思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

宇多田ヒカルの金言inさいたまスーパーアリーナ 

2006-08-17 23:00:21 | 出版・言葉・校正
今夜は、埼玉県さいたま市のさいたま新都心にあるさいたまスーパーアリーナで先程まで行なわれていた宇多田ヒカルのライヴ「UTADA UNITED 2006」を観に行っていた。なんかこの場所を紹介すると「さいたま」という平仮名表記ばかりになってしまうな。
6年ぶり2回目の全国ツアーということで彼女も気合いが入っていて、さいたまに来る頃には仙台から始まったその予定の過半数を消化して慣れてきた感もあり、もちろん演目というか生歌については申し分なく(ダンナの紀里谷和明演出の映像も含めて)、当然ながらテレビの歌番組で観る以上におおいに楽しめた。一瞬、外国の大物歌手か? とも思う力強さも垣間見られた。だが、今日は歌そのものよりも、歌のあいだに挟むMCのある場面のほうが印象的であった。

今日のライヴ前のファンメールで、会場に訪れるあるファンの子(若い女子?)が今日が誕生日ということで、宇多田から直接「誕生日おめでとう!」と言ってほしい、という要望があったそうな。それで結局はお望みどおりにちゃんと言ったのだが、その前に彼女が誕生日について言及していたくだりが面白かった。
その一言一句は正確には憶えていないがその一言を要約すると、誕生日というのは自分がこの世に産まれたことを感謝するとともに、それまで自分が無事に生きてこれたことを毎年確認する日でもある、ということ。誕生日を迎えるたびに今日も生きているということを実感して喜ぶ日、ということか。
鍵っ子暮らしが長かったために読書歴や想像力も人一倍豊かで(それは先日のテトリスの催しでも、ひとり遊びで培った実力を十二分に発揮した26勝4敗という対戦成績からもわかる)、歌番組や雑誌の取材などでも哲学的な物言いやそれを歌詞にもよく反映させる彼女らしいなかなか深い一言で(僕が特に好きな曲「traveling」でも古典「平家物語」の一節を引用しているように)、とても20代前半の女子が発するセリフではなく、悟りを開きかけた修行僧のような印象を受けた。そういう歌唱力以外のやや特異な想像力や語彙を持ち合わせているという意味では、彼女は文句なくやはり「芸能人」と言える。だから観客も付いてくるのだろう。そういえば、今日の観客は男女比で言うと4.5:5.5くらいでやや女子のほうが多かったな。しかも男女問わず大半が10~20代の、宇多田とほぼ同年代の若者という感じだった。

まあ普段からの彼女のそういった言動には、彼女と同じ山羊座のA型の僕も共感できるふしは多々ある。その後のMCでも、生きていてよかったね、とか、アンコールの最後には生きていればまた会えるよ、というようなしんみりすることも口にしていた。時事問題にも敏感な彼女としては、これは昨日朝の北海道根室沖のロシア国境警備艇から花咲ガニ漁の漁船への銃撃事件の影響も少し受けての発言だったのかもしれない、と推測する。彼女は最近、周りのスタッフの誕生日にも気を配るようだ。まあいろいろな事件が起こるこのご時世だから、そういう考えに至るのかもね。
宇多田に対してはデビュー当時は、「なんだ、この生意気な小娘は!」と一歩引いてしまう(僕個人的には)やや悪い印象もあったが(まあ15歳当時から実力があったということの裏返しではあるが)、結婚や全米デビューを経て年相応の「大人」になってきている様子を今日、生で確認できたことは収穫であった。でもまだ充分若いか。

ところで、今日の会場のさいたまスーパーアリーナで興行を観たのは、ここが建設される前からこの近辺の土地開発の変化を見てきた埼玉県民なのに今日が初めてだったのだが、思ったよりも音響は良く、驚いた。これまでは主にPRIDEなどのスポーツをやる場である、という先入観があったのだが、東京都の日本武道館や神奈川県の横浜アリーナに引けを取らないくらいに良い施設であった。1万8000人も入って嬉しい、と宇多田も言っていたが、たしかにそのくらいの観客が入っても音楽の催しがきちんとカタチになる場が地元にあることを今回改めて確認して、それも併せて嬉しかった。それを早めに知っていれば、13日の安室奈美恵のライヴも観たかったな、とかなり後悔する。

さいたま新都心へは家から自転車で片道1時間20分ほどかけて年に数回来ることがある。今夜は雷混じりの小雨だったので仕方なく電車で行ったが、今度は晴れた日には自転車に乗ってライヴを楽しみに来る、というのも乙かもしれない。


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