和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

水野葉舟。

2008-04-12 | Weblog
窪田空穂全集11巻に、水野葉舟が紹介されておりました。
その歌に
  
 哄笑(おほわらひ)野にひびかせよ人間の心はじけて声となるなり

 畑にて瓜熟すをばこよなくも宝のごとく見まもる我は

その人となりの紹介には、こうありました。

「水野君の立場は特殊なものである。水野君は旧幕臣の家に生れ、豊かに育つた人で、純粋な都会人である。又文士としては、二十代にしてはやくも盛名を持つてゐた恵まれた人でもある。その人が四十代に入ると共に、これを生涯の業としようとして農業を選び、家族を率ゐて下総駒井野に移り、一小農としての生活を始めたのであつて、都会人の感覚をもつて農村を切実に感じたといふ稀有な人である。その境地から生れた歌に、特色のあるのは当然のことと云はなけらばならない。その意味で『滴瀝』は私にはなつかしいといふばかりでなく、尊重すべき歌集と思へるのである。」(p199)

この歌集についての考察として、こうも語られておりました。

「・・代々を農村の中に生き、そこを生活の場として働いてゐる人は、自然の成行きとして、これを文芸的に観るといふ感覚は麻痺してゆく。知るといふことと文芸的に感じるといふこととは別個のことで、知り過ぎるが故に感じなくなつてしまつてゐるといふのが実情であらう。反対に都会人の農村の歌は、その新鮮なるが故に感じたもので、詮ずるに傍観者にすぎない。従つて単なる興味にとどまつて、必要な程度の理解も持ち得ず、農村を生かし得るものとはならないのである。歌の取材として絶好な農村ではあるが、農村は歌から見捨てられてゐるといふ感がある。・・・」

こうして50~60の水野葉舟の歌が引用されておりました。
最後にもう一首

昭和15年4月の歌

 四月十日この暖かにして光強し木の芽草の芽背のびして伸びん

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