わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

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愛のはたらき(8)

2020-08-18 10:45:27 | 癒し
        (前日からの続き)
自分の力がないから非力だから、自分はこんな
大きな役目は出来ないとかね、何とか思って
自分を閉じてる間はこれは我なんですね。
そんなものは、人間に力がないということは、
むこうが百も承知です。
肉体人間そのままの、我の人間そのままの
生命だったら、神様は使やあしません。
そんなものは。
そうじゃなくって、肉体人間の奥の
生かしてるものは何かといったら、
神様の愛なんだから、その神様の愛、
自分のね、生命を分けた光を分けた光の
一筋の光線の一筋一筋のいとしい生命を
神様が抱きとって、そうして働きをさせよう
というんだから。
その時にあなた方がどんなふうに自分たちが
非力だと考えようと何しようと、そりゃあ
むこうの知ったこっちゃないんですね。
その時にはまかせなきゃいけない。
任せきった時には、自分で思いもかけない
働きというものが出てくる訳なんです。
それは任せ切った時に出てくる訳なんです。
任せ切るっていうのも、自分で任せよう
任せようとかね。
任せなきゃとかね、そんなこと考える必要
ないんです。
皆向こう側が下さる働きなんだから。
自分がゼロなんですね。
あるいはゼロ以下なんですよ。

肉体人間としてみればね、何も出来る
もんじゃない。
凡夫なんだね。
親鸞が言ったように凡夫なんです。
凡夫なんだけども任せきってね、
南無阿弥陀仏なら南無阿弥陀仏、
世界人類が平和でありますようになら
平和でありますようにの祈りの中に
自分というのを入れてしまうと、そこで、
自分の中へ普段は奥の方へ入らされている
光明というものが燦然と輝き出してきて、
祈りになって、一体になって、そして
いつの間にか神様と一緒になって働ける。
そういう生命というものを我々は種として、
生命の種として自分の中に持ってるんだ
ということね。
それを忘れてしまったら、これは
卑下高慢になるんですね。
         (翌日に続く)