鶴見俊輔・野村雅一対談「ふれあう回路」(平凡社)を、
はじめて読んだとき、印象に残った数カ所があります。
それを、思い出します。その思い出す場面のひとつ。
それは、桑原武夫著「論語」を紹介する箇所でした。
それで、私は桑原論語を買って読んだのでした。
そこを、あらためて引用してみます。
野村】・・・それよりも倫理というのは、福田定良さんの
『めもらびりあ』の初めのほうに書いてあったと思うのですが、
『倫理の規範については、それを習慣に求めるのが安全だ、
というデカルトの思想を私は無条件に信奉する』。
つまり、倫理はしぐさ化してしまわなくてはいけないんですね。
鶴見】そう。桑原論語の卓見というのはそこなんですよ。
『論語』という本は習慣を書いている。
野村】なるほど。
鶴見】そして孔子の習慣は何だったか。
そういうものとしては倫理がなりたつ。
そこのおもしろさに目がいけば『論語』を
プラトンの対話篇と並べることができる。
プラトンの対話篇は、非常に深い、どういうふうにしたら
矛盾を克服できるかという、ひとつの微妙な論理学的な
鍛錬、運動なので、それと同じものを『論語』に求める
ことはできない。
プラトンの対話篇にも、ギリシャ人のそのときの習慣とか、
プラトン自身の習慣というのがある程度は書かれています
けれど、しかし『論語』のほうがもっと直接的にその時代の
習慣が出てくる。人間の理想として、水浴びをして、
夏の道を新しいゆかたを着て、気ままに歌を歌いながら
少年と一緒に帰ってくるのはいいなという発言が
倫理の本の真ん中に置いてあるのだから。
これは、いいですねえ。そういう本として見るとおもしろい。
(p109~110)
いま現在。この箇所を読み直して、思い浮かべるのは、
梅棹忠夫著「モゴール族探検記」(岩波新書)でした。
そこに、こんな箇所があったのでした。
ということで、二か所引用させてください。
「夜、自分のテントに帰って、日記の日付を書いたとき、
まったく突然に、京の街の夏のにぎわいの、はなやかな
情緒を思いだして、すこしせつない気もちになる。
今日は大文字(だいもんじ)の日なんだ。
ゆかたの人の群れとうちわの波。
もう大文字山にはほのおが上っている時分だろう。
しかしここ、テントの外には、くらやみの中に
ジニールの村は静まりかえっている。・・・・」(p130)
もう一箇所は、ここでした。
「わたしはこの現象をこう解釈した。
十年まえ、あのころわたしはまだ二十四、五歳だった。
わたしはまだ、完全な日本人にはなり切っていなかったのだ。
・・・わたしはこの十年間に、日本文化を身につけた・・・
食べるものばかりではない。着るものだってそうだ。
カブールまではゆかたを持って来た。それが
十年まえのくせで、現地では現地ふうにという考えが
頭をもたげて、おいて来てしまった。
おしいことをしたと思う。
ゴラートの高原、サンギ・マザールのふもとを、
ゆかたがけで散歩するそう快さを味わいそこねた。
価値体系をまったく異にする異民族の中にいて、
そういうことをするのが、いかに愚劣な行為であるかは、
人類学者であり探検家であるところのわたしは、
よく知っている。しかし、それにもかかわらず、
わたしの中に成熟してきた日本人が、
そういう欲求をおこすのである。」(p107~108)