和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

小便たごをかついだ男が。

2019-11-22 | 京都
読書論だったかに、
本は十冊のうち一冊ものになればしめたもの。
というような箇所が、たしかあった。

う~ん。九冊は無駄になる。何て、その時思う(笑)。
今は、ありがたいことに、居ながらにして、
きれいで、安い古本が簡単に手に入る。
うん。こういう時代ならばこそ、
「十冊のうち一冊ものになれば」という、
可能性を試す絶好のチャンス到来(笑)。

はい。こう自分に、言い聞かせれば、
ネット古書注文の、はずみがつく(笑)。
 
まあ、そんな調子で古本を買って、
こんな様子を、ブログに書きこんで。

私のマイブームは、『京都』。
こうして、ネット上でぶらぶら古本さがし。
そんななかに、200円+送料257円で
りっぱな函入「京都庶民生活史」(鹿島出版会)。
これ昭和48年出版を購入してありました。

話はかわりますが、夜寒くなりました。
寝ていて、時にトイレへ行くのが2度3度
(はい。正確を期せば、1度か2度)。
はい。我慢できないのでしょうがない。

ということで、気になって、
「京都庶民生活史」をひらく。

「京の町人の食卓を彩った農作物は、
糞尿として農村へ還元されることによっても
近郊の村々を潤していた。江戸時代に入り、
田畑の肥料に人肥が本格的につかわれるようになると、
二、三〇万人の人口を抱えた京の町は、
まさしく黄金の宝庫となる。
・・・
室町時代に町々に公衆便所が普及していたことは、
洛中洛外図にみえることからも明らかである。
そこには方一町をとり囲んで建てられた町屋の
中央の空地に、井戸・物干場とともに
公衆便所が描かれている。
家々にはよほどの大家でないかぎり、
便所は備えつけられていなかったのであろう。
ルイス・フロイスの『日本史』にも、
戦国時代の京都の町に、
藁ぶきの公衆便所があり、
悪臭を放っていたことが記されている。
・・・多くは江戸時代と同じく近郊の農村に
還元されていたにちがいない。」(p211)

そのあとに、
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の
こんな場面が引用されているのでした。

「江戸時代になると、需要の増大から
京の糞尿は一躍脚光を浴びるようになる。」

「弥次・喜多さんが清水詣をして、
三条で宿をとろうと道をいそいでくると、
小便たごをかついだ男が、『大根小便しよしよ』と
大きな声で、向こうから歩いてくる。
大根が小便をするというわけではない。
大根と小便を交換しようというのである。

この小便取のこえをきいて出てきたのが
二人の中間(ちゅうげん)。
『コチャコチャわしらふたりがここで
小便してやるが、その大根三本、おくさんかいな」
と交渉をはじめ、やおら路地うらで
小便たごに小便をはじめたのである。
・・・」(p212)

もうすこし「膝栗毛」の経過を引用したあとに、
この本は、こう指摘しておりました。

「京都における、小便の値打ちがわかろう。
実際時には小便と交換する農作物のことで
大喧嘩になることもめずらしくなく、
正徳元年(1711)のある記録には、
小便取と中間が口論の末、刃物沙汰に
まで及ぶという事件があったことを記している」

以下には、その例証が続くのですが、
これくらいにしておきます(笑)。

さてっと、p353~354には
馬琴のいろは短歌が引用されて
女性のトイレ風景がつづられております。


ここまでに(笑)。
ちなみに、近々「小便たごをかついだ男」が
夢に出てくるかもしれないなあ。
はい。そのあとに目が覚めてトイレに起きる
という段取りとなります。




コメント
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