和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

きれいな いちょう。

2019-11-27 | 詩歌
GOOブログ「爺ちゃんの京都散歩」の11月26日に、
檀王宝林寺のイチョウの木が撮影されておりました。

さてっと、詩を数篇。
  
  京都府大枝小学校一年 山田いく子
   
    いちょう

  きれいな いちょう
  おおきなきに
  ついている
  かぜにふかれて
  うつくしいな
  わたしは それをみて
  すべりっこを
  すべりました

この詩について、井上靖の文「『きりん』のこと」が
一読印象に残っているので、あらためて引用。

「昭和22年秋・・」とはじまります。
出版社社長が、新聞社の井上さんを訪ね、そこで、
小学生向きの月刊詩文誌を出すことに決まります。

「雑誌の題名は、
竹中郁氏によって『きりん』とつけられた。
そして関西一円の小学校に手紙を出して、
児童の詩作品の提供を依頼した。
送ってくれたところもあり、
くれないところもあったが、
それでも何十編かの詩が集まった。」

こうして、井上靖氏の短文は、雑誌の2号に載せた
一年生の山田いく子さんの詩と、あと一篇。
つぎに引用された詩は

  愛媛県上分小学校四年 宗次恭子

    かれ木

  かれ木は秋になって
  さみしくなるのだろう
  風にふかれてきものが
  とんで行くのだろう
  しまいにはからだだけに
  なって行くのだろう
  雨にもうたれ
  風にもうたれ
  さみしくなって
  行くのだろう

井上靖氏は、この2篇の詩を引用したあとに
こう書いておりました。

「この二号が出るに先立って、
この二編の詩をたくさんの投稿詩の中から
選び出した夜のことを憶えている。
一月の終わりか、二月の初めだったと思う。
選が終わると、私は竹中、足立両氏と連れだって、
尾崎書房を出て、闇市の一画を突っ切って、
大阪駅の前まで行き、そこで両氏と別れた。
  ・・・・・・・・
当時家族の者は郷里伊豆の家に疎開したままに
なっていて、私は一人住まいであった。・・・・
まだ終戦後の混乱期が続いており、世の中にも、
私自身の生活にも、安定した戦後は始まっていなかった。
 
少し大袈裟な言い方をすれば、私はその夜、
たまたま小学校から送られて来た二人の少女の詩に、
感心したというより、何もかも初めからやり直さなければ
ならないといったような思いにさせられていた。・・・・・」

 さてっと、このあとに井上靖氏の
この詩の評がかかれておりました。

「・・・大人ではこんな風には書けないと思った。
余分なことは一語も書かれていず、
水の中を流れている藻でも見るように、
子供の心が澄んで見えている。

『いちょう』を読むと、
いちょうの葉の落ちている校庭で、
滑り台を滑っている小学一年生の
少女の姿が眼に浮かんでくる。
そしてその時の少女の気持が、
手にとるようにはっきりと、こちらに伝わってくる。
少女は淋しいと思っているのでも、
悲しいと思っているのでもなく、
うつくしいな、ただそれだけである。
そして、いちょうの落ちている庭で、
いちょうの落ちるのを眺めながら、
滑り台を滑っているのである。

『かれ木』を書いた少女の方は
四年生になっているので、
もう少しおませである。
それにしても、次々に葉を風に持って行かれ、
からだだけになって行く裸木の姿が、
その時間的経過まで取り入れられて、
みごとに書かれており、この少女が指摘しているように、
裸木は本当に淋しくなって行くのであろうと思われる。

私がこの二編の詩に異常なほど強く心を動かされたのは、
私自身が丁度同じ年頃の子供を持っていて、
その二人が同じように伊豆の山村で小学校に
通っていたということもあるかも知れなかった。」

 
せっかくなので、最近読んだ詩を引用。
編集工房ノア「少年」有馬敲(1994年)。
有馬氏の詩集成の一冊のようです。
安いので買いました。きれいです(笑)。
その帯に、こうあります。

「『いまの詩人のなかで、
有馬さんほどフォークシンガーたちから
曲をつけられた詩人はいないはずだ』
(片桐ユズル)・・・・」

いろいろな詩集があつめられています。
その「『京わらんべ』おわりに」は、
こうはじまっておりました

「わたしは京都にうまれ、京都にそだちました。
そしていま、京都にすんでいます。・・・」

このくらいにして、目次をパラパラと
めくっていると、
有馬さんの詩に「いちょう」がありました。
最後に、それを引用します。

    いちょう

 いちょうのきは
  あつがりやさん
   なつになったら
     おおぎのような
   はっぱがいっぱい
  かぜをおこして
 あおいでいる

 いちょうのきは
  しんぼうづよい
   ふゆになったら
     はだかになって
   へいきのへいざ
  ゆきがふっても
 だまっている





コメント
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