和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

黒田三郎「死後の世界」。

2014-06-15 | 詩歌
黒田三郎の詩集「死後の世界」は
1979年2月に昭森社より刊行。
1980年1月8日に詩人は亡くなります。

さてっと、詩「死後の世界」のはじまりは

  退院して家に帰って来たら
  ふすまも障子も真新しく
  張りかえられていた
  寝具も新しい
  心身共に衰弱していて
  しかし全く無頓着だった

  ひと月もたってからだろうか
  三好豊一郎がやって来て
  妻と話すのをきいていたら
  それがお通夜のための用意だとわかった
  僕が死んだときの
  通夜の心配までしたというわけだ

  酔っぱらいが主人なので
  あんまりボロボロで
  かっこうがつかないので
  通夜のために真新しくしたのだという
  ・・・・・


この詩に三好豊一郎という名が登場します。
そういえば、この詩集には、あちこち
詩人の名前が登場しておりました。
たとえば、詩「夜半の雪」の
はじまりの二行に、


   田村隆一より僕はたった四歳しか
   年長じゃあないのに


さてっと、本題(笑)。
二つの詩を引用してみたかった。
まずは、この詩集にある詩から



   戦後三十年


 熱い熱帯の島で
 ふるさとのことを思ったことがある
 三十年以上も昔
 ふるさとを思ってみてもどうしようもない
 戦争中のことであった
 ふるさとの家には
 とっくに死んだ筈の父や兄も
 健在で
 桜島蜜柑の老木にたわわに実る
 平和な家であった
 あたたかい冬の日ざし
 それは
 二度と生きては帰れないと思ったからの
 夢だったのか
 戦後三十年東京に住んで
 そんなふるさとを思ったことはない



う~ん。黒田三郎の「死後の世界」は
「ふすまも障子も真新しく」
「桜島蜜柑の老木」もあったりして
味があって、匂いもするようです。

そして、詩人が亡くなると、
詩人が詩を書きました。


    桜島   田村隆一

  
        黒田三郎の霊に

  きみは
  たしか鹿児島の造士館の出身で
  城山にすまいがあった
  ぼくが
  山を見ればその山は桜島であって
  はじめてみた桜島は雪がつもっていた

  おまえさん
  おまえさん また逢おう



こうして
二つの詩を並べると
「死後の世界」への、
詩人独特の切り口に、
触れたような、気がしてきます。

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