和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

塩入(しおいり)。3冊。

2019-05-06 | 地震
「災害と生きる日本人」(潮新書)のはじめの方、
「塩入」について語られる箇所がありました。

中西進】 本来であれば宅地開発をやるべきではない
地域に建物を建てたせいで、東日本大震災の被災地で
被害が拡大しました。

磯田道史】 震災が起きた直後、宮城県沿岸部の
南三陸町にある小さな防災庁舎で、遠藤未希さんという
若い町職員が死の間際まで防災無線の放送を続けました。
町長を含め多くの職員が防災庁舎の屋上に避難したわけですが、
逃げ遅れた遠藤さんを含め、43人の職員が殉職しました。
悲しいことです。

そして、その防災庁舎が建っている場所の地名を見たところ、
『塩入(しおいり)』だったことに愕然としました。
そこは海抜1メートルそこそこの場所です。
昔から海水が入ってきた土地を意味する『塩入』という
地名の場所に町の防災庁舎が建てられていた事実は、
やはり、やりきれない。・・・・・(p35)


ここに『塩入』という地名が出てきます。
私のパラパラ読みの弊害が出てきました。
今日になって、あらためて
磯田道史の、新書2冊をめくり直すと、
あります。磯田氏は『塩入』について、
まえから、警告をされていたのでした。

ということで、磯田氏の中公新書の2冊から引用。
「歴史の愉しみ方」(2012年)と、
「天災から日本史を読みなおす」(2014年)と、
この2冊。

古い新書から順に引用。

「また被災地復興には、江戸人の知恵に学びたい。
江戸時代の領主は、津波の被災地を『塩入り』とよび、
五年も十年も年貢を減免した。思い切って10年無税に
するぐらいの誘導策をとらねば、壊滅した被災地に、
にぎわいは戻ってこない。昔の人はそれを知っていた。」
(p134)

もう一冊には、こうありました。


「・・・遠藤未希さんが最後まで呼び掛けて亡くなり
町長らが屋上の鉄塔手すりにしがみついて助かった。
三階建てのあの建物・・・
そこは標高1メートルに満たない土地。しかも地名は
『塩入』だ。江戸時代、津波高潮の被害を塩入とよんだ。
津波被害が繰り返される場所が、塩入もしくは
塩入田とよばれているのを何カ所もみた。
塩入のついた場所に防災庁舎を建ててはいけなかったのである。」
(p185~186)


はい。一度読んだだけでは、
気づかない言葉があります。
私は何を読んでたのだろう。
今に始まった訳じゃない(笑)。

繰りかえし読むこと。
繰りかえし書くこと。
その大切を改めて思うブログ更新でした。

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