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育児サークル「わはは」

わははの仲間の「ちょっと聞いて!」

ラオスってどんな国?

2007-10-26 09:31:53 | Weblog
ラオス、と聞いて皆さんは何をイメージされますか?
PARCOに入っている電器屋さん?・・・それはラオックス。
軟禁されているスーチーさんがいるところ?それはミャンマー。
だったら・・・何?
それ位、ピンと来ないお国、ラオス(少なくても私は)。
そのラオスに9月18日から23日、家族五人で行ってまいりました。
いわゆる、ちょっと遅れた夏休みの家族旅行です。
ちなみに平均年齢39.4歳(最年長は父の59歳。最年少は末弟の23歳)の我が家にとって、五人全員の旅行は毎年年末年始恒例の母方実家への里帰りを除けば、実に10年ぶり。

生活リズムの足並みがバラバラな五人のため、全員揃っての夜ご飯も年に数えられる程度の昨今。
なのに急に旅行なんてしちゃって大丈夫?
途中で内紛が起きて1人位、現地のメコン川に沈められたりしない??
と内心、密かに心配していた私ですが、大きな転機を迎えた私達家族にとって、今は家族での時間、思い出作りが何よりも大事な時。
密かな心配は胸にしまい、「地球の歩き方」ラオス編を早速買ってきて、未知の国、ラオスへと想いを馳せ、旅行に向けてテンションを高めていきました。

 さて、なぜワザワザ、未知の国で縁も所縁もなさそうなラオスを10年ぶりの家族旅行の地として選んだか・・・一言で言えば父の会議のお供です。
父が今年末まで理事長を勤めているフィリピンにあるIRRI(国際稲作研究所)という国際機関の研究所の理事会が毎年アジア各地で行われているのですが、今年はラオス。
その理事会には大体夫人も同伴。
去年までは両親だけの参加でしたが、父が会議中の日中にある奥様方とのお出かけに今年の母は車椅子が必須。
1人での参加は厳しく心もとありません。
ならば欠席?という事にもなりますが、奥様仲間の中には20数年来の大親友もおられるし、仲良しばかりなので母も行きたい気持ちが強く、だったら今年で最後の任期だから記念にもなるし、皆で行くかぁ!!という事になったのです。

では、ここでラオスとはどんな国?という事をお話ししたいと思います。

まず、お国名ですが、散々今まで「ラオス、ラオス」と言ってきましたが、この呼び方は外国が勝手に作ったそうで(日本がJAPANって言われているようなもの??)LAO(ラオ)と言う呼び方が正しいのだそうです。
もっと正式にいえば、ラオ人民民主共和国ですが。
お名前からも分りますが、王様はいません。
首都はヴィエンチェン。
英語のスペルがVientianeで一瞬、Vietnam(ベトナム)と読み間違えやすく、私は2度ほど、「大変、航空券の行き先、間違えてる!」と大騒ぎ。

ココナツツリーをお辞儀させてるような地形で、お辞儀している背中側にはベトナム、根っこの部分はカンボジアでお辞儀している内側はタイ、頭の上には中国の雲南省があり、思いっきり「アジア」ど真ん中に位置しています。

日本からもバンコク経由で七時間半。
時差も二時間だから、「んもぉ、飛行機なんか見たくも無い」って着いた頃に思うほどの遠さでも無く、時差ぼけも大して感じないのはありがたかったなぁ。

現地の方のお顔を見ても、「あなた西武線で見たことあるかも?」と思うような、どこか身近かに感じる風貌の方が多かったです。
言葉は「ラオ語」。
私達滞在中、IRRIのラオ事務所に駐在員(マット・デーモンそっくりのアメリカ人♡)のタイ人の奥様、スーニーさんがガイドをして下さったのですが、ラオ語とタイ語は違うし、学校で習っているわけでもないのに、何故か、お互い話せるし、通じるんだそうです。
そんな馬鹿な!と思いましたが、本当に彼女はラオ人と普通に私達が分らない言葉でお喋りをなさっていたから、きっと本当なのでしょう。
面白いものです。

確かに、ラオ語の「ありがとう」を意味する「コープチャイ」は何と無く、タイ語の「ありがとう」に響きが似ているような・・・。

「こんにちは」を意味する「サーバーディー」はありがたいことに一日中有効なので、市場やHOTELなど人とすれ違えば手を合わせ、「サーバーディ」と愛嬌を振りまいてきました。

海外国内問わず、私が旅行で一番楽しみにしているのは、大きく分けて二つ。
先ず、その土地の食べ物を食べる事、それから現地の人とのコミュニケーションです。
お寺とか遺跡とか観光地とか、そういうのは私にとってはそんな大きな魅力は無く・・・・以前、ギリシアに行った時に某アニメにはまっていた弟達のリクエストで回った「遺跡めぐり」も全てが同じに見え、今となれば行った場所何一つ言えない有様(記憶力に問題あり)。

