どこかしらで店の主人は日本人かインド人かにかかわらず新規のカレー店が開店して増減も繰り返されて(全体的には微増傾向か?)、ラーメン店ほどの競争の激化ぶりではないがそれでもカレー業界がここ数年活気づいている実感はこれまでに400軒近く巡ってきたなかで感じている。

よく考えると、本場のインド仕込みのカレーに限って考えても、『世界の統計2009』によると08年の人口は約13億3600万人で世界第1位の中国から派生した中華料理店が国内外各地に溢れているのと同様に、人口は約11億8600万人と世界第2位のインドからのインド料理、まあ平たく言うとカレーを扱う店が年々各地に広まっているのはごくしぜんな流れであると言える。
2030年の人口予測ではインドが中国を抜いて世界第1位になるようだし(中国の「一人っ子政策」やインドの「家族計画」は現在もきちんと機能しているのだろうか?)、今後もカレー店の席巻は続いてゆくだろう。カレー好きのひとりとしては良い傾向である。

ただ、インド人のカレーと日本人が修業や旅などでインドや東南アジアを巡って体得した味覚をもとに創作した(インド人もびっくり? の)カレーとは質がかなり異なるので(はたまたイギリス発祥の欧風カレーもあるし。東京都・神保町の「ボンディ」はホントに欧州風なのかは疑問だけど)、その違いにも注視していかなければ。
また日本に進出しているインド料理店でも、本場そのままの味で乗り込んできたのではなくて日本人に合わせて肉の部位やスパイスの配合を変えて食べやすくしている店も多いらしく、そこも要注意か。僕としてはそんなふうに他国の事情に迎合しなくていいから、本場の味で勝負してほしいとは思う。


●カレー店の情報収集ばかりの日々

普段のカレー店に関する情報はテレビ番組やインターネットよりは主に雑誌から得ていて、なかでも食系月刊誌『dancyu』で毎年夏の号ではカレー特集を組むのだが、主にそれを頼りにしている。

ただ最近はそれ以外にもカレー系の書籍・ムックの出版が増え、さらには週刊の一般誌でもたまに取り上げているのを目ざとく見付けてはチェックしている。
そんなふうに心に留めておいたもののまだ未訪問の店が今月に50軒を超え、時間的にはだいたいいつでも行ける状況にあるのだが、依然続く金欠によって金銭的にはカレーを食べる費用がなかなか捻出できないのがもどかしい。
なんとか改善できないものか。実食経験よりも情報のほうが溜まり、どんどん頭でっかちになっていく……。カレー好きの名が廃る。

なお、最近の情報を吟味したうえで特に気になっている店は、

・ライオンシェア(東京都渋谷区代々木)
・ケララの風(東京都大田区山王)
・OXYMORON(神奈川県鎌倉市雪ノ下)
・GUESTHOUSE DENON(愛知県一宮市木曽川町)
・チョウク(大阪府大阪市福島区福島)

の5軒かな。すでに食べに行った方の報告を聴きたい。


●カレーマンガ『華麗なる食卓』作者のサイン会に行ってきた

海の日絡みの3連休の19日(日)、今月の『週刊ヤングジャンプ』誌上では事前告知されていた、僕が数年前からお気に入りマンガ第1位に挙げているカレーマンガ『華麗なる食卓』作者のふなつ一輝(ふなつ・かずき)氏がサイン会を行なうというので、東京都・原宿でのサイン会への参加条件がやや複雑というか面倒だったが、万難を排して行ってみた。
なお、僕がほかに特に好きなマンガに挙げている『ビッグコミックオリジナル』連載の『岳』は他人に薦めたいマンガ第1位に挙げているが、僕が好きなマンガとしては『華麗~』と同率1位という感じ。『華麗~』のほうは、若い女子にはちょっと薦めにくい男目線の描写(つまり下ネタ)も結構含まれているのよね……。

で、19日の夕方、2日前に入手した整理券の案内どおりに会場に向かったが、サイン対象の今月発売の33巻購入者はやはり大半が僕と同年代か若い男子で、でもカレーが3度の飯よりも好き、というカレー中毒者的な風体ではない、アキバ系みたいな話でずっと盛り上がっていたグループもいたりしたが、まあそれはそれでよいか。同時開催の葉月京氏のサイン会の影響もあったのか。
このマンガ、カレー以外にも世界各国の硬派な食事情の情報とは対極のそういったおふざけやお色気満載の描写もあって硬軟の振り幅が広いから、そういう人たちが食い付くのも無理はない。ふなつ氏、最近は単行本のほうでは『マクロスフロンティア』が好き、というアニメオタク? ぶりも垣間見えるし(僕はウチの兄がどっぷりはまっていた影響で観ていた初代マクロスとの落差が怖くて、まだ観ていないけど)。

で、約1時間並んだすえにようやくふなつ氏と対面でき、主人公の高円寺マキトの絵付きのサインをいただいて両手でガッチリ握手もして、感激。これを全員にやっていたな。この件に関してはミーハーと言われてもかまわない。普段憧れたり親しんだりしている人に会えたら嬉しいのは、どの分野でも同じことでしょ。
生のふなつ氏の格好および全身の雰囲気は帽子の被り方も含めてマキトっぽくて、というか関西弁も含めて素をそのままマンガに投影しているのか、と今回ようやく会えたことで真に実感できた。今後の連載を読み進めるうえでもより楽しくなりますなあ。
あとはこのマンガを監修している、カレーも含む食文化に精通している森枝卓士氏にも一度はお目にかかりたいんだよなあ。



そういえばふなつ氏、今月の連載でも33巻でも告知済みだが先月からブログを始めていて、こちらも今後マメにチェックしていく。しかも仕事場が埼玉県・所沢と僕の地元の近所ということもあり、ブログでその周辺の僕もよく知っている地名が頻出しているのも面白く、これまで以上に『華麗なる食卓』が好きになった。このマンガ、近年のカレー業界への貢献度も高いはずなので、それがウチの近所から日々生み出されていることも身近に感じつつ、今後も要チェックですな。
それに僕の場合、このマンガから普段疎い関西弁の使い方も勉強になっているので、ネームのなかのカレー絡みのうんちく以外に言語学的な観点からも今後の連載も楽しみにする。最近、関西出身の方と接する機会も増えてきているもので。

ああそれと近々では僕個人的には、年内に発売されるであろう単行本34巻に収録されるはずの内容が既刊のなかでも特に精神的に興味深く(カレーと陶芸の組み合わせの話)、これの解釈について美術・芸術関連の事象に精通した方からの感想をぜひ知りたいなあ。


という感じで、なぜか今月にカレーネタが集中した、という話は以上。まとめたらまた長くなっちゃった。
まあいいや、暑い夏こそカレーのことをもっとよく知り、もっと食べるべきなのだ。

