毎朝、幼稚園へ送る片道3.5kmの途中に、大きな橋を渡る。
千曲川といえば、社会科嫌いの私でさえ日本を代表する河川として記憶にあるくらいだから、そこにかかる橋もまた立派。
東京では落合橋を通過するたびに「あ!いま川通った?見たかったのに!」と決まって息子は悔しがったが、今度の橋は、キラキラ光る水面をしばらく堪能できるくらいの距離がある。
晴れた日には、リンゴ畑と民家の散らばる里山がぐるり四方に迫り、癒し系ドラマの主人公気取り。
運がよければ横の鉄橋を新幹線あさまが滑ってゆき、その隣に3両編成のしなの鉄道が、情緒たっぷりに進んでゆく。
この橋の西の方角に、息子が降園後、毎日欠かさず足を運ぶ祖父の畑がある。
植木ばさみ片手にプチトマトやいんげんを摘みながら、新幹線とひなびたローカル線、さらに、背後に流れる高速道路の車列を、陽がどっぷり沈むまで彼は眺めてくるのだ。
あぁなんて贅沢な暮らしだろう! これが引越しから1ヶ月が過ぎた素直な心境だ。
これが10年早かったら、間違いなく東京へ逃げ帰っていただろう。
今というタイミングだからこその幸運と、天に感謝しなくてはなるまい。
都会の遊びは20代に片っ端からかじったし、30代は会社に寝袋まで持ち込んで働きまくった。考えてみると、都会に思い残すことはなにもない。
こうも満ち足りた気分を味わうと、人生の折り返し地点に至って、そろそろからだがゆっくりしたいと、悲鳴をあげていたのかなとも思う。
古い友人たちは、田舎暮らしよりもむしろ、「同居」に深く心配をした。
私もまったく不安がなかったわけではない。
GWや、盆暮れ正月といった毎回のショートステイでは感じなかった不満が、もしかして生活となると噴出してくるのかなあとも思った。
しかしいざフタを開けてみたら、もう数年も一緒に暮らしているかのように、空気は淡々と流れている。
なぜか。
必要なところで手助けはするが、口は一切出さない。
それも、努めてそうしているのではなく、この家には夫が育った昔から、個人を尊重する空気が備わっているのだろう。
親子であっても、価値観の違いはあって当然。
老いも若きも関係なく、相手を一人前として扱ってくれる家風は、私の子育てに大きな影響を与え始めている。
失敗は許されない緊張感に常にさらされて育った私には、居心地がよくてたまらないのだ。
娘の生活リズムや息子のおやつの量など、いつもどうしているかをこちらに聞いて、それに従ってくれる。
おやつのことで、私自身、厳しすぎて引くに引けなくなっている時など、こっそり内緒で与えてやってくれているようだ。
たった10分前に寝入ったばかりの娘を起こして幼稚園のお迎えに行かなくちゃなんてこともないし、「眠っちゃったから、おばあちゃん、ちょっとお願い」と言ってフラっと出かけられる。
同居といっても、田舎の住宅事情のおかげで、プライバシーは十分守られるだけの広さがある。まさに「いいとこ取り」。
あとは祖父母ができるだけ長く、ぴんぴん元気でいてくれるのを願うばかりだ。
やっぱり私ってツイてる!
いやいや、実はこれ、つぐちゃんが出発の時に贈ってくれたあることばのおかげにほかならない。
「一日ひとつ、なにか楽しみを見つけられたら、うまくやっていけると思う」。
そっか。
一日ひとつでいいんだ。
こちらに着いたその日から、早速私は楽しみを見つけ始めた。
おいしいケーキ屋発見、10km先にケンタッキーがある!
寒冷地でも冬を越せる花の苗があった、農協は切り花も激安!
