思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

野口健の清掃登山は評価するが、「アルピニスト」と呼ばれる現状に物申す(前)

2006-04-18 18:10:46 | 登山

近年、各種媒体で世界最高峰・エヴェレスト(8848m)や日本最高峰・富士山(3776m)の清掃登山で活躍している野口健を紹介するさい、人物紹介欄などに「アルピニスト」という肩書きが付いていることが前々から気になっている。
ちょうど1か月前の3月18日、東京都千代田区飯田橋の東京しごとセンター(ハローワークの豪華版のような施設)の地下講堂(上の写真参照)で、登山関連のNPO団体である「山の自然学クラブ」の設立五周年記念講演会という催しがあり、その特別講演者として小泉武栄(たけえい。東京学芸大学教授)とともに野口が登場するとのことで、行ってみた。
僕は野外・登山関連の分野で活躍している人物の講演会や各種活動の報告会などの催しに行って実際にその人に会ったり話を聴いたりするのが好きで、有名無名問わずこれまでにかなりの人数にお目にかかり、テレビや新聞や雑誌などの有名媒体だけでは伝わりにくいその人たちの個性を生で確認することを好んでいる。これも趣味のひとつかな。だが、そのなかでは比較的有名人の部類に入る野口については、テレビ出演の様子を何度か観たことはあるし、著書も一応読んでいて彼の登山履歴もそこそこ把握しているつもりなのだが、これまでに彼を生で見たことはなかったので前々から興味はあった。で、今回やっと彼の生喋りを聴く機会が巡ってきた。それを踏まえたうえで、かねてから気になっていた今回の主題に触れることにする。

「アルピニスト」とは、本来は20世紀前半に欧州アルプス山脈において登山という行為が活気付くなかで、「より高く、より困難な山を目指す」という主義のもとに、他の登山者よりもより高いレベルの登り方を追求し実現する、いわゆるスポーツ(競技)的な登山を行なって自分をより向上させていこうという意識が特に高い、この地域で言うところの「アルピニズム」を志す人を指す言葉である。
だが、現在の野口が行なっていることは環境問題に取り組むという意味での清掃登山が主で、ただ単に、というか純粋に山を垂直方向に攀じ登るという行為を徹底追求しているわけではない。だから、野口に山を攀じ登る“登攀者”という意味合いの「アルピニスト」という肩書きを付けるのは不適切である、と僕は以前から思っていた。「政治家」や「建築家」と同様に、彼はただ単に「登山家」(登山に詳しい人、その道に関連することでメシを食っている人。登山行為のみで食っている「プロフェッショナル」とは少し違う)と表現するだけで充分ではないか。

野口がエヴェレストから継続している清掃登山は、登山にそんなに興味はなくても環境問題には興味はあるということから、テレビ『素敵な宇宙船地球号』や雑誌『ソトコト』などの環境系媒体を特に好んでいるような人々を主に巻き込んで、年々その規模も拡大させて、環境問題を語るさいの代名詞的な手法になってきている最近の傾向を僕はそんなに悪いことだとは思っていない。むしろ野口が世界七大陸最高峰登頂(通称“セブンサミッツ”)以降にそういう活動を思い描き、実行にこぎつけた行動力は評価できる。まあこれは、彼は外交官の父の影響で外国暮らしが長かったために世界各国の人々の価値観に触れる機会が他人よりも比較的多く、日本国民古来の良くも悪くも保守的な体質に染まりきっていなかったからこその日本人離れした行動力による賜物なのだろうけど。また、このような活動が全国各地に広まって環境保全に関心を持つ人がもっと増えてほしい、と僕も思っていて、野口の存在や活動自体が大嫌いということでもない。
だが、このような活動を見ただけで単純に野口に「アルピニスト」という肩書きを付けるのはおかしい。清掃登山も一応山に関係することではあるが、これはいかに山を自分の理想の登り方で攀じ登るかに主眼を置いている「アルピニズム」からは大きくかけ離れている行為である。だって、活動の舞台は山であっても、やっていることは人間なら誰でもやる(はずの)「清掃」なんだから。まあそのさいはヒマラヤ山脈の8000m峰という場所が場所だけに、登山の知識や経験はそこそこ必要ではあるけど。

