アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

高倉健と小田剛一、そして人生

2013年05月03日 | 近世歴史と映画

 

 高倉健は最後の映画スターである。日本の観客、とりわけ男性ファンが、高倉健さんを

見るために映画館へと足を運ぶ、という意味において。俳優で映画を

見る習慣がほぼ消滅した現在、こうした映画の見られ方はとても貴重だと言える。

 ところで、ファンの多くは、高倉健さんの外見の格好良さを見に行っているのではない。

 彼が演じる男の生き様にほれて、映画館に通いつめるのだ。

高倉健は「かく生きるべし」という規範を常に体現してきた。

「昭和残侠伝」などのヤクザ映画では、理不尽な仕打ちに耐え抜き、

最後の最後に命を賭けて向かう。そのストイックな姿が公開当時、

右翼から左翼まで幅広い層の男たちの、生きる指針となった。

 軍人であっても技術者であっても、市井の人間でも、たとえテロリストでも、

健さんが演じる人間の生き様に、私たちは憧れてきた。

 もちろん、私たちは彼らのようにストイックに生きていない。

普段は小ずるくて、矛盾に満ちた行動を重ねてしまうわけだが、

時々健さんの映画を見て、我が身を省みる。肩で風を切って映画館を、

後にしながら、少しでも健さんに近づきたいと改めて決意するのだった。

「単騎、千里を走る。」以来6年ぶりの新作となる

「あなたへ」でも彼は変わりなく人生の規範を見せてくれる。しかも、

かつてのような働き盛りの人間のそれではなく、

そろそろ人生の黄昏を迎えようとしている人間のそれである。

 彼が演じる倉島英二は、定年を過ぎた刑務官。富山刑務所で、

嘱託として職業指導をしている。妻に病気で先立たれ、傷心の英二の下に、

亡妻から手紙が届く。

「故郷の海に散骨してほしい」との内容だった。

 英二はワゴン車をキャンピングカーに改造し、妻の故郷である長崎県の

平戸港へと向かう。生前に散骨の話など間いていなかった

英二は、妻の真意を測りかねていたが、行く先々で出会う人々との

ふれあいを通して、だんだん妻の思うところに気づいていく。

その過程が何のケレンもなく描かれている。

 長年連れ添った配偶者を失った時どのように送ればよいのか。

その後の人生をどのように生きていけばよいのか。

そして、わが人生の整理を始めればいいのか。

 

81歳の高倉健は、人生の黄昏時に差し掛かった多くの人が直面する

そんな普遍的な問題に、今回も言葉ではなく身をもって答えている。

テーマが普遍的であるがゆえ、英二という男は、

特別な資質や特殊な経験を持つ人間として描かれてはいない。

刑務官という堅い仕事を生真面目に勤め上げてきた人間である。

恋愛についても同様だ。妻のことを不器用だが一筋に愛し続けてきた。

一本道の平凡な人生を、横道にそれることなく歩んできた。

 考えてみれば、これほどストイックに、つまり非ドラマ的に生きるということは、

既に特別な資質であり、特殊な経験なのかもしれない。

特に、欲望に忠実であることが称揚される現代日本においては。

その意味で、英二は極めて高倉健的キャラククーだと言えると思う。

高倉健が小田剛一として、江利チエミや大原麗子に、いまも続けている。

好意が私は、オーバーラップしてしまうのです。 

 

   キネマ旬報 2012 №1619 「あなたへ」作品評 文=石飛徳樹より一部 引用