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育児サークル「わはは」

わははの仲間の「ちょっと聞いて!」

一日ひとつで、すごく幸せ

2007-10-29 14:36:03 | Weblog
毎朝、幼稚園へ送る片道3.5kmの途中に、大きな橋を渡る。
千曲川といえば、社会科嫌いの私でさえ日本を代表する河川として記憶にあるくらいだから、そこにかかる橋もまた立派。
東京では落合橋を通過するたびに「あ!いま川通った?見たかったのに!」と決まって息子は悔しがったが、今度の橋は、キラキラ光る水面をしばらく堪能できるくらいの距離がある。
晴れた日には、リンゴ畑と民家の散らばる里山がぐるり四方に迫り、癒し系ドラマの主人公気取り。
運がよければ横の鉄橋を新幹線あさまが滑ってゆき、その隣に3両編成のしなの鉄道が、情緒たっぷりに進んでゆく。
この橋の西の方角に、息子が降園後、毎日欠かさず足を運ぶ祖父の畑がある。
植木ばさみ片手にプチトマトやいんげんを摘みながら、新幹線とひなびたローカル線、さらに、背後に流れる高速道路の車列を、陽がどっぷり沈むまで彼は眺めてくるのだ。
あぁなんて贅沢な暮らしだろう! これが引越しから1ヶ月が過ぎた素直な心境だ。

これが10年早かったら、間違いなく東京へ逃げ帰っていただろう。
今というタイミングだからこその幸運と、天に感謝しなくてはなるまい。
都会の遊びは20代に片っ端からかじったし、30代は会社に寝袋まで持ち込んで働きまくった。考えてみると、都会に思い残すことはなにもない。
こうも満ち足りた気分を味わうと、人生の折り返し地点に至って、そろそろからだがゆっくりしたいと、悲鳴をあげていたのかなとも思う。

古い友人たちは、田舎暮らしよりもむしろ、「同居」に深く心配をした。
私もまったく不安がなかったわけではない。
GWや、盆暮れ正月といった毎回のショートステイでは感じなかった不満が、もしかして生活となると噴出してくるのかなあとも思った。
しかしいざフタを開けてみたら、もう数年も一緒に暮らしているかのように、空気は淡々と流れている。
なぜか。
必要なところで手助けはするが、口は一切出さない。
それも、努めてそうしているのではなく、この家には夫が育った昔から、個人を尊重する空気が備わっているのだろう。
親子であっても、価値観の違いはあって当然。
老いも若きも関係なく、相手を一人前として扱ってくれる家風は、私の子育てに大きな影響を与え始めている。

失敗は許されない緊張感に常にさらされて育った私には、居心地がよくてたまらないのだ。
娘の生活リズムや息子のおやつの量など、いつもどうしているかをこちらに聞いて、それに従ってくれる。
おやつのことで、私自身、厳しすぎて引くに引けなくなっている時など、こっそり内緒で与えてやってくれているようだ。
たった10分前に寝入ったばかりの娘を起こして幼稚園のお迎えに行かなくちゃなんてこともないし、「眠っちゃったから、おばあちゃん、ちょっとお願い」と言ってフラっと出かけられる。
同居といっても、田舎の住宅事情のおかげで、プライバシーは十分守られるだけの広さがある。まさに「いいとこ取り」。
あとは祖父母ができるだけ長く、ぴんぴん元気でいてくれるのを願うばかりだ。

やっぱり私ってツイてる!
 いやいや、実はこれ、つぐちゃんが出発の時に贈ってくれたあることばのおかげにほかならない。
「一日ひとつ、なにか楽しみを見つけられたら、うまくやっていけると思う」。
そっか。
一日ひとつでいいんだ。
こちらに着いたその日から、早速私は楽しみを見つけ始めた。

おいしいケーキ屋発見、10km先にケンタッキーがある!
寒冷地でも冬を越せる花の苗があった、農協は切り花も激安!
千曲の河川敷に絶景の散歩道を見つけた……。

楽しみをたった1つ見つけるだけで、物事がぜんぜん違うふうに見えてくることを知った。

私の人生最大のツイてる出来事は、そう、つぐちゃんに出会えたことである。

ある夜、夢を見た。
日曜の昼下がり。♪きんこんか~ん こん きんこんかんこんこん… そう。あのメロディーにのって、私は舞台の袖から意気揚々と入場した。
「NHKのど自慢。今日は長野県千曲市文化会館からお届けします」。
アナウンサーの後ろで、大きく手を振る私。
「ひばりが丘のみなさ~んッ!元気ですかぁ!?」。
おめでたい、と言われたらそのとおり。
でも私って、幸せ♪