清掃登山を行なうさいは資金面でも人員面でもそれなりに大がかりになるため、スポンサーの獲得や広報などの事務的な仕事も含めて活動を軌道に乗せて継続していくのは困難だな、ということは素人目に見てもわかる。日本でも諸外国でも基本的にお金になりにくい(儲けがないということ)環境問題に取り組むのは大変なことで、野口も2000年から富士山やその北麓の青木ヶ原樹海の清掃に当初はまだ認知度が低かったために100人ほどしかいなかった参加者と取り組むさいに、山梨県と静岡県の関係自治体に協力を呼びかけると、
「(清掃活動で拾った)そのゴミは他所の○○村で拾ったものなんだから、そちらに持って行ってくれないかな。ウチに来てもらっても困るよ」
という感じで邪険に扱われ、(隣接自治体同士の)横の関係の連携を取るのは難しい、と話していた(現在は連絡協議会のような組織も立ち上がり、該当自治体の職員の環境への意識も高まり、改善されつつあるようだ)。
そのため身体的にも精神的にもかなりの力が必要な清掃登山に取り組むことは、大量生産・大量消費の資本主義下にある現代の日本社会においてはこれまでに前例のない冒険的な行為であって、その困難さに登山者の視点からあえて立ち向かい続けていることは「アルピニズム」に関係すると言ってもよいかもしれないかな? とは少しは思う。
だがやはり「アルピニズム」とは、そんな世間一般の人間のみで帰結すべき社会活動なんかからは大きくかけ離れた思想・行動形態で、ただただ真っ白な心と身体で自然のなかに分け入って対峙して、山を、岩を、雪や氷のなかを攀じ登り、各種スポーツのように人間の体力・精神力とその可能性の限界を押し上げるほどに(ある種狂気的に)追求し、動物本来の「野性」を取り戻すことを純粋に楽しむような“登攀者”や“登山者”にのみ当てはめるべき言葉である。
良くも悪くも下世話な世間にも首を突っ込んでいる(年々重大事になってきたことにより、ある程度は突っ込まざるを得ないというやむなき事情もあるのだろうが)野口に当てはめるべき言葉ではない。


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13 コメント

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正直申し上げて。 (りん)
2006-04-24 22:41:33
少し偏狭な価値観だと思いました。あなたは一体何をやってらっしゃるのか、そこが大事だと思います。そういや野口さんが講演(3、4年前の)で、あなたのような批判が数多いと仰ってましたね。特に年配の登山者から。第一、アルピニストというのはそこまで「真っ白で純粋なもの」ではありません。山に登るために、売り込みや接待や企業PRや、そういうものを経験しなければならない。「○○は評価できる、だがしかし~」という表現は男の方に多い気がしますが、それは一種の嫉妬から出ているようにも感じます。では。
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でね。 (りん)
2006-04-25 01:51:30
あなたみたいな人の評価がどうであろうと、信念のある人は活動を続ける訳ですよね。批判だけが得意な群衆なんてどうでもいいから。そういうことですよ。「野口は、野口は~」ってお前何様やねん、と正直思います(笑 非常に器が小さい。日本のことを見据えていない。長いスパンで物事を捉えられない。大切なのはご自分の嫉妬の念だけ。大体、何が気に入らないのかがこの記事からは見えてきません。ただ単につまらない嫉妬でネチネチと嫌味言ってるだけだしさ…。「野口に当てはめるべき言葉ではない」って、矮小な価値観でネチネチしてる人が言うべき言葉ではない。んでは。
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伝える人の見識と力量 (わたる)
2006-04-26 17:52:46
りんさん、はじめまして。本ブログの主である藤本です。初コメント、ありがとうございます。



僕は野口くんの人間性や信念や、数年前から彼が行なっている清掃登山が気に入らないわけではありません。「よう頑張っていますなあ」と端から見ていて感心しているだけで、彼のような方向性を目指しているわけでもないですし、だからべつに嫉妬もしていません。むしろ彼の今後の活躍に期待しているひとりです。

ただ、その彼を各種媒体で扱うさいに、彼の活動を伝える人(プランナーなり編集者なり)の見識のなさというか、登山という行為や「アルピニスト」という横文字言葉の概念をちゃんと把握したうえで使っているのかな? 一度でも本気で山を登ったことのある人なのかな? ということが気になり、疑問視しているだけです。

