わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

真の自分は光っている

2011-02-23 11:23:56 | 癒し
   〇
真の自分というのは
肉体ではない
光る人なんだよ
私はずっとそのことを
説いてきたし
今も説いている

    〇
世の中
みにくいとみれば
すべてがみにくくなり
美しいとみれば
すべてが美しくなる
そういうおもいの転換をさせて下さるのは
守護霊、守護神である

    〇
性格というものは
確かにある
だから人に対する時は
その人の性格をよくみなさい
そうしている内に
自分も
相手も
調和される

想いを放す

2011-02-22 11:17:08 | 癒し
想いを消すのは
容易なことじゃない
消そうとすればする程
想いにとらわれる
そういう時は
守護霊さん
守護神さん
おねがいしますと
想いの荷物を
預けてしまうんだ
そうすると
いつの間にか
消えている

  〇
どんな人でも
尊い神の光
世界人類なのだ

  〇
自分が自分が
と想っている間は苦しい
想いを放して
祈ることです

あるがまま

2011-02-21 09:19:26 | 癒し
   〇
あるがまま
なすがまま
さながらの生命(いのち)とは
そういうことです

   〇
欲というのは
やっかいなものだね
けれど
欲でさえも
真理へと通じる
道筋におかれて
つかわれる
それが
神様です

五井先生の言葉

2011-02-20 09:59:31 | 癒し
   〇
心を鎮めることは
祈りへの第一歩である
祈りに入り込みはじめているといってもいい

   〇
素直な心は
神につながる

   〇
みんなかがやいて
いるのです
そのことに気づけば
呑気になるんだけれどね

   〇
真理は一つ
神は愛であること

   〇
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
とおもえる時
あなたは
祖先につながり
神様につながっています

言葉を超えた心

2011-02-19 09:54:34 | 癒し
 言葉で説明しつくせないことが、この世の中や、人間には
沢山あります。よく、あの人は論客だという言葉を耳に
します。たしかに雄弁な人の言葉は、ちょっときくと耳に
さわやかなものです。

 しかし、どんな理論家でも、また、すぐれた思想や哲学
でも、たとえば、人間やいのちというものを突きつめて
ゆくと、どうしても答えが出てこなくなってしまうのです。

 なぜかと申しますと、これは、私達のいのちや、人間の
存在というものを科学的に説明しょうとするからであって、
究極まで参りますと、おのずから言葉にならない世界に
突きあたるのであります。

 そこで、ここからが宗教の領域ということになるので
ありますが、シュヴァイツァーが、生命への畏敬といった
あの言葉は、科学者として、また、一人の人間として、
実に真理の的を得た言葉だと思うのであります。

 人が、科学の究極まで人間というもの、いのち
というものを、それぞれの分野で追いつめたその時に、
生まれるものは、畏れをもった沈黙でありますが、
生命の畏敬という彼の言葉は、この沈黙の前に、人間が発した
尊い言葉であると思うのであります。

 ところで、ここまでのことではなくても、人間には、
いわくいいがたい思いというものがありまして、それは
言葉では表わせないということがいくらもあるのであります。

 目は口ほどにものをいうということは、我々が日常に経験
していることであります。こういうときには、我々は、
言葉よりも、直接に、相手の心にじかに、自分の心をぶつけて
ゆくことになるのです。

 無言であっても、その無言であることが、百万言をついやす
よりも、その人の心をあらわしているということです。

 私ども、宗教にたずさわります者は、こうした心、言葉を
超えた人間の心というものに敏感でなければなりません。

 心というものを言葉でおおうことは出来ません。言葉を
心でおおうことを、むしろ、私達は心がけるべきであります。

 そして、自分の心と、人の心を大事にして、ともに祈りの座に
つきながら、愛という、人間の言葉を超えた神の心に、すなおに
溶け込んで参りましょう。
            昭和61年8月29日
                         五井 昌久