和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

韓国の古今。

2019-11-14 | 地域
このところ、韓国が気になる。
香港は気がかりなのですが、
まず隣国の動向が気になる。
けれども、テレビは、切れ切れで、要領を得ない。
いきおい、ユーチューブを見ております。
篠原常一郎。虎ノ門ニュース。怒れるスリーメン・・・。

さてっと、宮本徳蔵著「力士漂泊」(小沢書店)を
パラパラとひらく。文が締まっていて、小気味いい。
お酒をチビチビと味わう要領で読んでみます(笑)。

この本に、韓国が登場しております。
「今年(1985)の早春、第六回天下壮士シルム大会を
観戦するために、わたくしはソウルにいた。」(p17)

はい。この箇所を引用してみます。

「シルムとは韓国語で相撲をさし、チカラビトには
日本のように力士の字を当てず、壮士と表記している。
天下壮士というのは要するに、横綱といった称号である。

三月とはいえ旧暦ではまだ小正月(1月15日)を過ぎたばかり、
4,5千人ははいる奨忠体育館の内部はかなり寒かった。・・・
どうにも我慢がならず、規則に違反するとは知っていながら、
日本からたずさえてきたスコッチを魔法びんに詰めて持ちこんだ。
そして少し離れたところにいる警備員の眼ににはたぶん麦茶と
映ってくれるだろうと、・・・・ときおり黄色の液体を蓋についでは
チビチビなめていた。
 ・・・・・・・・
アルコール飲料の持ちこみがこうも厳重に禁じられている
理由は何だろうか。韓国民衆の観戦態度は総じて礼儀正しく、
ヒツジのようにーーーというよりはこの地の特産であるノロジカ
のごとくおとなしい。けれども時あって行司の判定がいちじるしく
公平を欠くような場合、数千人はいっせいに総立ちとなり、
太白山のトラさながらに吼えさけぶのであった。

じっさいわたくしは、かれらの抗議の声のあまりのすさまじさに、
五名の審判員が協議をやりなおし、いったんくだした裁定を
くつがえす場面を幾度か目撃した。こうなってしまうと。
場内に配備された警官たちの制止くらいではとてもおさまらない。
なるほど、この上に酔いのいきおいが加わっていたら
―――と想像すると、ちょっと空恐ろしい気さえする。
だが言いぶんが通った瞬間に熱は嘘のようにさめ、
もとの無表情でマナーにうるさいノロジカの群れにもどるのだった。」
(~p19)

このあと、韓国の相撲の詳細を報告してくれているのでした。

韓国の文在寅大統領の産業政策のルーツらしい
箇所も「力士漂泊」に読めるのでした。
それは、李朝の五百数十年をつうじての記述にあるのでした。

「朱子学系の儒教を国是に採用した李氏の政府は、
結果として、金銭ならびに商業にたいする蔑みを
庶民のレベルまで過度に浸透させてしまった。

大都会ソウルも、地方から輸送されてくる
年貢米を食いつぶす貴族たちの住処(すみか)で、
自由な商人の活躍は抑圧されていた。

徳川幕府もまた武士階級には朱子学を押しつけたけれど、
庶民に強制しようとはしなかった。とりわけ豊臣政権の
崩壊のあと不満をいだきかねない状況にある大阪商人には、
全国よりあつまる年貢米の売買を独占してまかせ、
大幅な金儲けの特権をゆだねた。
勧進相撲も最初は上方よりおこった。
だが18世紀半ばを過ぎて商品流通の中心が
関東に移るとともに、江戸相撲が京、大阪を圧倒して
急速な発展をとげるようになった。」(~p16)

うん。相撲から見た韓国と日本。ちなみに、
ソウル市長については、篠原常一郎氏の説明を聞くと、
税金を惜しげもなく多数の市民団体へと配分している
そうで。そのなかに、沖縄基地反対へでかける団体も
あるのだというのでした。そんなことを聞くにつけ、
なるほどと、韓国の古今の類似が浮かぶのでした。








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しょっきりずもう。

2019-11-12 | 道しるべ
相撲がはじまりました(笑)。
ついつい忘れるのですが、録画して、
夕食を食べながら、再生して見ております。
昨日は、平幕大栄翔が、横綱白鵬をやぶり拍手。

