わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

本当の人間(2)

2020-12-11 11:16:28 | 癒し

   (前日からの続き)
自分自身を
本当にしってゆくには
どうすればよいか
何をすれば
真実の人間のすがたを
みることが
できるようになるか
と申しますと
それは祈りであります
人間は
祈って参りますときに
真実の自己に出合うのであります

悩みなら悩みをかかえたままで
苦しみなら苦しみをかかえたままでいいから
真実祈りに入ってゆきますと
朗らかな自分自身
すなわち
本心が
ひらいてゆくのであります

人間は
神の愛が
光となり霊となって
その肉体に息吹きとして
吹き込まれたものであります
肉体は
この地球世界を
浄化してゆくために
仮に身にまとった
衣にすぎないもので
祈りに入ってゆきますと
自分を生かして下さっている
光のいのち
霊なるいのち
愛なるいのちである
神へと
かえってゆくことになるのであります

世界平和の祈りを唱えますと
私どもはかならず
この
私どものたましいを
やすませいこわせる
私どもの家
ふるさとに帰ってゆくので
ありますから
本当にこころがやすらぎ
しみじみとよろこびが
湧き上がってくるのであります
それはまったく
自然(じねん)なことでありまして
人間というものは
よろこぶようにつくられており
祈りによって光がつよまり
深くなり私ども自身の
ありどころが
神であることを
しらされるように
なっているのであります
だから
祈るということは
つねに
自分の家を
おもい出し
確認するということに
他ならないのであります
そして
自分自身の本体の朗らかさを
しらされてゆくことに
他ならないのであります

人間として生きるということは
本来
神から分けられたよろこびのいのちを
うたい上げてゆく
ということでありまして
我々の奥にある自在身は
いつも
直霊の自分自身と結びついて
光のながれのなかに
身を任せているのであります
かなしみの裡にも光はあるのであります

我々の心が
どんな歎きに直面して
もだえておりましても
しずかに
光というものは
我々を守り導いているものなのであります

光は絶えざる神の愛であり
愛はすべてをつつみすべてを溶かして
ゆくものでありますから
ただ一つ残ったものは神の愛
というこの事実にむかって
我々は歩いてゆくのであります

肉体をまとい
この世に生きることで
味わう苦しみはすべて
我々の人生を深くするものではあっても
それらは
この現し世にとどまるものではなく
人間というものが本来
宇宙大にもひろがって本心の光
神の光とともにあり
その光のみが愛のみが
実は私たちいのちを養い私たちの裡に
とどまっているのだ
ということに気づかされるとき
人間というものは
本当に自由になってゆくのであります
そして人間のすがたというものも
みえてくるのであります

どんなにかなしんでいても
光が裡にある
ということは
人間というもののいのちの根が
明るく朗らかな
本心によって
つくられている
ということなのであります

この宇宙に
神の愛の気が流れている
それとおなじように
我々人間もまた
小宇宙として
世界平和の祈りのなかで
絶えず
光を放ってゆく存在者
なのであります