わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

短 信

2010-11-27 15:43:22 | 癒し
 不安やあせりをよくないというのではないのであります。ただ、

それは、本来の人間の姿ではないのであります。とらわれるということを、

戒めたわけなのであります。それも、否定を致しますと、今の肉体界では

やってゆけなくなりますから、私は消えてゆく姿という言葉を用いたわけ

なのであります。


 私は決して人間の心の動きや、気持ちの動きを否定は致しません。それは、

私自身が肉体をまとった経験から、どんなにそれが辛いものかということが

わかるからであります。

 そこで、この消えてゆく姿という教えが、私どもを真理へと導いてゆく

のであります。


 何があろうと、どんなことが起ってこようと、それは消えてゆく姿。ただ、

神の愛のみが消えずに、厳然とかがやくのであります。

 私達は、この神の愛をまとって生きている一つ一つの生命、神からの

分生命であります。

 私達のなかに神は在って、光をながしつづけているのであります。私達は

神とともにあり、神とともに生きている。

 そして、神の大愛は、私達のすべての苦しみを御存知で、それをいやそうと

して下さるのであります。否、すでに私達は、大愛のなかに抱きとられて、

いやしを受けているのであります。


 神を信じ、神の大愛を信じ、人間が神の光の一筋であることを信じて、

どのような時にも世界平和の祈りをとなえて参りましょう。

                合 掌

                  昌 久

祈りっぱなし、愛しっぱなし

2010-11-27 15:32:57 | 癒し
私達のいのちは

神様が働いているいのちなのです

本来

人間は

神からわかれてきた生命なのですから

考えてみれば

あたり前のことですけれど

なかなか

人間は

自分のなかに神があるとは

おもえない


この世で

毎日

悩んだり苦しんだりしている自分を

人間だと思っている

もうそういうクセが

ずっとついたんです



それでそのクセをとるために

このいのちが神から分かれてきた

生命だということを

すっかりわかるために

我々は世界平和の祈りを

本尊にして

日々瞬々

神をよび守護霊守護神をよぶなかで

祈り一念の生活をしている

ということなのです



もともと

人間は祈るも祈らぬもない

祈りっぱなしなので

そして

神様の方は

愛するも愛さないもない

愛しっぱなしなのです



世界平和の祈りは

この神の愛が

もっともよくあらわれた祈りですから

この祈りのひびきに調和してゆくときに

祈りっぱなしの

本来の自分自身が

つまり

神のいのちの働きの場

器としての自分自身が

あらわれ

光の働きをする自分自身

光そのものの自分自身が

あらわれてくるのであります

こころすこやかに

2010-11-27 10:50:50 | 癒し
こころを

すこやかにして

神の

前に

投げ出すこと


人間は

ただ

この

一つのことの

ために

今まで

さまざまな

修行を

くり返して

きたのです


色々な

くるしみや

とらわれが

つねに

こころを

おびやかし

邪魔をして

ついに

自分の

いのちと

こころとが

神の

光を

受けた

愛そのもの

ゆるし

そのもの

一筋だと

いうことには

おもい

いたりませんでした

そこまで

行けなかったのです


光そのものであった

聖者たちが

何人か

この

地上に

おりて

人のいのちが

すこやかに

神そのものの

ものであり

人は

神から

きたものであると

いうことを

心をつくし

言葉を

つくして

説いたのですが

生活につかれ

毎日を

生きてゆくのに

精一杯だった

人間のこころを

開き切る

までには

ならなかったのです


それは

なぜかというと

しらすれば

いいのだが

こう祈れば

いいのだと

教えられた

祈り言葉や

祈りそのものに

すらも

とらわれて

いのちを

自由に

することが

できなかった

からです


いのちの

自在さを

はばむものは

とらわれの

ほかに

ありません

自己にとらわれ

家族にとらわれ

自らを

苦しくして

生きる

ことに

人間は

慣れすぎて

しまったのです


今こそ

人間は

この

とらわれから

自由に

なって

自らの

光を