さてっと、対談「ふれあう回路」に、
相撲をとりあげた箇所がありました。
それはアメリカ哲学のデューイを語ったあとでした。
せっかくなので、そのデューイに関する箇所も
ちょこっと、引用してから。

「・・・デューイは凡庸です。35歳で死んだら、
仕事らしい仕事はゼロだったでしょうね。
すさまじいものですよ、その凡庸さというのは。
その凡庸な人の偉大というのは、年を食って、
だんだんに物事を記憶したり、新しいことを考えるのが不得手
になってきた私のような状態で初めて見えてくる(笑)。
私は15、6歳のときは、デューイなんて、と思ってたね。
だけど今や63歳になると、デューイは偉い、
デューイも偉いと思うようになった。(p43)

このあとに、いよいよ鶴見さんは、
宮本徳蔵著「力士漂泊」をとりあげるのでした。

「この本はすもうを勝ち負けで見ていない。
すもうを勝ちと負けで見たら、あんなもの
とにかくへんなものなんですよ。
勝ち負けを超える形として見せる、
その形をさらに作為を含めて見世物化するのが、
花ずもうのときのしょっきりずもうで、
栃錦と出羽錦はしょっきりずもうをやったでしょう。
ああいう感じのものなんだけれども、
それがすもうのなかで自然に出てくる時、たとえば
下手(したて)と上手(うわて)のなげの打ち合いで、
最後に運を天に任せる形が出たときに感動するのですよ。
もうあとの一瞬というのは、どっちが先に落ちるかわからない。
完全に両者未分化のある形になっていて、別々ではなく、
もうさいころは投げられている。ああいうときに、
その形が心の琴線に触れる。
それはどちらがしかけて勝ったという問題ではなくて、
両方の力があって、あるひとつの形になっている。
あれは『やりとり』なんですね。

あそこからすもうを見るということを、
日本人はいままでずっとやってきた。・・・

ある形ができるんだ。そのときに両者あい合わさって、
あるメッセージを、人生というもの、社会というものは
こういうものなんだというのを、なまの形で観客に訴えて
くる力があるでしょう。そのおもしろさだな。
チャンス・ファクターとか不確実性とかいうものを含めての、
人生のありかたをつたえる。そこをひとつの単位として見たい
・・・・(p44~45)

はい。これからどういうわけか、
老人と子どもの話になってゆくのですが、
引用が長くなりますので、このへんで失礼します。

うん。私はまだ宮本徳蔵著「力士漂泊」を読んでいない。
本棚にはある(笑)。
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親鸞63歳、京都へ帰る。

2019-11-11 | 京都
増谷文雄+遠藤周作の「親鸞」(朝日出版社)。
LECTURE BOOKSの一冊で、親鸞講義とあります。

はい。古本屋で200円でした(笑)。
うん。たのしみな一冊。
最初の数頁を読んでも、いろいろと思い描けます。
はい。数頁で、また次の本へ、脱線するのはわたし。
今回は気をつけます。
最後に、増谷文雄氏による「講義を終えて」という2頁。
その最後を引用しておきます。

「・・遠藤さんとお話できたことは、新しい発見の多い、
まことに実り豊かな体験でありました。おそらく、私自身、
これからさきも、いくたびとなくこの本を手にして、
さらに新しい発見をすることになるでありましょう。
読者のみなさま方にとっても、この本がそうした
役目を果すことを願ってやまないものであります。」(p239)

うん。こういう一冊を、軽薄に引用することの愚かさ。
でも、数ページしか読んでいない私は、かってな
連想をついついしていきます(笑)。

この本には、ありがたいことには、資料として、
増谷文雄の現代語訳「歎異抄」も載っている。

そして、親鸞関係年譜もありました。
その年譜に目がいきます。
親鸞は
1173年 4月1日京都に生まれる。
1192年 この頃叡山の堂僧として修行を積む
1201年 六角堂参観、ついで叡山を下り、
    法然の門に入る。
1207年 法然の罪に連坐して越後に流罪
1211年 冬、赦免の沙汰あり
1212年 法然死す
1214年 この頃関東に入る
  そして
1235年 63歳の親鸞は、この頃京都に帰る。
1262年 90歳。京都に死す。

