和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

あの時代の仏教者たち。

2019-11-23 | 前書・後書。
増谷文雄の親鸞講義。
「親鸞」(朝日出版社)。
うん。そのはじまりが印象深い、
ので、引用しておきます。

「あの時代の仏教者たちを振り返ってみますと、
法然、親鸞、道元、日蓮、その後も一遍・・・・
そうした人々の生没年を見てみますと、まず

法然が一番早い12世紀の前半、1133年に生まれております。
1212年、13世紀の初めに亡くなっている。

親鸞はちょうど法然より40歳離れて1173年に生まれ、
大変長生きをして1262年に90歳で亡くなっている。

道元は、ちょうど13世紀の始まりの1200年に生まれて
1253年に亡くなっている。

それから日蓮は、もう少し遅い1222年から1282年。
一遍は1239年から1289年です。

つまり、これらの人々は、ほとんど同じ時代に
生を享けておるわけですね。・・・・・・
私の考えはこれらを全体として見てみたらどうか、
というところにあるわけです。

さてそこで、これらの13世紀の仏教者群像・・・
これを長いこと考えておりますうちに、まず
国家との関わりの問題があるんだということに、
ある日気がついたのです。
と言いますのは、
法然、親鸞、日蓮の三人は、いずれも御上人ですね。
これは御聖人とも書きますが、どれも
国家から与えられた称号ではない。
禅宗の場合は、上人という言葉は使いませんので、
道元は禅師です。その禅師というのは本来は
国から頂戴する僧侶の称号なんですが、
道元禅師の場合は、実は国から貰ったものではない。

ということは、変な言い方ですが、それまでの仏教者が
すべて、国家公務員であるのに対して、
これら新しい仏教者たちはそうではない。・・・・
そこに、非常に面白い問題があるように思われる。」
(p7~8)


さてっと(笑)。
つぎはP88へといきます。

「・・・『教行信証』そのものは資料です。
親鸞自身は自分の『教行信証』をとおして
法然の言葉に再び触れ、それによって
心が昂ぶってくるということだったと思います。

実を申しますとね。・・・
私が『親鸞集』を編むことになりましたとき、
『教行信証』は入れなかったんです。
ただ一つ入れたのが『正信念仏偈』の現代語訳だけでした。
なぜかと言いますと、要するに『教行信証』というのは
親鸞の思索修行の書であって、
彼自身の宗教的な所感がもっともよく出てきているのは、
『教行信証』の中では『正信念仏偈』だと思うのですね。
それで、これだけはなんとしても訳そうと思いましたが、
さてどう訳したらいいかがわからない。
『正信念仏偈』は詩でございますから、
だらだらと訳しても仕方がない。
それで、数日間原文を前に置いて、
ただじっと眺めておりました。まったく、
途方に暮れたとはあのことでございましたが、
ある日、はっと気がついた。
いくら私が頭をひねったってだめだ。
そうではなくて、原文をそのまま現代語に
引っぱってくればいいんだと。
・・・訳せた。『ああ、それでいいんだな』と、
そのときに思いました。その日のうちに
すっと六十行すべてを訳し終えることができましたね。」

うん。ここに出てくるのが
「日本の思想3 親鸞集」編集・解説増谷文雄(筑摩書房)。
はい。ネットの古本で注文。
それが届きました。別冊の冊子は野間宏氏との対談。
函入りで、きれい。うん。これで親鸞が私にも読めそう。
とりあえずは、手にしました(笑)。



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