わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

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五井先生がご帰神された時、皆の業を一緒に持っていかれたというのは本当か

2010-11-05 11:16:21 | 癒し
 まあ一つ言えるのは、私は嘘つきじゃないということですね。

 五井先生が亡くなった時に、つまり昌美がね、五井先生が全部

あなた方の業は持って行きましたと。

 だから、あと残ってるのは燃えかすみたいなもんで、皆救われますよ

という風な言い方をしたと。ところが、今の白光真宏会は、そういう

言い方よりも、むしろね、あなた方が神の子の自覚が少なすぎるから、

いつまで経ってもという言い方をするけれども、それだったら、

五井先生は持って行ったというのは、あれ嘘なんですかという質問が

確かあったと思いますがねえ。


 五井先生は嘘は言わないんです。どこかの総理大臣じゃないけどね、

五井先生は本当に嘘は言いません。業は持って行ってるんですよ。

 ところがね、業というのはね、先っきの話じゃないけども、つくろう

と思えば、いとも簡単に出来るんですよ。みんな楽な方に行きたい、皆

苦しまない方に行きたい、辛い人生を送りたくないと、皆思いますよね。

 だから、そっちの方に行かないようにして、皆努力して生活してる

にも関わらず、何か家の中も職場もね学校も、何かいやな事が起きてね、

夫婦生活もうまく行かないとかね。自分なんかもぐちゃぐちゃ思うし、

何かそんなことを考えると、それはあなたの心が悪いだなんて、

私が生きてる時は、そういう言い方はしませんと言って来ましたね。


 ところが、今の白光は、ちょっとそうじゃありませんかという質問

ですけど、とに角、一つずつ分けて言いますとね、先っきも申しました

ように、業というものは、いとも簡単に、人間の想いという

ものによってつくってゆける。

 で、想いによって出来るのは、業だけじゃないんですよ。神界

なんていう所はね、神界でも霊界でもそう、この世の中でも本当は

そうなんだけれども、つまり、皆の想いが現れて来たものがこの世界

なんです。


 例えば、向こうの世界へ行ってね、この人と仲良くなりたいなあと

想うと、たちまち本当に仲良くなっちゃう。ところが、あの人に

会いたくないなあと想うと、その人が出て来るとかね。最初のところの

霊界のとば口と言いますか、そういう何か修行させられるような時には、

そういう会いたくない人にすぐ会うとか、その想いがすぐそのまま実現

するというような、そういう世界になっていく訳なんです。

 それは、何の為にそれをくり返すかというとね、そういう事を通して、

自分の本心、本体というものが、どれ程霊妙に出来ているか、神様の愛

によってつくられているか。自分は器じゃないとか何とか言ってる場合

じゃなくって、自分の本当の姿をのぞいた時には、どんなに輝いているか

ということ、それをいやでも観せられるんですよね。それを観る訓練

させられる訳なんです。その為に、色んないやな人に会ったり、又逆な

ことがあったり、すぐそれが目の前に出てくるというのはそれなんです。

 ところが、この世の中というのは、時間的な余裕がありますから、

会いたくない話したくないと想えば、断わることだって出来るし、電話を

切ることだって出来るし、絶交することだって出来るし、色んなことが

出来る訳ですよね。肉体はそうやって出来る、この世の中では出来る

けども、本当の意味で出来ないというのは、その想いがね、結局切れて

ない訳なんです。想いはいくらでも交通してる訳なんです。目に

見えないだけで。

 この世の中だって、霊界のつづきなんで、一続きなんで、結局、霊界も

この世も一緒なんですよね。同じ空気とは言わないけれども、霊界の

一部がこの世なんですよ。


 ということになると、その想いの貯金といいますかねえ、どういう

想いを自分の中に積み重ねて行くかということによって、それがいわゆる

業といいますか、カルマといいますか、そういう悪い方の業になって

いくか、そうじゃないかというので、随分と違って来る訳なんです。

 ところが、そこに人間の弱さもろさというものがあって、先っきも

言ったように、そっちの方へ行きたくないんだけれど行っちゃうとか、

行かされるとか。とてつもなく苦しい所へ来ちゃったとか。そっちの方へ

行かないようにするけれども、ところが、これは非常に難かしいところ

なんですがね。行かないように努力しているのにという事の中には、

つまり、行かないようにしたい、恐怖だから、いやだから、あそこだけは

避けたいと思って、ひたすら逃げる心で、それで何かやってるように

なっては、それはもう業を引き寄せるのと一緒なんですよ。


 そこがねえ、人間というのはね、非常に難かしいんですよね。肉体を

持ってると、そんなこと言ったって、五井先生、いやなものはいや

なんです。というのはこれは感情としては分かるんだけれども、

しかしね、仕組としてはそうじゃなくて、やっぱり、ああ想っちゃった

すいません、よろしくお願いしますと言って、パッと想いの転換をする。