育児サークル「わはは」
投稿者:ゆうこ

間違えた

2007-10-27 08:26:13 | Weblog
■2歳10ヶ月のSちゃん。
来年から幼稚園に通うだけあって、最近ちょっとやそっとでは泣かない。
そんなSちゃんが夕方突然号泣した。
声も出ない程の泣きかただ。
あっ、これは絶対に痛い泣き!と思ってSちゃんを抱き上げた。「どうしたの?どこか痛かった?」まずは体を確認。怪我していたら大変!
 「ここ~」と言ってSちゃんは左胸をおさえる。
見たところ、少しばかり赤みがある。
ころんだ拍子にオモチャのブロックにぶつけたのだと言う。
自損事故?それとも誰かが・・・。

■6歳のB君。
来年から小学校に通うだけあって、最近ぐっとお兄さんらしくなってきた。
小さい子の面倒も見てくれるし、物事の良し悪しの区別もよく分かっている。
そんなBくんが号泣するSちゃんの背後でモゾモゾしている。
どうも様子がおかしい。

Sちゃんをなだめるために私が席をたつと、Bくんも席をたちトボトボ後からついてくる。
知らん顔していたらしばらくして、B君が小声でつぶやいた。
「ボクが一生懸命つくったレゴの家をSちゃんが間違えて壊したんだ。だから頭にきて間違えてSちゃんを押しちゃった。でも、ボクちゃんとあやまったよ」。

■6歳児でもたまにあるのだ、チビっ子に手を出してしまうことが。
でもさすがはB君。
“間違えて”Sちゃんが壊した事、“間違えて”押してしまった事をちゃんと理解している。
“間違えて”という言葉をきちんと理解し使えるB君、Sちゃんにも許してもらえ2人は無事に仲直り。
Sちゃんに怪我もなく一件落着。

■こうやって状況判断が出来るようになり、一歩ずつ大人になっていくのだ。
大人になると“間違えた”では済まされない事も数多く出てくるが、まだまだ“間違えた”がおおいに通用する子どもたち。
子どもってかわいい♪子どもって楽しい♪そして子どもって…羨ましい。


育児サークル「わはは」投稿者:かつら

ラオスってどんな国?

2007-10-26 09:31:53 | Weblog
ラオス、と聞いて皆さんは何をイメージされますか?
PARCOに入っている電器屋さん?・・・それはラオックス。
軟禁されているスーチーさんがいるところ?それはミャンマー。
だったら・・・何?
それ位、ピンと来ないお国、ラオス(少なくても私は)。
そのラオスに9月18日から23日、家族五人で行ってまいりました。
いわゆる、ちょっと遅れた夏休みの家族旅行です。
ちなみに平均年齢39.4歳(最年長は父の59歳。最年少は末弟の23歳)の我が家にとって、五人全員の旅行は毎年年末年始恒例の母方実家への里帰りを除けば、実に10年ぶり。

生活リズムの足並みがバラバラな五人のため、全員揃っての夜ご飯も年に数えられる程度の昨今。
なのに急に旅行なんてしちゃって大丈夫?
途中で内紛が起きて1人位、現地のメコン川に沈められたりしない??
と内心、密かに心配していた私ですが、大きな転機を迎えた私達家族にとって、今は家族での時間、思い出作りが何よりも大事な時。
密かな心配は胸にしまい、「地球の歩き方」ラオス編を早速買ってきて、未知の国、ラオスへと想いを馳せ、旅行に向けてテンションを高めていきました。

 さて、なぜワザワザ、未知の国で縁も所縁もなさそうなラオスを10年ぶりの家族旅行の地として選んだか・・・一言で言えば父の会議のお供です。
父が今年末まで理事長を勤めているフィリピンにあるIRRI(国際稲作研究所)という国際機関の研究所の理事会が毎年アジア各地で行われているのですが、今年はラオス。
その理事会には大体夫人も同伴。
去年までは両親だけの参加でしたが、父が会議中の日中にある奥様方とのお出かけに今年の母は車椅子が必須。
1人での参加は厳しく心もとありません。
ならば欠席?という事にもなりますが、奥様仲間の中には20数年来の大親友もおられるし、仲良しばかりなので母も行きたい気持ちが強く、だったら今年で最後の任期だから記念にもなるし、皆で行くかぁ!!という事になったのです。

