「デモで暴れたやつは中国人の面汚し」と北京人は吐き捨てた
プチブル層と民工層の間に横たわる深い溝
2012年10月3日(水)
9月30日は中秋の名月だった。中国では月餅を贈りあい、家族や友人ら親しい人でごちそうを囲んだり、パーティを開いて、この日を楽しむ。ちょうど北京にいたので、知り合いの北京人のカラオケパーティに誘われた。ゴッドマザーと言うべきおばあさん、そしてその子供たち、それぞれの連れ合い、家族、年配者から孫世代までが一同に集まり、飲んで歌っての宴会である。
典型的な北京のプチブル家庭。このパーティに誘ってくれたのは日本に留学経験がある24歳の女の子で、彼女の家族、親せきは誰もが「日本の友人を歓迎!」と、先日の反日デモなど嘘のような友好ぶりを示す。年輩者も一緒ということもあり、歌われる曲も革命歌や抗日軍歌が多かった。するといちいち、「ごめんね、特に(嫌がらせの)意味はないのよ」と言いわけする。こちらも、こういう宴席ではリズミカルで勇ましい抗日軍歌は外せないのは分かっているので、「別に気にしてないよ~」と答える。
ゴッドマザーたる一番年長のおばあさんが「日本のお客さんがいるときに失礼な!」と抗日軍歌を歌う息子たちにぶつぶつ文句を言っていたが、止めはしない。孫世代の小学生の女の子が逆に気をつかったように、「一緒にドラえもんの歌を歌いたい」とリクエストしてきたので、あんあんあん、とっても大好きドラえもん~、と熱唱してきた。大好きな抗日軍歌と大好きなドラえもんが同居する。都会のプチ官僚のプチブル家庭の中にある日本というのは、こんな感じである。
デモの中心は「第2代農民工」
台風一過、というべきか。北京に来てみると、9月中旬に吹き荒れた反日の嵐が嘘のように国慶節休みは秋晴れが続いている。一応、タクシー乗車拒否や嫌がらせを受けるかと覚悟もしてきたが、私自身はそんな目にも合わなかった。むしろ、北京の知り合いからは連日の宴会や食事会に招かれ、尖閣問題についての丁々発止の意見交換も可能だった。
私の周囲の人間だけを参考にすると、生粋の北京人たちは「今回の反日デモで暴れたやつは、中国人の面汚しだ」と異口同音に言っていた。領土問題については、もちろん中国人としての立場を主張するが、少なくとも政治的立場を、こういう暴力的な形でしか主張できない人間と、同じ人種だとみなされるのは絶対嫌みたいだ。
私が北京人と呼ぶのは、祖父母、あるいは父母の代から北京戸籍を持つ人たちのことだが、だいたいこういう人たちは家族・親戚に軍人や官僚や党委員会の幹部がいていたり銀行や大企業でそれなりの職位に就いていたり、海外留学経験があったり海外定住ビザを持つ人がいる、そんな人たちで、ありていに言えば特権階層だ。
しかし、本人たちは生まれながらにそういう階層に属するので、それが特権階層だとはあまり感じていない。普通の公務員が海外に2、3億元の貯金ができることを異常だと思わない。なぜなら上には上がいくらでもいるし、生活も中産階級の日本人に比べれば、むしろ質素なくらいなのだから。そういう人たちは、反日デモに参加し、日貨排斥を叫ぶ人間について、びっくりするような言葉で批判し軽蔑する。
ある軍籍の友人はこう言っていた。
「今回のデモで暴れたやつらは第2代農民工(出稼ぎ者子弟)の若いやつらだ。あいつらは、とにかく自分の中にたまりにたまった不満を排泄したいだけなんだ。反日なんて関係ない。機会があれば暴れたいのだ」
「第2代農民工」というのは、百度百科という中国版のウィキペディアみたいなネット百科事典を参考にすると、次のように説明されている。
「18歳から25歳までの年齢で、学歴、希望職種、物質的・精神的欲求は高いが、忍耐力は低い“三高一低”が特徴。製造業、紡績業、電子産業などへの就職希望が多い。彼らが働くのは生活維持のためだけでなく、農民出身の父親世代の境遇を抜け出し、都市民になること。中国産業の基礎労働力をすでに形成している。2010年の党中央一号文献で初めてこの言葉が使われた。出稼ぎ農民の60%を占める。…」
