思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

野口健の清掃登山は評価するが、「アルピニスト」と呼ばれる現状に物申す(後)

2006-04-18 19:04:25 | 登山
2005年7月20日、富士山頂(と言ってもお鉢のことね)の山小屋のそばに夏季限定で設置された自動販売機。これを設置すると、登山や自然体験の経験があまりない人に、「飲み終わった空き缶やペットボトルはここに置き去りにしてもいいんだ」と勘違いされるので、いいかげん撤去してもらいたいよな、といつも思う。こんなものに始めから頼ろうとしている人は富士山に登らないでほしいよな、とも思ってしまう。


最近の野口健の存在は世間一般の人から見ると、自ら率先して行動して環境問題に取り組んで、社会に貢献していて立派な人だな、と比較的良い印象で評価されている。またお偉方で言うと、小池百合子環境大臣や石原慎太郎東京都知事からの信頼も厚い。野口が(日本人の名誉のために?)個人的に始めた清掃登山は、現在では富士山の世界遺産登録を目指す運動を活性化させたりもして、もはや社会現象とも言うべきところまで拡充してきている。
だがその反面、
「山の清掃をするための登山で、自分の登山隊のゴミも排出されることによってゴミの量が余計増えるだろうが!」
とか、
「そんな独善的な行動によって登山を物資輸送・キャンプ生活・ルート工作の面で手伝う人々(シェルパ・コック・ポーターなど)の生活に余計な負担がかかることを考えたことはあるのか?」
とか、
「他人のゴミを拾うのはよいが、清掃登山を行なう以前の登山では、自分の登山で出したゴミは適切に処理していたのか?」
という感じの論調で、山を攀じ登ることを追求し続けている、登山にどっぷりハマッているいわゆる“山屋”の人たちからは野口の清掃登山などの活動を快く思っていないという批判的な見方もあるのが実情で、実は僕もこれらの言い分のほうに7割がた賛同している。
まあ野口が言うには自前で組んだ清掃登山隊のゴミは適切に処理しているし、登山隊のスタッフとして参加した人たちのその後の生活を支援する「シェルパ基金」も設立していると言うが、その言葉をどこまで信用できるか、ということ。
と言うのも、外国暮らしの長かった野口がそもそも登山を始めたきっかけというのが、高校生の頃にイギリスの学校でケンカ沙汰で停学になったさいに自由な時間ができ、そのとき偶然発見して読んだ昭和時代のかの偉大な冒険家・植村直己(故人)の本に感銘を受けたから、ということで、登山を始めた動機がやや不純。また、野口自身も講演会で白状していたが、エヴェレストでの清掃登山以前の七大陸最高峰登頂を世界最年少で達成すべくがむしゃらに登っていた自前の登山では、体力的にも経済的にも最大の難関であるエヴェレスト登山の前の特訓の意味で登ったチョー・オユー(8201m)登山で酸素ボンベやその他各種ゴミやらを高所に置き去りにしてきた経験があり、七大陸最高峰登頂達成後はそれを猛省したうえでここ数年の清掃登山に真摯に取り組んでいるそうだが(これは各種講演会で毎回ネタにしているらしく、喋り慣れている感がある)、これも僕としては完全に納得はいかない。

ふつうはどんな状況であっても、山にゴミは捨てないでしょう。高所登山においての、1gでも身を軽くして登りたい標高8000m以上のいわゆる“超高所”では、目の前の手が届きそうなところにある山頂に「登頂」するという自己満足のために、世間一般の人道的にはよろしくないそういう行為を正当化させたがる心境もわからなくはないが、僕が仮にその立場に立ったことを想像しても、そこまでして登りたくはない。我々人間が自然のなかにお邪魔して遊ばせてもらっている立場なんだから、そんな状況であっても100%自分の自己満足のみで物事を完結せずに、自分以外の様々な事象とその影響もできるだけ気にしながら自然と正直に向き合いたいものだ(こういうことを書くと、「きれいごと」と言う“山屋”もいるんだろうなあ)。ゴミをデポ(仮置き)して往復してあとできちんと回収するのはアリだけど、そのまま回収せずに置き去りにしていく、という行為はナシでしょう。