この本をパラパラとめくると、こんな箇所がありました。
増谷氏が語っております。

「そのときに気がついたのは
 『親鸞という人は実に詩魂の豊かな人であるなあ』
ということなんでございます。それからいろいろと
他の詩を訳してみますと、齢を重ねるにしたがって、
親鸞の詩魂はいよいよ豊かになっていることに
気がつきました。いわゆる『三帖和讃』の
『浄土和讃』『浄土高僧和讃』が76歳のときのもの、
『正像末法和讃』は86歳のときのものですね。
これから見ましても、京都時代の親鸞が
いかに充実していたかがわかりますね。」(p89)

うん。63歳親鸞京都へ帰る。
という年譜が気になりました。




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山鳥のほろとなく。

2019-11-09 | 詩歌
鴨長明「方丈記」に
こんな箇所がありました。

「もし、夜、静かなれば、
窓の月に故人をしのび、猿の声に袖をうるほす。
草むらの蛍は、遠く槙(まき)の篝(かが)り火にまがひ、
暁の雨は、おのづから木の葉吹く嵐に似たり。
山鳥のほろとなくを聞きても、父か母かと疑ひ・・・」

さてっと、私に興味深かったのは、
「山鳥のほろとなく」という箇所。

そういえば、西城八十の「旅の夜風」の歌詞には
「比叡」「加茂の河原」という地名が出てくる。
ということで、映画「愛染かつら」の歌として有名な
「旅の夜風」を引用。

 花も嵐も踏み越えて
 行くが男の生きる途
 泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
 月の比叡を独り行く。

  ・・・・

 加茂の河原に秋長けて
 肌に夜風が沁みわたる
 男柳がなに泣くものか
 風に揺れるは影ばかり。

  ・・・・・

歌詞の引用は、このくらいにして、
筒井清忠著「西條八十」(中公叢書)には
この歌詞を引用したあとに、こうありました。

「『ほろほろ鳥』は、琵琶歌の『石童丸』の中にある
『ほろほろと鳴く山鳥の声聞けば、
父かぞとおもふ、母かぞとおもふ』
という古歌が胸に浮んだので、
それを具体化したものであった。
高野山での石童丸と刈萱道心の邂逅を想ったのである。
・・・」(p227~228)

それとは知らず、
「花も嵐も踏み越えて・・・」の西城八十の歌詞が
琵琶歌「石童丸」へとつながり、
鴨長明「方丈記」へとつながっておりました。

浅見和彦校訂・訳「方丈記」(ちくま学芸文庫)には、
和歌のつながりが興味深くたどられます(p190~191)。

「 山鳥のほろほろとなく声聞けば
   父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ(伝行基菩薩)

 をふまえる。

 山深み馴るる鹿(かせぎ)のけぢかさに
   世に遠ざかる程ぞ知らるる(「山家集」1207)

という伝行基歌、西行歌をほぼ全面的に取り組み、
つなぎ合わせ、『方丈記』独特のリズム感のある
行文の創出に成功しているのである。・・・」(p191)

さてっと、紅葉の葉を踏み越えてゆく季節となりました。
 




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「方丈」とは縦横3mほどの広さ

2019-11-08 | 道しるべ
台風15号で屋根の一部を飛ばされ。
二階から階下へと雨漏りで、天井のボードは、
はがれ落ち。それでも、地元の大工さんが、
トタン屋根を再建してくれて、ホッとしていたら、
台風19号の被害の甚大さを知ることとなりました。

わたしの家などはめぐまれているほうです。
雨漏りといっても、泥水が押し寄せたわけでもなく、
屋根が補修されれば、まずは一安心でした。

さて、安心していると、いろいろと思います。
たとえば、方丈記が昨日思い浮かびました。

本棚から、ちくま学芸文庫「方丈記」を取り出してくる。
はい。これは濡れませんでした(笑)。
浅見和彦校訂・訳となっております。
「はじめに」は、こうはじまります。

