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中国共産党の機関紙「人民日報」が1953年に、釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)は沖縄県に属すと報じていたことについて、
中国網日本語版(チャイナネット)は9日、「有効な根拠ではない」と論じた。以下は同記事より。
人民日報の記事を引き合いに、日本政府は「かつて中国が尖閣諸島を日本領土として認めていた」と主張しているが、
こうした手法では話のつじつまを合わせられないし、日本が釣魚島を占領するための有効な根拠にもならない。
外務省は公式サイトに「人民日報」の関連記事の写真を掲載し、「中国はかつて尖閣諸島を沖縄の一部としてみていた」と注釈している。
ただこれは人民日報の言葉ではなく、日本が一方的に解読・錯覚でしかない。
日本側は釣魚島を有効に支配する根拠が少ない状況にあって他人のあら探しをするほかなく、過去の記事を持ち出し、各国の首脳や外相との会談で積極的に上述の内容に触れ、インターネットを通じて情報を配信し、積極的に宣伝を行っている。
われわれは当時の歴史の状況と琉球の局面を振り返る必要がある。当時の琉球、つまり沖縄は国連が委任管理しており、主権も日本に属していなかった。日米は当時の冷戦戦略を考慮して琉球を米国占領軍によって委任管理したが、これは国際法上合法ではなく、当時の中国政府もそれを認めていない。
1951年、当時外相だった周恩来が米英の対日講和条約草案、およびサンフランシスコ会議について発表した声明が正式な政府文書で、
それには中華人民共和国の参加がない場合、その内容や結果がどうあろうと、中国人民政府はすべて不法とみなし、従って無効である、それは各種国際法で認められている。(つづく)(編集担当:米原裕子)
サーチナ 10月10日(水)9時12分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121010-00000001-scn-cn
(続)
- 清華大学当代国際関係研究院の劉江永副院長の調査によると、「人民日報」の記事は1953年1月8日4面の資料欄に掲載されたもので、
日本語の資料を翻訳した無署名の資料で、評論でも社説でもなく、中国政府の釣魚島帰属に関する立場を代表するものではない。
いわゆる中国側が釣魚島は日本に属すると認めたとの説は成立しない。
それだけではなく、1953年のこの「人民日報」の記事の政治背景と法的意義は国際法上、政府の立場を代表するものとはみなされない。
同時に人民日報にまったく誤りがなく、一言ですべてを言い尽くせるとはいえないうえ、
人民日報の政治的操作や当時の歴史的視野には限度があり、誤りを犯すこともありうる。こうした誤りは永久的な法的意義を持たない。
1971年に米国が釣魚島の行政権を日本に引き渡した後、人民日報は立場を表明する記事と声明を繰り返し発表している。そのほうが法的効力を持つ。
1970年以前に発行した釣魚島が中国領となっている地図や日本の歴史家・井上清氏らが釣魚島は中国の領土と明確に論証していること、
1971年の日本紙「長周新聞」が日本の呼称である「尖閣諸島」ではなく釣魚列島という中国の地名を使用していたことには日本は触れないでいる。
1971年12月30日、中華人民共和国外交部は釣魚島主権に対する正式な声明を発表、これまでに何度もその立場を表明してきた。
実例、策略、十分な法的基礎のどの角度からも、中国が釣魚島に対して領土主権を保有していることにゆるぎはない。
日本が奇計で虚を衝き、自らを騙し、人民日報の記事を持ち出して言いがかりをつけても、すぐに各方面の反発を招くだろう。
日本の言い分は強引なこじ付けで、自らを騙し他人も騙しているにすぎず、国際法的にも認められないのだ。(完結)(編集担当:米原裕子)
【中国】人民日報が過去に尖閣は沖縄に属すと報じていたが、これは無効-チャイナネット
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1、よく考えて反論しましたが間違っています。反論します。
2.中国人実業家がツイートした、「波紋呼んだ中国人の「尖閣はやっぱり日本のもの」2012/08/28(火) サーチナ」と言う記事があります。