秘密裏にでもないが、津田沼の「月刊放浪書房7月号」に出店した

2009-07-26 01:30:18 | その他趣味

25日(土)、「放浪書房」のとみー氏が千葉県はJR津田沼駅前の「GARAGE SALE 津田沼本店」の店前で毎月開催している「月刊放浪書房」の今月分に出店してきた。店は3か月ぶりの再訪。

前夜の雨の野宿明けの状態だったのでほうほうの体で津田沼に赴き、店に着くまでは出店にはあまり乗り気ではなかったが、店に指定された集合時間より遅れて辿り着いて、まだ会うのは今回で2回目なのに僕の顔と名前をすっかり覚えられてしまったA山店長との挨拶代わりのガッチリ握手でようやく目が覚め、店先の端のほうで前夜とは打って変わっての太陽の陽射しギラギラの炎天下にやられながらゆるゆると出店準備を進めて、さも遅刻していないかのようにこっそりその場に紛れ込んだ。
放浪書房のブログでは拙店(屋号は適当に「人力旅人の本箱 番外編」としたが、このゆるい催しでその有無はほとんど関係ない)は告知されていなかったが、出店はとみー氏から毎月誘われていて、だからいきなりの飛び入り参加というわけでもなく。

なお、この3か月で放浪書房つながりの出店者は徐々に増えていて、昨日は僕以外に6組も出店していた。そのうち、「放浪書房」と「甘夏書店」は東京都内のほかの出店の場でも顔馴染みだが(「piano key」は夕方からのイベント参加のみ)、ほかの4組はお初で、しかもいつの間にか女子率が高まり、さらに常連客も女子のほうが多く、人見知りで特に若い女子との会話がただでさえ苦手な僕としてはなんかこの場に紛れ込んで初対面の女子とふつうに世間話をしているのがとても不思議な気分であった。
また、出品物も放浪書房と僕が得意とする旅本のほかにも、自作ブックカバー、工芸品、女子向けアクセサリー、犬用の着衣など幅広くなり、古本市というよりは手作り品ありきのフリーマーケットの色が濃くなってきた感がある。

ただ、日中に晴天で寝不足となるとどうしても眠くなり、一時は立ったまま居眠りしたりもしていた。さらにこの日も4月と同様に強風に煽られ続けてもいて、その対応がちょっと面倒だった。でも雨でまったく出店できないよりはましか。
さらに、今回の開催はいつもの日曜日ではなく土曜日にしたためか店前の人通りは日曜日よりも少ないらしく、各店ともに売り上げは不調のようだった。拙店も往復約1400円の交通費を出費して来たのに売り上げ金額は800円と大赤字。がっくり。

ただ、この催しでは初披露だった僕が5月に制作した冊子『野宿塊』は2冊売れて、ほかにもお客さんの見本誌への食い付きは良く、それを周知できただけでも収穫か。ホントは肝心の拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)にもっと食い付いてほしかったが。とみー提案の来月以降の委託販売にも少しは光明があるのだろうか。

結局、僕は他店よりも少し短い13~19時頃の出店となり、4月に初訪問したときと変わった点では5月の開催で店の外壁に「piano key」店主のパコ氏主導で描かれた放浪書房的壁画が加わったことも楽しみながら(上の写真の左奥)、売り上げを除けば全体の雰囲気は家庭的な部分もあってなかなかよろしかった出店となった。A山店長や拙店でお買い上げの方々、お世話さまでした。
ただ、僕は「放浪書房ファミリー」ではなく(そういうキャラクターではなく)一匹狼的な立場のつもりだけど、どうなんだろう。

来月以降の出店はどうかなあ。その時々で予定は流動するからなあ。特に来月はまったく読めない。まあ行けるときにはできるだけ行くようには努めたい。
ちなみに次回の開催は8月30日(日)だそうで、お近くの方はぜひ。

トムラウシ山遭難に関するメモ

2009-07-24 15:45:27 | 登山
昨夜放送のNHK『クローズアップ現代』で、先週16日の北海道・トムラウシ山周辺で起こったアミューズトラベルの登山ツアーの遭難について、生存者4人(自力下山3人、ヘリ救助1人)の証言を得ながら検証していたので、録画して数回観直して、そのメモ。
19日の投稿であやふやなところもあったので、以下の方がたしかか。


・14日晴れ(旭岳からトムラウシ山が見えたくらい)
・15日雨、でも計画どおりに行動した
・16日は朝から激しい雨、避難小屋で出発前にガイド3人で行くか否か検討していた
・でも午後に天候回復するだろうと判断し、出発
・ロックガーデンを越えて北沼に来ると、大雨でそこからあふれた水が流れ出して川になっていた
・3人のガイドの付き添いで15人の客が川を渡ると、引き返したくない気分
・川のなかを進むような感じ(というくらいの大雨)
・北沼から、疲労度からか18人が11人+5人+2人に分裂し、ガイドはそれぞれの集団にひとりずつ付く(客は10人+4人+1人)
・11人が後続を待つために待機
・北海道大学大学院の気象データ(五色岳)では、16日は風速20~30m、最低気温4℃弱、平均気温6℃くらい
・待機の11人、震えが止まらない、台風並みの風
・低体温症からか? 奇声を発する人もいた
・疲れから眠気も出てきた
・悪天下でずっと待機させるのはおかしい、指示が欲しかった
・留まると危険と感じ、11人は再出発、特にガイドは遭難の通報のために先を急ぐ
・11人のうち先頭のガイドに付いていけなくなった人がさらに分裂、うち9人がガイドなしの状態で行動
・(証言者のひとりは)歩けなくなったほかの参加者に一時は肩を貸して進んでいたが、他人のことを考えられなくなってきて結局自分だけ先へ進んだ、今思うと薄情だった
・(今回の悪天下の行動は)自分の能力の限界のできごと
・11人中5人が自力下山
・残りはテント泊まりの人も、そのなかで衰弱していった人も
・事前配布の装備表に軽アイゼンやツェルトの記載もあり
・事故の責任は会社側にある、と認める(安全管理に問題あり)
・登山ツアーは中高年向けの便利さと手軽さを売りにする(荷物持ち有り、寝袋レンタルのような)
・客としては下調べしなくて済む
・そんなふうに山へ安易に行ってはいけないのでは?
・安全確保<利益・客の満足度?
・計画変更して無事に下山できても残念がる客もいる
・手軽さの裏にあるリスク、安全管理の在り方を問う
・事前に客に事故事例やコースの問題点のような(マイナスの)危険情報を伝えるべき
・ガイドは客に慎重な行動を促す


直接的な遭難原因を考えると、ガイドに心理的な負担があり(計画どおりに行きたい、荷物を下山地に先送りしていたなど)、気象条件や客の疲労度・健康面の判断を誤ったということになるのかなあ。

ただ、これがすべてではなくてまだ今後新たに判明することも多々あるだろう。特に山岳専門誌である『山と溪谷』と『岳人』で来月号以降により詳しく検証されるだろうから、それを待ちたい。