千曲の河川敷に絶景の散歩道を見つけた……。
楽しみをたった1つ見つけるだけで、物事がぜんぜん違うふうに見えてくることを知った。
私の人生最大のツイてる出来事は、そう、つぐちゃんに出会えたことである。
ある夜、夢を見た。
日曜の昼下がり。♪きんこんか~ん こん きんこんかんこんこん… そう。あのメロディーにのって、私は舞台の袖から意気揚々と入場した。
「NHKのど自慢。今日は長野県千曲市文化会館からお届けします」。
アナウンサーの後ろで、大きく手を振る私。
「ひばりが丘のみなさ~んッ!元気ですかぁ!?」。
おめでたい、と言われたらそのとおり。
でも私って、幸せ♪
育児サークル「わはは」
投稿者:ゆうこ
千曲川といえば、社会科嫌いの私でさえ日本を代表する河川として記憶にあるくらいだから、そこにかかる橋もまた立派。
東京では落合橋を通過するたびに「あ!いま川通った?見たかったのに!」と決まって息子は悔しがったが、今度の橋は、キラキラ光る水面をしばらく堪能できるくらいの距離がある。
晴れた日には、リンゴ畑と民家の散らばる里山がぐるり四方に迫り、癒し系ドラマの主人公気取り。
運がよければ横の鉄橋を新幹線あさまが滑ってゆき、その隣に3両編成のしなの鉄道が、情緒たっぷりに進んでゆく。
この橋の西の方角に、息子が降園後、毎日欠かさず足を運ぶ祖父の畑がある。
植木ばさみ片手にプチトマトやいんげんを摘みながら、新幹線とひなびたローカル線、さらに、背後に流れる高速道路の車列を、陽がどっぷり沈むまで彼は眺めてくるのだ。
あぁなんて贅沢な暮らしだろう! これが引越しから1ヶ月が過ぎた素直な心境だ。
これが10年早かったら、間違いなく東京へ逃げ帰っていただろう。
今というタイミングだからこその幸運と、天に感謝しなくてはなるまい。
都会の遊びは20代に片っ端からかじったし、30代は会社に寝袋まで持ち込んで働きまくった。考えてみると、都会に思い残すことはなにもない。
こうも満ち足りた気分を味わうと、人生の折り返し地点に至って、そろそろからだがゆっくりしたいと、悲鳴をあげていたのかなとも思う。
古い友人たちは、田舎暮らしよりもむしろ、「同居」に深く心配をした。
私もまったく不安がなかったわけではない。
GWや、盆暮れ正月といった毎回のショートステイでは感じなかった不満が、もしかして生活となると噴出してくるのかなあとも思った。
しかしいざフタを開けてみたら、もう数年も一緒に暮らしているかのように、空気は淡々と流れている。
なぜか。
必要なところで手助けはするが、口は一切出さない。
それも、努めてそうしているのではなく、この家には夫が育った昔から、個人を尊重する空気が備わっているのだろう。
親子であっても、価値観の違いはあって当然。
老いも若きも関係なく、相手を一人前として扱ってくれる家風は、私の子育てに大きな影響を与え始めている。
失敗は許されない緊張感に常にさらされて育った私には、居心地がよくてたまらないのだ。
娘の生活リズムや息子のおやつの量など、いつもどうしているかをこちらに聞いて、それに従ってくれる。
おやつのことで、私自身、厳しすぎて引くに引けなくなっている時など、こっそり内緒で与えてやってくれているようだ。
たった10分前に寝入ったばかりの娘を起こして幼稚園のお迎えに行かなくちゃなんてこともないし、「眠っちゃったから、おばあちゃん、ちょっとお願い」と言ってフラっと出かけられる。
同居といっても、田舎の住宅事情のおかげで、プライバシーは十分守られるだけの広さがある。まさに「いいとこ取り」。
あとは祖父母ができるだけ長く、ぴんぴん元気でいてくれるのを願うばかりだ。
やっぱり私ってツイてる!
いやいや、実はこれ、つぐちゃんが出発の時に贈ってくれたあることばのおかげにほかならない。
「一日ひとつ、なにか楽しみを見つけられたら、うまくやっていけると思う」。
そっか。
一日ひとつでいいんだ。
こちらに着いたその日から、早速私は楽しみを見つけ始めた。
おいしいケーキ屋発見、10km先にケンタッキーがある!
寒冷地でも冬を越せる花の苗があった、農協は切り花も激安!
千曲の河川敷に絶景の散歩道を見つけた……。
楽しみをたった1つ見つけるだけで、物事がぜんぜん違うふうに見えてくることを知った。
私の人生最大のツイてる出来事は、そう、つぐちゃんに出会えたことである。
ある夜、夢を見た。
日曜の昼下がり。♪きんこんか~ん こん きんこんかんこんこん… そう。あのメロディーにのって、私は舞台の袖から意気揚々と入場した。
「NHKのど自慢。今日は長野県千曲市文化会館からお届けします」。
アナウンサーの後ろで、大きく手を振る私。
「ひばりが丘のみなさ~んッ!元気ですかぁ!?」。
おめでたい、と言われたらそのとおり。
でも私って、幸せ♪
育児サークル「わはは」
投稿者:ゆうこ