伝える人の力量如何で、野口くん以外のほかの大勢の登山者の印象にも大きく影響してきますから。仮にテレビであれば数千万人に波及しますし。登山者の登山に関する考え方・取り組み方も千差万別ですから、世間的に特に目立ちやすい野口くんの言動や活動が(あまり登山に興味・関心のない視聴者にとって)その基準になってしまう方向に向かうのはちょっと怖いことだな、と思います。



まあ、人間であれば誰でもいくらかは「真っ白で純粋なもの」ではない部分もあるかとは思います。価値観も人それぞれなので、りんさんのような言い分があるのもまた然りです。きちんと受け止めておきます。



「日本のことを見据えていない」とおっしゃいますが、僕は全国各地の事象をこの歳のわりには人並み以上に見てきたという自負のもと(現在も今後ももちろん見ていきますが)、本ブログを記しています。まあまだまだ未熟で、今後も方々を旅しなきゃならんなあ、とは思っていますが。

ちなみに、僕が何様かと問われると、(後)の最後のほうにも記しましたが、僕はひとりででも、スポンサーなどに頼らずともこぢんまりと自分なりの清掃登山を実行する「いち登山者」ということになります。りんさんは、“ひとり清掃登山”をやっていますか?

ではまた。
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その通り (らすく)
2010-09-22 08:35:59
野口さんがアルピニストではないのは明白です。ちょっとでも登山をかじったことがある人であればそれはすぐに判断できます。
ようはメディア受けがいいから、アルピニストという言葉をつかっているだけ。真のアルピニストに対する冒涜にあたります。
確か野口さんも自分で「定義にもよるが、自分は真のアルピニストではない」と言っていた記事をみたことがあります。
その辺はもちろん本人も認識していることなんでしょうね。
メディアは本当に怖いです。無知な一般市民に間違ったイメージを植え付けようとします。
野口さんは決して一流の登山家でもアルピニストでもないです。登山界からしたらチンドン屋みたいなものです。
でもそれでも野口さんが登山をメディアを通して広めたという功績は認めざるを得ない部分があります。
ようは受け手に問題があるということかと思います。アルピニストと言われて、単純に「すごい。きっと一流なんだ」と思うほうに問題があるかと。
情報は流すほうもすですが、受ける方にも的確に解釈する責任が生じると思います。
そういった意味で、野口さんに対してアルピニストという肩書をつかうのは登山界に対しても、本人に対しても失礼です。
彼は登山芸能人あたりでしっくりくるかと思います。
藤本さんの意見は非常にまっとうです。
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今ももちろん視続けています (わたる)
2010-09-23 06:42:21
もう4年半近く前の投稿にコメント、ありがとうございます。

野口くんのブログや今年から始めたツイッターのツイートは常にチェックしていますし、テレビや雑誌(特に『ソトコト』の連載)の露出も比較的触れているほうだと思いますが、それでもこの思いは今もまったく変わりません。また長々と触れるのも大変なので簡潔に言うと、やはり「アルピニスト」は失礼だと思います。

この問題? は、野口くんと先日対談していた、現在エヴェレスト単独無酸素登頂を目指す栗城史多くんにも悪い面で通じる? ところはあるかと思います。
ふたりとも目指すものはわかるのですが、各種媒体の利用の仕方も含めて、やはり山へ対しての敬意はかなり欠けていますねえ。最近、彼らを「有名人以上芸能人未満」の存在というふうに捉えるのに適した表現を探しているのですが、「登山芸能人」はちょうど良いかもしれませんね。

受け手がより登山という行為を視る目を養うにはどうすればよいか、は、今年加熱した「山ガール」関連の報道でもいろいろ考えたのですが、やはり簡単には実際に山へ向かって自然とじかに触れる人がより増えることなのかな、と思います。ホンモノを見極めるには自ら体験しておかないとわからないことも多々あるはずです。

とにかく、野外体験を得られる裾野を大手媒体なんか使わなくても済む個人レベルからももっと拡げたいですね。本ブログもその一助になれば幸いと意識しながら続けています。
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彼を越えてから言わないと (けん)
2013-02-27 01:14:31
言いたいことは何となくわかりますが、要は気に入らないことがあるんですね。
野口と呼び捨てにするならまず、彼を越えないと。
評価する立場にないと思います。

