昨日のブログへの「続き希望」②とありました。
はい。その2名の方の希望にお答えします(笑)。
当ブログは、ほぼ引用から成り立っております。
はい。そのことは、自覚しております(笑)。
さてっと、この野間宏・増谷文雄対談にも、
「引用文」という箇所があり、気になりました。
この機会に、そこを引用。
増谷】 そういうわけですね。『教行信証』を読んでおりますと、
あの構成の仕方は、『往生要集』に始まる日本人の仏教ものの
一つの型じゃないかと私は思うのです。
引用文を中心にしているところが。
その一つの型は『往生要集』だし、それから
第二の型は法然の『選択集』ですね。
引用文が先にきて、それに自釈を加えるといったような。
『教行信証』を書かれてときにはまだその型に
だいたいよっておられるのじゃないか。
親鸞の独特のものというのはそれ以後ですな。
京都に帰って以後に書かれたものが
親鸞の独特のものだと思うのです。
野間】 独特のものですね。
増谷】 まったく独特のもの。
野間】 ただしかし、その独特のものが出てきたのは、
やっぱりあれだけ多くの原典から自分で選んでいって、
つぎに何経の何の句、次に何の句と選んでいって、
それを貫いて筋を通して、それが根本(ねもと)にあって
そしてあの後書があって、のゆえでしょう。つまり
『教行信証』がなければあれだけ大胆に型を破って、
すべてを破りつくして出すということはできなかった。
増谷】 そのとおりですな。
『教行信証』というものがあって、それから今度は
そこで引用したものを『浄土和讃』『高僧和讃』で
やわらげているでしょう。その辺りから
親鸞の本物が出てきているように私は思うのです。
・・・・・・とくに
『浄土和讃』『高僧和讃』というところはまさにそうですね。
野間】 つまり、自分は異端とされたんだけど、
自分こそは異端じゃないんだという、そういう系列
といいますかな、『高僧和讃』で出てきて。
増谷】 あれは正統の主張ですね。
法然の直接の言葉を耳にして
正統を主張するものは自分だという
考えが『歎異抄』にもありますね、はっきりと。
野間】 ありますね。
そして実際そのとおりになったということは、
これは本当に大きな力ですね。
別にそのとおりになるというふうには
なっていないのですけれども・・・・
はい。小冊子の対談からの引用は、
まだまだしたいのはやまやまですが、
ここらで『親鸞集』の目次を紹介しておきます。
訳・解説は増谷文雄。
はじまりは増谷氏による解説「親鸞の思想」。
あとは、目次を列挙しておきます。
正信念仏偈
一念多念文意
和讃
浄土和讃
浄土高僧和讃
正像末法和讃
書簡
真蹟書簡
古写書簡
『末燈鈔』
『親鸞聖人御消息集』(略文)
『御消息集』(善性本)
『親鸞聖人血脈文集』
恵信尼文書
歎異抄
親鸞関係略年表
参考文献
はい。わたしはまだ『親鸞集』を読んでいません(笑)。