では、ここでラオスとはどんな国?という事をお話ししたいと思います。

まず、お国名ですが、散々今まで「ラオス、ラオス」と言ってきましたが、この呼び方は外国が勝手に作ったそうで(日本がJAPANって言われているようなもの??)LAO(ラオ)と言う呼び方が正しいのだそうです。
もっと正式にいえば、ラオ人民民主共和国ですが。
お名前からも分りますが、王様はいません。
首都はヴィエンチェン。
英語のスペルがVientianeで一瞬、Vietnam(ベトナム)と読み間違えやすく、私は2度ほど、「大変、航空券の行き先、間違えてる!」と大騒ぎ。

ココナツツリーをお辞儀させてるような地形で、お辞儀している背中側にはベトナム、根っこの部分はカンボジアでお辞儀している内側はタイ、頭の上には中国の雲南省があり、思いっきり「アジア」ど真ん中に位置しています。

日本からもバンコク経由で七時間半。
時差も二時間だから、「んもぉ、飛行機なんか見たくも無い」って着いた頃に思うほどの遠さでも無く、時差ぼけも大して感じないのはありがたかったなぁ。

現地の方のお顔を見ても、「あなた西武線で見たことあるかも?」と思うような、どこか身近かに感じる風貌の方が多かったです。
言葉は「ラオ語」。
私達滞在中、IRRIのラオ事務所に駐在員(マット・デーモンそっくりのアメリカ人♡)のタイ人の奥様、スーニーさんがガイドをして下さったのですが、ラオ語とタイ語は違うし、学校で習っているわけでもないのに、何故か、お互い話せるし、通じるんだそうです。
そんな馬鹿な!と思いましたが、本当に彼女はラオ人と普通に私達が分らない言葉でお喋りをなさっていたから、きっと本当なのでしょう。
面白いものです。

確かに、ラオ語の「ありがとう」を意味する「コープチャイ」は何と無く、タイ語の「ありがとう」に響きが似ているような・・・。

「こんにちは」を意味する「サーバーディー」はありがたいことに一日中有効なので、市場やHOTELなど人とすれ違えば手を合わせ、「サーバーディ」と愛嬌を振りまいてきました。

海外国内問わず、私が旅行で一番楽しみにしているのは、大きく分けて二つ。
先ず、その土地の食べ物を食べる事、それから現地の人とのコミュニケーションです。
お寺とか遺跡とか観光地とか、そういうのは私にとってはそんな大きな魅力は無く・・・・以前、ギリシアに行った時に某アニメにはまっていた弟達のリクエストで回った「遺跡めぐり」も全てが同じに見え、今となれば行った場所何一つ言えない有様(記憶力に問題あり)。

そんな訳で「地球の歩き方」を買って最初にチェックしたのは食べ物でした。
先ほどの位置での説明で述べたとおり、ラオはベトナム・中国・タイに挟まれており、いづれも食べ物の美味しいお国。
ちょうど美味い具合にこの三国のお料理の特徴をブレンドしたようなのがラオ料理。
例えば、朝ごはんからあるベトナムのPHO(フォー)を穏やかにしたようなフーなどは滞在中、毎日食べ、アジア料理大好きの私はラオ滞在中、毎食「ラーイ(美味しい)♪」を連発。

本当は市場で売っているような蛙くんとか幼虫ちゃんだとかも、話の種に食べて見たかったのだけれど、母と同年代&やや上の(お上品な)おばちゃま方ご一行との行動で、そんな大冒険はとても出来る雰囲気ではなかったのでやむを得ず断念。

また、日本にいるときは断然、お肉派の私が、ラオにいる間は魚派に転身したのも思い出の一つ。
最初に行ったレストランで食べた、「そこの川(メコン川)で取れたお魚」料理を頼んでみたところ絶品!
 別の日に行ったボートの中でのランチの時に登場したお魚ちゃんには心底惚れ込み、いつか自分でも再現しようと思うほど。
脂っこくなく、かといってアッサリしすぎず、ナンプラーの風味やらニンニクの風味がお口の中でさわやかに?広がり、今、胃を開かれたら鯨並みにお魚だらけだぜ・・・って程、食べまくってしまい、周りに「本当にお魚好きなのね」と笑われてしまいました。