ああ、お金と義務感が絡む登山って、難しい。でもまあそれが絡まなくても、複数人の登山は単独行のときよりも考えるべきことが多くて、これまた難しいけど。今後、気を引き締めないと。

埼玉県南部は太陽すら見えなかった

2009-07-22 13:00:22 | 普段の生活(日常)

今日午前は日本では46年ぶりとか今世紀中最長時間の観測ができるとかで話題もちきりだった皆既日食、もろもろの事情でとても南方に観に行ける状況ではなかっし日食観測用のグラスも品切れ続きで入手できなかったので、テレビ番組の生中継で主に奄美大島や屋久島の様子を中心に観て、それがいくらかは現地に観に行けなかったことの慰めにはなった。でも、日食よりも日食騒ぎとそれに踊らされている報道陣を観た、という感じか。

民放のやや騒がしい生中継よりは(中継時の番組出演者の画面端のワイプやコメント、奄美大島へ行った沢尻エリカの動向の報告なんか要らんだろう)、NHKの(小笠原諸島よりもさらに南の)硫黄島からの生中継のほうが良かったねえ。観測条件も国内最高だったのでは。一般人はなかなか行けない場所という意味で、思いっきり国営放送の力を発揮した裏技ではないか。まさに中継班の独占という感じで、より悔しい。

ただ、日本と中国・上海は天気があまりよろしくなく(画的にはインド・バラナシや中国・重慶のが皆既日食らしくて良かったね。中国・成都はまあまあ)、でも日本ではなんとか観測できて、特に夏休みに入ったばかりのお子様たちは良かったね。
これで46年前の北海道の日食を観た毛利衛氏がのちに宇宙飛行士を目指したように、近年のお子様の理系離れに歯止めがかかるのだろうか。

僕はまだ未踏でもちろん行きたい鹿児島県はトカラ列島の悪石島、今回の騒動? で全国的に、世界的にも有名になったが、今後もその余波でトカラ列島全体への旅行者が増えるのか。
今回のように島民の3~4倍の部外者が入り込むような島の歴史初? の過剰な事態は祭事「ボゼ祭り」以外ではもう二度と起こらないだろうが(島への数年分の旅行者が今回いっぺんに押し寄せた感じか)、それでも主に文化面に触れて島のことを本気で知るために訪れる人が程よく増えるといいね。
僕も最近、本や雑誌や写真展などでトカラ列島の情報に触れる機会が増えて、より行く気は増している。落ち着いたら、近いうちにぜひ。

日本では次の皆既日食は26年後だそうだが、そこまで生きているかどうかわからないので30~40代のうちにでも外国のどこかに観に行けたらいいなとは思うが、さすがに来年のイースター島は無理。今回の生中継を観て、一度はちゃんと観測して空が日中から暗くなったり明るくなったりする皆既の様子だけでも体験したくなったので、今後はこの自然現象にもっとがっついていくことにする。
とりあえずこの先数年は国内で部分食や金環食も楽しめそうなので、そちらも気にしておく。

日食が終れば祭りのあととなって手放す人が増えそうな観測用のグラス、今後は使用済みのそれが市場をダブつくのだろうか。また、観測で賑わった島々のゴミの扱いなどの後処理も気になる。報道機関には事前だけでなく事後報道もきっちり行なってほしいところ。

なお、上の写真はウチの近所の、東京周辺では部分食の最大の時間(食分75%)と予想された11時12分の、普段なら太陽があるはずの方角の曇り空。東日本は大概こんな感じの空模様だったのでは。残念。

現役の旅人の旅話は有名も無名も関係なく広く知りたい

2009-07-21 03:00:43 | 他人の旅話

03年から、出版社から季刊で発行されている野遊び系フリーマガジン『フィールドライフ』のなかから登山話のみを抽出した、今春創刊の『PEAKS』というムックがあるのだが、今月中旬にその2号目(NO.2)が発売された。特集は飛騨山脈の山々。経済的な理由により買うことはできないが、当然チェックしている。

で、『フィールドライフ』でもよく見かける名前のライターやモデル? が頻出している紀行文的な記事が並ぶなか、僕が特に刮目したのが116~117ページの「あなたのバックパックの中身みせてください!」という記事中に、名前がすでに出てしまっているのでここでも書いてしまうが、熊倉さんという女性が登場していること。

この方、本ブログ2008年9月30日の投稿で触れた、その月の12日に東京都・新宿のロフトプラスワンで開催された「東京野宿ナイト」に登場していた(上の写真がそのときの様子)、僕がかなりの旅の強者ではないか、と触れた方である。冗談抜きで。まあ詳しくは、近況の写真も含まれたこの記事を読んでいただければ。
ただ、この2ページだけではその凄さが伝わりにくいかも。ホントはその行為に至る動機付けというか覚悟の度合いとその経緯をロフトで聞き知っている身としては、そんな中途半端なページ数の取材記事のみではほとんど伝わらずにやや残念、とつい落胆してしまうが、その逆に完全に埋もれてしまうよりは商業誌で取り上げてもらえただけ幾分ましか、と安堵もしている。

このように、『フィールドライフ』の執筆陣で例えるところのホーボージュン・シェルパ斉藤ほどの有名どころではなくても、面白い、意義深いことをさらっとやってのけている、有名な媒体に自薦他薦問わず登場すりゃあいいってものでもない、世間的には無名でも凄い旅人はまだまだたくさんいるものだ、と痛感する機会がここ数年多い。特に地平線会議や『野宿野郎』を通じて。

ほかに僕の今月の守備範囲内の雑誌では、『BE-PAL』09年8月号のモノクロページの連載「ゲンキな田舎!」で昨年6月の岩手・宮城内陸地震の被災地への今年5月のエコツアーを事例に取り上げていた「NPO法人日本エコツーリズムセンター」代表理事の広瀬敏通(ひろせ・としみち)さんも、野外体験学習団体「ホールアース自然学校」の主宰などでその分野や探検業界では有名な方だが、一般的に見るとそんなでもないかも、という感はある(ここ数年、地平線会議の催しで同席する機会が多くて僕は身近に感じている方である)。

また、『岳人』09年8月号の第1特集「挑戦するこころ 現代の冒険と探検」では、服部文祥、栗秋正寿、松本紀生、角幡唯介、本多有香、木崎茂、野口仁志、が執筆しているが(この特集では特に先頭の服部さんの記事中の、『山と溪谷』誌の連載「山岳装備大全(現21世紀山道具)」に対抗した? 真鍮製液体燃料ストーブを中心とした火力テストのくだりが特に面白い)、例えば登山業界で例えるところの三浦雄一郎、田部井淳子、今井通子、岩崎元郎、野口健、のようなテレビ番組も含めて大手媒体に頻出する方々に比べると無名に近いかも。
でも記事を読めばわかるが、それぞれの分野では日本を代表する、日本人の行動の限界を押し上げながら実践し続けている方々なのだが。