 そういうことによって、一瞬業になっても、業というものは軽く

なって、消えてって、ついに消えていくという、そこの、信ずるというか

信頼するといいますかね、任せるといいますか、その信仰というものが

強いかどうか、ね、そこが人間のためされるところなんですよね。


 そこでもう一つ言えば、今、白光が伝えようとしている、つまり、

あなた方は神の子なんだよと。これも言い過ぎるとねえ。確かに、講師の

性格とかね、色んな人の性格によって、押しつけに聞こえたり、色々に

聞こえるんですよ。それで、実際に本当に苦しんでる人とかね、もう

本当にそうは思えない状況の中にいる人達なんかね、ため息ばっかり

ですから、想えって言う方が無理だ、それは分かるの。

 だから、想えという方が無理だから、この消えてゆく姿があるんだ

けれど。今、消えてゆく姿よりも、神の子の方がというのはね、実際に

世界そのものが、本当にものすごい勢いで変わっていってるんですね。

 例えば、あのイランにしてもイラクにしても、国連で平和の

セレモニーがあるということにしても、それは何を意味するかと

いったら、この世界人類というか、世界の中の空気というものをね、

平和なものにして行かなきゃなんない。平和なものに又なってゆく。そう

いう時期なんです。今はね。


 だから、皆が、そんなこと先生言ったって出来ませんよと言ってるん

だけども、先っきも何かの話の中で私が言いましたようにね、自分自身の

肉体世界における状況は、ものすごく辛いんだけれども、あなた方の中に

隠れてる、霊妙な体の奥の奥のね、悟ってる体というものがあって、

そこのところが実は、パァーッと働いて、光になって、あなた方が

苦しんでいても、たとえ病気で寝たきりになっていても、そのあなた方の

光が光明がね、世界中駆けずり回って、そういう空気をつくっていく。

 そういう役割をあなた方自身がね、見えなくともやってるんだという

事実をね、それを伝えたいと思って、今、みんな講師の人たちが

やっきになってる訳ですよ。

 ところが、伝え方がへたなんだな。やっぱり、皆のそれぞれの苦しみ

というものを、充分認めなきゃいけない。認めなきゃいけないけども、

苦しいばかりが人間じゃないということです。

 つまり、私の言う人間というものはね、本当に小さくにもなれば

宇宙大にもなるもんだと。

 前に言ったことあるでしょう。植芝先生が私を訪ねてみえて来られた

時にね、五井先生私は宇宙ですと、私も、植芝先生私も宇宙ですよと。

 その時に居た斉藤さんが、宇宙と宇宙で何の話をしてるんだと、ねえ、

すごく怪(け)訝(げん)に思ったという話があるけどさ、それは何を

言ってるかといったら、それ程人間というものは、神様の本来のその愛

というものに包まれた、無限大に本当に深い大きな存在なんだと。

 だから、本当の人間というものは、宇宙よりも大きく深くなるしね、

ミクロよりも小さくなる。


 私がいつも言いますように、霊界というところは伸縮自在で、たとえ

地球全部の人が一度に死んだとしてもね、そんなことは有り得ない

ですよ、有り得ないけど、霊界では人口がどうのこうのと、そんなことは

問題じゃないんです。霊界というのは、もう自由自在なんです。

 人間は、肉体持ってる間はものすごく不自由なのね。肉体持ってる

為に、家を建てたり、ここへ住んでとか、土地のこと財産のこと、色んな

しがらみが出てくるし、肉体を養わなきゃならない、家族を養わ

なきゃと、色んなことが出て来て、そして動きがとれない。ところが、

死んじゃうと、自在身でしょ。何処へでも行ける。だから、本当に色んな

働きが出来る訳ですよ。

 ところが先っきも言いましたようにね、人間というのは、肉体を持って

いても自在に動きまわれる。それは距離だけじゃないんです。色んな人の

心の中に入って、光を燈すことが出来る。そういう体を、深いところで、

あなた方みんな持ってるんですよ。


 私なんか先生、私なんか役に立ちますか、私なんかお役に立ちません

から、どうぞ他の人を求めて下さい。私なんかって、そんな引っ込ん

じゃあ駄目なんですね。

 何故かというと、皆平等に公平にそれを持ってるんですよ。あなた

だけが持ってるんじゃない。皆持ってるんです。肉体の力量というか

才能というかね、そういう所だけでみちゃうと、そんなに輝いてるものが

あるなんて言ったって、肉体の人間の我から観れば、そんなの私の中に

ある筈ないと思っちゃうから、否定してしまうけども。否定しきれない

というのはね、ほらあなた生きてるじゃないですか。


 生きているその根元は何かというと、神様からの光ですよ。その光が

来て、あなたはその光に養われて生きてるわけ。だから、その光の元を

あなたが体の中に持ってるとしか、私は言いようがない訳ね。皆それ

持ってるんです。

 だから、その持ってるということをありがたく思ってね、そして、

その用い方、用いられ方というものをね。自分がどうしょうとか、

こうしょうとか、こんなものもらっちゃってとか、私にもらったって

どうしょうもないとかね、そんなこと思わないで、一旦もらっちゃったん

