アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

再考、八甲田山雪中行軍 4

2013年05月23日 | 近世歴史と映画

 

案内者


 今を、去る60年前(昭和37年記載)、すなわち明治35年1月23日、

歩兵第三十一連隊の福島大尉は一小隊を率い秋田県より

十和田湖経由法奥澤村方量を経て大深内村大字深 持字増沢に至り一泊し、

途中田代平新湯に宿し八甲田の峡を越え、青森にでるように未だ全く

試みたことのない大冒険的雪中行軍を決行しようとした。


時ちょうど厳寒中なので積雪多く路がわからず、

本村役場(旧大深内村役場)に問合わせがあり、

道案内者若干名を依頼された。


そこで役場から村長及び助役が同に出張し地元村会議員・

小原金治氏の斡旋により冬季八甲田の地理に精通し、

且つ身体強健の者七名を選びその重任に付いてくれる様に依頼した。


 それで前夜より準備を急ぎ、ワッパ入り御飯の

外ソバ餅(炉蒸焼ナンバン味噌入り)いり豆若干等持参し

日帰りの予定で案内に応じた。


 明けて24日午前6時、増沢を勇躍出発、

おり良く暁の好天に恵まれこの分ならば新湯まで何等心配する所がないと

大尉一行は自信満々行軍を続けても聊かも疲労が見えないのは当然である。

(一行中に現役兵として板之沢出身沢目亀蔵が参加して居る)


彼の云う処によると新湯には食料品その他の準備があることは調査して置いた。


同地にて温泉に浴し行軍の疲労を除き新湯から案内者を

引き返させる予定であったと云う。


 途中八甲田連峰を前方に眺めながら進み、愈々目的の田代を目指し、

威風堂々熊之沢川上流をさかのぼり凡そ二里程で俗称双股に達した。


大尉は笑を浮べ「行軍は急いではいけない」と此処で小憩し地図を

眺めると半ば行軍の目的を達したようなものである。


やがて9時半頃、同所出発双股の急坂を登ること十四,五町で中平に着くとき、

驚いたことに物凄い爆音が樹上を過ぎたと思うと天候が急変し、

風雪を伴い瞬く間に降雪で膝を没する現状になった。


さすがの強健な七名も互に顔を見合わせ、大尉等一行は・・・と

見れば何のこれしきの雪にと激励勇を鼓舞し雪を蹴りながら進む事

二里余で漸く箒場(俗称)に辿り着いた。