「『方丈記』の『方丈』とは一丈四方の広さをいう。・・・
『方丈』とは縦横三メートルほどの広さ、
現代の広さに置きかえれば、・・・・
およそ四畳半から五畳半程度の小さな部屋である。」

うん。興味深いので、本文から引用しておきます。
この箇所。

「・・・齢は歳々に高く、住みかは折々に狭し。
その家のありさま、世の常にも似ず。
広さはわづかに方丈、高さは七尺がうちなり。
所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めてつくらず。
土居を組み、うちおほひをふきて、
継ぎ目ごとにかけがねをかけたり。
もし、心にかなはぬ事あらば、
やすく他へ移さむがためなり。
そのあらためつくる事、いくばくのわづらひかある。
積むところ、わづかに二両、車の力をむくふほかには、
さらに他の用途いらず。・・」(p29)

この箇所を浅見和彦氏は、訳して

「年齢は年々に高くなり、住居は折ごとに狭くなっていく。
その家の様子は世間普通のものとは似ていない。
広さはわずかに一丈四方、高さは七尺のうちである。
場所を決めていないので、
土地を占有して造ることもしない。
土台を組み、簡単な屋根を葺いて、
木の継目ごとにかけがねをかけた。
もしも、心に入らぬことがあれば、
たやすく他の所へ移そうと思っているためである。
その立て直すことに、どれほどのわずらいがあろうというか。
積むものは、わずかに車二台。車の働きに払う報酬のほかには、
全く他の費用はいらない。」(p155)

浅見氏による評釈はこうでした。

「長明は『六十の露消えがたに』大原を去っていった。
大原退去後、長明は一軒の家を持ち運んでいったらしい。
その家は広さは一丈四方・・・・小さな小屋、庵であった。
書名の『方丈記』はこの庵の大きさに拠る。
長明がこの家は『常の世』と違うという通り、
場所が嫌いになったら、すぐ他へ移転できるよう、
工夫されたものだった。土居(土台)を設け、
『うちおほひ』、すなわち簡易な屋根を載せ、
柱、壁材、床材はすべて『かけがね』で連接されていた
というのである。『かけがね』というのは普通、
戸扉、窓の戸締り用の金具であるが、
長明はそれを資材の留め具に応用したわけである。
着脱が簡単で、それこそ気にくわなければ、
いつでも庵を解体し、どこへでも移動し、
また好きな場所で組み立てるという、
長明考案の独特な庵であったのである。
現代でいえば、
プレハブの住宅、キャンピングカーといった
ところであろうか。移動にはわずかに車二台ほどの
労力がいるだけで、その他は一切手間いらずで、
その小家屋とともに彼は京都近郊を自由に移動して
いったと考えられる。・・・・・
長明の創意と工夫、技術にはなかなか高いものがあった。
長明はこうした建築物を設計、考案し、それを製作まで
してしまうという、特異な才能を持っていたようだ。」
(p156~158)

ちなみに、下鴨神社提供による
「河合神社内に復元された方丈の庵」の写真も
p157とp159に載っております。

はい。大工さんに屋根を直してもらったので、
部屋の天井にのたくっている雨漏りのシミ模様を
どうにかするのは、鴨長明の爪の垢でも飲んだつもりで、
自分で何とかしてみたいと思っております(笑)。



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秘術。文と文の間を飛ぶ。

2019-11-07 | 本棚並べ
対談「ふれあう回路」を、はじめて読んだとき、
本がつぎつぎと紹介されてゆき、
あれよあれよと思っているうちに読みおえました。
対談ですから、スラスラと読めます。
あちこちと本が飛びかう。そんな対談の楽しみ。
その醍醐味がありました。

わたしといえば(笑)。
だからといって、紹介されている本を1~2冊
手をつけて、もう息切れして、興味はそこまで。
その1~2冊を、こんかい本棚からとりだして
きました。対談で紹介されていて印象深かった
桑原武夫著「論語」(筑摩書房)。

うん。そこには以前のわたしがいて(笑)、
本のあちこちに黄色い線をひいてあります。
付箋も数カ所貼られている。
その頃の自分の読解力と対面しているような
不思議な感じを味わいます。
いまなら、こうも読めるよと、言ってやりたいような(笑)。