色気より食い気はラオでも変りません。
ラオ料理自体、タイやベトナムと融合されている、と書きましたが、お菓子も同様でした。
同様、というより、驚くほどラオス産のお菓子が無いのです!
市場でもホテルの周辺の小さなお店でも、子どもが食べるようなお菓子は全てベトナムまたはタイ産。

 わははのオチビちゃんたちへのお土産は、その場所、その場所のお菓子、と毎回決めている私は、今回も当然そのつもり、でしたが兎に角、見つからない。
今まで結構、アッチコッチ旅行しましたが、こんなに現地のお菓子を見つけるのに苦労した事は無い、って言うくらい無いのです。
結局、何とか帰りに空港で一種類だけラオのゼリー??みたいなのを見つけることが出来、ヤレヤレでしたが、なんであんなに無いの?と今も疑問として残っています。

地球の歩き方に「多くの旅行者は初めてヴィエンチェンに降り立った時に‘街はどこですか?‘と口にする」と書いてあったけど、私もきっとそれを読んでいなければ、同じことを言っていたんだろうな・・・って位、ヴィエンチェンは静かな穏やかな街。
ひばりヶ丘の駅前の方が断然賑やかです。
なんせ、ラオ滞在中、一度も救急車、パトカー、消防車、の三役の気配を感じませんでしたから。これって凄いでしょ?
 明らかに旅行者である私が1人でウロチョロしていても、何の危険も感じないし、誰からもお咎めの無い安全さ。
何と無く、映画「三丁目の夕日」を彷彿させるような優しい町の風景がそこにはありました。

「最初に言われた値段の半分から交渉してね」と前出のスーニーさんから言われた市場でのお買い物。
物価は安く、10000kipキープが1ドル計算。
例えば、身近なもので言うと多くのお父さん隊がお好きであろう「ビール」。
ラオビール大瓶(640ml)がレストランでは10000kip。ね、お安いでしょ?

 さて、市場に話しを戻そう。
私達が最初に行った市場は「モーニングマーケット」といわれているもので、とにかく怖い位広い。
東京ドームの1つや二つは余裕で入るんじゃないか、って位の広さに小さいお店が所狭しと続いている。
市場は二階立てで一階の殆どのお店が似たような民芸品を売っていた。
ラオは手作りの刺繍やシルクや布の作品が主な名産品なようで、本当に頭がぐるぐるしてくる位、おなじようなのばかりがどのお店にもあった。

サーバーディーとお店の人と笑顔を交わし、自分が気に入ったものを指し、「おいくら?」って表情を作ると、観光客相手慣れしているあちらは、計算機で値段を出す。
ようはその値段で買ってはいけない、という事。
プロはその半分の値段を迷いも無く打ち返す。
当然、お店の人はそれで納得なんかしない。
「無理に決まっているでしょぉ。でもこれなら」と先ほどより本の少し安いお値段を打ち返す。
すると、プロは「そんなんじゃダメ。これ!」と、やっぱり半額を打ち返す。
この繰り返し。
あくまで強気を持続し、「別にここで買わなくっても他で買えますから」という態度を崩さず、時にはその場を離れる。
駆け引きである。
もちろん、半額で最終的に買えるなんてことは思っていないけれど、それに近い位で買うのを目標とする。
と、書くのは簡単だけど・・・日頃、言われたままの値段で買う生活をしている身には難しい
。しかも、大人でも子どもでも直ぐに下手に出ちゃう私・・・ラオの商人さん達にも直ぐに見破られ、なかなか交渉は捗らず、同じものを買うのにも、他の方と値段が違うなんてことはザラ。

特にアジアの多くの土地で見られる、お子様が店主の場合。
わははのリーダーNちゃんやAちゃんがMちゃんやYちゃん、Sちゃん達を引き連れて開いてるようなお店で交渉なんて、とても出来ないでしょ。
ところが、日頃からそれをなさっているバングラデッシュからの某おばちゃまは私に見せる優しい笑顔とはまるで別人のような怖い石像みたいな表情でお子様相手に容赦ない交渉で一歩も譲らず。
私は、まだあどけなさがたっぷり残っている、交渉相手の女の子の緊迫した表情が今も忘れられず・・・。