もしくは、批判するにしてもさん付けなきゃね。

誰も共感できないし、正論だとしても、受け入れ手もらえません。 これは常識です。
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「越える」にもいろいろありますね (わたる)
2013-02-28 16:44:35
古い投稿にコメント、ありがとうございます。

呼び捨て? については、越える・越えない以前に一般的に世に出ている有名人なのでべつによいのでは? と思います。例えば表舞台に出るのが仕事の芸能人や文化人の全員を、いちいち「さん付け」では呼ばないでしょう。

「越える」については、おそらく彼の登山に関する一連の行動について言っておられるのでしょうが、登山の技術・経験的なことか、行動力のことか、倫理的な部分か、などと捉え方はいろいろあるでしょうね。
たしかに、頑張っているなあと好感が持てる「評価」できる面もありますが、最近の彼のテレビ出演やツイッターのツイートも日々拝見すると、それこそ「常識」を欠いているのではないか、とつい疑ってしまう(この投稿を書いた約7年前から何も改善されていない)面のほうが多々あるように感じます。例えば、彼の肩書きとしてよく使われる「アルピニスト」という言葉を笑いのタネにするような感覚、みたいなことです。

私感の受け入れや共感については、基本的に本ブログは自分の備忘のために書いていてそのへんはあまり意識していないため、申し訳ないですが今後もこのような感じで継続します。

機会があれば、けんさんのこの投稿に関連のある意見もどこかのウェブサイト等で(なるべく僕のこの投稿と同様に実名で触れていることを)拝読したいものです。
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Unknown (backtester)
2013-05-02 16:06:19
かなり古いコメントにいちいち反論するのもなぁ~と思ったのですが、偶然このブログに出会ったので僭越ながら一言。

コメントでわたるさんを批判している人達は
おそらく本物のアルピニストを知らないんだと思いますよ。
逆にわたるさんは登山に人生を、命を賭けた方々をよく知っているから、
余計に腹が立つのでは?

野口さんや栗城さんは登山家の間でも評判は悪いのではないでしょうか?
『ナダールの穴』というTV番組で服部文祥さんが
お二人について痛烈な批判をしていたのを覚えています。

栗城さんは問題外にしても、野口さんに関してはそのような批判も甘んじて受けつつ、
『アルピニスト』の肩書きを利用して活動を広めようとする大義を持っているとも考えられます。
しかし、本物の方々からすればそれは侮辱でしかないのかもしれませんね。

私は登山家についてはほとんど知らないのですが、
『孤高の人』という小説を原案とした漫画の巻末にあった登山家の紹介コーナーで、
ほとんどの方が偉業を達成された後も困難な場所に挑み続け、その道中の事故で亡くなられているのを知り愕然としました。
私にとってアルピニストとは『命を賭けて生涯、真摯に山に挑み続ける人』という印象です。
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だいたい (わたる)
2013-05-03 00:18:43
かなり古いコメントに、ありがとうございます。
だいたい、おっしゃるとおりです。

http://www.tokyo-np.co.jp/tbook/shoseki/tko2010100102.html
『岳人備忘録 登山界47人の「山」』(山本修二 編、東京新聞)

せめて、国内の登山業界に携わる人々を紹介しているこの本くらいは読んでから、野口氏について再考していただきたいです。現在発売中の本ではこれが最も参考になると思います。

『ナダールの穴』は僕も放送時の一部分は観ていました(今はたしか動画サイトにも少々あがっていましたっけ)。
服部氏に限らず、似たような思いを抱いている山岳関係者は多いと思います。

野口氏、今後しばらくは富士山の世界文化遺産登録の問題? でも露出度は高まるでしょうが、一応はその動向も注視してゆきます。
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Unknown (最近は)
2015-06-20 09:24:39
ネットの発達で二人の登山家の化けの皮が剥がれてきましたが、
9年も前にこの問題について書いている方がいたのですね。
その人より優れていないとその人を批判してはいけない
という考えの方がいらっしゃいますが、それでは映画評論家
など生計が成り立ちませんね。
車1台作ったこと無いくせに、エンジンがどうだの足回りが
どうだのトヨタや日産に文句つけてる評論家も。
当選するどころか選挙に出馬することすら出来ないくせに
市長や県議会議員や、ましてや総理大臣に意見するなんて
畏れ多すぎますね。
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