僕個人的にはこのなかでは、講演・報告を直接聴いたり著作を読んだことがあっていくらか知っていると言えるのは服部・栗秋・角幡・本多の四氏。特に本多さんは、本ブログ2009年4月1日の投稿で触れたフジテレビの『ザ・ノンフィクション』という番組への登場でいくらか有名になりつつあるようで、しかもこの「オーロラに恋して」と題された回がもうDVD化されている。でもこの4ページの記事のほうが本人が書いているからこそ、犬ぞりレースへの思い入れもその番組よりも数段わかりやすいと思う。

いずれの雑誌の記事でも、商業誌ではあっても有名どころに偏らずに無名どころも取り上げているのが僕としては嬉しい(まあその有名無名の線引きは人によって異なるけど)。知名度云々よりも旅人それぞれの好奇心の強さと行動力と日常・非日常の世界の泳ぎ方をもっと視ていきたいので、今後もそれぞれの編集者をはじめとする雑誌制作に携わる関係者の見識に期待する。

そのためにもまずは、『PEAKS』の熊倉さんの記事をより多くの方に読んでいただけたら、と切望する。誰かこの記事からさらに突っ込んで、書籍化などで掘り下げてくれないかなあ、誰も触れないのならば僕がやってしまおうかなあ、なんてこともちらっと考える。『野宿野郎』のかとうちあき編集長(仮)と同等かそれ以上の、野外業界においての10年に一度の逸材である、と確信しているのだが。
まあ今後もそういう、ここで戯言ばかり書いているへっぽこの僕なんかよりももっと表舞台に出るべき人物を本ブログで押し上げていけたら、と思っている。

ああそれにしても最近、特に紙媒体の情報に踊らされまくって自分のことが疎かになっているよなあ。でもそれもまた楽しいけど。

せめて予備日があれば……

2009-07-19 03:00:16 | 登山
先週16日に起こってしまった北海道・大雪山系、特にトムラウシ山(2141m)周辺での「アミューズトラベル」のツアー客とそのガイド18人中8人死亡の遭難、なんと言ってよいのやら。
ほかにもいろいろ考えるべきことがあるのに、それを中断してこの一件がどうしても気になってしまう。

また、同日に少し南の美瑛岳(2052m)のほうの「オフィスコンパス」のツアー客3人のうち1人死亡か。あとトムラウシ山のほうで単独行の男性も亡くなったが、これに関してはツアーとは別で責任は完全に自分にあるので仕方ないことか。
でもツアーのほうの責任の所在は当然、会社とその場の判断を下すガイドにあるはず。

僕はこのツアーの該当コースの縦走はまだ未経験で10年来ずっと棚上げしたままなので、未踏の山域についてあまり大きなことは言えないが(数年前の夏に旭岳の麓にちょこっと行ったことがある、机上登山は毎年行なっている程度)、まあ死者が出た原因を簡単に言うとガイドの判断ミス、に尽きるか。18日の会社への家宅捜索は業務上過失致死の疑いだというし。

事故の原因を考えるとおおまかには、ガイドの3人中2人が該当コース未経験、16日は風速20~25mという強風と雨、2泊3日の行程で予備日なし、ということ。
今回は参加者が59~69歳の(主に東海圏からの)中高年だったからというのは直接の死因とはあまり関係ないと思う(死者全員の死因である凍死の決め手となる低体温症は、歳に関係なく誰でも起こり得るし)。
ツアーでガイドに頼らないと登れないくらいのレベルの登山者となると、悪天時の判断も自分でもつきにくい、というかつけられないものなのか。それに客としてはせっかくお金を払って北海道まで来た、ガイドのほうはそれをもらったんだから、なにがなんでもコースの縦走を完遂しないと、という歪んだ義務感も客もガイドも両方とも発生しただろうし。

ここ1週間の北海道は本州太平洋側とは違って天気がよろしくないことは天気予報を観てもわかることなのに、それでも強行だったのか。雨だけならなんとかなることもあるが、さらに強風もだからなあ。風は体感気温を激減させるから厄介よねえ。
ある新聞報道では16日の行動は15人の客が8つに分散していた、とあり、客5人にガイド1人の3つの分団くらいならまだわかるが、いくら初対面同士の集まりとはいえなぜそんな散り散りになってしまったのも歯がゆい。
避難小屋にとどまった1人のガイドを除く行動していた2人のガイドのうち、亡くなった60代のガイドがその悪天下でどう対処したのかはわからないが、もうひとりの先頭のほうを進んでいたと思われる(行動中に札幌営業所にヤバイかもとメール連絡してきた)30代の地元・札幌のガイドのほうが該当コースの経験は唯一十数回あるといっても2倍くらいの歳の差がある客との体力差まで、おそらく特に複数人で行動するときの基本の「体力的に弱い人に合わせる」を悪天であまり意識できずに散り散りになってしまったであろうことも、判断ミスの一因か。うーむ。

そのなかでも最も問題なのが、行程で予備日なし、ということか。1、2日くらいの行程ならまだしも大雪山系や本州中央部の3000m級の山々に数日間かそれ以上入る場合は予備日を設けるのは登山の基本だが、ある程度の利潤追求に走ってしまうツアーとなると、そう簡単に予定は変えられないのかなあ。件のツアーも2泊3日でというのもかなりの強行軍ですし。僕だったら3泊4日で予備日1日で行くかな。特に初めて行く山域となるとそのくらい注意深くなる(単独行の場合は尚更)。
これにさらにもう1日あって悪天の16日に避難小屋に停滞していれば、こんなに死者が出ることもなかったはずなのに。そのための避難小屋だから。
おそらく強風によって体感気温が0度以下の状態で森林限界より上を縦走、となると、強行すべきではないと思うのだがなあ。トムラウシ山~美瑛岳は初心者向けのエスケープルート(悪天や体調不良など不測の事態のときに直ちに下山できる逃げ道)もないし。せめて予備日があれば……。
夏の大雪山系の縦走の場合、ヒグマの頻出と水の確保とエスケープルートの設定を特に考えなきゃならんからねえ。

18日のNHKの報道でそのアミューズトラベルのツアー参加者(生存者)のひとりのコメントを取っていたのを聴いたところによると、その方は防寒着として羽毛の上着をちゃんと携行していて、でも山ではそれを着ていても寒かった、ということで、事前の北海道あたりの気圧配置からして夏らしい登山を想像しちゃあいけないよなあ。
ただ、翻って僕も近年はこの時期に標高3000m近い山に行くときは防寒については詰めが甘いこともあって、そこはしっかり反省すべき点だが。フリースや羽毛ではなく、冬でも着るような化繊製のアンダーシャツ・タイツや長袖シャツを予備的に携行する程度。

などといろいろ考えると、これまでの僕のいつもの登山で複数人で行く場合は自分が知っている人と行っていて、初対面の人と一緒、という経験はまだないのよね。以前も少し触れたが、登山ツアーを通じて一応そういう経験も積んでおくべきかも、とは常々思っている。