 それでも、私だって最終日あたりになると大人相手に限り何とか四分の一くらいの交渉はできるようになりましたが・・・。

私が旅行中に楽しみにしている「現地の人たちとのコミュニケーション」、最初の市場でのお買い物時は計算機のやり取りばかりで、あまり出来ず終了となりましたが、、ラオの古い伝統を守っているあるお宅にお邪魔した時と、最後の一夜を過ごしたヴィエンチェンから飛行機で40分ほどのリゾート地、ルアーンババーンではバッチリ。
そのお宅に行くことになった経緯は謎なのだが、つぐちゃんのお家の一階のお部屋くらいの大きさ一部屋だけのお家に10人の子どもがいて、お母さんが2人、その2人は親子で、同時に子育てをしている、というのだ。

つまり、桂さんとつぐちゃんがお互いほぼ同時に妊娠、出産、子育て、を繰り返している、という事。
お父さんは「家事らない」どころか、「働かない」らしく、お金も無いのに、一日中ボケーツとして過ごしているのが当たり前で、お母さん2人は、幼子たちを育てながら縫い物などをして生計を立てているという。
ちなみにその民族は一夫多妻制。そのお宅もどうやら・・・・え!!!!!?である。
 そこの子達が遊んでいるのを眺めたり、写真を撮らせてもらっている間に、その辺の事を聞き漏らしてしまった。
少なくてもバリバリ働いていらっしゃるご主人をお持ちのおばちゃま方は、「少額でも寄付を」と急遽お金を集め包んでいたが、お母さん2人とも頑なに受け取らず、結局はよく分っていない小さい子どもたちに、私達がたくさん持って行っていた旅のお供の「キャンディー」と一緒に渡していた。

今まで、アジアの発展途上国などを訪れた際に、「お金ちょうだい」と催促されたことはあっても、受け取ってもらうのに苦労する事は殆ど無かったのでなんだか、表現が適切かどうかわからないけれど、感動に似た気持ちになった。 

ルアンババーンは世界遺産都市として有名であり、ワットシェントンという有名な寺院がある。
写真を見たら「あ、見たことある」ときっと、皆さん思われるのでは?
残念な事に、その寺院に辿りつくには、ちょっとした山登りが必須で、母と私は断念。
男三人は行って大量の写真を撮ってきてくれた。
 世界遺産都市らしく、ヴィエンチェンよりたくさんの外国からの旅行者を見たほど、キレイで、これまた静かな土地で、誰かが「日本の軽井沢みたいなところ」と言っていたのが理解できる。

 夜は道の両端に永遠に続く屋台。モーニングマーケットよりも穏やかな感じで計算機の打ち合いだけじゃなく、ちょっとしたお話もしながらのお買い物が出来、私は楽しめた。
 ここでも安全度100パーセントに近く、世界で一番安全な都市はここなんじゃないか?と世界中の都市を知っているわけでないのに思えた。

家族旅行、とか言いながら、実際、家族五人だけでの行動は成田―我が家間くらいのものだったけれど、家族だけの旅行では出来なった様々な貴重な体験や出会いもあり、私達にとって忘れられない幸せな4泊5日を送る事が出来た。

最後になったけれど、この間のお休みを快諾して下さったつぐちゃん、そして、留守の間ご迷惑をおかけしたであろう桂さん、あっちゃん、ゆかりさん、や皆さんに心から感謝です。


育児サークル「わはは」
投稿者:せお

子ども心

2007-10-22 09:05:45 | Weblog
「わたしはちいさいころ、おとうとよりおかしがすくないとないた」。
これは、私が小学校5年生の時、“卒業生を送る会”で体育館で言った一言だ。
各クラスから数人が選ばれ、一言ずつマイクでしゃべった。
他の選ばれた生徒がどんなセリフを言ったのか、今となっては全く覚えていないのだが私が言い放ったこのセリフだけは今も心に残っている。

どうして私が選ばれ、どうして私があのセリフを割り振られたのかは分からない。小さい頃、弟よりお菓子が少なかった記憶もなければ泣いた記憶もない。
先生方の都合で割り振られたであろうセリフ。

ねぇ先生、どうして私だったの?
私に弟がいたから?
私はすぐ泣きそうだったから?
私はお菓子が好きそうだったから?