そんな訳で「地球の歩き方」を買って最初にチェックしたのは食べ物でした。
先ほどの位置での説明で述べたとおり、ラオはベトナム・中国・タイに挟まれており、いづれも食べ物の美味しいお国。
ちょうど美味い具合にこの三国のお料理の特徴をブレンドしたようなのがラオ料理。
例えば、朝ごはんからあるベトナムのPHO(フォー)を穏やかにしたようなフーなどは滞在中、毎日食べ、アジア料理大好きの私はラオ滞在中、毎食「ラーイ(美味しい)♪」を連発。

本当は市場で売っているような蛙くんとか幼虫ちゃんだとかも、話の種に食べて見たかったのだけれど、母と同年代&やや上の(お上品な)おばちゃま方ご一行との行動で、そんな大冒険はとても出来る雰囲気ではなかったのでやむを得ず断念。

また、日本にいるときは断然、お肉派の私が、ラオにいる間は魚派に転身したのも思い出の一つ。
最初に行ったレストランで食べた、「そこの川(メコン川)で取れたお魚」料理を頼んでみたところ絶品!
 別の日に行ったボートの中でのランチの時に登場したお魚ちゃんには心底惚れ込み、いつか自分でも再現しようと思うほど。
脂っこくなく、かといってアッサリしすぎず、ナンプラーの風味やらニンニクの風味がお口の中でさわやかに?広がり、今、胃を開かれたら鯨並みにお魚だらけだぜ・・・って程、食べまくってしまい、周りに「本当にお魚好きなのね」と笑われてしまいました。

色気より食い気はラオでも変りません。
ラオ料理自体、タイやベトナムと融合されている、と書きましたが、お菓子も同様でした。
同様、というより、驚くほどラオス産のお菓子が無いのです!
市場でもホテルの周辺の小さなお店でも、子どもが食べるようなお菓子は全てベトナムまたはタイ産。

 わははのオチビちゃんたちへのお土産は、その場所、その場所のお菓子、と毎回決めている私は、今回も当然そのつもり、でしたが兎に角、見つからない。
今まで結構、アッチコッチ旅行しましたが、こんなに現地のお菓子を見つけるのに苦労した事は無い、って言うくらい無いのです。
結局、何とか帰りに空港で一種類だけラオのゼリー??みたいなのを見つけることが出来、ヤレヤレでしたが、なんであんなに無いの?と今も疑問として残っています。

地球の歩き方に「多くの旅行者は初めてヴィエンチェンに降り立った時に‘街はどこですか?‘と口にする」と書いてあったけど、私もきっとそれを読んでいなければ、同じことを言っていたんだろうな・・・って位、ヴィエンチェンは静かな穏やかな街。
ひばりヶ丘の駅前の方が断然賑やかです。
なんせ、ラオ滞在中、一度も救急車、パトカー、消防車、の三役の気配を感じませんでしたから。これって凄いでしょ?
 明らかに旅行者である私が1人でウロチョロしていても、何の危険も感じないし、誰からもお咎めの無い安全さ。
何と無く、映画「三丁目の夕日」を彷彿させるような優しい町の風景がそこにはありました。

「最初に言われた値段の半分から交渉してね」と前出のスーニーさんから言われた市場でのお買い物。
物価は安く、10000kipキープが1ドル計算。
例えば、身近なもので言うと多くのお父さん隊がお好きであろう「ビール」。
ラオビール大瓶(640ml)がレストランでは10000kip。ね、お安いでしょ?

 さて、市場に話しを戻そう。
私達が最初に行った市場は「モーニングマーケット」といわれているもので、とにかく怖い位広い。
東京ドームの1つや二つは余裕で入るんじゃないか、って位の広さに小さいお店が所狭しと続いている。
市場は二階立てで一階の殆どのお店が似たような民芸品を売っていた。
ラオは手作りの刺繍やシルクや布の作品が主な名産品なようで、本当に頭がぐるぐるしてくる位、おなじようなのばかりがどのお店にもあった。

