和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ゆかたを着て。

2019-11-01 | 道しるべ
鶴見俊輔・野村雅一対談「ふれあう回路」(平凡社)を、
はじめて読んだとき、印象に残った数カ所があります。

それを、思い出します。その思い出す場面のひとつ。
それは、桑原武夫著「論語」を紹介する箇所でした。
それで、私は桑原論語を買って読んだのでした。
そこを、あらためて引用してみます。

野村】・・・それよりも倫理というのは、福田定良さんの
『めもらびりあ』の初めのほうに書いてあったと思うのですが、
『倫理の規範については、それを習慣に求めるのが安全だ、
というデカルトの思想を私は無条件に信奉する』。
つまり、倫理はしぐさ化してしまわなくてはいけないんですね。

鶴見】そう。桑原論語の卓見というのはそこなんですよ。
『論語』という本は習慣を書いている。

野村】なるほど。

鶴見】そして孔子の習慣は何だったか。
そういうものとしては倫理がなりたつ。
そこのおもしろさに目がいけば『論語』を
プラトンの対話篇と並べることができる。

プラトンの対話篇は、非常に深い、どういうふうにしたら
矛盾を克服できるかという、ひとつの微妙な論理学的な
鍛錬、運動なので、それと同じものを『論語』に求める
ことはできない。

プラトンの対話篇にも、ギリシャ人のそのときの習慣とか、
プラトン自身の習慣というのがある程度は書かれています
けれど、しかし『論語』のほうがもっと直接的にその時代の
習慣が出てくる。人間の理想として、水浴びをして、
夏の道を新しいゆかたを着て、気ままに歌を歌いながら
少年と一緒に帰ってくるのはいいなという発言が
倫理の本の真ん中に置いてあるのだから。
これは、いいですねえ。そういう本として見るとおもしろい。
(p109~110)

いま現在。この箇所を読み直して、思い浮かべるのは、
梅棹忠夫著「モゴール族探検記」(岩波新書)でした。

そこに、こんな箇所があったのでした。
ということで、二か所引用させてください。

「夜、自分のテントに帰って、日記の日付を書いたとき、
まったく突然に、京の街の夏のにぎわいの、はなやかな
情緒を思いだして、すこしせつない気もちになる。
今日は大文字(だいもんじ)の日なんだ。
ゆかたの人の群れとうちわの波。
もう大文字山にはほのおが上っている時分だろう。
しかしここ、テントの外には、くらやみの中に
ジニールの村は静まりかえっている。・・・・」(p130)

もう一箇所は、ここでした。

「わたしはこの現象をこう解釈した。
十年まえ、あのころわたしはまだ二十四、五歳だった。
わたしはまだ、完全な日本人にはなり切っていなかったのだ。
・・・わたしはこの十年間に、日本文化を身につけた・・・
食べるものばかりではない。着るものだってそうだ。
カブールまではゆかたを持って来た。それが
十年まえのくせで、現地では現地ふうにという考えが
頭をもたげて、おいて来てしまった。
おしいことをしたと思う。
ゴラートの高原、サンギ・マザールのふもとを、
ゆかたがけで散歩するそう快さを味わいそこねた。

価値体系をまったく異にする異民族の中にいて、
そういうことをするのが、いかに愚劣な行為であるかは、
人類学者であり探検家であるところのわたしは、
よく知っている。しかし、それにもかかわらず、
わたしの中に成熟してきた日本人が、
そういう欲求をおこすのである。」(p107~108)







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