高く

神の

前に

かかげるべき

なのであります


そのまま

そのおもいのまま

そのままで

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

という

世界平和の祈りを

なしつづけ

この祈りの

奥に

かがやいている

すべての

人の心を

てらして

やまぬ

神の愛と

人への愛を

この身に

心に受けて

すこやかに

なってゆくのであります


この祈りこそ

かみのみこころ

すべてを

とかさずにはおかぬ

愛の祈りであるので

あります


人間が

本来の

すこやかさを

はっきりと

自覚し

自己を

回復し

他に

その

やさしさを

およぼしてゆく

しかも

いつの間にか

愛深い

自分になってゆく

という

祈り

なのであります


この

いつの間にか

ということは

全託を

指すのであります

任せるこころ

預けるこころ

委ねるこころ

これであります


ゆだねてゆだねて

ゆだね切ったところから

真実の

神の

きわみなき

やさしい

光が

あなたをとらえ

そして

その光は

もう

あなたを

離れる

ことが

ありません



神の

愛し児である

人間

神の

分生命

分霊である

人間が

神の愛を

はなれたことなど

実は

一度も

なかったので

あります


神様の方から

絶縁状を

突きつけたと

いうことは

人間の

誕生以来

一度も

なかったのであります


肉体の

想念に

支配された

人間は

すぐに

自分の

メンツが

つぶされたと

いっては

昨日まで

あいさつしていた

人に

そっぽを

向き

あるいは絶縁状を

たたきつける

などという

勝手なことを

しますが

しかし

これも

あらわれの

世界のみの

ことであって

人間の

本体が

なかなか

そんな

ちゃちなもので

ないことを

ようく

御存知の

神様は

一度

出会わせた

人を

その人の

わがままで

離れさせる

などということは

致しません


なぜなら

この世で出会い

語り合う

人々は

みんな

縁の深い

過去世からの

くすしき

えにしに

むすばれた

人々だからで

あります


人間は

怒りで

その絆を

ほどこうとしますが

神様は

ただ

ひたすら

とわの

愛をもって

その絆を

しっかりと

結んで

下さるのであります


自分で

いったん

切った

やれやれなどと

おもっていても

ちゃんと神様の世界から

みれば

その絆は

天よりも

深く

つながっている

それは

神の

大愛の

計画によるからであります


宇宙の

大調和という

一個の

肉体人間から

すれば

気も遠くなるような

遠大な

計画の

メンバーに

あなた方が

みんな

一人のこらず

選ばれているからで

あります


もはや

誰が

どうしたという

小さな

ことにかかずらわって

心を

なやまして

いる

時では

ないのです


神が

絶対に

人間を

愛して

すてないのも

この

大調和の流れを

支える

尊い

いのちの

一つ一つで

あることを

ご存知だから

なのであります


人間の智恵

一人の

人間の

おもいを

超えた

大愛の

御計画が



まさに

成ろうとしている

今は

その時なのであります


いつ

どんな

かたちで

神から

この召命が

こようと

それを

こばみ

否む

不自由な

人間に

ならないために

私どもは

日々

世界平和の祈りを

ささげているのであります


すべての人の本心との

協働

すべて宇宙に生きる

人類の

高く

すぐれた

むじゃきな

こころとの協働と

いう

大きな

働きが

大きな

使命が



あなた方の

前に

用意されている



神のみこころを

受けて

私が

用意を

したのであります


どうか

このことに

深く心をとめて

祈りを深くし

どうぞ

あらゆる人の前に

自在な

人間であって下さい

あらゆる

人の心を

自在に

するために

先ず

あなた自身が

せまい

とらわれから

身を

放つ

人で

あって

下さい


神の

いのちの

すこやかさと

とわなる

神の

いのちの

前に

祈りを

ささげつづける

わたくしの

この短信を

虚心に

うける

一人で

あって下さい