さてっと桑原論語のはじまりの引用は
学而第一からです。全篇解説ではなく、適宜
興味のおもむく論語の箇所を、とりあげてゆく一冊。
はじまりの訳語を引用。

「子曰わく、学んで時に之を習う、また説(よろこ)ばしからずや。
有朋(とも)遠方より来たる、また楽しからずや。
人知らずして慍(いか)らず、また君子ならずや。」

うん。今度再読していたら、
最初に読んだ頃の私と、再会しているような
そんな「よろこばしさ」がありました。
うん。そのころのわたしに何かいってあげたくなります(笑)。
けれども、次の行の「楽しからずや」にはほど遠い。
まして、「君子ならずや」なんて、そんな方っているの?
というのが感想。


もどって、鶴見俊輔・野村雅一対談「ふれあう回路」には
まだまだ、たくさんの本がさりげなく紹介やら引用やら
されていているのでした。
あちらかと思えば、こちらだったりと
本はいろいろ広範囲に飛びかってゆくようです。

「飛びかって」ということで、思い浮かぶのは、
鶴見俊輔著「文章心得帖」(潮出版社)でした。
そこの、こんな箇所。

「これは文間文法の問題です。
一つの文と文との間をどういうふうにして飛ぶか、
その筆勢は教えにくいもので、会得するほかはない。
その人のもっている特色です。
この文間文法の技巧は、ぜひおぼえてほしい。
 ・・・・・・・・
一つの文と文との間は、気にすればいくらでも
文章を押し込めるものなのです。
だから、Aという文章とBという文章の間に、
いくつも文章を押し込めていくと、書けなくなってしまう。
とまってしまって、完結できなくなる。
そこで一挙に飛ばなくてはならない。・・・」(p46)

うん。いまの僕なら、昔、これを読んでいた頃の僕に、
どうアドバイスをするだろう?
なんて思うことが、
「また説(よろこ)ばしからずや」。






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円朝の三題噺。

2019-11-05 | 道しるべ
鶴見俊輔・野村雅一対談「ふれあう回路」(平凡社)。
この本を以前読んだ際に、一読忘れられない箇所が
あったのでした。
うん。その個所をあらためて引用しておきます。

鶴見】たとえば落語に三題噺というのがあるでしょ。
あれは家庭のなかでつねにやっていることだと思うのです。

三遊亭円朝作といわれる『芝浜』なんて、あれは
お客がそこにきて、『酔っぱらい』『芝浜』『皮の財布』
とパッと言って、円朝はそこでその三題をくっつけて、
『芝浜』というすばらしい話をつくった。
 ・・・・・それをまったく即興で三題噺にしている。
(p46~47)

このあとに円朝の『鰍沢(かじかざわ)』の内容を
鶴見さんが解説している箇所がありました。
私が印象に残っていたのは、これでした。
では、その箇所をあらためて引用。

鶴見】・・・それからやはり円朝作だけれども、
『鰍沢』というのを知ってますか。
『吉原のおいらん』『鉄砲』『材木』という
とんでもない組み合わせなんだ。
ある人が商売に成功したので、これは日蓮上人の
ご利益だと思って、身延山に金を持って行く。
山のなかで道に迷って、雪のなかの一軒家に行くと、
ちょっとあか抜けした女性が出てきて泊めてくれるという。
よく話してみると昔なじみだった吉原のおいらんで、
別の客と心中をして、心中に失敗するとさらし者にるでしょう。
それで所払いになった女性なんだ。
積もる話をして、そこで寝ると、しびれ薬が入ってたんだ。
そばで話し声がする。あのお客は百両金を持っているから、
殺して金を奪おうという話で、その客はびっくりして這って
うちを出る。あとからその月の戸お熊が追っかけてくるわけね。
何とかして殺されまいとするんだけれど、
お熊のほうは鉄砲を持っている。
お客は逃げて鰍沢の川のなかにポンと飛び込むわけ。
飛び込んでくるところを月の戸お熊が鉄砲でポーンと撃つと、
ばらばらになったいかだの
『お材木(お題目)ひとつで助かりました』(笑)。
それが落ちなんだよ。とんでもない話なんだ。

