わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

ありのままの世界(2)

2020-08-29 09:31:40 | 癒し
     (前日からの続き)
仏教にしたっていろんな宗派がありますね。
キリスト教にしてもありますね。
釈迦の教えというのは本来一つなんですよね。
本来一つというのは、どっから入っても同じ
という意味じゃありませんよ。
つまり、釈迦が悟って、菩提樹の下で悟って、
そして37日間ね、これはものすごく
自分にとっては味わいの深いもんだけれども、
これを一般の世間の人たちに喋べっちゃったら、
これは分からないんじゃないだろうかと悩んで、
そしてこれはやっぱり自分一人だけの悟りの
内容にしておこうというのをですよ、梵天
というインドの神様が出てきてね、三度
この世の中の世界の人たちのために、釈迦の
悟ったあの内容をどうしたって広めて欲しい、
口から出して欲しい。
そうすることによって皆救われてゆくんだ
ということをいう。

梵天というのはインドの最高神ですから、その
インドの最高神が、三度釈迦のところへ来て
頼んだということは、一つの大きな人間世界へ
光明が降りる転換になってる訳ですね。
つまり、福音というものがね、キリスト教的に
言えば、一人のものではなくなってゆくと。
喜びごとというものが一人のものではなくなって
ゆく。

その喜びごとというのはこの場合何かといえば、
自分の肉体を満足させるだけのもんじゃない。
気持ちを満足させるもんじゃない。
それだけのもんじゃないんですよ。
つまりそれは、自分の魂、霊体ですよね。
奥の体、そういうものを本当に納得させて
喜ばせて、その魂が打ち震えるほどの喜びを
実感させて、そうして、本当に何でここに
我々人間が生きてるのか、どうして人間という
ものは年を重ねて老いてゆくのか、なぜ死な
なきゃならないのか、ということをすべての
深淵な教えというものは説いていってる訳です。
そして、死というものを突き詰めて考えている
訳ですね。
私などは、死というものは隣に移るようなもんだ
というのは分かっていますけれども、それでも
なかなかね。
皆さんの質問を聞いたりしていると、やっぱり
死ぬということは大変なことです。
              (翌日に続く)