和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

世話好き『街道をゆく』

2023-05-10 | 本棚並べ
俳優池部良は、高峰秀子を評して
「・・悪くとってお節介、良く解釈すれば心温まる世話好きの癖がある。」
( p79 池辺良著「21人の僕 映画の中の自画像」文化出版社・1991年 )

『お節介で、世話好き』というの言葉は、最近とんと聞かなくなりました。


司馬遼太郎は1923年(大正12年)8月7日生まれ。
高峰秀子は、1924年(大正13年)3月27日生まれ。 
安野光雅は、1926年(大正15年)3月20日生まれ。

3人とも関東大震災の頃に生まれておられます。
「お節介で、世話好き」という言葉が生き生きと流通していた頃でしょうか。

この3人が出会う場面がありました。
高峰秀子著「にんげん蚤の市」(清流出版・2009年)から引用

「 昭和46年からはじまった『街道をゆく』・・・

  さし絵を担当したのは、オニの子供のような須田剋太画伯である。
  ・・オニの子供が、とつぜん鬼籍に入ってしまった・・・

 『 司馬先生、やせたと思わない?』

 『 そういえば、そうだね 』

 『 顔が小さくなっちゃて、白髪の中に埋まっちゃった 』

 『 同じようなトシだもの、司馬先生からみれば
   ボクらもいいかげんにしぼんださ(注:高峰御夫婦の会話です) 』

 『 ≪街道をゆく≫のさし絵、安野先生をとっても希望されてるんだって、
   司馬先生。・・・・そんなこと、チラッと聞いた 』

 『 実現すれば素晴らしいけど、
   安野先生も秒きざみに忙しい方だしねえ 』

 『 やってみる! 』 『 なにを? 』

 『 安野先生に、直訴してみる 』

 安野光雅画伯とは、私(高峰)の雑文本、七冊ほどの装釘をしていただいた  
 という御縁で、ときたま食事をしたり、電話でノンキなお喋りをする仲である。
 大好きな司馬先生の文章と、大好きな安野先生の絵が並んだところを
 想像するだけで、私の胸はワクワクと沸きかえった。


 『 とんでもないよ。司馬さんのさし絵なんてサ、
   おそれおおくって、おっかないよ    』

 『 おそれおおいかも知れないけど、おっかなくなんてありません。
   とにかく、いい方なんです。安野先生だって一目会えばコロリ
   と惚れちゃうから 』

 『 そお? そんなにいい方 』

 『 いい方、いい方。ひたすらいい方 』

 『 秀子サンがそんなに言うんなら・・・・でもさァ、
   司馬さんて紳士でしょ? ボク行儀悪いからね、
   ヘソなんか出してるとこ見たら、司馬さんに
   嫌われちゃうんじゃないかしら・・・・   』


 『 安野先生のオヘソを見たくらいでビックリするような
   司馬先生じゃありませんよ。面白がって喜ぶかもしれない 』

 『 ほんとォ? 』   『 ほんと、 ほんと 』

 みかけによらず、少年のようにシャイでナイーブな安野先生のお返事は、

 『 ボクでよかったら 』

 という、なんだかお嫁にでもいくような一言だった。バンザーイ。

 私は飛び立つおもいで、司馬先生に報告の手紙を書いた。

【 『街道をゆく』のさし絵。安野光雅画伯から
  『ボクでよかったら』というお返事を頂戴しました。

  敬愛、私淑する両先生の、共同のお仕事が実現するとおもうと、
  一読者としてこんなに嬉しいことはありません。 ・・・・・  】


  ( p230~233 高峰秀子著「にんげん蚤の市」清流出版 )

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2 コメント

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Unknown (阿智胡地亭辛好)
2023-05-10 23:47:38
高峰秀子さんの文章は好きで読んで来ましたが司馬遼太郎さんとそんなお付き合いがあったこと初めて知りました、また安野光雅さんが挿絵を引き継いだには高峰さんが繋いだとは知りませんでした。多謝感謝。
 ところで池辺良は池部良ですね。
返信する
こんばんは。 (和田浦海岸)
2023-05-11 00:21:32
こんばんは。阿智胡地亭辛好さん。
コメントありがとうございます。

池部良でした。間違いました。

最近扁桃腺がはれっぱなしで、
頭痛はするし、さいわいにコロナでは
なかったのですがなかなか治りません。
こん夜も、咳が出て夜中に目がさめる。
返信する

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