事実ではないセリフに疑問を抱きつつも、まだ素直な少女だった私はこのセリフを大きな声で言ってのけた。

大人になれば悲しいことに妥協も諦めも出てくるものだが、純粋な子ども時代に疑問に思ったこと、納得出来なかったことは、大人になっても忘れられずに心のどこかに潜んでいるものだ。
今なら分かる気がする。
なぜ私にあのセリフを割り当てられたか。
…きっと大した意味など何も無いということを。

大人にとってはどうでもいいことでも、子どもにとっては本当に大切なことがたくさんある。
大人の行動言動は子どもの心を大きく影響するのだ。
大人と呼べる年齢に十分に足を踏み入れた私。特に子どもを産んで親となった今、大人として気をつけなければならない場面がたくさんあるな~と感じている最近である。


育児サークル「わはは」
投稿者:かつら

Sala Cuna

2007-10-14 12:10:16 | Weblog
1998年12月から2000年12月まで青年海外協力隊員として(ドミニカ共和国の職業訓練校配管科教師)活動してきました。
この訓練校の姉妹校に託児所がありました。
最近娘を迎えに行く時にふと「あそこ(託児所)」と「わはは」はだいぶ違うな~と感じる事が多いのでドミニカ共和国のとある託児所を紹介します。

 姉妹校(貧困層の子供たちを預かる学校)はHogar del niño(子供の学校という意味)といい、中学校、小学校、保育園、託児所の4部門があり、週に50ペソで子供を預かってくれます。(50ペソは2㌦くらい。マックのハンバーガーセットが65ペソ)

 託児所は300㎡位の教室にベビーベットが120個位配置され、常時70~80人を預かっていたそうです。
蛍光灯の設置台数が少ないので室内はとても暗いです。
教室にはpersiana(ブラインド型の窓)がたくさん設置されていて風通りがいいので暑い国ですが湿度が低いので快適だったと思います。
保母さんは10人位働いていたと思います。(保母さんと言っても保育教育を受けている訳ではないのでお手伝いさんです。)
彼女達は椅子に座っていて赤ちゃんが泣いているとオムツを替えたりしていました。
1人で8人の赤ちゃんの世話をしなければいけないので遊んであげる時間は無いようでした。

ミルクはどうしていたんだろう?
哺乳瓶は見かけましたが・・・。
自分で持って飲んでいたかな~?
娘だったら大変だ自分で持って飲めないからな~。

 赤ちゃん達は、相手をして欲しいのか自分が教室に入ると「パピー、パピー」と叫びながら抱っこして~のポーズをします。
ラテン系だからか人見知りする赤ちゃんはこの中にはいません。(本当は人見知りなんかしていたら相手にしてもらえないので必死にアピールしていたと思います。黒い瞳は綺麗だけどどこか寂しげ)
当時は赤ちゃんの抱き方も解らなかったので頭を撫でるくらいしかしませんでした。
 
やっぱり赤ちゃんの相手をするのは大切なんだなと思います。
「わはは」の子供たちは黒い瞳も綺麗で寂しさはありません。

*Sala Cuna[サラ クナ]託児所の意味。スペイン語


育児サークル「わはは」
投稿者:まもる

の!

2007-10-12 22:15:44 | Weblog
我が家の玄関には【あいうえお表】が貼ってある。
100円ショップで買ったどこにでもある【あいうえお表】だ。
靴を履くついでに、娘に
「ゆずきの“ゆ”はどれ?」
「さきちゃんの“さ”は?」
「きいちゃんの“き”は?」
と、何度か聞いているうちに、
「これ!」と指差すようになってきた。

教えれば1歳児でも字が読めるようになるものなんだ、と感心していたのだが、この【あいうえお表】以外の文字で試してみると全くダメ。

そうか、場所で記憶しているのか。
そうだよね、まだ難しかったよね。
と思っていたところ、「子どもは1番初めに“の”の字を覚える。“の”は覚えやすい」という話を聞いた。

そういえば妹が3歳のころ、どこで覚えたのか“の”の字が読めるようになり、広告や看板に“の”を見つけるたびに
「のだ~!のがあったよ!」
とはしゃいでいたのを思い出した。

そこでさっそく私も娘に“の”を教えてみた。

結果、これは成功!
完璧にわかるようになったのだ。

よく見ると、“の”の字はいたるところに登場する。
新聞に広告に絵本に看板に…。


 最近娘がお気に入りの絵本は、「とりのこもりうた」。(先月までは「でんしゃはうたう」だった。)毎晩、これ読んで~ もう一回読んで~ と布団にもってくる。
少し前まではただ真剣に話を聞いて絵をみていただけだったが、“の”の字を覚えた最近は字も見るようになった。
そして、絵本の中に“の”を見つけると
「のだよ。ほらみて、ここにもあるよ。これもだよ。またのだね、のがいっぱいだよ!」
と教えてくれる。