あるクライマーも気心の知れた人とでないと一緒に山に行きたくない、ということを聞いたことがあるが(特にアルパインクライミングでロープを結び合って命を預け合う関係となると尚更)、基本は知っている人同士で行くべきなのはわかっていても、でも大学山岳部・ワンゲルや社会人山岳会の活動が衰退しつつある現状を考えると(僕の母校も同様)、ここ数年盛んな中高年向けのツアーや、登山系のメーリングリストやmixiのコミュニティで初対面同士が集って行動をともにするような登山形態は今後もっと増えていくだろうから、好みの単独行ばかりではなくそこもちゃんと視ていくべきですな。

最近、大学時代のワンゲル以降久々に複数人で山に行く機会も増えてきて、その登山のさいの責任の所在や参加者の足並みの揃え方云々についても再びよく考えるようになったが、僕くらいの(今回の事故にホントは口を挟むべきではないかも、という)低レベル登山者ではたかが知れているので、現状では同行者がいる場合は僕がその方の登山歴を事前に把握できている人とでないと厳しいかも。個人でガイド業を営んでいる方々も、より良い登山にするためにもそうするのは当然のことですし。

なお、僕が今知りたいのは、今後出てくる生き残った2人の30代のガイドの言い分と登山歴、およびアミューズトラベルの松下政市社長の登山歴および登山観かな(特に山岳気象や予備日についての認識の度合いについて)。ガイドのほうは後日、生き残ったという負い目からくるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥らなきゃいいけど、今回の結果への風当たりの強さを考えると(へっぽこ登山者の僕でさえ触れずにはいられない事故だから)、若いからその可能性はありそう。
ただ今回はガイドのみにすべての責任を押し付けるべきではなく、会社の体質と言ったら言いすぎかもしれないが会社全体としてのもしものときの備えへの意識も知りたいところ。
この一件で業務停止どころが廃業に追い込まれてしまうのだろうか。そこまではいかないか。それに「アルパインツアーサービス」や「アルプスエンタープライズ」などの同様の登山ツアーを扱う同業他社への風当たりも一応気になる。

でも根本的なことを改めて考えると、そういった他者のお膳立てに頼らずに、自分で調べて勉強して、計画を立てて、実行して、反省して、試行錯誤を繰り返して、たまに練習もして、仲間も作って、とすべての面において主体的に取り組むことが肝心なんだなあ、登山って。
登山は「遊び」か「仕事」かに関係なく、「誰かに連れて行ってもらう」ではなく「自分が行く」という気概で行動すべきだということは、僕は高校時代のワンゲルから常に念頭に置いて取り組んでいる。

登山とは、今回のように時間の余裕の持ち方如何でその後の人生が即座に途絶えてしまう可能性も多分に孕んでいて、そうなるとより緊張感を持つべき生命に直結する行為なんだから、その姿勢は今後も変わらない。
今回の事故の情報は今後も注視する。


※22日(水)に少々だが追記した。

気晴らしになりそうでならなかった、奥多摩・曲ヶ谷沢遡行

2009-07-14 05:00:10 | 登山

12日(日)に今年初めての沢登りとして、東京都・奥多摩の川乗山(1364m)の北側を流れる大丹波川支流の上流域の曲ヶ谷(まがりがや)沢に日帰りで行ってきた。
今年、4月から沢登りに行く機会を狙ってはいたがことごとく逸し続けていて(都合7回くらい)、他人とのかかわりとは別の私生活では年始に引いた大吉のおみくじどおりの好転が見られず、例年以上にストレスも溜まり、主に経済面の理由から精神的にも憂鬱な日々が続いていた。今回も登山自体が4か月ぶりでやはり身体も心もなまっていて、予想以上に疲れた。普段から山に行き慣れていないと、机上登山との差異も大きくなりますな。

この沢、昭文社のエアリアマップでは破線表示ではあるが一応は登山道として設定されていて(2万5000分の1地形図「原市場」でも道の表記が沢沿いにある)、沢の後半は登山道の丸木橋が度々交錯するくらいだから、そんなに困難な沢ではなかった(沢登りに飽きたら登山道に一時的に逃げられるというズル? もできるし)。
が、序盤の5m滝の直登は複数人で行ってロープで確保できればよいが、単独行だとちょいと面倒かも。僕は高巻いた。それ以降はロープもハーネスも必要ない感じで問題なし。ああでも最後の登山道への詰めが、沢沿いではなく付近の尾根沿いに間違えて出てしまったために45度以上の傾斜の植林伐採跡を直登するはめになって、久々に難儀した。でも釜は泳ぐくらい深いところもあり、小滝やナメ滝が多く、ビヴァークに適した広い河床が続き(でも泊まりがけで行くほどの沢ではないけど)、後半に出てくるわさび田の雰囲気は良く、程よくまとまった沢だった。水は意外に冷たかったけど。
またこの沢は情報が少なくて(まあ基本的には増水時は要注意と促す程度の登山道扱いだから)、沢登り関連本でも情報がなく、今春に個人のウェブサイトで知った。今後は出版物以外の情報もおおいに参考にしていくことにする。

そういえば、沢を登りきったあとにその終了点から30分ほど登った川乗山も、過去の登山記録を辿ったら11年ぶりの登頂でしたなあ。比較的近場の山なのでいつでも登れるだろう、と放置していたらいつの間にかこんなに時間が空いてしまった。なんとなく登る機会がなかったのよね。今後はもっと行かなければ。真冬に雪が積もるとまた面白そう。

山頂からの下山はまだ未踏だった赤杭尾根を夕刻に残照のなかヒグラシの鳴き声を聞きながら下り、平らな箇所ではトレランの練習としてちょっと走ったりもして、まあ天気はよろしく、でもJR川井駅から沢への車道・林道の長いアプローチにはやや閉口しつつ、それでも川乗山を経由して最後は古里駅まで縦走というか反時計周りに周遊しながら丸1日楽しめた。久々にちゃんとした運動をしたので、翌日の筋肉痛というおまけも付いたけど。

で、登山自体は楽しめたのはよいが、大問題なのは今回も沢の中盤で記録用に2年近く愛用しているニコンのデジカメをうっかり沢に落とし、水没。そしてご臨終となった。うう。これで沢登りで3年連続でデジカメを潰したことになる。学習能力のなさは相変わらずである。
というわけで、またしばらくはデジカメなし生活となり、結局は気が晴れずに再びどよーんと憂鬱な気分に戻っている。最近は遊び以外にも普段の仕事でも必要不可欠なデジカメ、ホントに常に2台くらい常備していないとダメですな。反省。

ちなみに上の写真はまだ沢の中盤で(時間は正午前)、これを撮影した7分後にその事件が発生した。口外するのが恥ずかしいくらいにホントに初歩的なミスで潰してしまい、悔しさは過去最高。
今年になって従来のオリンパス・ペンタックス以外にも、キヤノン・パナソニック・フジフイルムも参入して競争が激しくなっている防水デジカメの購入を急がねば。というか、まずはもっと働かねば。



