わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

いのちの源

2010-11-21 11:35:39 | 癒し
 いのりは、いのちを生きしめる源であります。我々人間のいのちと

いうものは、この世に、ただ20年30年生きているそれだけのいのちでは

ないのであります。


 宇宙の星々を浄めきよめて、そうして地球に降立ったのが私達なのです。

 生命はもともと神の光を受けた澄み清まった流れなのですが、人間が

この地球世界に住むようになって、いつの間にか業を自分の主人だと

思うようになってしまった。

 今はこうした業をすっかり払い、世界平和の祈りのなかで、新たな光に

みちた霊人の生命を回復する時なのです。

 障りなどというものの一切なかった霊止のいのちへと帰す時なのです。


 といって、肉体を亡ぼすのではありません。そのまま、肉の身のまま

霊身になるのであります。その一番の近道、易行道が消えてゆく姿で

世界平和の祈りという私の唱導したこの教えなのであります。

 これは全く、私個人の我から出てきた教えでも祈りでもありませんで、

五井昌久という一個の人間が、神様にこの身、このいのちをささげて、

どうぞこの人類世界を真実に救い導く方法をお教え下さいと、うまず

たゆまず自分というものを忘れ、自分というものをおいて祈った末に、

神様の心が私のなかにひびき、私は真実の私自身との、自己との対面を

果たすことができたのであります。


 真実の自己は、全く白光そのもの、光そのものの自己でありました。

 私はその対面を果たした瞬間、自分のふるさとへ帰ることを許された者

のみが味わう何ともいえぬ感激を味わったのであります。

 そして人は、人のいのちは、みな等しくこのようにかがやいていることを

知らされたのであります。

 この真実を伝えつづけてゆくことが私の使命であることを、この身にも

心にも識らされたのであります。


 このいのちのかがやきは、神様の愛と知恵によるのでありますが、

さらに、このかがやきを、つよめ、深めるのが、私ども一人一人の

世界人類が平和でありますように、日本が平和でありますように、

私達の天命が完うされますように、守護霊さん守護神さんありがとう

ございますという世界平和の祈りなのであります。

 この祈りには、一点の私もありません。それでいて、私ども一人一人の

個々のいのちと、この地球世界に生きるすべての人々とをしっかりと

結んでいる祈りなのです。


 聖書に、神は光あれといわれた、すると光があったと世のはじまりと

記していますけれども、実際、宇宙は、混沌のなかから、神が、自らの

愛と光をなげわかって、創造された大生命なのであります。

 このことをおもいますと、我々のいのちの源は、宇宙であり、宇宙を

創造された大生命である神の愛と光であり、その神、宇宙神のみこころ

そのままをあらわした世界平和の祈りをとなえることで、我々はすでに、

我々のいのちの源、愛と光のなかに抱かれているということがいえる

のであります。


 我々は、肉体をまとう前は、霊そのものであり、霊止であって、宇宙の

星々を経めぐり、いのちの光の花々を咲かせながらこの地球にくだって

きたのであります。

 我々の本心本体は、よくこのことを記憶しているのでありますが、

世界人類、宇宙人類の一人として、世界平和の祈りを心にひびかせますとき、

私どものひびきは、宇宙大奥のひびきと一つに溶け合って、光をおりなし、

おのずからいのちの源へととけこんで参るのであります。
 
 このことを考えて、日々世界平和の祈りを唱えてまいりましょう。

短 信

2010-11-21 11:08:37 | 癒し
 人間にとって、また神を説く者にとって、何が一番大事かと申しますと、

それは人を容れる心であります。


 この世には、実にさまざまな人が生きております。価値観も、人生に

対するおもいも、まるで自分とはちがった、正反対の人々がいるものです。

 そういう人々に出会った時、ただおどろきつづけるばかりではなく、

その人の心のなかに入って、共鳴板を探してゆくこと。これが大事なので

あります。

 なぜなら、神様は、本当に、ひとりひとりを愛し切って、我々のいのちを、

日々瞬々生かしめて下さっているからなのであります。


 世界平和の祈りは、あの人この人という小さないれものではなく、

世界人類が平和でありますようにというウンと大きないれものなのであります。

 この容れ物は、神様の私どもに対する愛に他なりません。どうぞ力むこと

なく、ふんわりと、世界平和の祈りのなかにとけ込まれて、ただ世界人類が

平和でありますようにと祈ってごらんなさい。

 あの人を愛さなければ、何とかこの人をという苦しい気持ちは、いつの間にか、

守護霊守護神が消して下さるでしょう。


 そうしてさらに祈っていって下さると、自分の心が、いつのまにかおおらかに

人を容れる心にかわっていることに、気付かれることだとおもいます。

 ともあれ、まず、御自分を、祈りのなかに投げ込んで、毎日祈って

ごらんなさい。あとは神様がそなえて下さると信じることです。
 
                          合掌

                           昌久