“の”。

 たった一文字がわかるようになっただけで、娘は今まで以上に本が好きになったようだ。
絵本は大人が読み聞かせるもの、と思っていたけど、こういう楽しみかたもあるのだと発見した。
子どもと一緒にいると、新しい発見がたくさん!
やっぱり子育てって楽しい♪


育児サークル「わはは」
投稿者:かつら

家事らない夫

2007-10-11 09:25:32 | Weblog
スピーチ「家事る夫」が大反響!?を呼び、合宿では宴会のテーマともなりました。
わははのお父さんには、
「洗い物してシンクまで洗う」
「朝シャンついでに風呂掃除」
「妻の誕生日にチーズケーキを作る」
「お母さんが出張の間、子どもの面倒を見る」
「おいしい煮卵やカレーを作る」
などなど、ウィークリーにもたくさん載ってますが、素敵なお父さんがいっぱい。

それに対し我が夫、
「最近は気を付けてます!」というものの、
「入れてあるお茶を持ってきたり」
「食べたお皿を運んだり」
「自分のパジャマは持ってきます」

・・・小1の長男とどんぐりのせいくらべといったところ。


なんだか皆さんとは基準が違う、でも、多くは求めていないんです。



 「家事らない夫」(ちなみに二代続いてます)は、もっぱら渉外を担当(こちらも二代にわたってます)。
おかげで我が家の交友関係は狭まることはありません。

こどもと遊ぶときは全力投球です。
いつもわははのイベントで必ず着替えを用意するのはうちだけではないでしょうか。
むかしは、遊んだ後の汚れ物も放りっぱなしでしたが、今は下洗いをしてくれるようになりました。
両親と同居のため、何かあればもちろん私の見方になってくれますし、多少家事がおろそかになっていようが、口出しはしません。

その他もろもろ「家事らない夫」ではありますが、褒めてあげたいところはいっぱいあるんですよ―。
みなさん、誤解のないように。

これくらいフォローしておけばいいでしょうか。

次なる、夫&長男のステップは「脱いだ靴を片付ける」にしたいと思ってます。
次回のご報告お楽しみに!!


育児サークル「わはは」
投稿者:ひろこ

家事る夫

2007-10-05 11:54:45 | Weblog
最近、母さんたちの間で“家事る夫”がなにかと話題になっている。
家事は女がやって当たり前だった一昔前に比べて、今は家事を手伝って当たり前の時代になってきたようだ。
あんなこともこんなこともやってくれる、という“家事れる夫”は母さんたちだけではなく、子どもたちのアコガレノマトでもあるようだ。
あんなこともこんなこともやらないダンナはというと…。


■29日から1泊で行った智光山荘合宿は、天候には恵まれなかったものの、室内でのミニ運動会も開催され、とても楽しい合宿となった。
夜は、早々と子どもたちが寝てくれたおかげで、大人だけでお酒付きの楽しいおしゃべりタイムも開かれた。
(我が娘はこの日に限ってなぜがなかなか睡魔が訪れぬようで、私が参加したのはそろそろ会もお開き?という時間帯だったのが残念だが。)

楽しいおしゃべりタイムのツマミのひとつはというと… 前回のWeeklyのスピーチで、妻のバクロ話によって発覚し“家事らない夫”ナンバーワンに選ばれたB氏だ。
家事は得意ではないB氏に、もっと家事りましょう~!との声が飛びかった。

でも、実はB氏、とってもステキな父さんなのだ。
子どもたちを楽しませるのは得意中の得意!子どもと遊ぶときはいつでも全力投球だ。
仕事で疲れているときもあるだろうに、そんなことは全く感じさせず子どもたちとトコトン遊んでくれる。
B氏がやってくると「わーい!Bさんだぁ!」と子どもたちから歓声があがるほどだ。

こんなステキなB氏が、家事も出来るスーパー夫に変身したら・・・もてちゃってもてっちゃって大変かも?
妻の心配事が増えてしまうかしら???

 あっ!そういえば、合宿翌日につぐちゃんちに顔を出したB氏、子どもたちとおやつを食べたあと、ササッとお皿を片付けてくれましたよ。
はい、手際よく家事ってくれました♪


育児サークル「わはは」
投稿者:かつら