※2009年7月15日の追記

以上のように登山中に使用不能となったデジカメだが、帰宅後に水気を拭き取って天日干しして懸命に看病を続けた結果、なんと水没から2日後に大復活した。命拾い。防水仕様ではないカメラ(ニコン・クールピクスL12)なのに、なぜなんだ。
試しに、先週の雑誌『weekly an』の表紙とインタビューに今年は“イモ”呼ばわりされている多部未華子が登場していたのでつい買ってしまったのだが(まあふつうに求人情報も欲しかったからだけど)、それを撮ってみた。発色も特に乱れておらず、ホッとひと安心。多部ちゃん、かわいい。



でもいずれにせよ、新しいデジカメは常に求めているけどね。防水デジカメを買えるのはいつのことになるのやら。

功名心なき情報伝達の在り方を『つばさ』で再考する

2009-07-11 18:00:59 | 普段の生活(日常)
僕のほぼ地元の埼玉県・川越を舞台とした4月から放送中のNHK朝の連続テレビ小説『つばさ』、6か月間の放送が半分ほど消化されたもののこれまで特に何も触れてこなかったが、当然ながら全話チェックしている。そりゃあようやく(朝ドラの舞台として47都道府県の最後に)埼玉県にお鉢が回ってきたんだから、チェックしますとも。今夏はこれを全話きっちり観たいがために、長期間の外出は控えるつもり。
放送当初は川越ロケの様子がバンバン登場して昔から知っている街並みが頻出して色めき立ったが、観続けていくと6月あたりからはスタジオ撮影のほうが多くなってきてしかも川越と関係ないじゃん、という普遍的な家族・恋愛ネタに移行しているが、時折は聞き知った地名が登場して川越らしい雰囲気はセット中心の外観のなかでの展開になりながらもいくらか感じられる。

今週の第15週の放送分では、劇中で“イモ”こと玉木つばさ(多部未華子)が立ち上げからかかわっているコミュニティFMと、彼女がファンである芸人のベッカム一郎(麒麟・川島明)がパーソナリティーを務める東京のFM局の全国区のラジオ番組との対比を見せながら、地域密着型の前者に関与しながらも、全国に情報をより広く伝えられる後者の可能性も知って、自分が今後生きる道をどちらに選択するかというつばさの心の揺れを、一郎の元相方であるロナウ二郎(脇知弘)との確執とともに描いていた。

地に足を着けたマイナーな生き方をし続けるのか、それともマイナーから脱皮してより大きく打って出るのか、またよりレベルの高い場に身を置いて自分の飛躍のためにメジャーの階段を昇るのか、という、各種商売の販路拡大やプロスポーツ選手の外国チームへの移籍問題など、上昇志向というどの分野にも通じる興味深いネタだった。「ラジオぽてと」とともに「甘玉堂」のメジャー化? も絡めつつ。
そういえばこの路線選択の類の話ですぐに思い浮かぶところでは、人気沸騰? の某ミニコミ誌も早急に結論を出すべきことではないのか。「趣味」や「暇潰し」のままでいくか「仕事」にするか、みたいな。ただ劇中のセリフでもあったが、それが外野からの押し付けでは当人のやる気も削がれるから、見守るだけに留めるべきなのか。

『つばさ』のこの一件では「自分がやりたいこと」や「素朴さ」という要素を出しながら私利私欲の有無についても触れていたが、でもとにかく自分が売れて有名になりたい、と完全に自分自身の功名心からくる成り上がり精神ではなく、あくまでラジオを通じてマスメディアの本分である情報伝達の意味で全国ネットで遠くの聴衆者にも届けたい、という意識を持っている点でまた興味深い。

本ブログでも以前に少し書いたが、僕も拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)と本ブログで主に取り上げている旅に関することをいろいろ考えつつも、自分の実名なんかよりも自分の旅の考え方や取り組み方のほうが世に広まってほしい(特に「人力」について)、という体でふたつの媒体を展開しているが、情報伝達の在り方やその地域格差についても最近よく考える。
地域格差をいくらか払拭できるインターネットが普及してきた現代ではあるが、それでも旧来の新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、広報誌、全国各地で盛んなタウン誌やクーポン誌など、ネットでは拾いきれない小さな情報も巷には無数にあって選別が困難であることは痛感していて(貧乏人ゆえにクーポンに頼ることもしばしば)、一応はマスコミ関係者の(つもりの)立場から、最近はとにかく好き嫌いなく多くの媒体に触れるようにも務めている。

そんななか、僕も功名心はないと常々言うものの、手塩にかけているというほどでもないがそれなりに大切にしている自分のふたつの媒体が、全国的にどの位置にあるかは常に気になっている(最近はそれを気にかけてくれる友人知人もいて、陰でこっそり涙することもあったりなかったり)。「ちっちゃいことは気にすんな」とゆってぃに言われても、人間ならばある程度の競争意識は持つべきだとも思うし(最近の小学校の運動会の徒競走などで順位をつけない、という話を聞くとうーむ、と違和感を覚える)。

ただ最近、僕の周りで主に旅や野外業界の話だがメジャーの階段を昇りつつあるひとがいたり、すでに昇ってしまったひとのコトの経緯を聞いたりして、それらの具体的な事例に直接触れることも多々あって、つばさやその父の竹雄(中村梅雀)と同様にそれに少し影響を受けることは受けるが、でも僕はそんな急激な環境の変化には付いていけないので、だったらマイナーの立場でいいや、という結論を一昨年あたりに一応出している。マラソンや自転車レースでも先頭に立つと風当たりが強く、2番手以降に潜んでいるほうが前方が風除けになって労力は減って比較的生きやすいし。

でもそう思いながらも、例えば10日に触れたツール・ド・フランスのような大規模自転車レースで例えるところの、総合優勝は狙えなくても山岳賞のみ横からかっさらうみたいな、自分が出るべきところは出て脇役でもたまには主役になりたい、というちゃっかりした欲は持ち続けている。
今年、新城幸也と別府史之が同時に出走して、しかも序盤のステージから1桁順位を獲って、日本の自転車界にとっての革新的な結果を出しているが、これもその本場の欧州へ活躍の場を求めてメジャーの階段を昇ったからこその結果ですな。

まあとにかく僕は、外部から刺激は受けながらも引き続き地に足を着けた、の体で、拙著の販売と本ブログでの自己主張を続けていくだけだが。本ブログの訪問者も5月からまた微増傾向であるし(訪問者数は1日200人超のときもある。著名な知り合いの名前を多く出しているからか?)、ここに当座の可能性を見出している。