サーバーディーとお店の人と笑顔を交わし、自分が気に入ったものを指し、「おいくら?」って表情を作ると、観光客相手慣れしているあちらは、計算機で値段を出す。
ようはその値段で買ってはいけない、という事。
プロはその半分の値段を迷いも無く打ち返す。
当然、お店の人はそれで納得なんかしない。
「無理に決まっているでしょぉ。でもこれなら」と先ほどより本の少し安いお値段を打ち返す。
すると、プロは「そんなんじゃダメ。これ!」と、やっぱり半額を打ち返す。
この繰り返し。
あくまで強気を持続し、「別にここで買わなくっても他で買えますから」という態度を崩さず、時にはその場を離れる。
駆け引きである。
もちろん、半額で最終的に買えるなんてことは思っていないけれど、それに近い位で買うのを目標とする。
と、書くのは簡単だけど・・・日頃、言われたままの値段で買う生活をしている身には難しい
。しかも、大人でも子どもでも直ぐに下手に出ちゃう私・・・ラオの商人さん達にも直ぐに見破られ、なかなか交渉は捗らず、同じものを買うのにも、他の方と値段が違うなんてことはザラ。

特にアジアの多くの土地で見られる、お子様が店主の場合。
わははのリーダーNちゃんやAちゃんがMちゃんやYちゃん、Sちゃん達を引き連れて開いてるようなお店で交渉なんて、とても出来ないでしょ。
ところが、日頃からそれをなさっているバングラデッシュからの某おばちゃまは私に見せる優しい笑顔とはまるで別人のような怖い石像みたいな表情でお子様相手に容赦ない交渉で一歩も譲らず。
私は、まだあどけなさがたっぷり残っている、交渉相手の女の子の緊迫した表情が今も忘れられず・・・。

 それでも、私だって最終日あたりになると大人相手に限り何とか四分の一くらいの交渉はできるようになりましたが・・・。

私が旅行中に楽しみにしている「現地の人たちとのコミュニケーション」、最初の市場でのお買い物時は計算機のやり取りばかりで、あまり出来ず終了となりましたが、、ラオの古い伝統を守っているあるお宅にお邪魔した時と、最後の一夜を過ごしたヴィエンチェンから飛行機で40分ほどのリゾート地、ルアーンババーンではバッチリ。
そのお宅に行くことになった経緯は謎なのだが、つぐちゃんのお家の一階のお部屋くらいの大きさ一部屋だけのお家に10人の子どもがいて、お母さんが2人、その2人は親子で、同時に子育てをしている、というのだ。

つまり、桂さんとつぐちゃんがお互いほぼ同時に妊娠、出産、子育て、を繰り返している、という事。
お父さんは「家事らない」どころか、「働かない」らしく、お金も無いのに、一日中ボケーツとして過ごしているのが当たり前で、お母さん2人は、幼子たちを育てながら縫い物などをして生計を立てているという。
ちなみにその民族は一夫多妻制。そのお宅もどうやら・・・・え!!!!!?である。
 そこの子達が遊んでいるのを眺めたり、写真を撮らせてもらっている間に、その辺の事を聞き漏らしてしまった。
少なくてもバリバリ働いていらっしゃるご主人をお持ちのおばちゃま方は、「少額でも寄付を」と急遽お金を集め包んでいたが、お母さん2人とも頑なに受け取らず、結局はよく分っていない小さい子どもたちに、私達がたくさん持って行っていた旅のお供の「キャンディー」と一緒に渡していた。

今まで、アジアの発展途上国などを訪れた際に、「お金ちょうだい」と催促されたことはあっても、受け取ってもらうのに苦労する事は殆ど無かったのでなんだか、表現が適切かどうかわからないけれど、感動に似た気持ちになった。 

ルアンババーンは世界遺産都市として有名であり、ワットシェントンという有名な寺院がある。
写真を見たら「あ、見たことある」ときっと、皆さん思われるのでは?
残念な事に、その寺院に辿りつくには、ちょっとした山登りが必須で、母と私は断念。
男三人は行って大量の写真を撮ってきてくれた。
 世界遺産都市らしく、ヴィエンチェンよりたくさんの外国からの旅行者を見たほど、キレイで、これまた静かな土地で、誰かが「日本の軽井沢みたいなところ」と言っていたのが理解できる。

 夜は道の両端に永遠に続く屋台。モーニングマーケットよりも穏やかな感じで計算機の打ち合いだけじゃなく、ちょっとしたお話もしながらのお買い物が出来、私は楽しめた。
 ここでも安全度100パーセントに近く、世界で一番安全な都市はここなんじゃないか?と世界中の都市を知っているわけでないのに思えた。

家族旅行、とか言いながら、実際、家族五人だけでの行動は成田―我が家間くらいのものだったけれど、家族だけの旅行では出来なった様々な貴重な体験や出会いもあり、私達にとって忘れられない幸せな4泊5日を送る事が出来た。

最後になったけれど、この間のお休みを快諾して下さったつぐちゃん、そして、留守の間ご迷惑をおかけしたであろう桂さん、あっちゃん、ゆかりさん、や皆さんに心から感謝です。


育児サークル「わはは」
投稿者:せお