和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

山本七平氏の書評。

2017-06-23 | 本棚並べ
本棚から山本七平著「精神と世間と虚偽」(さくら舎)を
とりだしてくる。本の内容からいうと、
「山本七平氏の本棚」とでも題したい一冊。

以前に購入した時、パラパラめくりで(p143~)
「著者は語らず、史料をして語らしめよ」と題して、
辻善之助緒「日本文化史」を紹介しておりました。
さっそく、この「日本文化史」を古本で注文した
まではよかったのですが、まるで歯が立たない(笑)。

いつのまにか、山本氏の本ともども、
本棚行きというか、お蔵入りしておりました。

今回、この「山本七平氏の本棚」から
別の本を探そうと、あらためてチャレンジ。

とりあげられていた本は
比屋根安定著「福音と異教地盤」。

これが気になりました。

「・・・とにかく、日本人でありながら、
日本独自のことを知らないことは恥ずかしいことです。
日本の牧師ともあろう者が、仏教の書物一冊読んだこともなく、
西洋の生半可は知識ばかりふり回していたのでは、
日本の伝道など、とうていできるはずがありません。
アメリカ人で南北戦争を知らなかったり、
イギリス人でシェークスピアを知らなかったりするのと
同じで、日本の歴史、古代文化や宗教に無知であっては、
うたを忘れたカナリアのごとく貧弱であります。」(p111)

「そしておもしろいことは、この問題に
『問題』として対処しなければならなかったのが、
日本人キリスト教徒であったという点である。
確かにキリスト教は輸入宗教だが、
同じように多くの学問も輸入学問である。
したがって、欧米のある学者の業績を翻訳もしくは
翻案して講義していれば『学者』であり得る。
しかしそれは『本場』に行けば通用しない。
しかし相手はその知識と勉学には敬意を払い、
『そこまでわれわれの宗教を研究して知ってくれたのなら、
日本の宗教や文化を、われわれにわかるように
説明してくれるはずだ』と感じ、それをたのむ。
これは彼らにとっては当然のことなのだが、
たのまれた瞬間にその日本人たちは、
自らについて何一つ知らないことを思い知らされ、
愕然として『うたを忘れたカナリアのごとく貧弱』
だという思いにかられる。」(p112)

うん。今回は、この古本を注文します(笑)。



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