農民工と言う言葉は中国語で農民出身の労働者、つまり出稼ぎ労働者を指す言葉だが、若干の侮蔑のニュアンスがある。農民でありながら都市で肉体労働に従事する人たち。都市戸籍はなく、都市民が医療・福祉や義務教育や受ける恩恵にあずかれない。
昔の出稼ぎ者は都市に出稼ぎに来て、そういう差別に耐えながら何年か働いて必死に金をためた。そのあと故郷の農村に帰り、家を建て結婚した。そしてまた出稼ぎして仕送りして、子供や老父母の生活を支えた。第2代農民工はそういう親に育てられた子供たちである。親の出稼ぎ先の都市で生まれ育った場合もあるし、農村の祖父母の元に預けられ、親の仕送りで育てられた場合も含まれているだろう。
彼らは農民の子供でありながら、ほとんどが農業を知らない。一人っ子政策(中国の産児抑制政策)のため農民も子供を原則一人しかもうけられないからだ。出稼ぎに出た親たちは都市の豊かな生活を目の当たりにし、農村戸籍ゆえの差別に耐え、せめて自分のたった一人の子供には、この農村出身の悲哀を味あわせまいとして、高い教育を与えようと最善の努力をする。子供に期待するあまり、彼らがほしいものをできるだけ与え、甘やかせる。その結果、都市の若者と同様の指向、たとえばインターネットやファッションや趣味・娯楽への個人消費欲求が高いなどの特徴を備えている。欲望を我慢できず、苦労や侮辱に耐えられない。しかし、頭はけっこういい。
2010年の日系工場ストライキでも主役
私はこういう第2代農民工を何十人か取材してきた。たとえば2010年に頻発した日系企業の工場ストライキの主役は第2代農民工だった。彼らはインターネットのSNSで情報を集め、連携することも知っている。社会や世の中に対する意識も高い。同時にプライドの高さや、自分の未来に対する期待の高さも親世代より高い、と感じた。第2代農民工といっても、もちろんその世代をひとくくりにできるものでもなく、個々人に違いはあるが、現状に満足している人が少ないというのはある程度共通している気がした。
ある若者は、ネットで社会変革が起こせると力説し、ある若者は工場の賃金は悪くはないが、これでは自分たちの造っている日系車すら買えない、いつか貯めた金を元手に起業して大金持ちになる、と大風呂敷を広げた。ただ、その若者が工場の賃金を全部貯金に回せるのは、やはり出稼ぎ者の親と同居し飲食を含めて面倒を見てもらえるからだったが。人生設計や見通しの甘さと欲求の高さに反して挫折に非常にもろいという印象も残っている。
私の友人に、広西チワン族自治区出身のチワン族の女性がいる。彼女は騙されて北京郊外(本当は河北省)に売られてきた花嫁だが、北京でアイさん仕事(家政婦)を続け、こつこつと金をため、自分の自由を夫から買い戻しただけでなく、北京市に住宅まで買った出稼ぎ者成功組である。彼女も自分のつらい境遇を息子に味あわせたくないと、高い教育を与え期待を寄せた。しかも、やり手の彼女は、この就職難の時代に、自分の人脈で息子に就職先まで見つけてきた。しかし、結局その息子は仕事が長続きしなかった。「こんな仕事は僕には合わない」と、勝手にやめてしまった。周囲の人に聞くと、彼は社会に出たとたん、農民工出身者であることの壁にぶつかって嫌気がさしたのではないか、という。
それはあり得る。いくら高学歴を得ても出稼ぎ者は北京戸籍と対等に口をきけない。恋愛や結婚なんてありえない。ネットのオフ会の場で、相手の背景を知らずに若い男女が出会う機会は増えたが、相手の男性が農村戸籍であることを知ると、彼が北京市戸籍の女の子よりもあか抜けていたとしても、彼女の目に冷やかな光が宿る。同じように消費し娯楽を楽しむ若者であっても、彼らの間には越えられない壁がある。
政府や公安の車だったらもっと痛快だ!