野口は(本ブログの登山話でも触れているが)僕のようにこの世に生まれる前から根っからの自然好きというわけではなく、自己改革のために登山を始めて、悪く言い換えると自己満足に突っ走るやや売名行為的な胡散臭さが漂っているから、100%は信用できないんだよな(そのため、野口の一連の活動を「売名行為だ」と言う登山関係者も多い)。
それに、他国の登山隊にゴミ残しなどの日本人の行動のずさんさを「日本人のマナーは“三流”」と指摘されて腹が立ったのが清掃登山を始めたきっかけだということだが、自分もそれを言われる前はゴミを置き去りにしてきたという過去の悪い実績? があると、現在は清掃登山をマジメにやっています、と言ってもやや説得力に欠ける。ふつうは街でも自然のなかでもゴミ処理は適切に行なうべきで、社会人であれば「ゴミは適切に処理する、そこらじゅうにポイポイ捨てない」という感覚は備わっているはずなのだが。

まあこれは野口に限らず、近年急に環境問題だスローフードだロハスだなんだと騒ぎ立てるようになり、しかも「僕はエコロジーやリサイクルを気にしていますよ」などと横文字言葉を有言実行しているという感じでわざわざ多用しながら、しかも「アウトドア○○○」などの最近の環境ブーム? に便乗した感じで取って付けたような横文字の肩書きを自ら名乗ったりもしている世間の一見(いちげん)さん、というかプチ自然派の人すべてに当てはまることだ。ホントに自然のことが好きだったり環境問題に気を揉んだりしている人は、野外においての自然への足の踏み入れ方や環境の変化やゴミの排出などを気にしていても、そんなしゃらくさい横文字をいちいち多用したり、ああだこうだと講釈をかましたりはせずに不言実行で行動するものだ。ホンモノの山男・山女は山にゴミは出さない、もしくはゴミが落ちていたら黙って拾うものだろう、と僕は思っている。まあ登山に携わっていない人でも、ヘンなゴミの捨て方はしないはずなんだけど(街なかにおいての一般ゴミの分別のみならず、山林への産業廃棄物の不法投棄なども含む)。

でもまあ、それでも最近は清掃登山を1、2回こっきりで終らせるのではなく毎年継続することによってこの活動も市民権も得つつあり、世界自然遺産に登録されている青森県・秋田県の白神山地に毎年足を運んでもいる野口の山や自然環境の悪化を憂慮する本気度もわかってきたから、僕のなかでの“野口株指数”もここ数年は上向きになっているけどね。
2、3年前にも彼がエヴェレストから持ち帰ったゴミの数々を東京都世田谷区二子玉川の百貨店で展示する催しを見に行ったのだが、そうやって実際に拾ってきた結果も生で見ると、そこそこは評価できる。
でも、そんな清掃活動自体は認めても、数年前のコーヒーのテレビCMではないが、野口および各種媒体の記者などの頭のなかではいまだに「登山家」と「アルピニスト」の違いはわかっていないと思う。信仰の対象でもあった山への日本的な登山と(江戸時代は娯楽や求道、税の厳しい取り立てから逃れるための現実逃避の意味合いもあったようだ)、ゴルフやスキーのように多くの選手がひとつの枠のなかで切磋琢磨する個人スポーツという感じで発達した欧州的なクライミングとの、歴史や文化も含めたその成り立ちの違いが。
これはおそらく、登山に興味のない方にとってはどうでもよい表現かもしれないが、「登山家」という漢字か「アルピニスト」という横文字かということは、僕のような登山に人一倍興味のある人間にとってはもっと突き詰めて、厳密に精査していくべきことなのだ。
「呼び方なんてどっちでもいいじゃん。どっちも山に詳しい人、という意味では同じことなんでしょ?」
と簡単に片付けるわけにはいかない大問題なのだ。言葉の意味が大きく異なるからね。

