和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

バッタが一匹とまっていた。

2021-03-07 | 本棚並べ
河合隼雄の『今西錦司』に、
今西錦司が卒業論文を決める場面の引用がありました。

「『わたしは谷ぞいの道を歩いていた。
灌木の葉の上に、バッタが一匹とまっていた。
そのとき思った――おれはいままで、昆虫をやたらに捕らえて、
毒瓶で殺し、ピンでとめ、名前をしらべて喜んでいたが、
この一匹のバッタが、この自然の中でいかに生きているか
ということには、まるで何も知らないのではないか。
これでは情けないと思ったのである。

たまたま卒業論文には、なにをやろうかと迷っていたときだった。
わたしは生態学をやろうと決心した。』

これは今西の特徴を見事に示している。
バッタを他と切り離して、研究の対象として見るのではなく、
『自然のなかに生きる』ものとして見てゆこうとするのである。
・・・・」(p244・「河合隼雄著作集12」)

はい。つぎに引用するのは「サル・社会学的研究」(中央公論社)
宮内伝三郎の『序にかえて』です。そのはじまり

「今西錦司さんと山登りをいっしょにしたことが一度ある。
山とはいっても京都の北山で、動物学教室のピクニックのときであった。
登山家の今西さんのことだから、ぐんぐんと先に行ってしまって、
私などはとてもついてゆけまいと思っていた。

ところが、今西さんは道ばたの木の枝や草の花をとってながめたり、
高い木を見あげたり、虫をつかまえてせんさくしたり、道草をくっていて、
登ってくるのを待つのは、むしろ私たちのほうであった。・・・」

その次のページには

「今西さんの息の長さは、山についてばかりではない。
私が今西さんの研究にやや近い所にいるようになったのは、
今西さんが農学部農林生物学教室から理学部動物学教室の
川村多実二先生のもとに移って、カゲロウの分類と生態の研究を
はじまた頃からである。すっかり夜になった大津臨湖実験所に
重いリュックサックをおろして、その日の山登りで集めたカゲロウの
若虫をかえして、成虫をとる努力をつづけていた。

昆虫の生活史の追及が忍耐のいる時間のつぶれる仕事であることを、
動物学者はだれでも知っている。それを今西さんはあえてやった。
・・・・」

うん。このあとも引用したくなるのですが、
キリがなくなるので、ここまでにします。

ここで、繰り返したいのは
なにげなく読み過ごしていた、今西錦司の卒業論文のテーマに
関する記述が、じつは

『昆虫の生活史の追及が忍耐のいる時間のつぶれる仕事であることを、
動物学者はだれでも知っている。それを今西さんはあえてやった』

たとえ、動物学者はだれでもが知っていることにせよ、
私みたいな部外者には、想像もしない、できない世界なのでした。
ようやく、理解の端緒がつかめた気分になります。

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