また、僕が情報伝達で特に考えるべき要素として「何を伝えるか」は定まっているのでよいとして、「誰に伝えるか」ということはこれまで厳密に意識してこなかった。顔の見える身近な常連? に向けてのものか、それとも顔のわからない不特定多数に向けてなのか。ただ、旅や登山では勝ち負けの感覚は一切持ち込みたくないがブログは別で、本ブログは旅に関することでは全国的に渡り合える内容を目指してはいる。『つばさ』で地元住民を重視したマイナー路線を選択した結論とは逆の発想になるが、もっと積極的にメジャー路線の心意気でいかないと、と改めて思った。
拙著も本ブログも基本的には地域も老若男女も問わずすべての方に向けて、と最近は意識を強めるように努めている。顔の見える範囲はmixiで、と使い分けながら。サッカーのポジションで言うところのボランチやリベロのように、基本は目立たない守備重視だが要所要所では積極的に攻撃参加もする、という体が理想。

もちろん金欠ゆえに、今後もいきなりキリマンジャロやアコンカグアを登ったり、自転車で数か月旅したり、人跡ほぼ未踏の東チベットを探検したり、のような大掛かりなことはしないが(でも最近、5月にキリマンジャロ登頂の珍獣ハンター・イモトアヤコにすら敗北感を覚える。今夏は126kmマラソンか)、今後も行動ありきでブログを軸にやっていこうかね。ただ最近、先月末も触れたように自分にも他人にもブログへの依存度が高くなり、しかも行動が減って頭でっかちに拍車がかかっているのは大問題、とも自覚している。今月から改められるか。
それから川越も、『つばさ』の放送が終わる9月までに久々にくまなく巡っておこうっと。

ツール・ド・フランス、今年こそ特にくまなく観るべきなのに……

2009-07-10 20:00:39 | 自転車
毎年この時期に開催されている、欧州最大というか世界最大の自転車レースであるツール・ド・フランス、見どころはいろいろあるが、今年は特に自転車専門誌のみならずテレビのニュースのスポーツコーナー以外の枠や一般紙・誌でもよく取り上げられている、Bboxブイグテレコムの新城幸也(あらしろ・ゆきや)と、直前に出走が決まったスキル・シマノの別府史之(べっぷ・ふみゆき)の日本人選手が2人出走、だろう。今中大介以来、13年ぶりの日本人ツール出場だけでも凄いのに、さらに今年に集中して2人同時出走だもんなあ。プロ野球・メジャーリーグで野茂英雄がドジャースに、サッカーで中田英寿がペルージャに移籍して1年目から活躍したのと同等の、日本の自転車界においての革新的なできごとであるね。

インターネット上でのツールの情報はJ SPORTSの特集サイトが最も多くて精確かな。肝心の映像のほうも、ここで観られる人はいいよなあ。ウチは無理だからなあ。
フジテレビがツールの放送を打ち切ってからもう何年経つっけか。今後再び地上波で復活、なんてことはないのかなあ、このご時勢で。

また、このサイト内ではツールと週刊少年チャンピオンで連載中の自転車マンガ『弱虫ペダル』との組み合わせによるJ SPORTS×弱虫ペダル ツール・ド・フランス2009観戦ガイドがわかりやすいか。このなかで、登りが得意な主人公の小野田坂道に、山岳賞リーダーの赤色水玉ジャージを着せているのがまたよろしい。

まあ今年はこのサイトで結果を追いかけることにしよう。で、詳細は後日に自転車専門誌で拾う、と。
現地では競技の要素とともに、コースを各チームが順に大移動してゆくキャラバン的な祭りの雰囲気もあるというこのレースの生観戦と「人力」の観点からその空気を感じることも前々から生涯の目標のひとつに掲げているのだが、いつになったら行けるのやら。
いろいろあって特に出不精になっている今年は、ツールの盛り上がりを観ていくと、出かけられないことからの歯噛みもより増すだろう。うう。


※2009年7月某日の補足
新城と別府、ふたりとも完走できたね。リザルトを見るとともに個人総合順位では100位以下となったこと云々よりも、日本人がふたり同時に出走して完走したという実績だけでも、日本の自転車界にとっては歴史が塗り替えられた画期的なできごとである。
来年以降はどうなるかなあ。もっと欲が出てひとつひとつのステージごとにも勝負していく場面が増えるのか。そういうところを今後は写真のみならず映像や生観戦で観たいんだがねえ。

シェルパ斉藤トークショー@東池袋は盛況だった

2009-07-07 23:00:45 | 他人の旅話

先月少し触れた、東京都・東池袋のサンシャインシティで3~5日に行なわれた「東京アウトドアズフェスティバル2009」を、5日(日)に観に行ってきた。

まあ出展および展示は例年どおりの規模で、10年近く前からこの催しを知っている僕としては見慣れた光景ばかりだが、ここ数年は定年退職して自由な時間が増えたけれども野遊びにはまだ不慣れな中高年向けの出展とともに年々、お子様向けの展示や野遊びに関する仕掛けが増えてきている。順路後半には「キッズフリーマーケット」というお子様同士でやりとりするフリーマーケットも催していた。

そうなると、近年の野外業界市場は主にお得意様? のお子様と中高年(の登山や旅行や各種パックツアーなど)で成り立っている、のかなあ? その中間の僕のような年代はどうなんだ? なんてことも、トークショーに同席した野宿仲間と話しながらふと思った。
現在のこの業界の経済的な実情をやや地理学的にお堅く言い換えると、年少人口(15歳未満の人口。A)と老年人口(65歳以上の人口。B)の動きが活発で、その中間の生産年齢人口(15~64歳の人口。C)がそれらを下支えしている、という図式になるか。
おおざっぱに考えると、まさにCが関連商品の製造・販売やツアーの企画・実施や各種遊び方の啓蒙などを通じてAとBを支え、その裾野を広げ、でもCは自分たちが実際にそれらを活用して愉しむ時間がAとBよりは比較的少なくなってしまっている、という感じではないか。周りを見回しても僕らCの年代が脇役に甘んじているという雰囲気は、少子化と高齢化が同時進行している現代日本ではたしかにある。うーむ、それが良いことなのか悪いことなのか。でもAとBのお相手? をすることによってメシが食えているCの人もたしかにいるわけだから、一概に悪いことだとは言いきれないし。

で、それは置いておいて今回観に行った主目的のトークショーだが、この日に午前と午後の2回行なわれたシェルパ斉藤さんのものを両方聴くことができた。

午前の題目は「日本全国をスーパーカブで巡る」で、ここ数年はまっているスーパーカブを駆って主に全国の巡礼地を巡っている話を出していた。しかも一般的に超有名な四国八十八か所ではなく、九州八十八か所や数年前に設定されたばかりの北海道八十八か所のような一般的に情報が少ないところをあえて巡っている。まあこれらは雑誌『BE-PAL』の連載「シェルパ斉藤の旅の自由型」で既出のことなので、僕はほぼ漏れなく知っているけど。
また、今月27日(月)にそれらのスーパーカブ旅話の連載をまとめた『シェルパ斉藤のリッター60kmで行く! 日本全国スーパーカブの旅』を小学館から出版予定で、でもこれ、実際にまとめると本2冊分くらいになってしまったのでそれを2段組にして1冊に凝縮したとか。しかも書き下ろしも含まれているようで、分量は多そうだ。

