和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

宗教者の書簡。

2019-11-19 | 手紙
増谷文雄氏は、宗教者の書簡に着目しておられる。
それが、うん。うん。とうなずけます。

増谷文雄・遠藤周作対談「親鸞(親鸞講義)」朝日出版社。
そこにも、宗教者の書簡ということで語られておりました。

「私は親鸞という方の性格をもっともっと知りたいと
思っているんですが、その手がかりは現存する書簡に
あるような気がします。親鸞は40数通の書簡がありますし、
日蓮のは何百通も残っています。

実を申しますと、私は書簡に特別の興味を持っておるんです。
というのは、新約聖書を読んでみますと福音書、使徒行伝、
書簡、黙示録の四つから成っておりますね。ということは、
宗教者の書簡というのは非常に大事なものである。で、
ひょっと気がつきましたら、親鸞や日蓮においても
書簡が大きな役割を持っていることに気がつきまして、
それからというもの書簡を読むのがとても面白くなりましてね。」
(p16~17)

うん。私なんて、漱石の書簡で満足しておりました(笑)。
さて、引用をつづけます。

「それで書簡を読んでみますと、日蓮の性格や親鸞の性格が
鏡に映し出されたようによくわかるという気がいたしますね。

日蓮さんという方は、自分のことを
非常にざっくばらんに手紙に書いておられましてね。
たとえば、あの方はお酒好きでしたでしょ。
書簡の中にもそのことが出てきたりしておるんです。
晩年に9年間籠られた身延山でも、『ここは寒くてしょうがない。
そのときはお酒をわかしてきゅっと飲むと身体が暖まってくる』
といったようなことを、悠々と書いている。

それに対して、親鸞は40数通残っている書簡の中で、
ほとんど自分のことを書いていないんですね。
『末燈鈔』の第八書簡は浄土の教えを考えるに当って
大事なことを五説という形で列挙しておるのですが、
その一番最後に
『目もみえず候。なにごともみなわすれて候うへに、
ひとなどにあきらかにまふすべき身にもあらず候』
というくだりが見える。

その他には、息子の善鸞が起こした関東での事件
それについての痛恨の情あふるる義絶状がありますが、
これは自分の今の暮しぶりについて書いたものでは
ありませんしね。それから親鸞は63歳で京都に帰り
ましてから、ほぼ30年隠棲していますね。
その間にどういう生活をしていたか
はっきり知りたいんですが、よくわからない。
あちこちを転々としていたようなんですが、
ある書簡に仮名で『しやうまうのことあり』と、
ただそれだけ書いているんです。
たぶん火災にあったんだろうというのが
定説になっておりますし、私もそうだろうと思います。

もしこれが日蓮だったら、それでどうしたこうしたと
長々とお書きになったに違いない。
ところが親鸞はそれだけなんですよ。
そういう点ではずいぶん違うなと思いますね。」
(~p18)

うん。増谷文雄氏の語りは面白いなあ。
安心して読んでいけます。
はい。いつも手紙を書いていないなあ。
と、毎年年賀はがきが発売されていると、
思いだすわたしです(笑)。



コメント
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