和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

牛タン。

2010-08-19 | 幸田文
暑いときは焼肉屋。
というので、久しぶりに、昨日の夕方、4人で出かけました。
さてっと、
黒岩比佐子著「食育のススメ」(文春新書)に、こんな箇所がありました。

「・・お登和は小山に『西洋料理は才覚次第で安くも高くもどうでも出来ます』と語り、魚が高い時期に牛肉の安い部位を使えば、はるかに安上がりだ、とも言っています。その安い部位としてブリスケを挙げていましたが、ここではお買い得な牛肉として牛タン、すなわち牛の舌についても語っています。
明治の日本人の多くは、牛の舌を食べるなんて気味が悪い、と思っていたことでしょう。けれども、牛の舌は上等のものでも一本六十銭くらいで買え、それが一本あれば二十人前のお弁当に間に合う、とお登和は舌を勧めています。ただし、これも料理するのは手間がかかり、四時間ほど水からゆでたあと、表面のザラザラした皮をむく、という下ごしらえが必要です。その手間さえ惜しまなければ、安い費用で美味しい料理をつくれるというわけです。」(p187~188)

ここにでてくる「お登和」「小山」というのは、
「明治のベストセラー作家であり、ジャーナリストだった村井弦斎(1863~1927)」が書いた代表作小説『食道楽』に登場する人物名です。『食道楽』は1903(明治36)年に新聞に連載され、単行本としても刊行されました。

ここでは、牛タン。
「幸田文対話」(岩波書店)に、幸田文と矢口純氏との対談が掲載されておりまして、そこにこんな箇所がありました。

【矢口】露伴先生が不思議なら、お母さまも不思議です。幾美子さんておっしゃるんですか。露伴先生が西洋料理を外で食べて帰られて、こんなのだったと言われると、殆んどそれに近いものを作ってしまう。これはいったい何でしょう。
【幸田】一所懸命なんですよ、やっぱり。母は特別な人じゃないから、一所懸命になっちゃったんでしょ。
【矢口】明治の終わりから大正の初めに、肉屋に例えばタンを注文する家なんて、そうザラにないと思うんですよ。
【幸田】そうですね。タンなんて聞くと、もうブルッちゃって(笑)。あの牛の舌のブチブチがついてるの見ると、嫌になっちゃいますものね(笑)
【矢口】お母さまは外で召し上がらずに作ってしまう。そして驚いたことに、こうした料理は、結局はかけものですねと言われる。つまりフランス料理はソースが決め手と喝破して、さすがの露伴先生もびっくりするわけです。見もしないものが出来ちゃうっていうのは、基本でしょうかしら。  


「食育のススメ」には弦斎の妻・多嘉子さんの写真がp28・p49と掲載されております。そういえば新潮日本文学アルバム「幸田文」には幸田文の母幾美の写真が掲載されております。その脇にはこんな言葉が添えられており「幾美は樋口一葉に似ていたとも、当時評判の芸者ポン太に似ていたとも言われるが、それは容貌のことであるよりもむしろ雰囲気のことらしい。地味で控え目だが聡明で、家事に秀で・・・」とありました。


え~と。ちなみに、昨日、焼肉屋で注文したとき、タン塩だけが品切れでした。残念。
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