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育児サークル「わはは」

わははの仲間の「ちょっと聞いて!」

余震が続く日々の中で

2011-04-22 09:44:12 | Weblog
投稿者:りえ


3月11日の東日本大震災から1ヶ月以上になりますが、東京でも余震が続いています。
大人だけの我が家でさえ、何とも落ちつかない毎日ですから、小さいお子さんがいるご家庭は、どれほどかと案じています。

 私のお聞きしたところでは、しばらく落ち着いていた夜泣きが戻ってしまったお子さんがいたり、
「外遊びは安全か?」と心配しているお母さんがいらしたり・・
ボランティアを続けている都内の病院では、付き添いのお母さんから、3歳のお子さんがドールハウスをがたがた揺らし、地震ごっこをしていたと伺いました。
それぞれ、地震への不安の現われ方はいろいろです。

この中で、ごっこ遊びをしていたお子さんは、お母さんから「地震」という言葉が出ると「怖いから(やめて)」というのです。
小さいながら自分でコントロールできる追体験を通して、対抗していこうとしているようです。

一方、小学校低学年のお子さんに地震の感想を聞くと、「楽しかった」「面白かった」などという、大人が聞くと驚く答えが返ってくる場合があります。
それは、ふざけているのではなく、人生初めて出会う「大地が揺れる」体験を、まだ適切な言葉で表せないためかもしれません。
ゆっくり気持ちを聴き取って、一緒に考えてあげてほしいと思います。

 今回の災害では、繰り返し津波のシーンが繰り返されたTVの影響の大きさを知らされました。
友人が介護している東京在住の父上は、あの場面を見ていて、「自分と娘は、津波にさらわれたが、助かってここにいる。」と思ってしまったとのこと。
生活自立面でも認知症が進んでしまい、友人は、TVを見せてしまったのは失敗だったと反省しています。
私自身も、仕事が延期になり、1日中TVを流しっぱなしにしていた日は、家の中で動いてもいないのに、心身ともぐったり疲れてしまうという体験をしました。
言葉の意味がわからない年齢のお子さんへは、視覚的な恐ろしい映像の刺激は、キャスターらの切迫したトーンもプラスされ、より不安な気持を高めてしまうことがあります。
今も震災関係の番組では、被災者の方が泣かれている場面などが多く放映されていますが、そんな時はTVを消して、大人の情報収集にはラジオの利用をお勧めします。

 実際の地震の時は、そばにいる大人が子どもに適切な行動を教えつつ、「大丈夫だよ」と落ち着いて伝えて、安心させてあげること、スキンシップも大切です。
そして、大人が落ち着いていられるためにも、大人自身が安心できていることが基本。
日ごろからある程度の備えと大人同士のつながりがあることが必要です。困ったこと、不安になることがあるときは、わははのOB達も応援していますので相談してくださいね。
そして、原発については、これ以上災害が大きくならないよう祈るばかりです。


育児サークル「わはは」
投稿者:りえ

テレビを消してみたら

2011-04-22 09:44:12 | Weblog
投稿者:のりこ


震災直後から数日、私はかなりの時間テレビをつけっぱなしにしていました。
ナオはそれほど見ている様子はなく、親子共に何も変化は起こらなかったのですが、今号の4面にりえさんも書いてくださったように、親がつけっぱなしにしているテレビを見たり、親の不安な様子を見て子どもも不安定になる、ということを新聞記事で知り、テレビを見るのをやめました。
ついでに、それまで家事の間にナオに子ども番組を見ていてもらっていたのも、全部やめました。
ナオが1歳を過ぎたころから、テレビ番組に興味を持ち始めたので、家事の間にテレビに子守をしていてもらったのです。
が、この地震と、ちょうどテレビが壊れかけてきたので(途中で急に画面が暗くなる)、ナオに「テレビ、壊れてきたし、もうつけないね」と宣言してスッパリやめました。

すると、親子でしっかり向き合って遊んだり絵本を読んだりする時間が、当たり前ですが増えました。家事で手が離せない時も、わははのあそびで知った工作などをちょちょっと作って渡しておくと、機嫌良く遊んでいてくれます。