これも三題噺で名作なのよね。
こういうのをパッパッパッとお客が言って、
まったくシュールレアリスムのすじを
そこでつくるでしょう。それが名作なんだ。

だけどよく考えてみると、
家庭ではつねにそういうことをやっているのです。
二歳の子どもと母親の話なんて、
いつでもそんなものですよ。
その場にあるもので定義するわけでしょう。

これが江戸時代だと、
寄席の常連と噺家との関係で、
同じようなものが創造性の根拠になっていた。
・・・・(~p49)

うん。この「ふれあう回路」は
もう数十年まえに読んだのですが、
ときどき、数年ごとに、この場面を思いだして
おりました。そんな箇所です。
ところで、今回読み返していたら、
鶴見俊輔に「円朝における身ぶりと象徴」
という文があることを注釈で知ることができました。

はい。さっそく読んでみます(笑)。




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小学校卒の新聞記者。

2019-11-04 | 地域
鶴見俊輔・野村雅一対談「ふれあう回路」(平凡社)。
これを読んでいると、あっちこっち紹介本があるので、
つい、気をとられて、荷が重いという気分になります。

べつに、引用本の方にとらわれなければいいんだ(笑)。
ということで、引用してみます。

最近ユーチューブを見ていると、たとえば、
高橋洋一さんは、新聞なんていらない派。
小気味いい論説をはっております。

たしかに、昔の新聞と、今現在の新聞とは違う。
どこが、違うのか?
その手掛かりになるような箇所が、対談にありました。

鶴見】・・・あとになっても、新聞記者出身の作家たちで、
子母沢寛は大学を出ているけれど、
長谷川伸、吉川英治、みな小学校だけの学歴なんですよね。
書く文章が普通のなだらかな、ひざを交えて話し合うような文体で、
だからその流れが、幕末の最初の新聞から、明治、大正とあったんです。
ところが昭和に入ってから早い時期に、新聞が大卒だけしか
とらなくなると、そこから新聞が変わってくる。

野村】ですから、知的な訓練を受ければ受けるほど、
コミュニケーションのおもしろさというようなものも、
他人と交流することのおもしろさも、わからなくなってくる
ということがあるんですね。(p128)

さてっと、この対談本の最後に、
ふたりが、お薦めの本を紹介するページがありました。
そのなかで、鶴見俊輔氏は
柳田国男著「明治大正史世相篇」を取り上げておりました。
うん。私は未読。未読ながらも本は本棚にある(笑)。
さっそく、そこの自序からだけでも開くことに、
その自序にも、新聞が指摘されておりました。

「・・・・そのために約一年の間、全国各府県の新聞に
眼を通して、莫大の切抜きを造っただけで無く更に
参考として過去六十年の、各地各時期の新聞をも
渉猟して見たのである。

ところが最後になって追々と判ってきたことは、
これだけ繁多に過ぎる日々の記事ではあるが、
現実の社会時相はこれよりも亦遥かに複雑であって、
新聞は僅にその一部をしか覆うて居ないということである。
記録があれば最も有力であるべき若干の事実が、
偶然にこの中から脱しているということであった。
・・・・生活の最も尋常平凡なものは、新たな事実として
記述せられるような機会が少なく、しかも我々の世相には
常にこの有りふれたる大道の上を推移したのであった。
そうしてその変更のいわゆる尖端的なもののみが採録せられ、
他の碌々として之と対峙する部分に至っては、
むしろ反射的にこういう例外の方から、推察しなければ
ならぬような不便があったのである。

そこで結局は此以外のものの、現に読者も知り
自分も知っているという事実を、ただ漠然と
援用するの他は無かった。・・・・」

う~ん。読書の秋。この機会に、満を持して、
柳田国男著「明治大正史世相篇」にチャレンジ。
ちなみに、この本の東洋文庫解説は益田勝美。





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金槌(かなづち)と充電式丸鋸。

2019-11-02 | 地域
鶴見俊輔著「文章心得帖」(潮出版社)に
こんな箇所がありました。

「全体として考えてみて、
この人の文章がうまいと私が思っているのは、
花田清輝、竹内好、梅棹忠夫。
私より若い人でいえば山田慶児、多田道太郎の
文章には感心します。・・・」(p14)

