わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

三昧について

2010-11-11 12:38:37 | 癒し
 宗教というものの極意は何かというと、神の愛を知って、祈り心で

生活するということであります。


 どんな時にも、神様が、守護霊守護神が、我々を愛している、愛して

みちびいて下さっているという事実に気付き、ここに深く心を留める時、

私どもは本当に深い大きな安心のなかに抱かれるのでありますが、

しかし、いわゆる宗教三昧になって、この社会から、人間からはなれた

生活をすることは、これは間違っているのであります。

 三昧ということを、世の中の人は、わき目もふらずに一つのことに

没頭する、没頭して、一種こうこつとした状態になり、まわりのものは

何もみえてこないという風にとっているようであります。

 いわゆるこうした意味での宗教三昧を、私は厳しくいましめて

いるのです。


 神様とともにあるよろこび、神様を愛するよろこび、神様から

愛されるよろこび、これらは、神をしたう私どもにあたえられた至福

ではありますが、しかし、これがどんなに至福だからといって、家族を

無視し、仕事を放り出して、世捨て人のように、ただ神様だけに

ひたり切るという生活は、特殊も特殊というべきなのであります。

 それは全くある限られた人にのみ神様があたえることでありまして、

人は、人を離れて生きることはしてはならないし、また出来ないので

あります。


 この人生と申しますものは、いつもいいますように、我々の修行場で

ありまして、人生のさまざまな場面に出会って、我々は、人間が誤って

身につけてしまった業想念のおそろしさ、人にやさしくし、やさしく

されることの嬉しさ、愛することのすばらしさなどを学んでゆくので

あります。そして、このみちびきは、あなた方の守護霊、守護神の愛に

よるのでありますが、現実生活のなかで、泥まみれになりながら、

それでも、誠実でありたい、やさしくありたい、愛したいという心が

自然に湧き上がってくる、まさにその時を、三昧とよんでさしつかえ

ないのであります。


 三昧とは、法の世界、宇宙の大法である神の愛とゆるしのこころに

しっかりととらえられた人間の本体、いいかえますなら、真実の人間の

よろこびを指しているのであります。

 神の愛と人の愛とがピッタリと一致した時、その時、人に三昧境にある

ということができるのであります。ここには、ちっぽけな肉体人間の

小知才覚など、入り込むすきはありません。我というものが消えて、

一切無、一切空となり、光ばかりという世界なのであります。

 滝に打たれ、参禅をなし、食を断って、いのちがけの修行の末に、

人は、この法悦境をえたものでした。

 けれども、現代の現実生活のなかで、これを求めることが(いのちを

すててかかることが)どれ程むずかしく、実現不可能なことかを、我々は

よく知っておりますし、そうしたことを祈り求めた末に、私に与えられた

ものが、世界平和の祈りだったのであります。


 世界人類が平和でありますようにという祈りは、救世の大光明霊団の

光を受けて、修行者が容易にのぼることの出来なかった光一元の

世界へと、私どもをみちびいてくれるのであります。

 なお申しますならば、法の世界、三昧の世界というものは、ゆらぐこと

なく、確かにそこにある不動のものでありまして、私どもが、誠実に、

素直に、神を求めて、祈り心で毎日を生きて参ります時、この三昧の光、

神人一体となった無礙の光は、私どもをとらえ、覆い尽くすのであります。

 世界平和の祈りを行じつつ、毎日を神への感謝に生きて参りましょう。