登山に無頓着な人が報道媒体に従事しているさい、茶色で横幅のある昔ながらのキスリングを背負って、チロリアンハットやベレー帽を被って、チェック柄のシャツを着て、ニッカボッカーを穿いて、皮革製の重登山靴を履いて、身体を横に揺らしながらフウフウ言いながら樹林帯を歩く、という感じのひと昔前の登山者の格好が連想されがちな「登山家」という日本的な野暮ったい表現よりは、最近目立っている登山・野外関連道具を生産しているメーカー名で言うとカリマー、グレゴリー、コロンビア、ザ・ノースフェイス、パタゴニア、マーモット、マウンテンハードウェアなどの現代的な機能と色使いをふんだんに採り入れたザックや衣服や靴を身に着けて、岩稜帯を颯爽と駆け登ったり岩壁をスパイダーマンのように軽々と攀じ登ったりする「アルピニスト」という横文字のほうが、言葉の響きが段違いに良くてなんとなくカッコイイ、という思い込みから、肩書きの付け方もつい横文字になってしまうのだろう。だから、各種媒体に携わる人に対しては、野口のような比較的著名な人物や現代の登山事情を扱うさいはもっと気をつけてほしいよな、と各種媒体で野口に「アルピニスト」の肩書きが付いているのを見かけるたびに、腹が立って激怒するとまではいかないが、他人事ながらいつも気に障る。繰り返しになるが、野口は「アルピニスト」ではない。
そういった横文字は、純粋に山や岩を攀じ登ることにのみ集中している(いた)山野井泰史や長谷川恒男(故人)や鈴木謙造(故人)のような人物にのみ向けられるべき言葉なんだけどなあ。ただ現役バリバリの山野井の場合は、自分のことは山に関する深い思索もするという静的な意味合いもある「アルピニスト」よりは、それよりももっと動的な攀じ登る行為にこだわって取り組んでいる「クライマー」と呼ばれることを好んでいると、数年前の雑誌の対談でも言っていたけどね。
まあとにかく、媒体で登山の事象を本気で扱うのであれば、もっと登山事情を勉強してほしいものだ。まあその最大の勉強法というのも、実際に自分の意志で野外に一歩踏み出したり、日本でもここ数年は環境への意識が徐々に高まってきた影響からか、ここ1~2年は応募者が殺到し、2005年は3000人以上の参加者が集まるようになった野口主催の清掃登山のような大々的な催しに参加しなくても、自分ひとりででもゴミを拾いながら山を歩いたりすることなんだけどね。
ちなみに、野口は2006年は5月にネパールのマナスル(8163m。日本隊が50年前に初登頂した山)と富士山の同時清掃登山を行なうそうだ。「登山家」という偉そうな肩書きはなく、ただ単に「いち登山者」である僕が近場の山で登山を楽しむさいの標準装備として、山歩き中にゴミを拾うためのゴミ袋(何回か使い古して、捨てる寸前のスーパーのレジ袋やジップロックのようなもの)が5、6年前から含まれている。


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19 コメント

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Unknown (安蘇山塊)
2006-08-22 19:36:28
激しく同意します!コーヒーのCMを見て、登山家を一人も知らなかった私は

「すごい、誰もできなそうな登山をやっている」

という印象を受けたんですが、登山の困難度に関してはどう考えても山野井氏のほうが上なわけで・・・。

山歴なんか披露するんじゃなくて、単に山で清掃をやってる登山家だって紹介しとけばよかったものを。



ところで、どうせ掃除をするのならあまり生態系にも影響を与えなさそうな高山よりもむしろ低山をやるべきだと思うんですが、どうなんでしょう?
僕は基本的に低山派です (わたる)
2006-08-23 21:28:22
安蘇山塊さん、はじめまして。



この投稿の主題である野口健くんの件について共感していただけるとは、嬉しいものです。書いた甲斐がありました。僕としても彼は「登山家」もしくは「山の環境の変化を人一倍気にしている清掃登山の兄ちゃん」という肩書きのほうが適していると思います。まあとにかく、安蘇山塊さんのように“違いがわかる”人が今後もより多く現れてくれることを切望しております。



また、日本の山での清掃登山ですが、僕も富士山や上高地や尾瀬などの登山者というか(登山目的ではない)観光客がドッと押し寄せる有名観光地よりもむしろ、それらよりは入山者は少ない身近な低山を清掃したほうがよいと常々思っています。前者は最近は有名なぶん、バイオトイレの導入やマイカー規制や野口くん主催以外の清掃活動もいくらか見受けられるようになって、環境への配慮は数年前に比べるとかなり進んでいます。

逆に、僕がよく登っている埼玉県西部の奥武蔵や東京都西部の奥多摩を例にすると、昭文社発行の『山と高原地図』(エアリアマップ)に実線で記されている一般的なルートよりも、破線で記されているやや歩きにくい(入山者が少ない)ルートのほうにまだまだ古いゴミが落ちていることがよくあります。空き缶ひとつ見ても、10年以上前の、プルトップがまだ分離式のときの缶をよく見かけますし、瓶の破片もたまに見かけます。ひと昔ふた昔前の今ほどは環境への意識が高くなかった頃は結構登られていたけれども、最近はほとんど登られていないそんな登山道のほうこそ清掃に力を入れるべきである、と思っています。まあ僕は今後も主にそのあたりで地道に拾い続けますよ。ほぼ地元ですから。