う~ん。読んだことのない人ばかりならびます(笑)。
でも、梅棹忠夫の名前がある。
そうえば、加藤秀俊著「わが師わが友」に、
鶴見俊輔氏が加藤氏に梅棹忠夫を紹介する場面が
描かれておりました。そこを引用。

「鶴見さんは、ほとんどわたしと入れかわりに
東京工大に移られたから、いっしょにいた期間は
きわめて短かったが、そのあいだに、わたしに、
ぜひいちど梅棹忠夫という人に会いなさい、
と熱心にすすめられた。鶴見さんによると、
梅棹さんという人は、じぶんで金槌やカンナを使って
簡単な建具などさっさとつくってしまう人だ、
あんな実践力のある人は、めったにいるものではない、
というのであった。まことに失礼なようだが、
鶴見さんは、およそ生活技術についてはいっこうに無頓着、
かつ不器用な人だから、鶴見さんからみると、
大工道具を使うことができる、ということだけで
梅棹さんを評価なさっているのではないか、
ずいぶん珍奇な評価だ、とわたしはおもった。
金槌やカンナくらい、誰だって使える。
大工道具を使えない鶴見さんのほうが、
率直にいって例外的だったのである。」(p80)

大工道具といえば、
わたしが中学生の頃には、
技術家庭科というのがあって、
木片でなにやら、椅子や本立てなどをつくらされた
記憶があります。現在の中学生の科目には、
そんなのは、あるのでしょうか?

台風15号で家の屋根が部分的に飛ばされた際に、
すこしたってから、大工さんが来て、飛ばされた屋根を
作り直してくれました。忙しいらしく、最初は一人で
大工さんが作業をはじめておりました。業者が、
ベニヤとか角材とか持ってくると屋根にあがっている
大工さんは、上にあげてくれるように指示する。
なんせ、大工さんは一人。業者は早く帰りたいらしい。
うん。見ていた私はといえば、運ぶだけならと業者さんから
手渡されるハシゴからの材料を二階で受け取りました。
つぎは、屋根に移動するのも手伝う。
はい。ベランダがありますから、ラクラクです。

いまは、充電の丸鋸で、サッササッサと角材やら
ベニヤやらを切ってゆきます。圧縮空気の機械でしょうか。
釘を打つのもポンポンと作業効率がはかどります。
屋根はトタンなのですが、それはトタン屋さんが
来てからということで、その前までの防水シートを
張る作業までが完成するのに、1~2日で完了。
屋根の軒のペンキは、どうしますか。
と言われたので、自分でやりますと答え、
ちょっとの部分をペンキ塗りですごしました。
ちょっと、こういう作業をしていると、
大工さんが使っていた充電式丸鋸が気になる。
ほしそうな顔をして見ていたせいか。
大工さんは、これ便利なんだよなあという。
なんせ、屋根にのぼっての作業に、その場で
てきぱきと角材や、ベニヤを切ってサイズにあわせてゆく。
はい。わたしは一週間くらい、思い悩んで、
充電式丸鋸を買いました。

大工さんとトタン屋さんとが屋根の修復を終え、次の現場へと
移動してから、何週間かして、私は、ベランダの柵が飛ばされた
その箇所の、雨漏り防止に、蓋をかぶせることにきめて、
ベニヤや角材でもって、ひとり作業をはじめました。
そこでは、充電式丸鋸が活躍しました(笑)。

それもこれも、中学生の時、技術家庭科で、
木工作業をしたおかげかもしれないなあ。

もどって、加藤秀俊著「わが師わが友」のつづき。

「・・それと前後して、わたしは雑誌『思想の科学』(1954年5月号)
に梅棹さんの書かれた『アマチュア思想家宣言』というエッセイを
読んで、頭をガクンとなぐられたような気がした。・・・・
わたしは梅棹さんの文体に惹かれた。この人の文章は、
まず誰にでもわかるような平易なことばで書かれている。
第二に、その文章はきわめて新鮮な思考を展開させている。
そして、その説得力たるやおそるべきものがある。
ひとことでいえば、スキがないのである。
これにはおどろいた。いちど、こんな文章を書く人に会いたい、
とわたしはおもった。たぶん、鶴見さんが日曜大工をひきあいに
出されたのは、鶴見流の比喩であるらしいことも、
『アマチュア思想家宣言』を読んだことでわかった。」(p80~81)