だから、あるんだから、謹んで受けて、そうして、それをどう使って

下さるかというのはね、これは、我々は神様によって生かされてる生命

なんだから、それを一旦神様にお返しして、何も生命をとるというんじゃ

ないんですよ。その使い方を神様の方で、どういう風に生きた方が

この人はいいか、どういう風に進んで行った方がいいか、ここで結婚

させちゃった方がいいとか、ここで結婚させないで独身を通してね、

芸術家になった方がいいとか、この辺でデザイナーになった方がいい

とか、そういう事というのは向こうの方で決めるんです。

 だからね、色んなものをもらっちゃって、私こんなものもらっちゃって

分不相応でなんて、言ってる場合じゃないんです。場合じゃないっていう

ことをね、今、白光真宏会は皆に伝えたくてね、心あまって言葉足らずと

言いますかね。


 しかしね、人間の中には、苦に把われるね、昔ながらの我をつくし

ちゃう、どうしようもない肉体想念といいますか、そういう想念の世界、

我の世界、業をつくりかねない世界もあるけれども、一方で、

あなた方は、肉体を持ったまんま、自在に色んな所へ自分の光を、

実際にふりまいている。そういう力を持っている。

 人間というのは、その色んな所へ光をふりまく、明るい想いを

ふりまいて、自分も人も尊敬して、生命を尊んで、この世界を平和にして

というのが人間の真性ですから、そっちの方を磨いていく、見つめていく

という事が大事なんです。それは何も、現実の苦しみ、悩みだとか、

自分の子供のことで死ぬ程私は悩んでいるのに、その悩みを無視

するんですかって、そうじゃないんですよ。

 さっき申しましたように、その悩みであろうと苦しみであろうとね、

神様というのは、守護霊さん守護神さんというのは、それを必ず向こうで

良いように使って下さるわけ。だから、皆が把われているのを放っておく

というのではなく、必ずね、この世の中で使って下さる。

 この世の中で良いように使って下さる。この世の中で駄目だったら、

次の世の中で使って下さる訳なんです。


 だから、その事をね、きっちりと自分の中へたたき込んで、そうして、

自分は生き通しの明るい神様によって守られてる生命なんだ、だから、

その明るいすっきりとした生命になる人間が多くなるように、多くなって

ゆくように、五井先生が肉体を離れる時に、皆さんの業というものは皆

持って行って、洗い浄めて、今燃えかすしか残ってないというのは、

それはその通りなんですよ。

 その時みんな業を持ってっちゃったんですよ。だから、その業という

ものはね、もうふり返らなくていいんです。確かにそうなんです。


 その後というのは、やっぱり皆の想いぐせですよね、いつも私が言う。

 私なんてどうせとか、私がやったってこんなことはなりっこないとか。

 ね、それから、変に責任感じたりとかね。色んなその人の性格のね、

個性といいますか、その現われ方によって、何か苦しみがそこへ生まれて

きちゃう。それが業になってくる。だから、業というのはね、消すのは

大変なんですよ。本当に消すのは大変なんだけども、つくるのは本当に

すぐ出来てしまう。

 だからね、皆そういう弱い自分の、人間の体と、本来の人間の奥深い、

神様の光に満たされた神性の体と、両方持っていて、そうして、今はその

神性の方の体を自覚せよと言っている。何も現実の部分を軽視する訳じゃ

ないんだけど、そっちの想いの方よりも、むしろ、この世の中の空気を

明るくしてゆく為に、あなた方の想いを光にかえてやっていく

という事が、今大事なんで、その為に白光が、色々言ってるんだという

ことを理解していただいて、そうして、それでもやっぱり悩みは悩み

ですから、それは軽蔑しないで、私はちっとも軽蔑しないから。
 
 そんなこと言ったって、私はくだらないことしか想えないし、今こんな

事がしんどい、あんなことが辛いんだというのは、そのまま出せばいい

じゃないですか。そのまま私が光に変えますよ。ね、自分の中に神の子

なんか思えないとか、神のことは思えないとかね、その決めつけだって

把われなんです。業なんですよ。


 だからね、そんなことはないんだから、そういう色んな想い一切、

良い想いも悪い想いもね、湧いてくる思いというものは一旦認めて、

うん、よしよしとしてやって、残るものは残して下さい、消すものは

消して下さい。消えてゆく姿でよろしくお願いします、五井先生

よろしくお願いしますと言ってしまうと、残るべきものが残ってね、

働くべきところへあなた方がちゃんと働くように、こちらの方で、

コースはちゃんと指定が出来るようになっているんです。この人に

こういう所でやってほしい、働いてほしい、行ってほしいというのは

ある訳なんですよ。


 だから、そういう神霊が、皆さん方の為に用意している人生の、

この生命の永生のコースを、ちりがあまり積もらないように、

自分の中の想いをもう一度見渡して、そうして、色んなものがあっても

構いませんから、それをすっきりと、もう一度私に渡し直して、

そうして、自分の中の弱い部分もたくましい部分も全部認めて、

その上で、人間の真実の本来の生命にむかって進んで行けるように、

祈りを重ねていって欲しいと思います。