みなさんも今後登山するさいは、ゴミ袋を装備に加えて、レッツひとり清掃登山! ですよ。これが全国的に流行るといいなあ。
Unknown (うに)
2010-05-28 22:32:39
行為は心の実践である
そうですか (わたる)
2010-05-30 03:27:54
よくわかりませんが、真摯に受け止めておきます。
心配 (わたる)
2010-06-20 19:49:21
行動をしている人の方がはるかに貴い。
何もせずに、上から目線で文句を開陳されているのは気持ちがいいですか?
社会人のあるべき態度として、はなだな疑問に思います。

>「山の清掃をするための登山で、自分の登山隊のゴミも排出されることによってゴミの量が余計増えるだろうが!」
>「そんな独善的な行動によって登山を物資輸送・キャンプ生活・ルート工作の面で手伝う人々(シェルパ・コック・ポーターなど)の生活に余計な負担がかかることを考えたことはあるのか?」
>「他人のゴミを拾うのはよいが、清掃登山を行なう以前の登山では、自分の登山で出したゴミは適切に処理していたのか?」

これらは、すさまじく幼稚な自意識でしょう。良識ある大人が与するには値せず。
Unknown (しば)
2010-10-17 20:48:00


おまえは何か挑戦してんの?

お互い暇人だね!!
清掃活動よりも「アルピニスト」について考えましょう (わたる)
2010-10-18 07:47:20
>わたる? さん

たしかに清掃活動自体は素晴らしいと思います。
ただ、引用にあったことは僕なりの仮説も混ざってはいますが、実際に現地へ行った他隊の声やヒマラヤ登山に精通した媒体や個人の見方も含んでいるため、そういう見解もあってもよいのではないかと思います。

本項はその行為よりも、世間一般の「アルピニスト」という表現の仕方に甚だ疑問を感じていることについて主に触れていますが、社会人のあるべき態度について、最善な態度をご教示をいただけると幸いです。


>しばさん

何かに挑戦しているかについては、正直に回答すると何もやっていない、ということになるでしょうか。というのも、僕個人的に文字どおりの「戦い」を「挑む」という意味での「挑戦」という言葉が苦手で使いたくないからです。登山に戦いや競争の要素を持ち込むことが不粋だと思っているからです。

単に「実践」していることとしては、先のコメントにあるように自分にとっての身近な山ではゴミを拾いながら山を歩くこともありますよ。最近は野口くんがエヴェレスト同様に清掃に力を入れている富士山はご無沙汰ですが、過去の富士登山でもゴミ袋を携帯しながら登ったこともあります。

暇人かどうかについては、実際に僕と会って確認していただけると幸いです。
また、そんなふうに書くということはしばさんもなんらかの「挑戦」をしているのでしょうから、その経緯や成果を記録・表現しているウェブサイト・ブログ等の媒体がありましたらぜひ拝読したいので、ご一報くださると幸いです。
うに (5793)
2010-11-02 18:52:03
ネット弁慶?
野口氏に直接いいなよ
直接 (わたる)
2010-11-03 08:26:38
お会いする機会が東京近郊であれば、言いますよ。何度でも。
ただ、ご多忙な方ですからねえ。

そう言ううにさんは、アルピニストなのでしょうか。その表現や報告を行なっている場があれば、ぜひ拝見したいです。
はじめまして (通りすがり)
2018-05-23 13:50:28
最近日本人がエベレストで亡くなったというニュースを調べるうちに登山に興味を持って、たまたまここに流れ着いてきました。もちろん私には登山の経験はありません。

この記事において貴殿の仰っしゃりたいことはよく伝わってきます。例えるならばスポーツの世界において素晴らしい功績を持つ指導者がいたとして、その人が現役でないのに選手やアスリートと自称するのはおかしい、といったことでしょう。ただ、大変失礼ながらどうしても言わずにはおれなかった事がありましたので申します。

件の野口氏が登山を始めることになったきっかけが偉大な冒険家の伝記を読んで触発され、自己改革が出発点だから動機が不順で胡散臭く、自分は生まれる前から根っからの自然好きであるから彼とは違うと貴殿は仰る。この事に言いようのない気持ちの悪さを感じました。

気持ちの悪さとはいわゆる選民思想のようなものです。これもまた例えれば、高名な医学者の伝記を読んだことがきっかけで医者になった者は志が低いので胡散臭く、生家が病院を営み、跡継ぎとして医者になった者は高潔であると差別しているようなものではないでしょうか。

別に私は伝統ある家系や世襲議員を否定せんとする論客ではありません。名門には名門の誇りや良さがあります。ただ、あたかもこれに該当しない者は一段劣ると宣言するに等しいことを公開された場で仰るのは、いくらなんでも非常識であると考えた次第です。

最後になりますが、重ね重ね初対面の方に失礼な事を申し上げたことをお詫び申し上げます。

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