はい。『アマチュア思想家宣言』に
どのようなことが書かれていたのか、
私は、もうすっかり忘れてしまっております。
「日曜大工をひきあいに出されたのは、
鶴見流の比喩であるらしい・・・」とはどんなことなのか。
もう一度、あらためて読み返してみなくちゃね(笑)。




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ゆかたを着て。

2019-11-01 | 道しるべ
鶴見俊輔・野村雅一対談「ふれあう回路」(平凡社)を、
はじめて読んだとき、印象に残った数カ所があります。

それを、思い出します。その思い出す場面のひとつ。
それは、桑原武夫著「論語」を紹介する箇所でした。
それで、私は桑原論語を買って読んだのでした。
そこを、あらためて引用してみます。

野村】・・・それよりも倫理というのは、福田定良さんの
『めもらびりあ』の初めのほうに書いてあったと思うのですが、
『倫理の規範については、それを習慣に求めるのが安全だ、
というデカルトの思想を私は無条件に信奉する』。
つまり、倫理はしぐさ化してしまわなくてはいけないんですね。

鶴見】そう。桑原論語の卓見というのはそこなんですよ。
『論語』という本は習慣を書いている。

野村】なるほど。

鶴見】そして孔子の習慣は何だったか。
そういうものとしては倫理がなりたつ。
そこのおもしろさに目がいけば『論語』を
プラトンの対話篇と並べることができる。

プラトンの対話篇は、非常に深い、どういうふうにしたら
矛盾を克服できるかという、ひとつの微妙な論理学的な
鍛錬、運動なので、それと同じものを『論語』に求める
ことはできない。

プラトンの対話篇にも、ギリシャ人のそのときの習慣とか、
プラトン自身の習慣というのがある程度は書かれています
けれど、しかし『論語』のほうがもっと直接的にその時代の
習慣が出てくる。人間の理想として、水浴びをして、
夏の道を新しいゆかたを着て、気ままに歌を歌いながら
少年と一緒に帰ってくるのはいいなという発言が
倫理の本の真ん中に置いてあるのだから。
これは、いいですねえ。そういう本として見るとおもしろい。
(p109~110)

いま現在。この箇所を読み直して、思い浮かべるのは、
梅棹忠夫著「モゴール族探検記」(岩波新書)でした。

そこに、こんな箇所があったのでした。
ということで、二か所引用させてください。

「夜、自分のテントに帰って、日記の日付を書いたとき、
まったく突然に、京の街の夏のにぎわいの、はなやかな
情緒を思いだして、すこしせつない気もちになる。
今日は大文字(だいもんじ)の日なんだ。
ゆかたの人の群れとうちわの波。
もう大文字山にはほのおが上っている時分だろう。
しかしここ、テントの外には、くらやみの中に
ジニールの村は静まりかえっている。・・・・」(p130)

もう一箇所は、ここでした。

「わたしはこの現象をこう解釈した。
十年まえ、あのころわたしはまだ二十四、五歳だった。
わたしはまだ、完全な日本人にはなり切っていなかったのだ。
・・・わたしはこの十年間に、日本文化を身につけた・・・
食べるものばかりではない。着るものだってそうだ。
カブールまではゆかたを持って来た。それが
十年まえのくせで、現地では現地ふうにという考えが
頭をもたげて、おいて来てしまった。
おしいことをしたと思う。
ゴラートの高原、サンギ・マザールのふもとを、
ゆかたがけで散歩するそう快さを味わいそこねた。

価値体系をまったく異にする異民族の中にいて、
そういうことをするのが、いかに愚劣な行為であるかは、
人類学者であり探検家であるところのわたしは、
よく知っている。しかし、それにもかかわらず、
わたしの中に成熟してきた日本人が、
そういう欲求をおこすのである。」(p107~108)







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