私自身、1歳から高校2年までテレビのない家で育ちました。
親の教育方針などというだいそれたものではなく、1歳のころにテレビが壊れ、その後買わなかっただけのようです。
家族はそれぞれ「マイラジオ」を持っていて、それと新聞で情報は十分でした。
オリンピックのときなどは「大きなイベントだから」と、なぜかテレビをレンタルしていた我が家(家電をレンタルできる店が近所にあったのです)。
それも「どうせ借りるなら大きいの!」とか言って、大画面のものを。
そこまでしていたわりに、中学に上がった弟の「テレビないと友だちとの会話が合わない」というひとことで「じゃあ買おうか」と、あっさり購入したのでした。
その後はテレビありの生活に慣れていましたが、今現在、私とナオにはテレビがないほうがよい時間が過ごせる気がします。


育児サークル「わはは」
投稿者:のりこ

突発性発疹

2011-04-19 15:43:03 | Weblog
投稿者:のりこ


ナオが突発性発疹になりました。

2歳くらいまでにかかる子がけっこういると聞いていたし、わははでも「○○ちゃん、突発だって。発疹がでるとき、かなり不機嫌になるのよねー」という話を聞いていたので、心づもりはしていました。

私のそれまでの理解では、「3日くらい高い熱が続き、平熱に下がったと思ったら体中に発疹が出て、すこぶる不機嫌になる」でした。

ですが、今回のナオの突発は、高熱が長く続いたため、他の病気かと心配しました。
発症からの経過は次のような感じでした。
ことの発端は4月9日の土曜日。朝起きたらナオのおでこが熱いので熱をはかってみると39度1分。鼻水と咳も出てきたので風邪だと思いました。元気で、機嫌よく遊んでいるので様子をみることに。
翌日は38度台後半まで下がったので、このままいつも通り、その次の日には平熱まで下がるかなと思っていました。

しかし、月曜日に熱はまた39度台まで上がり、小児科へ。喉がかなり赤く、咳、鼻水もあるので風邪でしょうと診断されました。
ただ、熱がもっと上がって、その後発疹が出たら突発ですからとも言われました。
この日の夜にとうとう熱は40度2分まで上がり、いよいよナオはぐったりしてきました。
火曜、水曜もほぼ40度台。夜には人生最高の40度7分を記録。
木曜日、血液検査をしましたが異常なし。
明日も下がらなかったらレントゲンと言われていた金曜の朝、やっと平熱に!わーいと思ったのもつかの間、ナオの機嫌はものすごく悪く、抱っこしていなければ(それも立っていなければ)大泣きです。

この機嫌の悪さ、もしや…と思っていたら、昼過ぎから手にポチポチと発疹が。
土曜に受診したら突発でした。
「最近、高熱が1週間くらい続く突発の子が多いです」と言われました。

原因がわかってほっとしましたが、この1週間、どんどん病状が悪化する子どもを前にオロオロしっぱなし。

ついでに自分も風邪をひき、ああ、母親業まだまだだなと反省しきりです。

育児サークル「わはは」
投稿者:のりこ

記憶は宝物

2011-04-08 14:03:45 | Weblog
投稿者:ひろみ


先日、次男のおうきが寝返りをしました。
数えてみると生後141日の出来事でした。
長男カイエの初寝返り成功も生後141日目。
偶然にも同じ日に寝返りが出来るようになったのですが、カイエの時のほうが長い道のりだったように感じます。
カイエが赤ちゃんの頃は病院からもらった育児日記を生後半年まで毎日欠かさずつけていました。
何時におっぱいをあげて、何時から何時まで眠って、何時にお風呂に入れて・・。
見直してみると自分がつけていた記録とは思えないほど、本当に几帳面につづってあります。
次男も同じ病院で産まれたので退院時に同じノートを貰ったのですが、こちらは1週間で終了。
バタバタしているうちに
「あれ?さっき何時におっぱいあげたっけ?」
「おむつ替えた記録が抜けてる」
と自然消滅的に白紙になっていきました。

2番目の子は写真や記録が初めての子供に比べて少なくなりがちとよく言われているので、カイエと同じように育児日記もつけようと書き出してはみたのですが、おむつを何回替えたとかはあとで見直すにはどうでもいいことに思えて、状況も違うし無理はしなくていいやと育児日記はあっさりあきらめてしまいました。
長子と違って気合が足りないのかも知れませんが。その代わり今年から手帳をつけることにしました。

