和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

方丈記から、パッパッパッ。

2019-11-17 | 道しるべ
「亀井勝一郎全集」第十五巻(講談社)に、
「日月明し」が入っております。
解題によると、この「日月明し」は、
「昭和20年7月20日生活社発行」となっております。
終戦直前に発行された一冊なのでした。
内容は、故郷へ送った手紙の形式で書かれています。
第一の手紙から、第四の手紙まで。
全集だとp13~p37で、当時は小冊子だったのでしょうか。

「第一の手紙 故郷の人へ」はこうはじまります。

「帝都空襲が伝へられるたびに、いつも私のことを
御心配下さって、心から感謝いたしております。
私は健在です。
あなたの御配慮に対し、最近の自分の生活や
東京の有様等について、何か報告申し上げようと
思って筆をとりました。しかし故郷への手紙を書こうとすると、
私の心にまず浮かび上がってくるものは、
故郷の山河や人々の移り変りでありました。
津軽海峡の海の色、なだらかな海岸の砂丘・・・・
・・・・なつかしくてたまりません。・・・・・

不思議なことに、自然も人もみな鮮やかな色彩を帯びて
よみがえってくるのです。故郷の思い出は私にとって
色彩となりました。早いものです。東京に住みつくように
なってからもう20年近くなります。
少年の私にとって、東京は憧れの都でした。・・・・
そして今は廃墟です。

遠くで噂だけ聞いておられるあなたは、廃墟という
言葉から、まず悲惨な姿を想像なさるかもしれません。
 ・・・・」(p13)

はい。このあとに鶴見俊輔氏が対談で
話された箇所だと思える部分あります。
ここでは、そこは、はぶいて(笑)
その次を、引用。


「罹災した人々は焼跡に小屋を建てました。・・・
少しはにかんで住んでおります。そして周囲には
早くも菜園が拓かれ、ほどよい緑がまず復活しはじめました。
馬鈴薯の白い花が、新宿のまん中に咲いていると云ったら
あなたは驚くでしょうか。やがて大きな南瓜が、
銀座や日本橋の辺りにみられると思います。
貧しい小屋に棚をつくって、そこへ
へちまをからませようとしている人があり、
また私の知っている茶人は、焼けかかった古材を
集めて茶室を建てることを考えています。

すべて日本人にとってあたりまえの生活態度なのです。
人々の蒙った災害は大きかったかもしれません。
しかし何事もなかったように、再建の第一歩からして
おのずからに風流なのです。・・・・・」

終戦間近とはいえ、戦争中に出版された本でした。
その出版事情をある程度、念頭に置いて
読まなければいけないのでしょうか?

もどって、鶴見俊輔対談「ふれあう回路」に
方丈記をもちだして語る箇所がありました。

鶴見】・・・・たとえば『方丈記』という古典ひとつとってみても、
それをひとつの象徴として自分のなかに保つようにしたい。
それを自分の理想として持つべきものと思う。
ロンドンで江戸時代の展覧会があって、
ロンドンの人たちの目を集めたのは、
プレファブリケーションの茶室なんです。
そこでヒョッとつくっちゃうような、
ああいうものというのはすごいですよね。
パッパッパッと一部屋つくっちゃう。
ああいうものが『方丈記』からずっと
茶の湯の伝統としてあった。そのような目標を、
自分の今の暮らしのなかでとにかく保つ。
茶室自体は実現できないとしても、
複雑な現代の暮らしのなかで、そういう単純なものを
ギューッと握りしめるスタイルを保ちたい。」(p133~134)

はい。ひきつづき、引用させてもらいます。

「野村さんの言葉でいえば、『裸体の伝統』の中の
いいものにつながっていくことが重要なんですね。
外から帰ってきたら、靴を脱いであがる。
これは日本のうちのいいところだ。・・・・・・・・
素足なんてのは欧米の文化でいえば
恥ずべきことなんだけれど、素足で畳を踏みしめる、
あるいは風呂の木の上に流れるお湯の感触を楽しむ、
素足で土の上に立つという、その感じがたいせつなんで、
それを取り戻して文化をつくっていかないと困る。

しぐさと身ぶりの伝承のなかに、
文化の伝承の非常に根本的なものがあって、
素朴さから手を放さないということに、
意味があるという気がする。・・・・」(~p135)

そういえば、
「素足で畳を踏みしめる」からの私の連想。

この前の台風15号で、それなりに畳が濡れました。
うちは濡れた畳は二階だけで、一階はフローリング。
晴天ごとに、二階ベランダに畳をたてかけたり、
よく風を通して、日にあてて、なんとか、その時の
古い畳を、いまだに使っております(笑)。

閉校になった小学校の校舎が、台風の被害の一時置き場となり。
瓦やトタン・木材・ボート・木々などが持ちこまれておりました。
う~ん。そこに積まれた濡れ畳が、印象に残ります。
畳を廃品として出した家は、いまだ
当然のように畳は入っていないのだろうなあ。
まだ、瓦屋根にビニールシートを掛けている家々が
常態化しているのでした。

そういえば、茶室には畳が敷いてある、
でも、長明の方丈の家に畳はあったか?
はい。復元の写真を見ると、暗いのですが、
どうやら、板張りのようです。







コメント (2)
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