和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「茶の間の正義」って何?

2018-08-19 | 本棚並べ
「新潮45」9月号の
特集は「『茶の間の正義』を疑え」。


その特集のはじめに
「『茶の間の正義』とは、山本夏彦翁の言葉である。
テレビなどから垂れ流される、人におもねった胡散臭い正義を言う。
・・・・・」
とあります。

はい。単行本はもっていないのですが、
文庫で山本夏彦著「茶の間の正義」(中公文庫)を
二冊も持っています(笑)。

この本で、山本夏彦氏はこう書いております。

「テレビは巨大なジャーナリズムで、
それには当然モラルがある。
私はそれを『茶の間の正義』と呼んでいる。
眉ツバものの、うさん臭い正義のことである。

昨今の政治の腐敗を、テレビは嘆く。
この間も、各界名士が画面に居並んで、
順々に政界の『黒い霧』を嘆いてみせた。
遅れて発言した某女史は、すでに痛罵の文句が
使い果たされているのを見てとって、
あわててそれを上回る激語をさがしてはみたものの、
品切れと気がついて、窮して
しらが頭を卓上に伏せ、
身も世もないようにもだえてみせた。

身ぶりは大げさにすると、ウソに見える。
言葉は言葉を刺激して、とめどがなくなる性質がある。
話を過激な文句で始めると、さらに
過激な文句を重ねなければならなくなる。」

この言葉で、この本は始まっておりました。
ちなみに、単行本は、昭和42年刊。
さてっと、
中公文庫の「茶の間の正義」には解説がついておりました。
ちなみに、昭和54年の文庫解説は、河盛好蔵氏。
なぜか、2003年8月改版発行での文庫解説は、山崎陽子氏。
比べれば、河盛好蔵氏の解説がいいなあ。
山崎陽子氏の解説は、私には賞味期限切れという印象。
ということで、河盛氏の解説の初めの方をチラリ引用。

「・・私が山本さんのエッセイを愛読する第一の理由は、
平生私が漠然と考えていたこと、もしくは自分でも正体の
分らぬ私の頭のなかのもやもやしたものが、山本さんの
手で目が覚めるように鮮やかに解明さることである。
例えば巻頭の『はたして代議士は犬畜生か』を取ってみるがよい。
世間で正義とされているもろもろの言説が、
実は下等な嫉妬心の産物以外の何ものでもない
ことが完膚なきまでに剔抉されている。・・」
(p266)

 注】剔抉(てっけつ)の意味は、ほじくり出す。探し出す。


うん。それでは、新潮45の9月号から特集のお一人の文を
引用することにしてみます。八幡和郎氏文です。
はじまりは

「西日本豪雨い先立つ7月5日(木)の夜に、
赤坂自民亭とか称した懇談会が議員会館で開催され、
そこに首相はじめ、閣僚や党幹部が出席していたことは、
悪質な印象操作で攻撃され、なんともばつが悪いことになった。
・・・・・
赤坂自民亭については、蓮舫参議院議員が6日の夜と間違って
騒ぎ立てて失笑を買っていたが、たとえ、6日の夜でも
まだ事態は深刻とはいえず、5日ならなんの問題もなかった。」
(p28~29)

うん。マスコミの取り上げ方とは大違い。
テレビでは、蓮舫氏の発言をとりあげても、
失笑を買っている蓮舫氏をなぜか写さない。
そうえば、野党が失笑を買っている姿をテレビでは見れない。

今回の新潮45は特集以外の方に読める文があり、
私には興味深い言葉が残ったのですが、まず、
順番で、見出しの特集をとりあげました(笑)。
この前の「新潮45」8月号の特集はといえば、
高校野球の真っ向勝負というような見出しでした。
その特集は「日本を不幸にする『朝日新聞社』」。





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