その冒頭で、オークションによる中古車の購入の経緯とともにスーパーカブに乗り始めたきっかけについて触れていたが、それは地平線会議でもお馴染みの賀曽利隆さんと風間深志さんに勧められたことが大きく影響しているとか。でもまあ特に本のタイトルでも触れているとおりのカブならではの燃費の良さが“カブ主”となった大きな決め手なんだろうけど。

たしかにリッター60kmかそれ以上進めるとなると、人力よりも効率は良いことは良い。徒歩や自転車のような人力移動だと、そのくらいの距離を進むにはどうしても飲食物を摂取する必要があって、そのぶん出費は余計かさむから。カブだったらガソリン1リットルぶんの出費で済むということで、それも悪くはない。でもまあ「動力」と「人力」の差は後者を努力して安く上げればだいたい200~300円程度の違いか。でもそれが数か月単位の長旅になると、えらく差が出るかなあ。カブを利用するか否かは、ガソリンに頼るか否かの信念と懐具合を考えたうえで探る旅人各位の妥協点にもよるか。
「人力派」を謳う僕も、実は動力ながらも人力移動に近い存在のカブには10年近く前から興味関心があって、旅よりは主に道路交通問題の取材でこれに少し乗りたいがために原付免許のみ取得しようかと考えることもままある。でもいまだにガソリンを使うという点で妥協できていないけど。

変わって午後の題目は「世界7大トレイルを歩く」で、02年からほぼ年1回ペースで続けている世界各大陸の徒歩旅というかトレッキング話をおおまかに触れていた。ネパールのアンナプルナサーキット、ニュージーランドのミルフォードトラック、エチオピアのシミエントレイルなど、これもまあその連載ですでに触れているので、僕としてはすべて既知のことではある。

しかしその後半で、前日まで2週間ほど行っていたアメリカの全長約3500kmのアパラチアントレイルの話を初めて出していた。前々から行きたかったところだったとか。
ただ今回は都合により実質1週間しか歩く時間が取れず(つまり部分的に歩く)セクションハイクとなり、どこを歩くかを決めるさいにこのトレイルを05年に6か月かけてスルーハイク(全踏破)した、昨年のトークショーで一緒だった加藤則芳さんに助言を求めてから行ったそうだ。結局はデラウェア州~ニューヨーク州を選択して、このどこらへんを歩いたか、その終了後に何を観たかは、今後のビーパルの連載で詳述されるだろうから(たぶん9月号以降)それを待つことにしよう。

聴衆は、午前は50人くらい、午後は70人くらいだったか。どちらも昨年よりも多かったと思う。まあ斉藤さんの知名度と人気を考えると、(そんなに玄人ばかりが集まるわけではない)この催しで喋ることも含めてこの盛況ぶりは当然の結果でしょう。もう少し大きな場所に仕立てても良かったかも。

それと今回ひとつ面白かったのは、斉藤さんはそのアメリカの旅から4日(土)夜に帰国して、その足で会場直近のホテルに入って泊まってから5日のこのトークショーに臨んでいて、つまりまだ山梨県北杜市の自宅に帰宅していない状態で、まさに取って出しでこの旅話を披露していたこと。家族にもまだその顛末を話していない状態でこのような公衆の面前に出て先に旅話を披露するのは自身初のことのようで、荷物もまだ旅のときのままの(洗濯物も詰まっている、お世辞にもきれいとは言えない)バックパックを携えていたりもして。たしかに珍しい事例か。予定を詰め込みすぎの感もあるが、でも旅の臨場感をより醸し出すという意味では帰宅前というのは意外に理想的なタイミングかもしれない。

でもまあ旅のデジカメ写真をプロジェクターで映すために、ノートパソコン(Mac)をはじめ、(おそらく会場に同席していた小学館の本の担当編集者を中心に)会場はきちんとお膳立てされていたので、そんな詰め込みぶりでもなんら問題もなく(ただ斉藤さんの労力は少し気になったけど)、逆に面白かった。こんな話を無料で聴けるなんて、ああスバラシイ。東京アウトドアズフェスティバル万歳。トークショーは今後も期待大。

僕個人的には斉藤さんの仕事では「世界7大トレイルを歩く」のほうのゆくゆくの書籍化を切望しているので、そちらも楽しみにしたい。

気休めというわけではないが、富士塚登山

2009-07-01 03:00:13 | 登山

昨日(6月30日)、東京都台東区下谷2丁目の小野照神社の開山式を観に行った。
ここには東京都内に点在する富士塚のなかでも特に大きな富士塚があり、毎年6月30日と7月1日の2日間のみ一般に開放されるのだそうだ。
で、開山式を観に行きつつ、富士塚にも登ってみた。



11時から始まった開山式。


開山式のあとの登山前の茅の輪くぐり。


登山中。参列者のなかには若者も一部いるにはいたが大半が年配の方で、ここでも中高年登山ブーム? は健在だった。


集団登山が終わった正午、富士塚の頂上から西方を見下ろす。


東側の登山道および下山道。こういうのを見ると、積雪期も登りたくなってくる。


雨上がりで道が少々ぬかるんでいて、登山道の難易度はちょっと上がったかも。でも難攻不落というほどではないけど。

ホントは開山式というと、静岡県の本場の富士宮浅間神社のものを一度は観に行きたいものだが、毎年なかなかタイミングが合わないのよねえ。いつになったら行けるのやら。
しかもここ数年、ちゃんと富士山にも登っていないしなあ。不況によりその程度の旅費すら出せないせいで。
最近、登山用具店に行くと、今年こそ富士山に登りましょう的な登山初心者向けの案内をよく見かけるのだが、昨年の入山者数の結果からもわかるとおりに日本最高峰を目指す登山者が年々増えていて、その流れにも乗り遅れているなあ。まあ無理に乗る必要もないけど。
さて今年は久々に行けるのかしら。でもなんか今年は残雪が多くて、今日現在でも(雪山はやらない一般登山者は)まだ九合目まで行けないくらいの積雪があるみたいね。

でも年内に登るべき山や沢やその他やるべきことの優先順位を整理すると、富士山はかなりあとのほうなのよね。あとは年末あたりに仲間内から今後の雪山登山のためのセックン(雪上訓練)に行こう、という話もあり、年内に一度行くとしたらそこかもしれない。

ちなみに、最近じわじわ人気が出てきているらしい東京都内でお手軽に楽しめる? 富士塚となると、芙蓉庵の富士塚日記というブログが詳しい。というかこの方、『ご近所富士山の「謎」富士塚御利益散策ガイド』(講談社+α新書)という富士塚本を昨年に出版されていて、しかも僕の友人の友人だということを今年知った。
富士講や富士塚の歴史などには疎いので、一度、専門家による富士塚に関する講釈を受けてみたいものだ。