そういう第2世代農民工が、今回の反日デモが荒れた背景にあるのだ、と言う声を北京にいる間にけっこう聞いた。
15日の広州市のガーデンホテル前のデモと、16日の深圳デモに紛れ込んで状況を取材していたフリージャーナリストに話を聞くと、「暴れて、大声でののしっている奴らは若い民工、湖南なまりを話していた」という。労働集約型の工場が集中する深圳住民は97%が外からの出稼ぎ者と言われる。かつて服飾や靴などの製造業工業に従事していた若い出稼ぎ者の多くは今は失業中だ。リーマンショック、ユーロ危機の影響で工業工場が次々閉鎖したからだ。「そういう、とにかく貧しく不満をもっている彼らは反日も尖閣も興味ない。深圳のデモでなぜ参加しているのか?と聞いたら、『日本車をぶっ潰したら痛快だ!それが政府や公安の車だったらもっと痛快だ!』と笑っていた。要するに暴れる口実がほしかったのだ」
デモの中には私服警官が相当まじっていたそうだ。彼らも上司の命令で混じっていたと証言したそうだが、その目的は「やつらを勝手にさせると、なぐり合って死人が出ることもある。さすがにそれはまずいから」という。
第2世代農民工の「暴動」で反日と関係ないところで注目を集めたのは、9月23日夜に山西省太原のフォックスコン工場の寮で10人以上の死者を出した暴動だ。ここの寮の警備員が工場従業員を殴ったことから2000人以上が暴れる暴動がおきた。フォックスコン工場は、人気のアップル製品を扱っているだけに工場からの製品の持ち出しチェックや従業員管理が非人間的なまでに厳しいと言われている。その従業員の管理を預かっている警備員も、実は第2代民工世代。同じ出稼ぎ者の若者でありながら、その両者の間に微妙な階級差に対する鬱屈が今回の死者を出す暴動に発展した、という見方がある。
民工層は労働力、プチブル層は市場
こういう話を聞くと、やはり日本側は反日デモと尖閣問題は分けて考えないといけないな、と感じる。ミュンヘン在住の友人のジャーナリスト、周勍氏がこう指摘していた。「世界中に領土問題を抱える国はたくさんあるし、戦争の遺恨を抱える国もたくさんある。しかし今回のような反日デモ暴徒化のような現象は中国特有の問題だ。なぜなら反日デモ暴徒化の本質は中国の内政にあるからだ」
北京にいてつくづく実感するのは、あまりに厳しい階層差だ。プチブル層と民工層は全く違う世界の住人であり、相互に憎悪している。中国に進出している外国企業は、この階層差を利用して利益を得てきた。民工層の労働に支えられ、プチブル層を市場としてきた。
「日本企業が他の外国企業より狙われやすいのは民工を一人前の人間扱いするからだ。彼らに必要なのは厳しい管理」とは、以前のストライキ取材のとき中国人企業家から言われた言葉だが、日本企業は中国の矛盾を利用しながらも、中国企業のような非情さが備わっていなかったということかもしれない。個人的には、私はそういう日本企業の在り方の方が好ましいと思うのだが。今回の反日暴動で被害をうけ、再開のめどが立っていない日系工場や企業も、多くが従業員を解雇せず、有給のまま従業員に自宅待機を命じているらしい。
今回の反日デモは11月8日の党大会開幕を前にいったん小康状態に入っている。だが、いつ同じような反日デモの暴発が起きるか限らない状況が数年は続くだろう。日系企業の中には中国撤退を考えているところもあるだろう。だが今後、中国に代わる巨大市場を見出すことは難しい。もし中国とのかかわりは切れないという判断ならば、この2億人ともいわれる第2代農民工が、果たして今後、中国社会でどう役割をはたしていくのかを見極める必要があるだろう。彼らがもし今の階層社会を変えていく力になってゆくのなら、今のスタイルの中国進出の形態はもたないかもしれない。