和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

食育の着眼点。

2010-08-20 | 他生の縁
黒岩比佐子著「食育のススメ」(文春新書)を読む。
読了後に、その教訓箇所が印象に残るのでした。
ということで、その箇所を引用しておきます。

ちなみに、ここで登場している小説「食道楽」は、1903(明治36)年に新聞連載されたもので、時代背景はその頃として読むと、現代でも新鮮です。


「日本人は西洋人と違って少年の時から箸の使用法に熟練している。西洋人には真似の出来ない一種の技術を持っている。西洋料理を食べる時にもフークで物を挿すより箸で挟んだ方がよほど楽だ。しかるに日本人が西洋料理を食べる時にはわざわざ独得の技術を捨てて調法な箸を使わずに不便なフークを使うのはその意を得ない。(中略)僕は食法を日本化して以来は西洋料理に箸を用いさせる事にしたい。何ほど便利だか知れないぜ。(p144~145)」(p73~74)

「この夏の巻の最後の部分で、中川は玉江に次のように語っていますが、これもこの小説のなかで、非常に印象的なフレーズです。

  もし主人に食物上の趣味があって妻君は海老の皮を剥く、良人は肉挽器械で肉を砕くという風にともに手伝いともに料理して楽む有様でしたら夫婦間あの興味は尽きる事がありません。よく今の男子は家にいて女房の顔ばかり見ていても倦きるから遊びに出ると間違った事を言いますが日本人の過程には夫婦共同の仕事がないから退屈するのです。三度の食事をともに相談してともに拵えたら毎日相対(あいたい)していても決して倦きません。私は家庭料理の研究を夫婦和合の一妙薬に数えます。(p503)
                        
                        」(p143~144)

ちなみに、「夫婦和合の一妙薬」には、注釈が必要かもしれません(笑)。
こんな箇所がありました。

「弦斎は愛妻家でした。主張先などから多嘉子に出した手紙が四百三十三通も残っているほどです。結婚前ではなく、結婚後に自分の妻へこれほど手紙を書いた人は珍しいのではないでしょうか。弦斎は、夫婦が離れているときは、互いに手紙でその日の出来事を連絡しあうべきだと主張し、自ら実践していたのです。」(p28)



「その先で、中川がまたもや奇抜な説を唱えます。子供には何歳まで家庭教育の必要があるか、と大原が質問したのに対して、女子は嫁に行くまで、男子は四十歳までだろう、と答えたのでしす。四十歳と聞いて大原は驚きますが、中川は平然と、人の生涯には子供時代が二度あり、一つは家庭の子供であり、一つは社会の子供だというのでした。学校を卒業したときは、社会に対して産声を上げたばかりの赤ん坊にすぎず、はうことも立つこともできない。だから、そうした赤ん坊はきちんと教育しなければならない、というのが中川の理屈です。しかも、三十歳前後で不養生をして病気になったり、事業の上でも無理をして、生涯の大失敗を招く人が多いという事実を指摘して、『四十歳までは誰でも小児時代勉強時代と心得なければならん。四十歳を越してから初(はじめ)て社会の大人になれる』と中川は主張するのです。・・・・ここで弦斎が中川を通じて言おうとしたのは、学校を卒業しても社会人としては未熟であり、一人前の大人になるには、その後も学び続けなければならない、ということです。」(p247~248)

脚気論争についての言及は、本文と「おわりに」でも触れられております。
さらりとでしたが、板倉聖宣著「模倣の時代」を読んだ者にとっては、あらためて、考えさせられることを弦斎の行動を通じて浮かび上がらせておりました。

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