和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ネグる朝日の。

2007-07-19 | 朝日新聞
清水幾太郎著「論文の書き方」(岩波新書・昭和34年)に、「本当に文章の勉強をするのには、いつまでも新聞のスタイルを真似していてはいけない」という箇所があります。そして新聞の文を指摘して「肯定か否定かがハッキリすれば、とかく、差し触りが生じ易い。ところが、一般に新聞の文章は差し触りを避けた文章なのである。」としております。具体的には「『社説』は明確な肯定や否定を避けるものである。そして、相対立する意見の間のバランスをとりながら、それぞれの意見を主張して戦う両党派を『喧嘩両成敗』しながら、『これは非常に重要な問題である。』とか、『慎重に考慮する必要がある。』とか、物判りのよさそうな、しかし、差し触りのないことだけを言うのである。」


これは昭和34(1959)年に書かれておりました。つまり、書かれてからもうすぐ50年になる、それほど前の清水幾太郎さんの文章なのです。それでは、今頃の新聞はどうなっているのでしょう。ということで、今日発売の週刊新潮(2007年7月26日号)を紹介してみようと思うわけです。特集の見出しは「『安倍憎し』に燃える朝日の【異様すぎる選挙報道】」とあります。そこからの最近朝日新聞の記事分析。
その特集で、幾人かに聞いておりまして、その箇所を引用したいと思います。
まずは国際ジャーナリスト・古森義久さんの言葉

「社説や論評だけでなく、朝日は一般の記事もすごい。社説はともかく、少なくとも一般の記事の部分では客観性を持たせるのが新聞の常識。しかし、朝日の紙面は、一般記事はもちろん写真のスペースまで総動員して、安倍叩きに全力を挙げていますね」「【大慌て】だとか、【前のめりだ】とか【立ちすくむ】とか、また【危うい】【迷走】など・・・そういう情緒的な言葉を多用して読み手の感情に訴えかけている。最近の朝日の安倍叩きは、度を超えて逆に子供じみているように感じます」。

政治評論家の屋山太郎氏の言葉
「朝日は、6月2日に公務員制度改革関連法案の今国会成立を断念した、という誤報をやらかしました。おそらく参院の青木(幹雄)らに取材して、断念と判断したのでしょう。しかし、他紙の記者たちは、首相がこの問題で腹を括(くく)っていることを掴んでいたので、そういう間違いはしなかった。朝日は、安倍政権にマイナスになることだけを書きつづけていますから、こういう失敗をしでかすのです。朝日は新聞なんかじゃありませんよ。あれは、自分の価値観だけをひたすら押しつけてくる、ただのビラ。【反政権ビラ】ですよ」。

朝日OBの評論家・稲垣武氏の言葉
「最近の朝日を読んでいると、とにかく安倍憎しという一心で記事をつくっているとしか思えません。昔はそれでもオブラートに包んで政権批判をしたのに、今は感情むきだし。もはや新聞以下のイエローペーパー、デマ新聞のレベルです」


きめ細かな具体的紙面づくりも指摘しております。

「自社の世論調査を報じた7月9日付の記事では、安倍内閣の支持率が3ポイント回復し、自民党の支持率も戻ってきているのに、『それには見出しを打たず、その上、4日前の記事では、自民党支持率が前回の参院選より低いと、過去の選挙を持ち出してまで比較を試みている。どうしても安倍が巻き返している、とは書きたくないんですね。意図が感じられます』(官邸詰め記者)
まさに世論操作そのものである。
『支持率が回復していてもそれを印象づけないのは、【見出しの詐術】というヤツですよ。自分に都合の悪いニュースはネグるという朝日の得意技です。』」


朝日OBのジャーナリスト・本郷美則氏の言葉

「朝日は・・言論の自由を最大限活用し、自分たちの思想を宣伝し、ずっと嘘を言いつづけることで、白を黒にしてしまう。」

この件では、週刊新潮から、朝日新聞に質問をしていたようで、朝日広報部からの文書回答もちゃんと載っておりました。こちらは黒を白にしてしまうような模範解答です。最後にその朝日の回答を引用しておきます。


「世論調査の結果は、安部首相に有利なデータも不利なデータも等しく紙面で紹介しています。年金問題は、国民の深刻な不安感を踏まえ、必要な報道を続けています。【反政権的な報道に偏向する】との指摘には承服しかねます」

どうやら、48年前に、清水幾太郎がいう「差し触りを避けた文章」。それを朝日は文書回答で表明しようとしているらしいのです。
それにしても、稲垣武氏の「昔はそれでもオブラートに包んで政権批判をしたのに、今は感情むきだし」という言葉に、どうやら標準を合わせてよいのでしょう。不幸にして朝日新聞だけを購読されている人たちは、どう思っているのでしょう。ちょいと、聞きたいところではあります。

まあ、少なくとも、ここでは清水幾太郎氏の指摘する
「本当に文章の勉強をするのには、いつまでも新聞のスタイルを真似していてはいけない」という言葉が、50年前も、そして今でも妥当だとしてよろしいのではないでしょうか。




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