糸井重里さんがプロデュースしている「ほぼ日手帳」というものを購入。
仕事をしているときは肌身離さず使っていた手帳ですが仕事を辞めてから手帳とは縁遠くなってしまった生活。
でも手帳は毎日あったさりげないことを書き留めるのにとても便利です
。日記となると続けていかなくてはと気合が必要になってしまいますが、手帳は別に何も無ければかかなくてもいい。その日のページにその日あったさりげないことを書き留めるのは簡単で、かつ自由で楽しいです。


『2月15日 央たんが目の前に置かれたメリーのスイッチに気付く。得意気に音楽を鳴らす』


『3月29日 洗濯物を干している間、抱っこを降ろされて泣き続ける央たんの声が止んだと思ったらカイエが絵本を読んであげていた。ほほえましい♪』

こんな普通の出来事が書いてあったり、雪の日にはクレヨンで大きく雪だるまが描かれていたり。
ほぼ日手帳は1日が1ページの手帳で使い方はとても自由な手帳です。
なのでカイエが書いた絵を貼ったり、おうきの体重を記録したり、カイエが言った面白いことを書いたり。
子育てはとても楽しいものなのに時間がたつと意外とあっさり忘れてしまうことも多くて、それはとてももったいないことだなと感じます。
思わず微笑んでしまうようなちっちゃいことがたくさんあってそういうことを忘れないようにこれからも思いつき記録として手帳を活用したいと思っています。

 そして写真。

私はつぐちゃんに教えて貰ってカイエの誕生日に写真の絵本を作っています。
現在2冊が完成。そしてもうすぐ3歳の誕生日なので3冊目の構想を練っているところです。
1年間のことを思い出しながら写真を切って貼って、文章を書いて。
作る作業はとても楽しいです。夜中の作業なので眠くなってなかなか進まないのですが、誕生日の写真を撮ってからのんびり今年も製作にかかろうと思います。
この本はカイエもお気に入りで寝る前の絵本を選ぶとき、よく選ばれるお気に入りグループに所属しています。
今年からおうきの分が加わるので2冊の絵本を作ることになります。出来るかな、私。

 悲しいことに記憶力は最近メキメキなくなっていることを感じています。
頭を使わない生活してるのかなぁ。
それとも単に歳をとったのか。
まぁ深くは考えないことにして。
自分の頼りにならない記憶力に頼らず、限られた子供時代の記憶をこれからもたくさんたくさん残して、私の宝物を増やしていきたいなと思っています。


育児サークル「わはは」
投稿者:ひろみ

震災後に思うこと

2011-04-08 14:01:08 | Weblog
投稿者:のりこ

3月11日の東日本大震災後、毎日増えていく亡くなられた方の人数に胸が痛みます。
この胸の痛み、1995年の阪神大震災の時とは少し違っています。

95年当時、私はまだ学生で、結婚も出産もしていませんでした。
ボランティアで1週間、被災地に入って活動し、体育館の「遺体安置所」の張り紙を見て、死がこれほどまでに身近にある経験を初めてしました。
肉親や友人を亡くされた方がどれほどつらいのか、想像はしてみるものの、本当の気持ちは未経験の私にはとうていわからないだろうと考えていました。
この考えは基本的に今でもかわっていません。
ただ、自分が子どもを産み、育て始めている今は、一人の人間が育っていくために、どれほどの親の愛情や苦労が存在するかを知り、人が一人亡くなるということは、それだけ手塩にかけて育てられた命がこの世から失われてしまうということであると、実感するようになりました。
殺人事件や死亡事故の記事を見ても同じことを感じていましたが、今回の震災ではその亡くなられた方の数の多さに、その何倍もの人たちの悲しみがあることを痛感しています。
私は被災地に直接出向いて何かができるわけではありませんが、今与えられている場所で、できることを一生懸命やることが自分のするべきことなのかなと思っています。

3月11日の震災当日、私とナオは昼から友人と、前日に出産した友人のお見舞いへ向かっていました。
時間が早かったので環七沿いのファミリーレストランに入り、数分してあの揺れに見舞われました。
店員さんの的確な指示で、窓側から移動して(ガラスが危険)中央のテーブルの下に避難し、揺れが収まるのを待ちました。
ナオは当時、せんべいを食べていて落ち着いていました。
その後も車で移動しましたが、電車が止まったため、友人宅で一泊させてもらい、翌朝帰宅しました。
1歳5カ月のナオは歩けますが、道がどうなるかわからないので、こういう時は抱っこまたはおんぶ紐は必需品と感じました。


育児サークル「わはは」
投稿者:のりこ