その中で如何に現中国の主張が間違っているかが書いてあります。史実に基づいた正しいことが書いてあります。
3.その中でも「人民日報も「尖閣は琉球に属する」と明記と書いています。
その一部を連記します「1920年に、中華民国の駐長崎領事は日本政府にあてた感謝状で「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と書いているのです。さらに“殺傷力”が大きいのは、1953年に「人民日報」が発表した文章です。
「最初の部分には「尖閣諸島を含む琉球群島」と書いてあり、最後の部分では「琉球は日本人民が独立、民主、平和を勝ち取る闘争と、切り分けることができない」
と書いてているのです。
さらに 「実際には、現在も一部の「保釣派」の理論は「釣魚島は琉球に属する。琉球は中国に属する。したがって釣魚島は中国に属する」です。これに対しては彼らに、痴(し)れ者の妄想はおやめなさいというのみです。」と書いています。この記事はよく調べていてごまかしはなく正しいのです。
4.「「人民日報」の記事は1953年1月8日4面の資料欄に掲載されたもので、日本語の資料を翻訳した無署名の資料で、評論でも社説でもなく、中国政府の釣魚島帰属に関する立場を代表するものではない。 」というが、では日本の記事を何の検証もしないでただ翻訳したのであれば、原資料を示し翻訳であることを明示すべきでしょう。それをしているのならそれを読んだ人は日本の意見だと分かり誤解は生じないのではないでしょうか。もし、翻訳であってもそれを言わない場合は、記者の意見になり、人民日報の意見になる。個人の署名がない場合は人民日報の見解になる、これは」当然のことで、
5.そして中国が尖閣諸島を日本領土と思っていた歴史的証拠もあります。1920年に、中華民国の駐長崎領事は日本政府にあてた感謝状は日本領土と認めない、言い訳の余地はありません。
中国は1968年までは尖閣諸島みたいなのみの糞みたいな島には関心がなかったのです。そのことは周恩来も認めています。1968年に釣魚島海域で石油が発見されたからです。そして崇拝されている周恩来も、日本人に対してあいまいに「われわれはここで、あの(釣魚島)のために、論争をすべきでありません。いずれにせよ、地図の上で探しにくいほどの小さな点にすぎません。なんで問題になるかと言えば、石油が見つかったからにすぎません」
6.1953年は中国は尖閣諸島を日本領土と思っていたのです。ですから人民日報の記事は正しいのです。
7、1965年10月:中華民国国防研究院、『世界地図集第1冊東亜諸国』初版出版。尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記。これをどう言い訳するのです。
8.中国が台湾に遅れて、尖閣諸島の領有せ主張したのは、1971年12月30日です。
日本が領土化した75年後です。何の言い訳もできない。
9.1971年12月30日:中華人民共和国が尖閣諸島の領有権を主張。 同国外交部声明で「早くも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域にふくまれて」いたと発表した。
「釣魚島は日本人が出兵して占領したものではありません。われわれがぼろ布のように捨てたものです。日本人は宝物のようにそれを拾いました。われわれは異議を唱えませんでした。1968年に釣魚島海域で石油が発見されたから、釣魚島は一晩にして突然、「神聖にして不可分」な領土になったとでも言うのでしょうか。
そして、泰山のように崇拝されている周恩来も、日本人に対してあいまいに「われわれはここで、あの(釣魚島)のために、論争をすべきでありません。いずれにせよ、地図の上で探しにくいほどの小さな点にすぎません。なんで問題になるかと言えば、石油が見つかったからにすぎません」と発言しています。これが、一国の指導者の領土問題に対する姿勢でしょうか。
したがって、法律面、国際政治、実力を比較検討しても、釣魚島はすでに、そして将来にわたって日本のものでありつづけるのです。あなたは怒るかもしれない、あせるかもしれない、悲しむかもしれない。しかしこれが事実であり、真相なのです。」(広東捷盈電子科技・取締役副主席 林凡)